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朧車  作者: 赤丸朧
第2幕 幸せのしょうてん
15/51

5場

 私は寮の部屋の前で、うろうろしていた。赤いカーペットと暖色の明かりは、いつも落ち着いた雰囲気を見せてくれてた。でも、今やその効果は無い。


 麻薬かぁ。吉祥天が『幸運を呼ぶ』なら、常に幸福であればいい。呼ぶ必要は無くなる。


 実際これで本当に止まるのかはわからない。なのにこの薬は間違いなく、サッチに作用する。


 それを渡すの?


 そしてサッチは、そんな理由は聞きもしないだろうな。一も二もなく飛びつく。


 どうすればいいんだろう。

 考えたって仕方ないか。わからないものはわからない。


 私は備え付けのインターホンのボタンを押した。分厚く、不動にさえ感じる扉を開ける、魔法のボタンだ。反応が無かった。そういえばこの寮は、元々高級マンション群として建設されたけど、色々あって取りやめになってしまって、それを学園が買って寮にした。なんて話を聞いた事がある。亜因果を持つ生徒の為に建てた、という私の考えと、どっちが正しいんだろう。


 そんな事を思い出すぐらいに間があった。相変わらず声は無い。でも。


『………………』


 通話状態になった証。インターフォンが静かな空気を音に変え始めた。


「サッチ、私」


 それは『中に入るよ』という宣言。私はノブに手を掛けて扉を引いた。部屋と廊下を繋ぐ隙間が出来た辺りで。


『ダメ。ポストに入れて』


 …………もう開けちゃったんですけど。入って欲しくないなら鍵、閉めればいいのに。そりゃー、寮の規則で鍵を閉めちゃいけないってのはあるけど。


 元々、マンションの予定だったんだから、当然、扉には簡易ポストがついてる。


 寮長、管理人からの告知だったり、面白おかしい噂が書かれた紙だったり、陰湿なイタズラだったりに使われるポスト。そこに薬を入れろ、と。


 また余計な事を思い返して現実逃避してるな、私。


 ポケットから薬を取り出す。色違いのプラスチックケースをしばらく眺めてから、言う。


「入れるのは構わないけど。飲む前に私の話を聞いて」


 インターフォンは何も答えず、ただ沈黙を発してた。返事は来そうもないかな。


 私はドアポストにケースを落とす。中で跳ねるケースが音を立てた。


 直後。それよりももっと荒っぽい音がたって驚いた。近くに居たサッチが勢い良くポストを開けて、ケースを掻っ攫ったらしい。


 私は今度こそ、扉を開いて、中に踏み込んで、後ろ手で扉を閉めた。


 両手でケースを抱いているだろう、サッチの背中が見える。振り返ったサッチと目が合った。


「嫌ぁぁあああ!!」


 耳をつんざく悲鳴に、私は凍りつく。その間にサッチの背中は逃げ去るように部屋の奥へ消えていく。


 あ、こんな声、誰かに聞かれたら……って、そういえば部屋は防音だったっけ。

 とか、また関係無い事を思ってた。


 そのまま、扉の前から進めない。部屋の中に入っていけない。部屋の奥から怨嗟の声が私を留まらせる。


「なんでッ! なんで邪魔するのォォ!? 邪魔、しないで……じゃま、しないで、よぅ」


 嫌だな。進みたくない。近寄りたくない。だってサッチ、嫌がってる。嫌われちゃうよ。


 それは本心からだったけど。私の中の違う何かがそれに勝ったみたいで、一歩を刻めた。


 そのまま部屋の中に入ってく。

 カーテンを閉めた暗い部屋の中。サッチは部屋の隅に丸まっていた。私から薬を守るみたいに。


「サッチ、聞いて」

「嫌ッ! 飲ませない気なんでしょッ!?」


 その通り。麻薬なんて、飲んで欲しくない。それか、せめて私が飲んで効果を確認してからにして欲しい。でも今はそんな事、言えるわけもない。


「飲んで……いいから。話、聞いて」


 泣き濡れた後なのか、それとも怒りに震えているのか。サッチの呼吸は一拍ずつ、間を置いてる。


「これ、ホンモノなの」


 強い怯えが、深い猜疑心を生む。構成員くんの表情を思い返す。効くかは別にして、これが本来渡される薬だったのは間違いない。でも、偽薬効果の話を思い出した。


「さぁ? ……構成員くんは、そうだって言ってたけど」


