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朧車  作者: 赤丸朧
第2幕 幸せのしょうてん
13/51

3場

 私達は飛びつくように体育館に着いた。私は扉を開こうとしたけど、ピクリとも動かなかった。やっぱり鍵が閉まってる?


 気づくと、構成員くんは止まらず走り続けていて、体育館の裏手に回ろうとしていた。私も後を追う。そのまま裏手の少しいった所、窓のない壁の横で止まり、私に振り返った。


「優柳先輩。実は、僕は今から3秒間、目が見えなくなるんです。そして5分後、また目が見えなくなります」


 上がった息もそのままに、周囲を警戒しながら構成員くんが口にした。『光輪を使って中に入れ』と。


 それに返事が出来ないくらいに息の上がった私に、容赦無いなぁ。あれだけ『使うな』って言った割りに、都合のいい時は利用するんだ。別にいいけどねー。


【目の前は、壁の向こうに繋がってる】


 私は光輪を出して、構成員くんの肩口を掴んで、中に入った。


「あ……! ちょ!」


 薄暗い中で、マットのような物を踏みしめた。少しカビ臭い。周りを見ると体育倉庫らしい事がわかった。


「(なんで僕まで連れて来てるんですかッ! これでは見張りが……! どうする気ですか! さっきのは、5分やるから中を見て来い、って意味ですッ!)」


 なんで小声? しかも長いし、細かいニュアンスなんてわからない。わざわざ『見えない』なんて線引きした癖に、本当に意味してた所を言っちゃってるし。構成員の体を成してない。


 息も絶え絶えな私は、返事も出来ないので、取り敢えず体育倉庫から出て、サッチを探そうとする。何故か開いてる体育倉庫を出た途端に――――。


【それを防ぐ】


 ――――光輪を使った。


 直後。それを合図にしたみたいに、サンドバックを叩くような、乾いた……それでいて、重い音が体育館に響いた。


「な……なんですかッ!?」


 今度は小声じゃない、構成員くんの声。私の後ろから飛び超すように、私を追い抜く。


 なんですか? 私が聞きたい。何? 何? この状況は。ハッキリと視覚情報は得ているのにも関わらず、それぞれが上手く繋がらなかった。


 倉庫を出た時に見えたのは、真ん中辺りに座り込むサッチと、それを見下ろす様に立っていた見知らぬ女子生徒。その手には黒く小さい拳銃が握られていて。構成員くんに向けられた時の圧迫感が私の中で閃いた。


 だからつい光輪を……拳銃とサッチの間に作った。


 サッチを発見したら、見知らぬ女子と居て、しかもその女子は拳銃を持ってて、しかも突きつけてた。


 それだけでも驚きなのに。


 撃った。至近距離から、サッチに向かって。しかも私が光輪を出した直後に。

 光輪を出さなかったら…………え? どうなってたの?


 サッチも女子も、目をつぶってたらしく、私の出した光輪に一拍を置いて反応する。


 女子は驚きを露にし、素早く身を下がらせながら屈める。そこでようやく私達に気付いたらしく、拳銃を向け…………ちょっと、向けないでよ、危ないでしょ!


 私が守る事だけを意識して全力で出した巨大な光の輪を、サッチはただ唖然と見ていた。


「サッチ!」


 絶えた息からその名前だけ搾り出して、駆け寄ろうとして


「ゆう……な、ぎ?」


 ゆっくりこちらを向くサッチ。


 その瞳に、纏われて、私は一歩目から止まってしまった。


 声にも、表情にも、私を求める色は無い。ただ、私が来ない方が良かった、と思ってる、それだけが解った。


 私は怖くて、近づけなかった。

 すぐにサッチは俯いた。その眼はもう何も見ていない。


「優柳が…………来た? じゃあ…………あの時も」


 突然、両手で顔を鷲掴みに覆うサッチ。そして叫ぶ。


「ああああああぁぁぁぁッ!! 気付きたくない! 知りたくないぃぃッ! やめてッ! やめてよぉぉぉお!!! これ以上わたしを……ッ! 消さないでぇぇぇえええッ!」


 それを見る私はどうしていいかわからず、立ちすくんでいた。


 私だけじゃない。構成員くんも、こちらに銃を向け澄ます見知らぬ女子も。動けずに居た。


 やめる、って何を? 気付きたくない、って何? どうすればいいの!?


