表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
朧車  作者: 赤丸朧
第2幕 幸せのしょうてん
18/51

8場

 病院を出ると、辺りは真っ暗だった。中にいる時は感じなかったけど、道を照らす程の明かりが眩しく感じた。こんな時間でも、まだ病院ってやってるものなんだなぁ、なんて思いながら息を吐く。背後から差す明かりに照らされて、ハッキリと白く浮かび上がった。


 寮への帰り道を独り歩いていると、背後から声がした。


「優柳先輩。こんばんは」

「こんばんわー」


 振り返ると構成員くんが居た。挨拶しながら近寄ってきた。私もそうだけど、こんな時間でも未だ制服のままでいる。それでこんばんはって。なんか変な感じがした。


「病院のさ――――」

「さきほど――――」


 発する言葉が重なった。ただ、私の方が少し早かったからか、構成員くんは間をおいて『どうぞ』と譲ってくれた。周りに人気は無いので、構わず言う。


「病院の部屋に……というか、一区画? に『亜因果科』とかでかでかと書かれてたんだけど。隠す気あるの?」

「詳しい仕様はわかりませんが。自覚の無い者は入れない造りになってるのでしょう。学園の地下と一緒です」


 そうやり取りしながら二人で歩き出した。何の変哲もない廊下とかだったんだけどな。


「それで、僕の話ですが――」

「んで、さ――」


 また重なった。今度は構成員くんの方が少し早かったけど、憤りを我慢するように目を細めて、譲ってくれた。『さっさと終わらせて下さい』とか言ってるように見えた。


「光輪が発現した『きっかけ』なんだけど」

「先輩を助けようとしたからではないんですか」

「あー、そう言われればそうなんだけど」

「『きっかけ』はとても重要です」


『メールにも書きましたが』と中置きしながら続ける。やっぱり構成員くんの吐く息も、街灯に照らされて白い。


「今までの統計から『自身の尊厳が危機に陥る事』と『自身に亜因果があると確信する事』が二大要素でした。先輩を助けた時の場合は、貴女が先輩を自分の命のように大切に思っているから、と推測できます」


 そう言われると、否定しにくいなぁ。原因が違ったら、私がサッチを大切に思ってないみたいでしょ?


「それでも推測の域は出ません。気付いた事があれば、出来うる限り、教えて頂きたい」


『きっかけ』が掴めれば、それを避けられる。結果、苦労する生徒も減る、かぁ。協力しよっと。


「つーかよ、そもそもテメェはなんで疑問に思うんだよ」


 一応、一字一句間違いなく口に出す。口調もなるべく似せた。


「はぁ? 別に疑ってる訳ではありませんが。何故いきなり喧嘩腰なんですか」


 なんか構成員くんも喧嘩腰になり始めてる。


「あー、違う違う。光輪を出そうとした時、そう言われた事を思い出したの。フッと浮かぶカンジで。そうしたらポッと出た。言われたのは前日。……これで何かわかる?」

「疑問に疑問ですか。……その言葉自体に特に意味は無さそうですね。そうなると言葉ではなく状況かと。変な暗示に掛けられたんじゃないでしょうね? ……亜因果を狙う存在が全く居ないというわけではありません。どんな状況で、その言葉を言われたんですか。それに拠って調べる価値が決まります」

「え」


 状況? を言うの?

 言いたくない、というか、あんまり口に出す事じゃないというか。


 でも構成員くんはえらく真面目で……ってそれもそうか。『亜因果を狙う人物』が何かは知らないけど、その表情は危機感を覚えてる。言いたくないけど、言うか。


「セックスした」

「…………は?」


 言いたくないけど、ていうか、死んでしまいたいくらい恥ずかしいのを隠すために、わざわざ堂々と、端的に、短く速攻で終わらせるようにハッキリ言ったのに、聞き返すのか、この構成員は。


「だからー、……セックスした」


 私は構成員くんの驚愕から目をそらす。しばらく無言が続く。あきれ果てているのか、それとも恥ずかしがってどう対応したらいいのかわからないのか。横目で構成員くんを見る。


 意外にも、構成員くんはえらく真面目で、唸りだしそうなくらい何かを考えていた。


 そんなに考える何かがあるの? 言わなかっただけで、亜因果発現の3つ目の要素に『純血を散らす』とかがあったら面白いなぁ。とか考えてた。


 ふと、構成員くんが立ち止まる。振り返る形になって私も止まった。緊張を解きほぐすように深呼吸を一つおいて、構成員くんは言葉を作る。作りながら私に近寄って来て、何故か力強く、両肩に手を置かれた。