 だから、わざわざ、信じ込めないような言葉を選ぶ。もし薬が効かなかったら、飲まなくて済むでしょ? 言って、自分の短絡さを後悔した。


 もし薬が効かなかったらどうなるか、なんて。

 ついさっきまで実演してたのに。


 正直に話した方がいいのかな。


「これで……吉祥天は消えるの?」

「消えない」


 私の断言に、サッチの背が震えるのが見えた。つい、口を開く。


「吉祥天は消えない。でも、吉祥天が『幸せ』にしてしまう効力を持つなら、吉祥天が起こらなくても『幸せ』で居れば良い。……その薬は、サッチを馬鹿にして、幸せしか、感じ無いようにする薬。……麻薬だってさ」


 長い沈黙が降り立った。震えていた背中は止まっていた。


「よく、わかった」

『これで……』なんて希望に溢れる声が聞こえた。


 これで、何? 吉祥天を使わずに済むんだ、って?


「ホントにわかってる? 麻薬だよ? それ」


 私の批難めいた軽口は、叫び声で返された。


「優柳こそッ! 吉祥天を使うって事がどういう事か! わかってるのッ!?」


 ビクつく私。そんなの……わからないし、わかってるよ。

 どんなに考えても、それは想像の域を出ない。どんなに想ってみてもサッチを『死なせる』『薬を飲ませる』なんて結論は出ない。


 でも、薬、渡したでしょ? 飲んでいいよ、って言ったでしょ。

 すぐさま『ごめん』って言おうとした。


「あ……ご、……ぅ」


 でも震えて、上手く言えない。落ち着いた頃には、結局タイミングを逃した。

 最近、多いな。頭は回ってるのに、身体《感情》が追いつかない事。


「構成員くんの事、許してあげて。構成員くんは――」

                      ――私はサッチを想って。


 今度は他人ひとの名前を使った言い訳が始まった。そしてすぐに、遮られる。


「やめて。……そんなのわかってるから。言わないで」


 一度でもそれを口に出されれば、それは許せなくなる?

 意味はわからない。ただ、そう聞こえた。


「わたしの、幸せは……」


 呼吸があらいのか、深呼吸をしたのかはわからない。暗い部屋の中にいっぱいにサッチの呼吸が音だけが広がっていき、それは収束し、吐き出される。


「吉祥天でも優柳でも、構成員くんでもない。わたしの幸せは、わたしが決める」


 背中しか見えなくても、握り潰されてしまいそうな程、麻薬ケースに力を篭めているのがわかった。


 私は何も言えず、ただ何か言わなきゃって思って。


「シャワー……浴びるから」


 要らない報告をして、サッチにそむく。



 お湯が傷に、全身に染みた。

 身体にぶつかって、こびり付いていた血が流れ落ちていく。

 何してるんだろ、私。

 多分サッチは、薬を飲んでしまう。

 こうしてれば、薬を飲む所を見なくて済むから?

 それを見れば止めてしまう。

 サッチと争わなくて済むから?

 もう、よくわからないや。



 ユニットバスを出て、タオルで全身を拭く。ストックが残り少なくなってた。ここ2、3日、それどころじゃなかったしなぁ。あ、着替え、持ってくるの忘れちゃった。


 私はバスタオル一枚を巻きつけて、洗面所を出る。

 部屋のカーテンが、半端に開かれてた。街灯のある外よりも、部屋の中の方がまだ暗い。朧げに横顔を照らされながら、サッチは外を見てた。


「優柳……。夕食、食べに行こっか」


 サッチは悠然と振り返る。その顔には穏やかな笑顔が張り付いていた。私は応える。


「うん」

「お腹空いてるから、きっと暗くなっちゃうんだよ」


 昨日、私が言った台詞セリフ。今はサッチがそれを言う。

 正反対だ。…………飲んだの? 薬。


「うん」


 私は何も考えず、何も感じず、ただ肯定をしながら着替えを済ませた。


 二人で寮を出る。


 真冬の空は18時を回ってる今、真っ暗だった。寮の前の道路、等間隔で並ぶ街灯が存在感を顕にしていた。さっきまで、濃い青だったのに、気付いた時には真っ黒になるんだ。エントランスを出る。強い風が乾き切らない髪を乱した。湿気は風に溶けて行く。体温は痛いくらい奪われていく。私はコートの前を、きつく重ねた。


「うぅ~~~~~~」


 先にエントランスを出たサッチが、道端で縮こまって唸ってた。

 …………なにごと?


