1場
「いや実際、手が届いてない。受話器に」
「んぁ? なに、いきりなり。……手? 受話器?」
昼休みも終わりに近い今、教室の喧騒も大きかった。それでも机の向かいに座る右ちゃんの声はうるさく耳に届いた。顔を上げた勢いで少しだけ揺れるボーイッシュな髪型は、その喧しさに似合っている。
右ちゃんの持つペンは止まったままだった。それはよくある事で、時折設問に引っかかっては私に教えを請う、なんて事をこの昼休み中ずっとしていた。でもペンが止まったのは、問題がわからないからではなく。
「え? なになに? なんの話?」
私の独り言に興味を持ったらしかった。
「あー。昔……十年くらい前かな? この学園に来た時の事、思い出してた」
「おぉ! 優柳って初等部からずっと学園だったもんな! つーか、初等部から寮ぐらしなんだよな? それってどゆこと? ……親は何考えてんだ!?」
「だよねー」
気を使われたのか、次ぐ質問は無かった。右ちゃんは切り替える様に頭をブンブン振ってから、また参考書(世界史)とノートに視線を戻した。そして私は回想の続きをする。
『金はやるから好きにしろ』
小さな私はそう受け取ったらしいけど、本当は違う。
構ってもらう為の方便で『家を出ていきたい』と自分から言ったんだ。
叔父様と叔母様はその言葉を――血縁が無い人と一緒に居る事を嫌悪してる――と取ったのだろう。方便の言葉の通りに、私の意見を尊重して送り出してくれたんだ。
今でも『子供の方便ぐらい気付いてよ』と思わなくもない。
家を出たばかりの頃は、毎日電話しないと怒られた。歳を重ねた今では、流石に月一と回数は減っている。……それでも、電話しないと怒られる。
だから今では、それなりに大切に想われている事を実感している。
叔父様も叔母様も、そして多分、妹も。とてもいい人だ。だからこそ、邪魔をしたくないというか、どう振る舞えばいいのかわからない。他人じゃないけど、限りなく他人に近いから。
『いつか打ち解けたい。でも今じゃなくていっか』なんて思っている間に、初等部から中等部、そして高等部、そして卒業目前の今に至る。
本当の意味での『家族』というモノを私は知らないんだと思う。今はもう戸籍すら無い本当の両親と、小さな頃は一緒に住んでいたらしいけど、顔も覚えていない。叔父様と叔母様は何も言わなかった。察するに事故か何かで死んでしまったのだろう。特に気にした事もない。
「なにしてんの?」
「私の歴史に想いを馳せてる」
「視野を広げよう!? 世界史に想いを馳せようよっ!」
右ちゃんは机の上の参考書(世界史)を叩いた。どうでもいい事なので無視する。
「あー、昔の私、ヒネくれてて、嫌にマセた子供だったなぁ」
「『だった』ってなんだそれ。今もそーじゃん」
「…………」
「…………」
私は席を立とうとする。
「嘘嘘嘘嘘嘘! やだなーもうっ! 優柳ってばホント素直でいい大人なんだから!」
私は制服の両肘を掴まれて、席に落とされた。
『嫌な子供』の反対で『いい大人』なんだろうけど、大人げない、みたいに聞こえてなんか嫌。
まぁ、いいか。私はまた、自分の歴史に想いを馳せることにした。
「なにしてんの?」
でもすぐに邪魔された。
「だからー、想いを馳せてるの」
「…………うん、どの角度から見たって、そうは見えないぞッ!」
そうは見えないから『なにをしてるのか』と聞いてたらしい。
私は、五指を伸ばして、腕をまっすぐ突き出してる。昔は、公衆電話の受話器に向けて。今は、教室の黒板に向けて。
今も昔も、手が届かない事に変わりはない。
右ちゃんが振り返って、私の視線と向けた腕の先を探す。でもそれが何に向かっているかは特定できないでいた。それもそうだ。私と黒板の間、約9メートルの間にあるものは多い。
ちょっと黒板に消し残しがあって、なんとなくそれを指で消そうと思っただけだ。
『私の手に届かない所は無い』
今でもそう思ってる。つい手を伸ばしてしまう事もある。でもそれが現実にありえない事は、この十年で学んでもいる。
と、そんな風に、普通の人が取らない行動を取って、言動も――――昔はそう考えている事も隠そうとしなかった――――奇抜だったからかもしれない。
私の交友関係は狭い。用事や連絡があれば、話しかけてくる女子は居る。でも男子からは……とりあえず、思い出せないくらいには……話しかけられた事すら無い。男子が私に用事がある時は、なぜか女子が中継するんだ。
おかしいな。邪険にしてるつもりは無いし、外見だってそれなりの自信があるのに。……なんて自意識過剰な雰囲気が醸し出て、敬遠につながってるのかもしれない。
