1場
第2幕 幸せの焦点
本日、終業のチャイムが鳴るのと同時に、ほぼ半数の生徒が水の様に教室から流れ出ていく。
帰りのHRはとっくの昔に終わってたけど、他のクラスに示しがつかないからまだ帰っちゃダメね、と先生が言い含めていた。
私はそのざわめきを耳にしながら、辺りを見回した。
監視は七日間、計百時間とか言ってたっけ。一日にすると14時間20分くらい? 目的は亜因果を使わない事の確認なんだから、寝てる時に見てたってしょうがないよねー。という事は、起きてる間の殆どを監視されてる事になるんだけど。
教室に構成員くんの姿は無い。そういえばサッチもそう言ってたっけ。
少し気にしすぎかもしれない。
例え四六時中くっつかれてたとしても、私にはその確証が取れないんだから、不快に感じる事も無い。あ、そうだ。良い事思いついた。
「優柳ぃ~!」
でも右ちゃんに話しかけられて、遮られた。
「ん?」
見れば左さんも居た。なんだろう。解けない問題でもあったのかな。私に聞くより、先生に聞いた方がいいと思うんだけどな。この時期なら、自分の担当学年じゃなくても、三年生というだけで教師陣は手厚くご指導下さる。問題は解けても、教えるのも教師並に、とはいかない。
「墓場で運動会ってナニ!?」
なにそれ。難問もいいところだ。私にも解けないから、今こそ教師の出番だ。駆け寄ってきた右ちゃんと対照的に、マイペースに歩いてきた左さんが、私の表情を察して咎める。
「ほらぁ。優柳じゃないんだって」
「いやいやいやいや!? コレコレ!」
そう言いながら、右ちゃんはポケットから何かを取り出し私の机に叩きつけた。
…………しわくちゃの紙?
そこには私の字で『墓場で運動会』と書かれてる。
あー。思い出した。そういえば昼休みの終わりに手紙が回って来たんだっけ。
「これ、優柳の字でしょ!」
私は何も言わず、わざわざ仕舞ってあった筆箱を鞄から取り出して、紙に同じ文字列を書き込む。――――ただし、左手で。
「あれ? 優柳って左利きだったっけ? あれ?」
私は何も答えず、ペンを走らせた。嘘をつけるのは口だけじゃない。前に遊びで覚えたんだけど、使い道もないからこんな場面で披露するしかない。
右手の『運動会』と左手の『運動会』が並んでる。その二つの筆跡が持つ雰囲気は全く違う。それでも両方が綺麗と言わしめるだけの字だ。それを見た左さんは溜息を付く。
「全然違うじゃん」
「えー? じゃあ誰と手紙交換してたんだ、あたしは!」
「知らないよ」
「!! …………真冬の心霊現象ってヤツ?」
「『ってヤツ』なんて言う程、聞き覚えのあるフレーズじゃないね。それに手紙の内容がほのぼのしてるし」
『妖怪ポストに投函するべきかッ!?』『っていうか、投函した結果がコレなんじゃない?』
なんて会話を繰り広げる二人と、軽い挨拶を交わして、私も教室を出る。
ごめんねー。なんて説明していいかわからないし、多分説明したらムッツリ顔の男子に怒られると思うからー。
なんて心の中で謝って、ふと、思った。
監視ってコレの事なのかな。
ちゃんと秘密を守っているか。必要のない情報をわざわざ相手に与えたりしないか。
亜因果を持ってる生徒を集めて、この学校は創られたって言ってたっけ。生徒数は三千人超、三つの学園を一つにまとめたような巨大な敷地。その中で亜因果の自覚を持つ生徒が私とサッチだけ、なんて事はないよねー。
でも、この十年間、亜因果なんて言葉は聞いたことも無かった。卒業して、いずれ訪れる『社会』でも、きっとそうだ。普通の人として振る舞えているかの監視であり、亜因果を無かった事にする訓練。社会に出る為の教養という意味では正しい『学園』なのかな。その構成員である彼は、その為に日夜奮闘してると。偉いなぁー。少しご褒美をあげたくなるよねー。
と、いうワケで、サッチを弄りに行く。
さっき思いついたのはコレ。
なんかサッチに意地悪なちょっかい出してたら『貴女は! 一体何をしてるんですかッ』とか叫びながら出てきそう。
本当に監視してるかがわかるし、私に気付かれずにどうやって、という疑問も解決する。サッチ大好きな構成員くんも、もしかしたら少し会話できるし。サッチは頭と言葉と表情が硬い後輩男子とも楽しくお喋りしてくれる。我ながら、誰も損しない名案だ。