「寒い! 寒いよっ! どーなってんだこの国は! ……ドーナツ? あっはははははは!」


 その、あまりの代わり映えに、私は呆気に取られる。


「ね!?」


 何故か勢い良く振り返って、私に同意を求める。

 それがおかしくて、私は小さく笑ってしまった。


「そうだね」


「うーん……。コーンポタージュ? そう! それだ!」


 サッチはそれをご所望らしい。


「じゃ、学食かな」

「食堂はー?」

「混んでるよ」


 学園敷地内にある学生食堂と、寮のF棟一階をまるまる使った寮食堂。

 元々、高級マンション群で、その固定客を狙ったレストランか、カフェテリアにするつもりだったんだろうけど。今は学食だけで賄い切れない生徒の食事を、食堂として埋めている。……当たり前だけど、内装は食堂の方が綺麗だ。だから人気がある。学食と比べたらお洒落だし。


「だいじょぶ! 3年だし!」


 そのせいかな。そんな決まりは無いけど、暗黙の了解というか。1、2年生は譲る、なんて雰囲気が定着してる。


「それでもいっぱいだよ。それに、食堂のポタージュは80円高いよ。内容に大差ないのに」

「値段の問題かっ!? ……大差ないの?」

「両方飲んだけど、違いがわからないねー。納品業者は同じだろうから、当たり前だけど」

「80円は雰囲気代だよっ!? 払ってやる! あっはははははは! だからぁー、食堂っ!」

「きっと満員だよ。寒空で待つのはヤだな」

「もぅ。そんなに学食がいいのー? 好きだねー」

「人混みが嫌いなだけ」


 もっと言えば。3年生、サッチの知り合いばかりの所に行きたくない。今のこのサッチを、見せたくない。そんな事を考えてる内に、学食まで着いた。その間、サッチはあっちこっち行ったり来たりしていて、まるで子供みたい。

 はしゃぐサッチを見て。元気になったんだ。よかった。


 そんな風に思った。

 それ以外はまるで解決していない……むしろ悪化してる。

 そんな考えを押し込んで。


 サッチより先に、喧騒の中に入っていって、券売機の列に並ぶ。そうしながらも、周りの観察は怠らない。


 7割強、埋まってる。その殆どが2年生。多分、遅くなった部活や委員会帰りに、食事を済ませてしまおうという所か。3年生もちらほら見えるけど……近くには居ないし、どのグループも談笑に夢中でこちらを見ようともしない。


