幕間2
――人気の無い夜道を独りで、どうせ自分の身には起こらない、とか無警戒で歩いてる所を、強姦されたのでは?
あー、うん。――――――そうだよ。
…………ちょっと違うけど。
周りの生徒達が盛り上がれば盛り上がる程、気分が冷めてくる。何をそんなに期待してるんだか。
肌に刺す寒さが薄れて、やがて重いコートを着なくなるだけ。
私にとっては、その程度の出来事だ。
春が来て、私は高等部へ進級した。
新しい制服に身を包み、着慣れないそれをを楽しむ生徒達を尻目に、何が楽しいんだろう、と真剣に考えた。考えたって、私にはよくわからないんだから、そんな事はすぐに忘れた。
そんな浮き足立つ教室に訪れる第一報が。
『寮の門限を破った1年生の女子生徒が、近隣の公園で暴行を受けた。門限は必ず守り、夜に出歩かない事』
そんな重いものだった。教室の浮かれた雰囲気が一変して重く、慎重な物に変わる…………事は無かった。
被害者が何処の誰かという話題に花を咲かせてみたり。こわーい! なんて言いながら何かをアピールしてみたり。重要な情報だったと思うんだけど、雰囲気が先行してる所為で、それを真剣に受け止めてる人は少なかった。
そしてそれは、私もそうだった。
浮かれてたわけではない。
『馬鹿だなぁ』と、淡々と思った。
寮に帰ったら、部屋に知らない娘が居た。ルームメイトらしかった。どうでもいいし、なんかその娘は接触して欲しそうな顔してたから鬱陶しかった。
それも相まって、私は鞄を置いて、すぐ外に出た。
気ままに周囲を散策すること数十分、後悔した。
疲れた。
しかも戻るのには、疲れた足を使って更に時間が掛かる。
そんな時、ふと、公園が目についた。
閑静な住宅街。洋風の似た意匠ばかりの住宅地の中で。一軒分の敷地を使った、小さな公園。
入り口の横には、公衆トイレがあって、公園の大きさの割には綺麗な造りだった。そのお陰で公園の幅の半分はトイレになってる。
朝、聞いた話を思い出した。
私はその小さな公園に入っていく。ベンチ、ブランコ、滑り台。それしか無い上に、どれもみんな小型だ。当たり前かもしれない。全部が普通の大きさだったら、もう子供が駆けまわるスペースも無くなってしまうから。
そうして私は周りを見ながら中を進んでいき、ベンチに腰掛けた。
暴行を受けた公園って、ここ? そんなワケないか
周りは、というか道路に面している場所以外、三方が一軒家に囲まれてる。叫べば、あっという間に人が来るだろう。
ちょっと休んでから、戻る事にした。
春の夕暮れの風が、目の前にそびえ立つ木の枝を揺らしていた。私はその葉先に、手を伸ばす。
《私の手は、あの枝に届く》
まぁ、実際、届くわけない。直線距離にして12メートル強。届かないのが当たり前。
なんでだろうなぁ。
私にはそれが凄く疑問だ。でも同じ感想を持つ人と会った事は一度もない。それは年齢を重ねても、クラスが変わっても、進級しても。
――――私はずっと、独り。
なんか虚しくなってきた。帰ろうか。見上げると、空がもう大分、暗くなってきていた。
ベンチから腰を上げようとした時、やかましい声が聞こえた。
見れば入り口から二人の若い男が公園に入ってきていた。
年齢は……わからない。高等部ぐらいなのか、大学ぐらいなのか、それともとっくに卒業してるのか、本当は中等部だったりして。
判断がつかない。その二人の男の格好が、あまりにも知っている世界と違った。
金色に染められた髪。そのくせ生え際は黒い。派手なアクセサリー。顔の大部分を埋め尽くすピアスの類。
荒々しい粗雑な言葉を辺りにぶちまけながら、段々と奥に進んで……コッチに近づいてくる。
男の一人と目が合った。
その瞬間、二人は声を潜めて、私を見ながら小声で会話をする。そしてニ、三、やり取りをすると…………。
卑下た笑みを浮かべた。その顔に、ぞくりとした。
そのまま、はっきりと私を目指して一人が歩いてくる。
寒気が収まらない。もしかして、この公園だったのかな。
でも、馬鹿だなぁ、って思ったんだ。
やがて一人が、私の前まで歩いてきて、止まった。
私をつま先から頭の先まで、じっくりと見下ろす様に観察してくる。ニヤけた顔のまま。