そんな中、私にしつこく…………いや、ありがたくも構ってくれるのが、今目の前に座ってる右ちゃん、それと。
「優柳~。お客さん」
そう私を呼ぶ、左さん。今日は読書デーらしく、教室の扉近く、自分の席で文庫本を片手にしていた。……だから私が右ちゃんの相手してるのか。いつもは右ちゃんと一緒にいる事が多い。二人の仲がいいので、自然に私との会話も増えている形だ。
そして『お客さん』と称された、胸囲以外は少女としか形容できない外見をした、同い年の女子。それを見た右ちゃんが叫ぶ。
「うぉ~! サッチぃぃいい!」
サッチ、右ちゃん、左さん。この学園の中で私の『顔と名前が一致する確率』トップ3が図らずも揃った。
私が手招きをすると笑顔を浮かべて『おじゃましま~す』と入ってくる。栗色のフワリとした髪、小柄な体型と相俟って、小動物を連想させる可愛さを持ってる。小走りで近寄ってくる姿さえ、どことなくキュートだ。ちょっと急いでるらしい。
私は部活にも委員会にも入っていないし、特にこれといった趣味も無い。サッチとは学年が一緒なだけで組も違う。それでも、唯一にして最大の接点があった。サッチは私の寮でのルームメイトだ。私の…………家族を知らない私にとっての、一番『家族』に近い存在。
何かを一緒になって達成した訳でもない。感動を分かち合った事もない。
でも、朝一緒に起きて、学校へ別れて、帰ってきて偶に一緒に夕食を取って、寝るまでおしゃべりする。他人から見れば『ちょっと仲がいい』ぐらいのモノだろうけど、他が希薄な私にとっては、誰よりも濃く感じるモノだった。
だから。
「サッチぃぃぃぃい。聞いてよ! 優柳がね――――」
「優柳! 屋上の鍵貸して?」
右ちゃんを無視しても、屋上の鍵を使う理由、目的が不明でも、なんとなく貸してしまったりする。ブレザーの内ポケットから鍵を取り出して、その手に乗っけてあげた。
「はい、どうぞ」
「ありがと! じゃねっ」
そう言って、サッチはまた小走りで教室を出ていこうとする。
右ちゃんが早口かつ小声で叫び始めた。
「(優柳ぃ! 教えて? お願い!)」
「『ロナルド・レーガン』」
「(いや、設問の答えじゃなしに! 今あたしサッチに無視されたのッ!? それとも気付かなかっただけなの!? 馬鹿だからわかんない! どっち!?)」
「もう一回声かければ?」
「(それで返事無かったらどうすんのっ? 優柳バカなの? それぐらいわかれ! だから聞いてんの! はやく! どっちなのか――――)」
「あ、行っちゃう」
「サッチィィィィィィイイイイイイ!!」
結局、叫んだ。私に聞く意味は全くなかった。
教室を出た直後だったサッチはキュキュッと廊下を鳴らして振り返った。
「あ、右ちゃん? ……めんね! 後でねー」
返事はしたものの、そのままサッチは廊下へ消えてしまった。向かって左へ、やっぱり小走りだった。右ちゃんは安堵した様に息を大きく吐き出す。
「あぁ、良かった。とりあえず無視はされてないみたい!」
「そだねー。……でもさ。サッチ、様子がおかしくなかった?」
「優柳の方がいつもおかし――――」
目を細める。
「――――イイエ、ナンデモないデス」
「真面目な話だよ。次ふざけたら鎖骨、折るよ。金槌で」
「Yes,sir!! ……えと、サッチの様子? 別にフツーでじゃないか? むしろどこがおかしかったのか教えて欲しいくらいだ! ……あーっ、でもそういえば、ここ最近、男ができたとかできてないとか、聞いた気がする?」
男の件は私も風のうわさで聞いた。っていうか右ちゃんから聞いた。寮で本人に聞いてみたけど教えてくれなかった。もしかしてそれを隠してる?
当たらずとも遠からず、かなぁ。
私が歩き出すと、後ろから声が掛かった。
「えぇ!? 優柳もどっか行くの? 昼休みあと十分くらいしかないのにっ!」
「そーそー、それ。十分しか無いのに」
サッチは向かって左へ出ていった。サッチの教室なら右の方が間違いなく早い。左へ行くと、屋上が近い。変だ。屋上と教室を往復すると過程したら『急いで屋上の空気を吸いに行って即帰る』なんて事になってしまう。
それに例え冗談でも、急いでても、友人を無視するよう娘じゃない。でも『聞こえなかった』と言い張るには、右ちゃんの声は喧しすぎる。
ここ数日、似たよう事が多かった。注意散漫というか、心ここにあらずというか。話しかけたりすると、至って普通に返事が返ってくるんだけど。
「えぇ! オイ! 世界史教えてくれよー!」
「私のノート持ってっていいよ。後で返しに来て」
目を白黒させる右ちゃんに手をヒラヒラ振りながら、私は教室を出た。