 早く紛れてしまわないと、誰かがサッチを、サッチが誰かを見つけてしまうかも。


 私は適当にお札を飲み込ませ、なんとなくボタンを押す。出てきた券を素早く取りつつ……私はもう一枚、お札を券売機に飲み込ませた。こうすれば、少しは早くなる。


「奢るよ」


『えぇ!? 急になんで!? なに!? 悪いよっ』

 あ、しまった。サッチは理由があろうと無かろうと、気楽に奢られるような娘じゃ――――

「ホントっ!? らっきー! あっははははは!」

「あ……」


 言うが早く、サッチはポタージュのボタンを押してた。


『……後、どうしよう』なんて一瞬、間を置いてからもう二度、ポタージュのボタンを押して『ポタージュ定食!』なんて言って笑ってた。


 そんなサッチを尻目に食券を出す。少し注文を加えようと思ってたんだけど。


「あ、センパーイ!」


 そんな声が気になって、集中出来なかった。給仕のおばちゃんの問いかけにも、適当に返してしまう。明らかに、高らかに私達の方向、サッチに向けられた声。


 サッチの知り合いは何も3年に限った話じゃなかった。部活終わりの2年生サッチの、後輩。


 ちょっとした集団の後輩達は、口々にサッチと挨拶を交わしていく。


「センパイ、なんかテンション高いっスね!」

「全然そんな事ないよっ。フツーフツー。あっはは!」

「…………酔ってます?」

「なんかー、良い事、あったんですかー」

「えぇー。ヒミツぅー」

「なんですか、それ! きになるぅー」

「それにしてもキミタチ。あがる時間、早くないカネ? もしかしてー、サボったのかっ!? 許さないよー!」

「えぇ!? 違いますってー。今日、女子バスケ部(うち)が体育館《第二》使う筈だったんですけどー。何故かいきなり筋トレになっちゃってー。外のコートは男子が占領してるしで。延々筋トレも飽きたんで、走り込みして終わりにしました!」

「あっははは! 偉いねー!」

「センパイ、何かしらないですかー。噂だとぉー……3年生の授業中、なんかあったとか? 無かったとか」

「あっはは! 知ってるよー? でも、教えなーい!」


 ――――ちょっと待って! その話はダメ!


「えぇー! なになになに!? なんですかー、それ! あ、センパイも一緒しましょーよ! 席、取ってあるんでー。……いい?」


 先頭に立ってサッチと言葉を交わしていた後輩が、連れ立った娘達に同意を取る。満場一致で、賛成。その雰囲気は崩れそうに無い。


 ダメだって、そんなの! サッチが何を口走るかわかったものじゃない。


 未だ何か言ってる給仕のおばちゃんの言う事を流しに流して、トレーを掻っ攫うようにして持って、サッチ達に近寄る。どうしよう。なんて言えばサッチと後輩達を切り離せられるの!?


 サッチは食券を提出してて、後輩たちも続々と券売機で注文を済ませて行く。

『あ、どーも』なんてサッチの後輩たちが会釈してきた。どうしよう。多少、強引にでも引き 離してしまうか。それは出来る。可能だ。


 でもそれで、興味を引いたままサッチが居なくなれば、さらに強い興味を引く?


 他に強く興味を引ける何かがあればいいの?


「こっち」


 その声は小さかった。それでも学食内の喧騒が一段、下がったお陰で、私達にまで届いた。


 私じゃない。サッチでも無い。でも、3年生の女子。


 立ち上がり、軽く手を挙げてる。私とサッチがそれを確認したのを見てから、ゆっくりと席に座った。喧騒が戻る。生徒がひしめく学食内で、彼女の周りだけ席が空いてる。


「ごめんなさい。先約があるから」


 私は軽い笑顔を作って、後輩達に告げた。


「…………えっ!? あ、いやいやいや! あたし達こそいきなり、えっと、その、すみませんでしたっ」


 よくわかってない顔のサッチがトレーを受け取る。後輩達と別れて、私達は彼女の所に歩いて行く。


『嘘。センパイ、あの人と知り合いだったの!?』

『てか、横に居た人、だれ? 役員?』

『優柳先輩でしょ!? ……多分。知らないの?』

『知らないよ。知ってる方が驚きだよ』

『ほら、毎回、テストで学年5位くらいに居るじゃん!』

『自分の順位すら見たくないのに上級生の、しかも上位なんか見るワケないって。千人の中の5位、かー。天国?』

『優柳先輩とあの人、ならわかるけど、なんでそこにセンパイが……!? ……これは盲点だったぁ。もうちっと媚び売っとくんだった。…………権力的に? あれ? 生徒会ってどんな権力あるの? なんかそういうイメージあるけど』


「聞こえてるぞっ!」


 後ろのサッチが笑顔で吠えた。


「聞こえるように言ってるんですーっ」

「センパイはそっちの人間じゃないんですッ! 間違ってまーす! だからコッチ来て一緒に食べましょーよぉ!」


 振り返ると、サッチは後輩達に向かって『ンベー』と舌を出してた。出された後輩達はキャッキャ言いながら学食の奥、ごった煮の中に消えていった。


 周りで食事をする生徒の背に擦る度、小さな謝罪を述べて目的の席まで着く。


「この状況で、よくそうやって平気で座れるね」


 鈍感な顔して座る殺し屋ちゃんに声を掛けた。その目の前には何も無い。何かを食べた雰囲気も、無料の飲み物すらも無い。周りの、席を詰めたり、譲りあったりする会話が聞こえないんだろうか。さっき後輩達に向かって嘘をついてしまった手前、ココに座らない訳にはいかない。サッチと共に、殺し屋ちゃんの向かいに座った。