私は足取りも軽く、サッチの教室《A6》に向かった。
教室の開いている扉から中を見た。その時、多少の違和感があったけど、気には止めなかった。サッチは見当たらない。居ないらしい。
それもそうだ。三年間を部活と勉強に捧げて、その代わりに溜まっていた鬱憤を今ここで晴らすかのように、サッチは毎日遊び回ってるみたいだったし。薬を貰って普段の生活に戻ったなら、それに拍車を掛けただろうなぁ。
偶に教室でお喋りに興じている事もあるから、居たらいいな、なんて思ったけど。
私も駅周辺に行ってみようかな。耳が痛くなる程聞かされるサッチの遊び場。いくつかあるけど、そのパターンは少ない。探せば、みつかるかもしれない。
学園の構成員くんが、どこまで私を監視してるのかもわかるしねー。
そう思って踵を返した。着替えてから出かけるなら、寮でも会えるかもしれない。
「あ、そこの! ……そこの、えっと?」
もしサッチが授業を終えたと同時にダッシュで帰ってたら私の足も相まって追いつけそうにないなぁ。
「サチのルームメイト! ……だよな? 確か」
あー、聞こえなーい。無視しよーっと。用事があるし。
そう思ったのだけど、廊下を足早に歩いていたのにもかかわらず、あっさり肩を叩かれてしまって、仕方なく振り返った。
短髪の気の強そうな娘だった。教室から駆け足でわざわざ私を追ったらしい彼女は、振り返った私に押し付けるように言葉を発する。
「サチ、どこに居んの?」
それは私が聞きたい。表情から答えを察したらしく、矢継ぎ早に言葉を繋ぐ。
「ちっと来てくんない?」
「やだ」
理由もわからないし、付き合う義理もない。
「いいからさ」
語気を強くして彼女は私の肩を引くようにして、強引に歩かせようとする。私は身を捩ってそれを払った。
「頼むからさ」
口調は鋭く、重かった。謙る感情も全くない頼みだった。でもその表情は真剣そのもの。私に害を加えようとする意志も見て取れない。
私は溜息を返事として、従うことにした。こんな事してる場合じゃないんだけど。サッチの男について、とか聞かれるんだろうか。
結局サッチの教室に戻ってきて、私は教室の角、出入口の扉の裏に押し込まれるような形になった。
教室の中の造りは、私のと全く変わらない。掲示物が違ったりするだけ。なのにどうして知らない教室は異次元に来てしまったような気分になるんだろうなぁ。
私を教室の隅に追いやるのは二人。短髪の気の強そうな娘と、ボブカットの気の弱そうな娘。名乗りもしないので強子と弱子、と勝手にそう命名した。
二人は内緒話で言い合いしてる。弱子は強子の行動を咎めているみたいだったけど、持ち前の気の弱さから、強子を戒める事は全く出来ていない。それでも食い下がっているみたい。そのお陰で本題が全く始まらない。
私、なんで呼ばれたんだろ。
暇を持て余すので、教室内をぐるぐる見回していると、遠くにサッチと仲のいい娘――良子と命名――が居た。遊びに行く時は大抵この良子と一緒だった筈。良子と一緒に出かけたんじゃないのかな?
更に教室を見回していると、最初に教室を覗いた時に覚えた違和感の原因がわかった。
もう授業は無いというのに殆どの生徒がまだ教室に残っていた。女子は、よく見れば全員いるんじゃないか、というくらい居て、男子も約半数は居るように見える。
ただ、誰もがそれぞれのグループで塊になって、内輪で話をしている。明るく盛り上がってるグループは一つもない。教室全体が、暗い空気に包まれていた。
そして、サッチだけが居ない。
「で、何? 何かあったの?」
未だ口論を続ける強子と弱子に挿し込む。それに応えたのは強子だった。
「あぁ。ちっと事件があってさ」
『事故だよぅ』と弱子が小さく反論する。
「…………サッチに何かあったの?」
思わず、私の声も重みを増す。居ない、って言ってた。危機感を覚えた頭が回り始める。
「サッチには、なにも」
「…………あー」
けど勇み足を踏み外して、空回りになった。
「ウチ、5時間目が体育で跳び箱だったんだけど。女子の一人が跳び箱で怪我したんだ。……ひどい怪我だった。血ぃいっぱい出てたし」
「へー」
私の返事に不満顔する強子。じゃあなんて言えばいいの。お悔やみ申し上げればいいの?
挑発でもなんでも無く『運が悪かったね、可哀そう』とは思うけど。
――――運が悪かった?