「よく、勇気を出して言ってくれました。さぞやお辛かったでしょう。……光輪のきっかけは一先ず置いておいて、貴女はこの件を一刻も早く忘れるべきです。言い難いですがあの病院には産婦人科もあります。お願いですから、通って頂けませんか。後の事は僕が……いえ、大丈夫です。他人の耳に入らないようにすると、誓います。構成員と呼ばれるだけの知識と行動力はあるつもりです」


 何言ってんだこいつ。

 辛い? 忘れる? 産婦人科? 他人に聞かせないようにする? いや、聞かせても困るけど。とりあえず、馴れ馴れしく両肩に乗る、両手を払う。


「そんなんじゃないから」

 腹立つなぁ。私の表情を不思議がる構成員くん。


「何も考えず、適当に夜遅く、独りでフラついていた所を強姦されてしまったんですよね?」

「あー………うん………違うから」


 数瞬、間があく。やがて理解が追いついた様だった。追いついた様だったけど、何故か蔑む目を私に向けて、嫌悪感たっぷりの溜息をついてから、言葉を吐き捨てた。


「売春ですか……。やめろとは言いませんが。ただ、もう先輩に近づかないで頂けますか」

「なんで、まず一番に『恋人とえっちした』っていう発想が出ないかなぁ」

「居ないでしょう。居ない人物を想定はしません」

「居るよ」

「冗談はやめて下さい。真剣な話なんです」

 すごく真剣な表情で睨まれた。なんて大真面目に人を貶める男であろうか。

「恋人、いまーす。彼氏、いまーす」

「…………は? いや、そんな……まさか」


 驚愕に震えてる。何が『そんなまさか』なんだ。私に彼氏が居たら、そんなにおかしいの? 私をなんだと思ってるんだ。サッチに言いつけよう。私の怒りを読み取った構成員くんが言い訳を並べる。


「いえ! これは……! ……コホン。貴女に彼氏が出来るわけないという意味ではなく、まぁ出来ないだろうなと思ってたわけでもありません。まずはその辺りを冷静にご理解下さい」


「ならこっち見て言ってみろ、ばか」


「そ、その、事前の情報や噂から察する所といいますか。…………だ、第一、この三日間程、全く話にも登らない、連絡を取ってる風も無い、居ないと思って当然でしょう!? それに『尊厳の危機』とお話したでしょう! 話の流れから――」

「噂って?」

「…………僕はあまりそれを重視しませんが、一応、対象となる人物の一通りの噂は頭に入れています。貴女は先輩とルームメイトでしたからその時から徐々に仕入れて――」

「長い。その仕入れた噂を言えって言ってるの。それで有罪か無罪か決めるから」

「有罪だったら、どうなるんですか」

「サッチにチクる。あることないこと」


『サッチ』という単語は構成員くんに対して魔法の効果があるらしく、しぶしぶと、長い言い訳を織り混ぜながら構成員くんは話してくれた。


『勉強が出来る。予備校に通ってるワケでもないのに』

『多分、ロボットだから』

『そのせいか男子に興味がない。っていうか存在が見えてない』

『わかりやすいレズビアン』

『運動できないアピールうぜぇ、と思ったらホントに出来てなかった』

『二足歩行演算装置は未だ完成に遠いと思われる』

『現三年のリーダー格とよく一緒にいる』

『寮には殆ど帰らない』

『多分、その美貌で不良どもの愛人やってる』

『愛人から上り詰めて、学園の不良共を仕切ってる』

『終に中等部まで手中に収めた。次は大学部』

『っていうか実はマフィアのボスの娘だった』


「なにこれ。これ信じたの? 何? ロボットって。レズだとか」

「そのまま信じるわけではありませんが、そう周りに取られる素行をしている人物、という事は知ることができますから」

「マフィアって何? ヤクザと違うの?」

「知りません。僕の方が聞きたいくらいです。ただ、この辺りに『天鎖あまさファミリー』というマフィアの拠点か、それに近いものがあるそうで、その所為でしょう」

「は? それだけ? あー……まぁいいや。で、誰が言ったの、これ」

「口が裂けても言えません。信用に関わります」

「じゃあサッチに言うから。構成員くんが私を『マフィアのボスの娘で悪女でレズのロボットだ』って虐めるって」

「うっ……ぐ……い、言えません」


 耐えたか。まぁいいや。『美貌』って入ってたし。


「で、セックスしたわけだけど。どうでもよさそうなら、もういいでしょ? この話」


 なんかもう、恥もなにも吹っ飛んだ。話を戻すと、構成員くんの顔に厳しさが戻る。


「いいえ。発現した土壇場の状況でわざわざそんな事を思い返すのには原因があったのかもしれません。性魔術なんて言葉があるくらいですから、信憑性はあります。性行為による発現の実例はあまり聞きませんが、無いわけではなかった筈です」