 サッチは、嗚咽と咆哮が混じり合った感情を、ただ吐き出し続ける。


 そしてそれは突然止んだ。ただポツリと、一言、


「はやくして」

 そう、こぼして。


 …………はやく? なにを?


 私はその言葉の意味もわからず、やはり動けないでいる。構成員くんも同じ。

 だけど一人が動いた。

 まるで脊髄反射のように走りだす、見知らぬ女子。女子の手に握られた拳銃。サッチから回りこむような――私の出している大きな光輪を避けて射線を確保するような――その足取り。


 撃つ気!?


「まっ――――!」


 気付いた構成員くんも声を上げるけど。光輪わたしの方がはやい!


 瞬間、光輪を作り直す。意識した途端、サッチを守る大きな光輪は消える。


【女子の一歩先と私のすぐ背後は繋がってる】


 代わりに現れた光る落とし穴に、走っていた女子は為す術もなく落ちて、同時に私の背後に、重い音が響く。


「亜因果?」


 振り返ると、四つん這いになっている女子が見えた。驚いてはいるらしいけど動じてない女子に近づく。まるで変わった形をした石ころを見かけたような感想だった。


 女子の、その右手に握られている拳銃を、私は近寄った勢いのまま蹴り飛ばす。


 音を立てて滑っていく拳銃の先に、また光輪を作り直す。


【あの拳銃は、私の手の中に落ちる】


 私の目の前に落ちてきた拳銃を両手で取って、握り直す。

 未だ四つん這いになっていた女子に向けた。

 女子はそれに気付いてないのか、そのままゆっくり立ち上がろうとする。


 こんなもの、よくもサッチに向けてくれたよね。

 ――――思い知れ。


 私は引き金を引く。


 軽い爆発。存外に軽い引き金と衝撃。

 女子の横に、狙った所通りに、小さく真っ黒な穴が開いた。


 立ち上がろうとしてた女子は中腰のまま、一瞬動きを止めるけど、すぐにまたゆっくり動き出して、立ち上がった。垣間見る表情からは、どんな思考も読み取れない。


「機転が効く」


 余裕ありげに、意味不明な事を呟いてたりする。

 う……全く威嚇になってない。ちょっとはビビってよ。


「動くな」


 こういう時、言う台詞なんて決まってる。なのでそれに倣った。肩口からチラリと私を一瞥する女子生徒。


「度胸もある」


 どうやら、私を評してるみたいだった。そりゃどーも。で。


「どういう事。なにしてくれてるの?」


 私に背を向けたまま、女子は何も言わずに居る。一応、私の警告を聞いてるみたいだけど。


「貴女が……優柳?」

「さぁ? どうだったっけ」


 私の質問に答えずに、自分のしたい質問をするあたり、かなり舐められてる。もう一発、撃っておこうかな。


 チラリと横目で構成員くんを見ると、歯噛みしながらサッチを見てた。見てるだけで動く様子はない。使えない男だ。


「ていうか、貴女こそ誰?」


 何故か構成員くんが割り込むようにして答える。


「ソード(ワン)……生徒会長です」


 コードネーム? って事はこの女子も構成員なの? ソード()1にペンタクル(5の)5。残りはダック(あひる)2にゴート(ひょうたん)3にシール()4?