「それ、どういう状況で起こったの?」
私の質問に、強子が眼の色を変えた。
「心当たり、あんの?」
「あるわけないでしょ。…………で?」
「サチの番が来たのに急に立ち上がってどっか行ったんだ。……そんで次に跳んだ娘が大怪我ってトコ。どう? 怪しくないか?」
『サ、サッちゃん、昼からずっとお腹痛いって、その、言ってたし……。どの段で跳ぶかは自分で、き、決めるんだし……』と弱子は小声でおろおろする。
「つまり?」
「サチが何か仕込んだんじゃないかって事。ずっと前から言われてるし、似たような事あったよ。アタシもそうだと思う。二度三度はあるかもしれないけど、多すぎる」
「仕込む、なんて、そそ、そんなの無理だよぅ」
『吉祥天は自分の不幸を避け、他人に擦り付ける』
私は感情を表に出さないように、必死で心の奥底に押しこんだ。
嘘でしょ。吉祥天なの!? サッチの馬鹿! あれだけ嫌がってたのに、薬飲み忘れたの!?
サッチの薬を貰った時の反応を思い返す。飲み忘れた、なんてあるわけない、かな? だとすると薬の効きが弱いか、そもそも効いていないか。
『運が良かったとして、どうやって確かめるの?』
それは逆も言える。薬が効いてる、なんてどうやって確証を取るんだろう。
更に言えば。薬は効いているのかもしれない。
その起きた事故が、本当に吉祥天によるものだったのか、ではなく。サッチがどう受け取ったかが問題だ。今までの吉祥天の恩恵を疑っている生徒が、今回もそうでないかと疑ってる。
という事は、サッチもそう取ったって不思議じゃない。そう取ったから、サッチは消えた?
「つーかさぁ、アンタらウザイんですケド」
いつの間にか近くに来ていた良子が、私達三人に睨みを効かせてる。
「サッチがそんな事するワケねーし。つーか、出来ねーっつーの。弱虫だし、アイツ。…………オマエ、女バスじゃん? 仲良かったし。なんでそーいう事言うワケ? 意味わかんないんですケド」
茶化すように笑うけど、その眼は鋭い。怒りを押し殺してるように見えた。
「女バスの後輩もみんな疑ってる! 状況証拠と動機が揃いすぎてんだよ!」
「周りのヤツがそう決めた状況とさぁ、周りがそう決めた動機? っての? そーんな不確かなモノで責められるサッチの気持ち、考えた事あんの? 偶然が重なっただけだろっつー。女バスの仲間なら、そんなマヌケ共に責められるサッチ、庇ってやるのが当たり前っしょ? つーか、それがダチってヤツ? ……ヤベ、ウチ、めっちゃクサイ事言ったワ」
「仲間なら! 事実を明かすべきだろ!? 事実無根ならその証拠を見つけ出してやる。もし実際そうなんだとしたら、全力で止めてやる! それが仲間だろ!?」
さらに口論は続く続く。怪我してしまったらしい娘の話だったり、バスケ部で起こった出来事だったり。白熱する強子と良子には悪いけど。
「あのさー」
私は水を差す。嫌な予感がする。
「それ、サッチに言った?」
『それ?』と、一瞬顔を見合わせる良子と強子。
でもすぐに、今会話してる内容だと理解して告げた。
「……今日のは怪我人も出たし、シャレにならんかったからな。アタシはすぐ掛けよって問い詰めたよ。これ以上ほっといちゃダメだって気がしてさ」
「んでー、ウチが庇ったワケ。ウチらの友情マジ硬いし」
『あ、あのぅ。もしかしたら、その、無意識? とか、かも、しれない、です、し』と今まで黙っていた弱子が、おずおずとした発言をした。でもそれは『ハァ?』『意味わかんねーよ』と一蹴される。
それを聞いて、私は弱子を教室の外に強引に連れ出した。口論に夢中の二人は気付かない。
廊下の壁に押し付けるようにして、聞く。怯え戸惑う表情に言葉をぶつけた。
「知ってるの?」
「あ、え、その、あ、えっと、な、なにを、ですか?」
「あー……」
まぁ、普通、伝わらないよねー。亜因果、それとサッチの吉祥天。知らなきゃ出てこない発想の筈だ。『無意識でそうしてしまう』なんて。
でも、実際、口に出して言えるワケは無い。もし知らなかったとしたら、変な世界に引きずり込む事になる。知ってたとしても、監視されてる身の上だ。なにをですかには、応えられない。言えない。それなら。
「言えない事、知ってる?」
できうる限り、言葉に含みを持たせた。何か知ってるなら――――