 意味がわからない。性魔術なんて言葉は聞いたこともないし。


「行為の最中に、特別な感覚はありましたか。具体的に」

「そりゃー、違和感たっぷりだったよ。慣れてないし」

「そういう意味ではなく。光輪を使っている時の感覚はありませんでしたか? あれば確実なのですが」

「そう言われてもなー。第一、光輪使ってる時だって、特別な感覚なんてないよ。フツー」

「そうなんですか。レトロアクトにはあるんですが」


 えっちの時の感覚を話してる筈なのに、全くといっていい程に恥ずかしくない。構成員くんの真面目モードに釣られてるのかもしれない。


「相手は? 学園の生徒であるなら、そちらの彼も調べる必要があります」


 あー、中等部だけど、一応、ラミィも同じ学園だ。敷地も違うし、会う機会なんて殆どないけど。そういえばサッチはくまの人形(ラミィちゃん)をラミィだと勘違いしてたな。ただの由来なんだけど。


灰村巳辰はいむラミィたつ、だよ。ウチの生徒」

「ハイム・ラミー・辰さん、ですね。外国系二世ですか。調べておきます。中等部といえど、発現していたら僕の耳に入ります。恐らく危険は無いでしょう。安心してよいかと思います」


 ハイム・ラミーって誰。構成員くんでも冗談言えるんだ。面白くないけど。


「もしや、先程一緒に居た方がそうですか。最初に僕が聞こうとしたのはその件です」

「そーそー」


 わかってるじゃん。そういえば監視してたんだっけ。

 そう一区切りついて、後はくだらない事をお互いポツリポツリと言い合った。『もう少し早く歩いてはいかがですか』『普通だったら一時間もかかりませんよ』『時間の価値を知った方がいいかと』とか非常にうざかった。


 そうしながら二人で歩き、寮の入り口は目前になった。


「あ、優柳ぃー」


 向かいから歩いてくる寮のお隣(クリーニング屋)さんがエントランスの前で止まった。なんでか私を待っているらしい。手にはスーパーの袋があった。買い物帰りみたい。


「それでは、僕はこれで」


 構成員くんはそう言って、歩いて来た道を戻る。区切りもいいし、知らない女子の前で亜因果の話も出来ないし、という所かな。戻りつつなんて細かい事呟きながら消えた。うるさいなぁ。そうしてエントランスに着くと自動ドアと熱気が出迎えてくれる。凍えた四肢の先に染みこむようだった。


「買い物?」

「うん。新しい洗剤~」


 そんな会話をしつつ、寮の中を歩く。帰ったら真っ先にシャワーを浴びよう。ご飯は……遅いし、もういいか。サッチの保存してるお菓子をわけてもらおう。


「さっきの男子、誰? 2年生だったよね?」

「あー」


 なんて答えよう。サッチの彼氏とは言えない。サッチもなんだかんだと言って誤魔化してるみたいだった。女子一同に問い詰められ集られるのが楽しいんだろう。初めての経験だろうし。私の後輩とも言えない。後輩と知り合う場が無いから、詳細を聞かれては返答に困る。

 なんか考えるのも面倒になったので。


「ヒミツ」

 と笑顔で返して済ませた。


「そっかぁ、あは。優柳がイイコで良かったよ」


 褒められて少し気を良くするけど、噂をする人たちが面白ければ面白い程、される方は面白くないものだしね。それくらいは配慮する。なんかクリーニング屋さんの笑みが、とてもやさしいものに見えた。見間違えかもしれない。すぐに見慣れた、元気の発露である笑顔になった。


「でさー、サッチのカレシの話! 優柳、知ってる?」

「あー」


 普段だったら軽い挨拶を交わす程度で済むのに、わざわざエントランスで待ち構えてたのはそれが理由か。耳が早いなぁ。サッチの隣のクラスだったっけ? だとしたら聞いててもおかしくない。サッチのカレシだったらさっきまで一緒に居たよ。