「なに? 生徒会長は殺し屋も兼任なの? すごいね」


 私は腹がたってるみたいで、口調にトゲがあった。


「で、サッチを殺そうとしてる? 会長《殺し屋》ちゃんは」

「彼女が望んだ事」


 その言葉を聞いた瞬間、引き金、引きまくろうかと思った。だけれど、引き金よりも私の口のほうが軽かった。暴発に近い勢いで声を張り上げていた。


「本人がその結果しか出せないからこそ、周りが頑張るべきでしょ。人と人、でしょ。一緒になってどーするの。それじゃあ独りで居るのと、何も変わらない」


 私の言葉を聞いても、会長《殺し屋》ちゃんの瞳は揺れる事すらなく、横目で私を見続けていた。どうにも、この会長《殺し屋》ちゃんとは分かり合えそうも無い。


 サッチを、ついでに役立たず(構成員)くんも回収して、さっさと寮に引き上げよう。このまま銃を向けたまま後退って。ついでに銃も頂いて。


 でもその前に、少し気になった。


「右手、出して」


 会長《殺し屋》ちゃんの左腕は力なく垂れているのに、右腕の半分以上は体に隠れてる。隠してる? 起き上がる時に、予備の拳銃を取り出したのかも。逃げてる所を後ろからバーン、なんて勘弁して欲しい。


 もう諦めてるのか、存外に素早く、私の言葉に従った。


 ただ、その手は、何かを持ってる。掌はすぐに開かれる。床に向けて落ちていく、それ。


 炭酸ジュースの缶だった。全体は緑色、白の英字が踊る。何、コレ。ただ、明らかに変な形の取っ手のような金属がくっついていた。危険な気がして。


【この缶は、あの体育館のステージの上に落ちる】


 床に落ちる代わりに、缶は光輪に吸い込まれていく。

 それと同時に、会長《殺し屋》ちゃんが動いていた。


 ――――あ。


 私は咄嗟に引き金を引く。足。ふくらはぎに向かって。この距離なら当たる。でも。


 ――――――――――――え? なんで?


 私の向けた銃口の先から出た筈の弾丸は、視界の隅の方の床、あさっての方向に着弾して床に穴が出来た。かすりもしてない。そのまま、狙っていた会長《殺し屋》ちゃんの足が振り上って、真っ直ぐ、私の鳩尾みぞおちいた。


「あっ、ぐっ」


 強引に息が吐き出され、吸うことすらできなくなって、視界が高速で点滅を繰り返し。


 続く顔面への衝撃。視界と意識と認識が、揺れに揺れて。一瞬にして、真っ白け。


「うう、ぐぅぅ」


 芋虫みたいに床に丸まって、痛みに堪える。すぐに、芋虫みたいに、押し潰される。あ、拳銃、落としてる、私。


「ああああッッ!!」


 体育館の至るところへ届く叫び声は、私の声だった。うつ伏せになって、背中に乗られてる。暴れた両手もすぐに掴まって、後ろ手に組まされる。


 息が、辛い。苦しい。勝手に呻き声が口をつく。


「勘も、反射神経もいい。…………でも、それだけ」


 私の両手は、会長《殺し屋》ちゃんの両手で抑えられていた。でもすぐにそれは持ち替えられる。膝と、片腕に。


 ――――殺し屋ちゃんの片腕が、空いた。その手には発砲可能な拳銃が握られている筈で。


【その銃口の先は、どこか違う所に繋がってる】


 苦し紛れに、できうる限り大きい光輪を作った。こうやって私を組み伏せて動けない状態なら、サッチを狙うことは出来ない。


「諦めて。……彼女に処方された薬は、教員はもちろん、医師、調合師、脳科学者、魔法使い達の意見、これまでの過去のデータ等の全てを加味して、彼女の為に処方されてる。…………それが効かないなら、他に方法は無い」


「そんなの知らない」


「貴女が彼女とどれくらい親しかったのかは知らない。ただ、親したかったのなら、彼女を意志を尊重して。静かに看取って上げて」


「嫌」


 身動ぎすら出来ない。この殺し屋ちゃんをどけないと。私が射線を光輪で覆ってる間に。


 覆ってる間……?