恐怖が私の態度を頑なにさせた。緊張が目を挑戦的にさせた。
「なんですか」
何か言われたって、冷たくあしらえばいいし、いざとなったら助けを叫べばいい。周りは静かな住宅街で、きっと声はよく通る。暴行されたという娘も、そうすれば良かったのに。
――――瞬間、顔面に激痛が走ってた。
殴られた。髪を掴まれ、ベンチから引きずり降ろされて、蹴られ、踏みつけられる。いつの間にかもう一人の方も、それに加わっていた。
でも私は何が行われているのか、客観的に理解出来ずにいる。
ただ二つ。
痛い。止めて欲しい。
それだけを思ってた。
叫ばなきゃ。叫ばなきゃ。
「やめ、……て、やめてッ」
私の口から吐き出されたのは、懇願だった。
髪を掴まれて顔を上げらる。男の顔が近かった。
「――――うるせぇ。喋んな」
耳の奥に、深く突き刺された。
わかった。わかった。わかった。
喋らない。喋らない。喋らない。
喋らなければ、蹴られない。痛くない。
手足は凍ったように固まって、その先が凍えるように震えてた。喉も震えて。
「あ、……ぅ……ぁ」
変な声が漏れた。二人はそれすら許してくれなかった。また、蹴られる。踏まれる。
痛い、やだ。
私は死ぬ気で、声を抑えてた。
襟首と頭と腕と腰と。抗えない力に抑えこまれ、引きずられていく。
何処へ行くのか。何をするのか。そんな事思わなかった。ただ痛いのは嫌と、繰り返していた。身体をできる限り丸める事が唯一の抵抗だった。
連れていかれたのは、入口近くの公衆トイレだった。
なんでもいい。早く終わって欲しい。それしか考えられない単純な思考が、トイレに入った時、変わった。
先客が……他人が居た。
高等部か、大学くらいの高い身長の人。A。
幼さの残る中等部くらいの人。B。
初等部っぽい男の子。C。
三人の男達が、トイレでたむろしていた。
男二人と、連れられた私。そしてその三人。
しっかりと目が合う。
あ――――助かった。
それを見て、ようやく思考が戻った。
「なに見てんだよ。……散れ」
私を掴む男が凄む。
それを聞いたABCの三人組は、それぞれ舌打ちをしてから、目を合わせないように、トイレから出ていく。
出ていく……? なんでっ!?
狭いトイレの中を、肩が触れながら、男たちとすれ違って行く。
私を一瞥する事も無くCが出ていく。
ご愁傷様、なんて表情をしながらBも出ていく。
軽蔑の冷たい視線を向けながら、Aも出ていく。
……え? なんで。なんで助けてくれないの。
――――待って。
「…………」
声は出せない。痛くされるのは嫌。だから私は。
《私の手はあのAの服に届く》
手を伸ばして…………届かなかった。
届かない。…………なんで?
「おい」
Aは立ち止まり、振り返って男二人に対峙していた。Aの声が、重く響いた。
「アァん!? 見てんじゃねーよッ」
「失せろや、糞ガキ」
私を掴む、男二人が反応した。
だけど、BとCは既に動き出していた。
何も言わず。
Bは男に何かをしていて、
Cはもう一人の方に組み付いていた。
ケンカが、始まってた。
私はAに釣れられて、公園の中に戻ってきていた。気づけば、全てが終わってた。
まだ子供なCはボコボコにされてて、ベンチの横で地面に大の字に寝ていた。それでも大の大人一人を負かしたらしい。
Bは何度か殴られて、その片頬を腫らしてる。
「ちっとー、湿布とかぁ買ってくるぁー」
Bは呑気にそう言って、何処かへ行った。Cは顔の形が半分変わってて、喋ることもできなさそうだった。
何もせず、私の横、ベンチに座ってたAは二人がケンカしているのを笑って見てた。
あ……助け、られた? 助かったの?
「お目覚めかよ」
元々、眠っても気絶してもいない。ただ、頭が暴力に追いつかなかっただけ。
隣に腰掛けていたAが立ち上がって、私の前に立つ。
「これ、なんだよ。テメェ、喋れねぇのか?」
そう言って、私の眼前に拳を突き出す。そのまま素早く、開いたり閉じたりする。私みたいに、手を伸ばして、何かを握ろうとする。
「…………あ」
私はずっと独りだった。
でも、この人は違うんだ。きっと、解ってくれる。
痛みに震える私を助けたみたいに。
私を助けてくれるの?