 なーんて言えるわけもなく。


「知らないねー」

「やっぱり優柳も!? なんか意外というか、サッチ、誰にも言ってないっぽいんだよね!」

「みたいだねー」

「でもさー、あたし、見ちゃったんだー。サッチのー、カ・レ・シ!」


 ニタリ、と歪むクリーニング屋さんの顔。その素質はあると踏んでいたけど、もう既に井戸端のオバサン化してた。しかもその顔からして、良からぬ事を想像してるに違いない。確かにさっき、しっかりと構成員くんと二人きりで居る所を見られたけれど。勘違いされてはまずい。


「あー……えー……さっきのはー」


 なんて言おう。私がそう口篭ってる間に、クリーニング屋さんは声を大げさに口に手を当て、内緒話風に捲し立てる。


「でもさー、サッチ、ちょっと趣味悪いよね。確かにアレは隠したくなるかも」

「あー……そうなの? 別に普通じゃない?」


 確かに頭固いし、小うるさいけど。真面目、とも取れなくはない。


「えっ! ……なーんだ。やっぱ優柳も知ってるじゃん」


『この、この、耳臭いぞぉ』と脇腹をつつかれた。


 基本的にシャワーな私でも耳の後ろはしっかり洗う。耳臭いじゃなくて水臭いだと思う。


「顔は悪くないでしょ。性格はサッチの好み次第?」

「えぇ!? 優柳、あれ、アリなの!? 大丈夫!?」


 え。そんなにダメなのかな、構成員くん。私は何も感じなかった。私に一般的美的センスはないみたい。


「なんかデブってるし、髪ベトついてるし」


 ――――――ん?


「なんかいつも笑ってるし、笑い方がキモいし……って友達のカレシをキモいとか言っちゃダメか! でもキモい。あたしだったら、無理かなー」


 構成員くんが笑った所なんか見たことない。


「誰の事、言ってるの?」

「えっ。あのーサッチのクラスのー。なんてったっけ。地味なのにやたら存在感だけはある」

「違うよ。サッチの彼氏、後輩だし」

「えぇー…………と。まじで? っていうか、やっぱ知ってんじゃーん。……って」


『あれ?』と指を頬に当てて小首をかしげるクリーニング屋さん。


「マジだよ。……見ちゃったって、何見たの?」


 少しだけ言葉を濁し、言ってもいいものか考える時間をつくってから口を開く。


「買い物に出ようとした時さ、その男子が部屋の前でなんか揉めてて。男子はどもりながらなんか叫んでたんだけど。なんかサッチはケタケタ笑ってて痴話喧嘩かなと思って最初は無視したんだけど。……気になってすぐ戻ってみたら二人共居なくなってたから、あぁ、部屋に入ったんだなー、って」


 廊下の暖房が直接肌に当たって、鳥肌が立った。


「それ、いつの話?」

「えっと……30分くらい前? 40分?」


 その時間は、構成員くんと一緒に居た。構成員くんじゃない。知らない男が私とサッチの部屋に入ってる? 嫌な汗と考えが、吹き出してくる。私の表情を読んだのか、クリーニング屋さんはエレベーターに乗ってから一度も口を開かない。


 男子はまだ部屋に居るの? 居ないで欲しい。気味が悪い。エレベーターが私達の階で開いて、二人でそこを通る。後ろからクリーニング屋さんの声が聞こえた。


「サッチ、彼氏居るのに、あの男子部屋にあげてるの?」


 今のサッチが何を考えてるのかなんてわからない。


「そうかも」


 たった一言、肯定するだけ虫酸が走った。でもクリーニング屋さんを責めたって仕方ない。サッチが薬を飲んでる事を知らなければ、明るく笑ってるんだから危機感を覚えようが無いだろうし。


 部屋の前まで来て。


「じゃね」

「うん」


 不安と不思議が入り混じった表情で、自分の部屋まで歩いていくクリーニング屋さん。こちらをちょこちょこ振り返ってた。クリーニング屋さんは自分の部屋に手を掛けたまま、ノブを引く事はしなかった。そのままふと私の方を見たから、目があった。


 いつまでも見てたら変だから私は自室の扉を引く。入った瞬間に嗅ぎ慣れた雰囲気においに、違和感があった。空気の中に、微かに汚れが混じっている、そんな気がした。


 知らない男子が部屋に入ったみたい。そんな事を思ってたからかもしれない。

 中から物音はしなかった。見慣れない靴もない。ただ、サッチの靴はある。もう居なくなったのか。件の男子が何をしに来たかはサッチに聞けば良いか。


 靴を脱いで少し進んだ所で。

 サッチのブレザーが床に落ちてるのが見えた。着替えたの?