 朝もこんな構図だったっけ。居る人間が一人違うだけで、大分イメージも変わるものだ。


 座った途端に、サッチは『あ、さっきはごめんね! うちの息子がバカな事しでかして……あっははは!』とそこら辺にいる井戸端奥さんのマネをして自分で爆笑して、突然、素に戻って『あ、スプーン取って!』と宣い(今は私が一番近かった)、受け取った途端『あっはははは! スープしかないよっ! これが夕食って!』と自分のチョイスに爆笑してた。サッチがカチャカチャと食事を始めても、殺し屋ちゃんは殺し屋らしく、なにも言わない。


 ただじっと、サッチを見ていた。


「で、何しに来たの? ポタージュ飲みに来たの? 言えば多分、サッチがくれるよ」


 視線が動く。今度は私を捉える。ロボットみたい。


 しかも、何も言わない。体育館では、結構、饒舌だったような気がするけど。これが彼女の普通なのかもしれない。


「サッチを監視ストークしに来たの? さっきみたいにボロ出さないように」

「偶然」


 ようやく喋った。


「彼の代わりに用法と用量を伝えに来た。6時間置きに、一錠。忘れないように6、12、18、0時と飲むといい」

「偶然じゃないじゃん」

「ここに来たのには目的があった。さっきの様に止めたのは偶然」


 そして喋り終えた。ついでにその目的とやらも終えたみたいだから、もう殺し屋ちゃんから喋る事は無い気がする。サッチは元気よく『はーい!』と答えて、またスープを啜り始める。ホントにわかってるのかな。


「彼って構成員くん? は、どうしたの」

「自首した」


 ………………………………………………………………。


 続きを待ったけど、それで説明は終わりらしい。短い。


 一瞬、自首という文字のイメージが、首吊り自殺を喚起して焦った。あの体育館での姿を思い返すに、首吊りしたって言われたら納得しちゃう。で、自首って何?


「サッチのシャワーを覗いた罪で?」

「えぇッ!! そうだったの!?」

「……ごめん。サッチは黙ってて」

「がーん! …………あっはははは!」


 今のは暗に『その言葉だけだったらどうとでも取れるから更なる説明を要求する』という意味で。構成員くんだったらコントみたいに動いてくれるのに。


 目の前の殺し屋ちゃんは頬をピクリとも動かさず『この人は本当にそう思ったのだろうか』なんて分析してそう。もういいや。自分で考えよう。


 構成員くんは、自ら首を差し出した。思い当たる構成員くんの罪なんて、サッチの薬をすり替えた事ぐらい。それを学園に報告しに行ってるって事か。


「結果は?」

「情状酌量、証拠不十分、もう解放した筈」


 サッチに6時間置きで麻薬を摂取させるなんて事を、心苦しく思うのは至極当たり前。自分の経験から来て、かつ実績のある偽薬効果を試そうと思うのも無理からぬ話。


 起きてしまった事は吉祥天が起こした事であっても、弱子が強気に言い切れる程に『事故』でもあった。それが起こってしまう状況管理にも問題があった。


 そんな所かな。それにしたって。


「まるで犯罪者みたいな言い方だね」


 私がそう呟くと、掠れるように、対面の私の耳に届くのがやっとの声が漂う。


「システム、せーおん」

 静――清――整……音?


 私の頭に、瞬時に漢字が並んで当てはめようとして。


 突然、耳鳴りがした。気がした。違う。何も聞こえない。


 雑多な騒音も、サッチの笑い声も、遠くで後輩達が楽しげに喋る声も、全てが無くなった。


 時が止まった。そう思ったけど、それも違った。サッチも後輩達も他の生徒も、動いてる。


 ただ、音が無い。まるで字幕映画を見てるみたい。


「亜因果を無思慮に行使するなんて犯罪者以下。それを許したペンタクル5も、同罪」


 頭が、漢字を当てはめた。

 ――――――『制音』

 こんな雑多な場所で、小さな空間が切り取られるてる。外の音は聞こえず、中の音も漏れない。なにこれ。


『亜因果』

 それを口にする為だけに、こんな事してるの?