これが――――運命ていうヤツなのかな。
「ハァぁぁあッッ!? 意味わかんねぇつってんだろうがぁああ!! 殺すぞッ! 解るように説明しろっ!」
「だからー、わかんないと思うんでー、いいですって」
助けられてから、もう何時間、そうしていたか。
実際、運命なんてあるワケ無かった。Aさんは解ってくれなかった。今まで散々、体験して来た事なのに、どうして一瞬でも『解ってもらえる』なんて思ったんだろう。
他の人と同じだった。でも違う所もあった。
「テメェみてーな、警戒心ゼロの馬鹿女に解って、このオレに解らねぇハズがねぇッ!」
Aはかなりしつこかった。
普通だったら、『ごめん、よくわかんない』とか『そうなんだ』とか『なに言ってるの?』で終わる話なのに。
未だベンチの隣に座るAさんは、眉間にシワを寄せ、苦しそうな程、考えている。
「いや……待て。冷静に、だ。よし……。いいか? もう一度、最初から、わかりやすくシンプルに、言ってくれ」
「この世に距離なんてありません」
わざと分かりにくく端的に。私は馬鹿女ですからー。
「『この世に距離なんてない』から手を伸ばせば何処にだって届く。だから助けを呼ばず手を伸ばした」
「はい」
「…………意味わかんねぇぇぇええええ!!」
このAさんは『助けて下さい』と言われたら、助けるつもりだったそうな。
『なんで言われる前に、すぐに助けてくれないんですか』と憤りをもって責めたら『なんで頼まれもしねぇのに、知りもしねぇ、危機管理も出来ねぇ馬鹿女を助けてやんなきゃいけねぇんだよ』と怒られた。私が悪いわけじゃないのに。
それでも助けたのは、私の宙を掴む動作が気になったらしくて。
最初はかなり冷静、冷徹だったのに、
一時間後には不機嫌になってきて、
二時間後には叫び始めて、
三時間後、今はそれらがクルクル短いスパンで回ってる。
ブツブツと呟きながら、私の真似をして手を伸ばす。
その手を握りこむ。当然ながら、空気意外は掴めない。
私もそれに倣って、手を伸ばした。
「……届かねぇじゃねーか。クソが」
「……そーですねー」
「んでだよ」
「なんでだろう」
それがわかれば、とっくに私は孤独じゃなくなっている。生まれてきてからずっと悩んでた。もう悩み疲れて、どうでもいいか、なんて思い始めた、進級の初春。
私は――――初めて、誰かと一緒に、悩んだ。
今までピクリとも動かず、地面で燃え尽きていたCが動いた。ムクリと状態を起こし、Aに視線をやってから、公園の外、道路の方を見た。Aもその先に視線をやってから、近くにしゃがみこんで缶ジュースを飲んでいたBを仕草で呼ぶ。そして静かに何か指示してた。
私はそれに疑問を持つ。
「どーしたんですか」
「警官が来た。通報されたクセぇな」
Aさんは面倒くさそうに舌打ち一つして立ち上がり、私に向き直った。
「いいか? テメェ、もう二度と夜に、ここ来んじゃねぇぞ」
何を言われてるのか、何を望まれてるのかよくわからなかった。理解できたのは、夜という単語の意味ぐらい。
「昼ならいーんですか」
「は? 知るかよ。いいんじゃねーの?」
そう言うとAは、踵を返して歩き出す。その先、気づけばBとCは公園の裏手に回って、柵を超えて、夜の暗がりに消えようとしていた。
「あ……」
遠のいていくAの背中。使命感が登ってきていた。何か、言わなくちゃ。そうだ。
「名前、は」
小さな私の言葉を聞いたAは立ち止まる。二秒ほど、私を見てから、名前を聞かれた事を理解する。
「○○○らみ○○」
Aは答えてから、しまった、という顔をした。小声で早口だったからよく聞こえなかった。
「え……なんて?」
「二度と会うこともねぇんだから、教える必要もねぇだろボケが。来たら……そうだな。アイツ等の代わりに続きしてやるよ。お望みなら、来な」
そうニヤリと歯を見せて、BとCの後を追うように走って消えてしまった。何言ってるんだろ。続きするならあの二人を追い払った時点で出来たか、二人に混じれば良かったんだ。
あのAさんは、そう言えば私が来ないと思ってるのか。
「君? ココら辺で…………君? その格好は? なにかあったのか? おい! 君?」
お巡りさんの声も、遠く感じた。
『らみ』……?
私の頭は、そればかり考えていた。どう当てはめようとしても、苗字も名前も思いつかない。
ただ。
『もう二度と夜に、ここ来んじゃねぇぞ』
夜にここに来れば、また会えるのかぁ。
そんな事を考えてた。
そして私はけたたましい電子音を聞いた。
真新しい、布団の中で。
昨日、構成員くんが清掃するとか言うから任せてみたら、それは『清掃』の定義を逸脱していた。元々、この部屋に在った物。壁紙も、カーペットも机も、全て新品に変えられていた。ついでに、初日に構成員くんが撃ち込んだ穴も消えていた。何処かのホテルに来た気分だったけど、私物がそのままだったから違和感がすごい。
ニ段ベッドの下では、目覚まし時計を超反射で止めたサッチがもぞもぞしてる。
懐かしい、夢を見た。
構成員くんが余計な事、言ったからだ。
人気の無い夜道を独りで、どうせ自分の身には起こらないとか無警戒で歩いてる所を、強姦されたのでしょう?
ちょっと違う。
正確には『されそうになった』。
そして、ラミィ達に出会ったんだ。