「ただいま。ちゃんと片付けないと――――」


 しわになる…………よ。


 一瞬にして思考が霧散して、目の前の映像が何を意味するのか、繋がらなかった。


 散ったブレザー。広がったベスト。捨てられたスカート。


 大の字で部屋の真ん中に寝るサッチ。ワイシャツの前は全部開け広げられていて、下着は下ろし、捲り上げられ。


 一歩、進む。何かを踏んだ。半透明のシャツのボタンが一つ。

 サッチの横にも、一個落ちてた。


 でも、視線の殆どを奪い続けたのは。――――――――あまりにも健康的な、乙女の肌色。


 なにこれ。


 これの意味する所が、上手く浮かんでこない。

 ボタンを踏んだ。痛かった。その所為で、次の一歩も持ち上がらない。


 ただ、人形のように動かないサッチを見てた。


「なにがあったの」


 違う。なにこれ、と聞くべきなのに。どうしてそう聞いたのか。


 知らない男子が押しかけてて。

 サッチは薬でおかしくなってて。

 誰も居ない防音の部屋で、二人きりで40分。


 ――――嘘でしょ?


 そんな言葉が浮かんだきり、私は空白に埋め尽くされた。


 第4ボタンから下は、未だシャツにくっついていた。その上、3つボタンがある筈なのに、それが無い。


 糸くずがついていたりするだけだった。

 部屋の奥を見たら、1個落ちてた。

 私の足元。サッチの横。部屋の奥。


 これで3つ。全部、あった。……引きちぎられて、飛んだボタンが。


「――――――っ」


 あ、呼吸、忘れてた。サッチが、動いた。正確には、震えてた。何も見ていなかったような視線が私を捉えて、突然、勢いよく上体を起こした。顔はうつむいている。小刻みに全身を震わせていた。


「サ…………チ……?」


「――――――あっはははははっはは! なにその顔! 優柳がすごく驚いてるよっ! そんな顔、初めて見た!」


 声を掛けた瞬間、お腹を抱えてくの字に床に転がった。

 楽しそうに笑って。


 その笑いが部屋に響く度に、私の呼吸が早くなっていく。苦しい。何かを溜め込んでるみたい。


「ふざけないでッッッ!!」


 私は生まれて初めて、全力で叫んだ。その声にビクッとまた上体を起こしたサッチに飛び掛る。続く言葉は勝手に飛び出ようとする。


 何があったのッ! 何をされたのッ! 何処の誰にッ!


 私の両手がサッチの両肩を掴んだ時、驚いたサッチが片手をかざす。

 その手に、私の知ってる何かが付着してた。


 見慣れないソレを、頭が勝手に答えを当てはめる。


 ―――――――――『匂い』がした。


 瞬間、サッチを突き飛ばしてた。ただソレから逃げたいがばかりに。


 私は尻餅をつく。

 匂いがした。匂いがした。

 匂いがしたって事はそれの成分が私の鼻の粘膜に入って。

 私の中に入ったって事。


「うぅッ……かっ……は」


 そう思った瞬間、胃が迫り上がった。口元を抑える。全身わたしが、汚いモノを排除しようと、震える。そして、ようやく自分がした事を思い返す。


 全力で飛びかかって、

 感情のままに叫んで、

 そのまま突き飛ばした。


「あ…………ごめ――――」

「――――あっはははは、はは! 優柳が怒ってる!? すごい! これも初めてだよっ! ぷふっ、あっはは!」


 ………………え?


『なんなの、これ』


 口をつくこと無く、胸中に埋め尽くされるその言葉が、

 次第に変わっていった。

 深く、自分の奥底に沈んでいく。

 なんなの、これ。

 なんなの、って。知ってるはずでしょう?

 サッチは薬を飲んでるんだから。

 もう、サッチには届かない。

 私がどんなに叫んでも、私がどんなに怒っても、私がどんなに嫌っても。

 もう気持ち(わたし)は届かないんだ。


 そう理解した瞬間、目の前で笑い転げてる女子が、一瞬、その辺に居るフツウの取るに足らない下らないツマラナイ――――要らない存在に感じた。


「ちが、う。サッチは……私の」


 薬を飲んでる事を知っていても。心が動く事なんて止められない。

 知らないなら尚更で。このまま時が過ぎれば、きっとサッチは独りになる。


 そしてそのまま、笑い続ける。

 思い出した。


『側に居させて下さい』


 それは例え、どんな事が起こっても。どんなに気持ちが離れても。


『僕が考えているのはただ、『僕という存在』がこの世で唯一、自分の思い通りに動く人間だという事です』


 サッチを見捨てない。そんな誓いの言葉だったんだ。やっぱりラミィと違った。


 私は構成員くんに電話した。


「私」

『……ッ! 貴女、ですか。なんですか? 暇では――』

「すぐに来て」

『わかりました』


 二言目、その了承が聞こえた瞬間、通話は切れていた。



 優柳ぃー! 夕飯食べた!? ゆ、う、な、ぎー! どうしたの? ゆーなぎー!! おーい。生きてますかー! 優柳ぃ~~~~! 寝てるの? 風邪引くよー?