 殺し屋ちゃんは動けないけど……サッチは動ける。


 首を振り回して、後ろを見ようとするけど、視界にサッチは入らない。嘘。どこにいるの。


 床に耳をつける。


 音を立てないように歩くサッチが軋ませる、床の振動が伝わった。


 ――――なんで?


 動かないでよ! 撃たれるよ? 死ぬよ?


 光輪を作りなおして、位置を調整して、サッチを守る。それでも大体にしかならなかったけど、銃声が聞こえてこないって事が、守れている証明になった。


 私の両腕を抑えてた膝と、片腕が動いた。ようやく離す気になったのかと思ったら、違った。


 私の手の位置がずらされて、膝だけで抑える形になった。殺し屋ちゃんの両腕が空く。


 …………何? 何をする気? それはすぐに分かった。


「あ」


 後ろ髪を掴まれて、床から数センチ、私の頭は浮く。耳が床から離れた。

 サッチの場所が、わからなくなる。


「あ…………待ってッ!」


 私の叫びに、誰も答えない。サッチ、何か言って。それで場所がわかるから。


「お願いッ! やめて!」


 無言と静寂。それが答え。嘘でしょ。やめてよ。……構成員くんは何をやってるの!? 盾になるなりして!


「構成員くん!!」


 私の叫びにも、動く気配は無い。


「撃たないで! 今回のは本当の偶然かもしれないでしょ!? どんな人間だって、運がいい時はある!」


 自分で何を言ってるのかもわからなかったし、誰も私の声に応えをよこさなかった。それでも、背中にかかる超重量が、ただの身動き取れない程度のものに、軽くなった。


 そう、そうだ。誰にも証明なんて出来ない。


「彼女は吉祥天だと言った。それは主観。この生徒は違うと言う。それは願望。私には情報が足りない。……どうなの、ペンタクル5」


 もう会長《殺し屋》ちゃんの拘束は、全力で暴れればほどける程まで軽くなっていった。


 この場は助かる……? 後は殺し屋ちゃんに嫌味の一つでも言って、寮に帰ってサッチを励まして、本当に吉祥天だったのか確認して、吉祥天っぽかったらとりあえずサッチを監禁ほごして。


 いける。助かる。ここで構成員くんが。


「いいえ。先程のは間違いなく吉祥天でしょう」


 ――――――否定、しなければ。


「……え? 何、言ってる、の」


 そんな事言ったらサッチが。サッチが。サッチが。


「先輩に渡した薬は、ニセモノです。まだ僕がホンモノを持っています」


 どういう事? そんな事よりサッチを。あれ、サッチがおかしくなってるのは、薬を飲んでも吉祥天が出たからで……そもそも薬を使っても抑えられるとは限らないけど、あれ? でもそれはニセモノで……。


 時間が止まっていた。私の背にあった超重量も無くなっていた。拘束はとっくに解かれてたのに、それに気付かず寝そべっていた。


 私は身を起こす。すでに立ち上がり、構成員くんに相対する殺し屋ちゃんが問う。


「どういう事」

「偽薬効果を狙い、先輩の薬をすり替えました」

「証拠は」


 構成員くんは、ゆっくり、サッチの所まで歩いて行く。サッチはただ棒立ちしてて、心ここにあらず。


「先輩。渡した薬、持ってますか」


 その言葉に、ただ従うだけのように、サッチは薬の入った小さなプラスチックケースを手渡す。体操着なのに……わざわざ持ってたの?


 それがどんな思いだったか、それがニセモノだと言われてどんな思いなのか。想像を絶する。実際に、サッチはさっきから感情を絶してる。


 構成員くんはケースから何錠か薬を取り出して、口に放り込む。

 そしてボリボリと、噛み砕いた。


「ただのラムネ菓子です」


 構成員くんはケースを放る。受け取った殺し屋ちゃんはしばらくそれを見つめる。拳銃を持ったまま、器用にそして蓋を開いて、匂いを確かめてから一錠取り出して、半分だけ齧る。舌で転がした後、残りも口に含んだ。


 殺し屋ちゃんは構成員くんにケースを放り返した。ただ一言、漏らす。……本当にラムネだったの?