「貴女も」

 音が完全に遮断されてる。今ココで、テーブルの下で拳銃でも撃たれたら誰にも気付かれないまま殺されちゃう? 私は息を飲むばかり。


「亜因果を発現するきっかけの内、大きいものが二つ。一つは亜因果の存在を知る事」


 私もサッチも、亜因果に気付かないで居れば、発現しないでいれば、普通に進学して普通に就職して。普通の人生が待っていた。


「もう一つは、自身の危機」

 事故にあった娘を思い返す。他学年に噂が流れ、教室の雰囲気が一変してた。


「事故の娘、亜因果が出たの?」

「出なかった。……でも、出てもおかしくなかった」


 授業中、クラスメイトの前で亜因果が出る? サッチみたいに見えないものなら誤魔化しも効くけど、私のみたいにハッキリと肉眼に映るものだったら。さらにそれを見たクラスメイト達が亜因果を発現するかもしれなかった。私達3人の所為で、40もの人生が危険に晒された。


「死んだ方がいい」

 それは私が? 構成員くんが? サッチが?


「制音を解除」


 その言葉を発した途端、辺りの喧騒が戻った。突然のけたたましさに、危うく耳を塞ごうとするところだった。


「彼女から貴女に、言伝がある」

「ん?」


 私よりも早く、スプーンを片手にしたサッチが反応した。それもその筈で、殺し屋ちゃんはサッチを向いて話してる。


 彼女って、誰? 殺し屋ちゃんとサッチの共通の知り合い? 今ここに居なくて、女性で、 今しがたしてた会話に関係ある人物。私の頭がからから回って、すぐに答えを出した。


 事故の!? 吉祥天を恨むのは、サッチだけの話じゃない。事故がサッチの、吉祥天の所為だと知れば、当たり前に恨む。


「待っ――――」


「『サッチの所為じゃない。気にしないで。ごめんね』」


 私は責める言葉ばかりを想像してた。だから呆気に取られた。実際は正反対の、サッチを庇う言葉。考えれば当たり前だった。わざわざ被事故だからって亜因果の事を教えたりはしない。

「あ」

 でも、サッチは知ってる。それを吉祥天(じぶん)が起こした事を。それはまだ、責められた方がマシな言葉。優しさが残酷さに――――


「そうだよぅ! わたしじゃ、ないよ! あっははは!」

『そんな事、言われるまでも無い』


 サッチの笑い声は、どこまでも明るかった。


 ――――え?

 何言ってるの、サッチ。吉祥天が起こしたんでしょ? だから体育館で殺されようと。


 わたしじゃない。わたしではない。――――――吉祥天がやったんだ。


 そう言って……全部投げ出して、笑ってるの? サッチ。

 屋上での事、体育館での事。なんだったの?