 私は構成員くんが来るまで、何も聞かず、何も考えず、ただ壁にうずくまっていた。


 玄関の扉が開く音が耳に入って、ようやく意識が戻る。

 何してるんだろ、私。これこそ、サッチの為を考えたら、私だけでどうにかするべきだった。


 だけど、もう遅い。足音が短い廊下を進んで、部屋の中に入って、止まる。


「んきゃーッ! こ、構成員くん!? なんで、なんでっ!?」


 顔をあげたら、サッチは下着こそ直していたものの、あの時の格好のままだ。寒くないのかな。構成員くんから隠れるようにベッドに飛び込んでいた。


 部屋中を一瞥し、私に向かって静かに歩み寄ってくる。やがて私の目の前で立ち止まって、その顔が見えたけど、部屋の電灯に逆光となって、表情がよく見えなかった。


 それでも、見下すような鋭い眼だけはハッキリ見えた。音もなくしゃがみ込んで、その顔が近づいてくる。


『どういう事ですか』『許しません』『貴女に先輩の友人でいる資格は無い』

 今度こそ撃たれるかな。それも悪くないかもね。


 吐息が耳に当たるくらい顔を寄せられた。それでも微かに届くほど小さな声が掛けられた。その言葉は、想像から程遠いものだった。


「状況は聞き及びました。普通に、していて下さい」


 構成員くんは鋭く立ち上がって振り返って、ベッドのサッチに声を掛けながら歩み寄る。


「先輩……。なんて格好してるんですか」

「こ、構成員くんが急に来るからッ!」

「僕が急に来たら半裸になるんですか? 全く。……優柳先輩? 先輩とシャワーでも浴びて来て下さい」

「色々、見えちゃうでしょ!? もー!」

「僕はむこう、向いてますから。……優柳先輩? お願いします」

『普通に、していて下さい』


 私の身体は勝手に立ち上がる。顔には笑みを貼り付ける。

 構成員くんが見下してるように見えたのは、私がしゃがみ込んでいたからで。

 その表情は、普段と変わりない、構成員のものだった。


 構成員くんは、布団をかぶるサッチに向けて突然、手を伸ばす。布団を剥ぎ取るのかと思っていた。


「んぎゃー!」


 次の瞬間、サッチの両手が勢い良く構成員くんを突き飛ばしていた。跳ね返されるように床に転がった構成員くん。サッチはケタケタ笑ってから。


「そういうの、ダメって言ったでしょッ! もー!」


 そう叫んだものの、転がった構成員くんを見て、すぐに笑いが溢れ出るサッチ。構成員くんはズレた眼鏡を直しながら、悠々と立ち上がった。


「そうでした。申し訳ありません。……それでは、優柳先輩、お願いします」


 私は、笑顔を作るのが精一杯。了解する一言すら、吐き出せない。


「もぅっ! あっはははは! 行こっ、優柳! ほらっ。見えちゃう見えちゃう」

「大丈夫ですよ。僕は後ろを向いています」

「えぇー? ほんとぉー?」


 布団から飛び出したサッチは、キャッキャと笑いながら私の手を引いて、洗面所に引っ張り込んでいった。



「せまいっ! せまいよー! あっははははは!」


 二人でシャワーを浴びる。一人でも腕を伸ばし切れないユニットバスの中で、時折肌がぶつかりあった。私にお湯が殆ど当たらない。所々、凍りついてる気がした。


「頭……、洗ってあげる」


 それが、ようやく搾り出した最初の一言になった。

 サッチは鼻歌を歌う程ご機嫌だった。


「ん……ぅ……き、もちー。優柳、プロになれるよっ」


 上手く、サッチの言葉が頭に入ってこない。私の手は、サッチの柔らかな髪を泡立て頭皮を刺激し、私の目は、サッチの体中を這ってた。目に見える傷は無い。


 そうやって、確認していた。あ、確認……?