「重大な裏切り」


 ……サッチに対して。学園の構成員として。


「申し開きはありません」

「だからこうなる」


 こう、って何? その答えを、殺し屋ちゃんは動きで示した。緩慢とした動きで振り返って、音もなく私に拳銃を向けて……。……え? なんで?


「待って下さいッ!」


 構成員くんの叫び通りに、止まった。


「この件がなければ、優柳先輩は亜因果を使う事もなく、平穏に過ごしていました! ……僕の責任です」

「どんな件だったとしても、人間は亜因果を使わない」

「……使わせたのは僕ですッ! 僕を撃つべきでは?」


 殺し屋ちゃんは殺し屋らしく、素直に銃口を移す。私から構成員くんへ。え? 撃つの?


「遺す言葉は」

「ありません」

「そう」


 なんでそんなにアッサリしてるの!? ちょっと待って!

 私がそう叫ぶより早く動く、人影があった。


 サッチが、飛びつくようにして構成員くんを押し倒した。構成員くんが背中を打った音が響き、滑った上靴が擦れて鳴いた。


 私は、ついでに殺し屋ちゃんも、驚きを隠せない。

 サッチは馬乗りになって、動かなかった。


 庇った……?


 一瞬そう思ったけど、その飛び掛かった姿は獣そのもの。怒気を孕んだ表情も。


「薬、どこ」


 短く、まるで刃物を押し付けるような、その声。

 死ぬなら、薬を渡してから、死ね。そう聞こえた。


「部屋に……あります」


 それを聞いたサッチは、力なく構成員くんから離れた。怒りの形相のサッチは歯噛みして何かを耐えるみたいにしてた。でもすぐに耐え切れなくなる。


 嗚咽と涙が、こぼれ始めた。


「なんで……構成員くんが! ……なんで、よぅ」


 そのままサッチは泣き続けた。無音の体育館に、それはやたら大きく聞こえた。


 どうすればいいの。また、何も出来ないでいる。


 私は棒立ち。構成員くんは起きようとしない。殺し屋ちゃんは遠くを見てるだけ。


 …………煙? が見えた。


 視線をやる。ステージが濃い煙に覆われて見えなくなってた。その煙はゆっくりと広がり続けていて、もうすぐ私達の立っている所まで届きそうだった。


 ――――火事? なんで?

 煙が密集してるステージを一瞥してから、殺し屋ちゃんが口を開く。


「『この件』……って言った?」


 煙の事を全く意に介さない、寝転がったままの構成員くんは短く『はい』と肯定した。


 それを聞いた殺し屋ちゃんは何も言わず、踵を返し競歩の様にステージに向かって、煙の中へと歩き出し、そのまま溶けて見えなくなった。


 私はその後姿をずっと呆けながら見てるばかりだった。


 煙は広がるのをやめ、段々と薄らいでいく。ステージの向こうまで見えるようになる時間が経った。殺し屋ちゃんは、どこにも居なかった。


 煙が殆ど薄まったのに、私を含め誰も動かなかった。サッチのすすり泣きもいつしか聞こえなくなっている。私にも余裕ができ始めてて『いつまでこうしてるんだろ』とポツリと思った。


「部屋に居るから。……はやく持ってきて」


 そう冷たく零して、サッチはステージとは反対、本来の出入口に向かって歩き始めた。


 私もサッチの後を追うように一歩出ると。


「付いて来ないで」


 サッチの背が、強く私を拒絶した。


「なんで?」


 今のサッチを放っておける訳が無い。


「わたし、まだ吉祥天がある。……もう騙されたくない」


 意味がわからない。だから、反論もできない。私はただ、サッチが体育館から出ていくのを、ずっと見てた。


 鍵が閉まっていた筈なのに何故か開き、そして、サッチが吸い込まれていった開きっぱなしの扉を、私はずっと眺め続けていた。

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