「もう一度」


 殺し屋ちゃんの呟きが、また音を遮断する。笑い声ももう聞こえない。字幕映画を見てるみたい。サッチが遠い人物になってしまったみたい。


「私は彼女をよく知らない。こんな事言う娘だったの」


 違う。でも、私にはその一言すら発せずに、ただ目の前のトレーを凝視してた。


「これが亜因果を自覚した者の結末。だからお願い、安易に使わないで。…………聞けないなら殺す。それか貴女の亜因果が使わないと耐えられない物なら――」


 お願いなのか脅しなのかはっきりして欲しい。いや、はっきりしすぎているのか。


「『構成員』と呼んでるみたいだけれど。それになって。貴女の亜因果に興味がある」


 はぁ? そうして私に、殺し屋ちゃんがやった様に、サッチを見はって、望みとあらば殺せって? ふざけるな。


「ん? ごめん、よく聞こえなかった。もう一回言ってみて?」


 この周りの音が遮断された状態で、互いの声が聞こえない訳が無い。


 私の言葉を聞いた殺し屋ちゃんは、視線を外すだけで、何も口にする事はなかった。


 本当にもう一度言ってたら……撃たれたって殺されたって構うものか。蹴り倒してやる。そう思ってたのに。無感動な殺し屋でも、一応、他人の感情を察する事ができるらしい。


「解除。…………食べたら? その……その、何?」


 喧騒が戻る。私も頭を切り替える。殺し屋ちゃんの殺し屋らしからぬ普通の台詞は、話が終わった事を意味してる。ただ、私のトレーの上にあるものが不可解らしかった。


「はーい! どうぞー!」


 それに応える前に、サッチの声がした。

 音が無かったから気付かなかったけど、サッチは飲み物を取りに行ってきてくれたらしい。


 両手で3つの紙コップを器用に持ってるけど、不器用にボチャボチャとテーブルに零して、隣の男子の苛立ちを買ってる。溢れる度に、それが面白いらしく笑うものだから、テーブルの汚れに拍車がかかり、男子の怒りは加速している。私と自分と殺し屋ちゃんの前に、1つずつ紙コップを置いて、自分も席に着く。


「ありがとう。…………にが


 コップに口をつけた殺し屋ちゃんが眉をひそめる。

 見れば中身は真っ黒、コーヒーの様だった。


「あっはははは! 会長、カッコ付けてるのにコーヒー飲めないんだ!」


 表情が薄くてわかりにくい。サッチの言葉に気を悪くしたのかと思ったけど、ひそめた眉をそのままに、じっとコーヒーを見つめている所からして、単に困っているみたい。面白いから、サッチ、もっと言っちゃえ。


 私もコップに……中身は紅茶か……口をつける。


あまっ」


 なにこれ。見ればコップの底に溶け切らないスティックシュガーの山があった。何本入れたの、サッチ。


「ぎゃっははははは! 『あまっ!』だって! 苦いとか酸っぱいならわかるけど! 甘! って! わたしと同じなのに! ……ひーひー。くるしぃー!」


 さっきより下品に笑われてムカッときた。


 殺し屋ちゃんはじっと私を見てた。なに? 言いたい事があるなら言えばいいのに。っていうか言ってくれないと何を考えてるのか、どころか、大まかな喜怒哀楽すら見て取れない。


 最初に笑った私を非難する視線かと思ったのにその視線はそのまま、私のトレーに置かれた紅茶を指す。


 あぁ、そういう事か。

 私は何も言わず、紅茶を殺し屋ちゃんの方に置く。と、同時に殺し屋ちゃんもコーヒーを私のトレーに置いた。気が合わないな、なんて思う。


 殺し屋ちゃんは溶け切らない程の砂糖が入った紅茶を無表情で口に運んだ。特に問題もなさそう。その様子が何処か満足気に見えた。


「それ、何?」


 飲みながら、また私のトレーに視線を落とす。


「あー」


 そういえばそんな話してたっけ。私は食券を出した時の、おばちゃんとの会話を思い出す。


『お、珍しいね! あんたがビフテキ定食かいっ!』

『あー…………ビフテキ抜きで』


 違う。ホントはごはん抜きにして欲しかった。お肉だけでお腹一杯にして、気持ち悪くなりたかった。辛いのを食事の所為にしてしまいたかった。なのに思考が一杯の私に、おばちゃんが余計な事言うから。


『はぁ!? 何が食いたいんだい、アンタ』

『あー…………つけあわせの野菜?』

『はいよっ! ほら! 値段の分、全部つけあわせの野菜にしてやったよ!』

『あー…………ありがとうございます』

『ほら、ご飯も昔話盛りだよっ』

『あー…………ありがとうございます』


 という会話があったから。


「温野菜のステーキソース掛け定食、昔話盛り?」


 ニンジン、じゃがいも、コーンで出来た大陸が、ステーキソースの海で漂ってる。これだけでも多いのに、ご飯が異常だ。


「おいしそう」


 嫌味か。とか思ったけど、殺し屋ちゃんは真面目に私のトレーを観察してた。


「じゃあ食べる?」


 これあげるから、ビフテキ定食の料金を返してくれれば、私は言う事なし。


「要らない」


 即答だった。嫌味ではないけど、冷やかしだったらしい。

 やっぱり、気が合わないな。サッチの件も含めてね。

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