「さっき、構成員くんになにされたの?」

「えぇッ!? えー、とね?」


 誰にも聞こえやしないというのに、サッチはわざわざ耳打ちして教えてくれた。

『女性器を触れられた』

 構成員くん、確かめたんだ。よく確かめられたね。

 今のサッチには何をしても平気だから?

 そんな事しなくても、聞けばいいのに。


『で、実際、何、されちゃったの?』


「はいっ! 今度は優柳ねー! あっはははは!」

「……うん」


 構成員くんは確かめたのに。私は聞くことすらできない。

 結局、シャワーが終わるまで、はしゃぐサッチに辿々しい返答をするばかりだった。


 先に洗面所を出たサッチが『オォー!』なんて驚嘆の声を上げてる。用意をしてあった下着を身につけ、用意してなかった服の代わりに、脱いだ制服を着直す。


 シャワーの後に同じ服を着ると、汚れてる気がする。

 あれを見た後で、なおさらだった。


 わざわざ洗面所の中で、サッチに私の服を着せ、私は元々着ていた制服に身を包んだというのに、部屋に構成員くんは居なかった。代わりにビニール袋に包まれた新品の女子の制服が置いてあって、それがサッチに驚嘆の声を上げさせた。


「すごい! ああああ! なつかしー!! このゴワゴワ感! すっごい硬いよ! あー! こんなだったっけ!」


 サッチはそれをすぐに着て、私の着ている制服をペタペタ触って、質感を確かめたりしてた。


 私は寒さに身を震わせた。見ればベランダの窓が開いていた。空気の転換をしてくれてたみたいだった。その窓を閉めて、部屋中を見渡した。


 私が何も出来ない間に。制服を片付けて、新しい制服を用意して、窓を開けて。サッチが乱した布団も整えられてる。


 もうする事は無い、と言わんばかりに、それが終わってすぐに帰ったのか。

 構成員くんの表情は、構成員としての義務感だけ。普段の表情だった。


 なんとも思わないの? サッチの事、どう思ってるの? 付き合うのは、構成員としての落とし前だったの? もう、よくわからないや。


 また、さっきうずくまってた所に戻ろうとした時、胸の内ポケットが震えた。携帯電話だ。


 構成員くん……?


『あ、優柳?』


 女性の声。誰?


『部屋の前に……本物の彼氏が居るよ。出てあげて』


 クリーニング屋さん? 本物の彼氏って……構成員くん? なんで番号、知ってるの? 教えたっけ?


 浮きだす疑問と、未だ胸中に纏わりつく気だるさから返事ができないでいると、それを察したのか電話はすぐに切れた。私はその言葉に従うように立ち上がって歩き出した。


 扉を押し開こうとして、ピクリとも開かなかった。


「どしたのー?」

「なんでもない」

「ふーん?」


 部屋の奥からサッチの声がして、私はそれに答えた。

 鍵が閉まってる? 確認したけどそんな事はなかった。もう一度、ノブを落とし、今度は力を込めて押すと、少しだけ動いた。扉の前に重い何かがある? ……誰かがいる。


 ほんの僅かに開いた隙間に、小さく声を流した。


「私」


 間を置いて、扉を押すと、難なく開いた。でも、その隙間から。

 聞こえた。

 私は滑り出て、後ろ手に扉に寄りかかった。

 そっか。

 なんでかは知らないけど。

 ずっと、我慢してたんだ。


 廊下に響き渡る、感情。だらし無く撒き散らされる、嗚咽。

 時折、鼻を啜り上げ、また、一から、慟哭が始まる。


 扉のすぐ横の壁に、構成員くんは顔を隠すように蹲って、泣き散らしていた。



 無能な私は、廊下に響き渡る喚きを耳にしながら、なんて声を掛けていいか検討もつかず、サッチが出てこないように、ただ扉に寄りかかっていた。


 周りに群がる野次馬を『大丈夫だから』と笑顔で遠のかせ、時には『見てんな。どっか行け』と睨みを効かせた。構成員くんは嗚咽が止まっても動く気配は無かった。やがて部屋に帰る生徒達も居なくなる程の時間になった時、構成員くんは腕に顔をうずめたまま、口を開いた。


「ずっと前、気のいいヤツが居ました。そいつは帰宅部で委員会に入る事を望む僕に、執拗に部活に誘ってきた。身長も高ければ運動神経のいいそいつと比べて凡庸な僕。『無理』だと、断り続けました。嫌いなんですよ。そういう無駄が。『身長が無いなら、誰よりも高く跳べば良い』『無理なんて言葉は自分を閉じ込める檻だ』……何かの引用でしょうが、それがそいつの決まり文句でした。渋々、入部を決めたんです。マネージャーとして、ですが。そんな折、そいつの亜因果が発現しました。その件に関わる内に、僕のも、時計が読めないだけじゃない事に気がついた。そいつのソレはどうしようもない亜因果でした。それでも僕は諦めませんでした。そいつの言う『無理だ』という台詞に今度は僕が『無理じゃない』と言ってやったんです。何とかする、思ったんです。それでも、結局は――――――」



 学園の地下。広い空間。一面の灰。空虚な金属の墓標。



「僕には、無理だったんでしょう。身長が無い、運動神経が無い……そいつの亜因果。それらと一緒です。『無理』。それが現実。そう思って思い出にすがり続けていました。授業も身に入らず、何も考えず、ソイツの居た部活に顔を出すだけの毎日」



 ――――――その時、見たんです。

 ――――――とても綺麗な、レイアップを。



「その人より、身長の低い選手は居なかった。それでもその人はずっと、コートの中に居た。それを見てから僕はマネージャーを辞めました」


 全てを掛けても無理を通したかった。

 なのに、代わりに返ってきたのは現実。

 ――――――でも無理を通してる人が居た。


「構成員に、志願しました。『無理』に打ち勝ち、『無理』に打ちひしがれる生徒を救う。あの時は無理だった。だが次は違う。そう、意気込んで。消えない後悔が、強引に事を進めさせました。それなりの件をこなし、信用を積み固めていた時。報告があがったんです。『亜因果行使の疑い』『無自覚に運を司る』その対象の名前に、聞き覚えがありました。周りの構成員は、誰も担当をしたがらない。教師達も、ただ残念そうに沈黙を守るばかり。それもそうです。『無自覚に運』なんて|どうしようもない[#「どうしようもない」に傍点]亜因果、その結末は見え切ってる。だから、俺は、それに、志願……して……。その、……結果がッ――――――!」


 落ち着いていたのに、また一筋が、頬を滑り落ちる。

 だけど、先刻までと違った。


 その涙は強引に、袖に吸い込まれていく。力強く、擦り上げて、構成員くんは立ち上がった。


 しばらく、腕を顔に押し付けるようにして隠していた。深呼吸を一度してから、その腕を外す。すかさず手に持っていたであろう眼鏡を静かに掛けて、おもてを上げる


「……お見苦しい所を。失礼しました」


 赤く腫れた目の周り。充血した瞳。だけどその表情は、強い意志に満ちていた。


 一人で、立ち上がったんだ。


 すごいね。

 その気持ちはきっと、構成員くんだけのもの。だから私は知らないフリをする。

「私、夜になると耳も目も悪くなるんだ」

「はぁ? そんなワケないでしょう。馬鹿ですか?」


 …………こいつ。他人ひとの気遣いを。


「夜になると耳と目と、ついでに頭も悪くなる優柳先輩にお願いがあります。先輩を連れて、30分程、散歩してきて下さい」


 あからさまな煽り文句。なるほど、照れ隠しか。内心、私の目の前で不覚を取った事に、大慌てなのかもしれない。ただ、負けたな、って思った。


 何も出来なかった私は、ただ従う事にしよう。


「はーい。でも、なんで?」

「貴女は、その部屋で寝る気ですか?」


 うーん。気分は悪いけど。


「清掃します。……そんな顔しないで下さい。僕がやる訳ではありません。それ専門の構成員が居ますので」


 えぇー。それでも嫌だよ。構成員って生徒でしょ? 業者に委託する気分で我慢しようか。


「それでは。僕はやる事があるので」


 そう言って、懐から携帯電話を取り出しながら歩き出す。その背中を見送ろうとしたら、立ち止まった。携帯電話を握りしめ、多分、何もない空間を睨んでる。


「僕はいつか必ず、吉祥天を抑える方法を見つけます。当然、薬に頼らず、です」

「私に出来る事は?」

「ありません。いえ、あってはいけません。薬が無くなったとしても、記憶まで無くなる訳ではないからです。僕は先輩に初めて会った時から構成員でしたが、貴女は友人だった。友人を危険な目に合わせて喜ぶ人は居ません。……今日の事も、これからの事も、薬が無くなった瞬間にすべてを思い返す事になります。……その時に『吉祥天を知る普通の友人』が必要です。貴女にはそれを任せます」


『普通にしてて下さい』か。よく考えてるんだ。


「では、お願いします」

 と手にした携帯電話で何処かに掛けながら、構成員くんは歩いていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