「…………はい。というか、その、多分、というか、えと、その、予想っていうか」
――――伝わる。
亜因果は知ってるけど、吉祥天の内容までは知らないらしい。事の詳細は聞けそうにない。
「サッチの居場所、知らない?」
「そのぅ……はい。今みたいに二人が。その、気がついたら、えっと、居なく、なってて」
「私、サッチを探すから。弱子はあの二人なだめて。なるべくこの話広がらないようにして」
「よ、よわこ? …………えと、はい。が、がんばります」
「よろしくねー。……あー、あとコレもよろしく」
と手に持っていた鞄を預けた。今は邪魔でしかない。
「え、あ、え?」
と慌てて受け取った弱子を背にして私は駆け出す。
『サッチが何か仕込んだんじゃないか』
違う。でも否定なんかできない。
『サッチがそんな事するわけない』
そう。でも肯定なんてできない。
吉祥天は実際に在ったのだから。二人の言い分は、どっちも正しい。
二人のサッチへの想いが、サッチを追い込んでなきゃいいけど。
湧きでた焦りが、途端に膨れ上がっていくのを感じた。
私は両足に想いを込めて、廊下を駆けた。まばらな生徒達が私の行く手を驚きと共に開いていった。目標は、屋上。私は全力で校舎を駆け上がって、最上階、踊り場まで来た。鉄の扉に飛びつくように駆け寄って、ノブを掴んで回した。開かない。鍵が閉まってる。
ここじゃない。次。そう思ってから、構成員くんの台詞が脳裏をよぎった。
『吉祥天に例外はありません』
待った。切り返しかけた身体を強引に押さえる。私が屋上の鍵を手に入れたのは運が良かったからだ。サッチが今日、今さっき、手に入れた事を否定できない。
確かまだ、ポケットに。取り出すのももどかしく、屋上の鍵を引っ張り出して、ノブに突っ込み、回す。その勢いのまま、扉を叩き開いた。振り返って、外側のノブに鍵穴がある事を確認した。外からでも鍵は閉められる。
「サッチ!」
舞い込む風に負けない声を張り上げる。風で乱れた髪をかきあげながら、私は進む。辺りを見回す。建物の影も覗き込む。
いないの?
それとも――居なくなったの。
風が、引き返せって言ってるみたいに身体に当たる。向い合って、一歩を踏み出す。
屋上の、その端へ。
息が荒い。心臓がはち切れそう。身体が熱い。それらは全て、走った所為だと自分に納得させる。私の嫌な想像が、現実に取って代わらないように。
足を機械のように動かさせる。片足を段差に掛けて、下を覗き込む。
――――冷たい風が、私の全身を凍らせた。
眼下に広がるのはただのコンクリートや植え込み、そして校庭、部活動や放課後の戯れにまばらな生徒達、だけ。
いない! 大丈夫。いや、でもまだ安心できない。途切れた緊張が、急激に世界に色が戻させる。冷たい現実が、汗を冷やして体温を奪っていく。
私は急ぎ足で屋上を巡る。校舎の裏、奥と全ての下を覗いて回った。一辺を確認するたび、冷静になれた気がした。屋上に来ていない事を確信すると、私の身はすぐに翻る。
また、走りだす。その一歩が、その鼓動が、また私を急かし始めた。
屋上じゃないなら次はどこ?
事故があったのは5時間目。その時にサッチは消えた。それから今まで、優に一時間以上経過してる。すぐさま自殺に走ったなら、到底間に合う時間じゃ無い。待っててよ、サッチ。屋上の時みたいに。お願い。
また校舎内に飛び込んで――時間が惜しい――躊躇ったけど振り返る。屋上の鍵を扉に差し込み、回す。カチャリ、と閉まる音。
そして。
軸足に力を込める。体重を前に溜める。躊躇わず、全てを乗っけて、張り詰めた反対側の足を、振りぬく。
「ハッ!」
掛け声も忘れない。教わった通りの中段回し蹴り。放ったつま先は綺麗に鍵の飛び出た部分を捉えて、跳ね飛ばした。
「~~~~~っ」
つま先が砕け散ったかと思うほどの激痛。鍵は根元から二つに折れる。片方は、扉を頑ななものにして、片方が、踊り場の隅へ跳ねていく。その音が耳に届いた。これで何人たりとも屋上には上がれない。
他人に迷惑を掛ける事を嫌うサッチが、わざわざ屋上を最後の場所に選んだんだから、それなりの理由があった筈。もし自殺するなら、ここへ来る可能性が高い。
こうなってしまえば、運でどうこうできる問題じゃない。吉祥天が物理的に何かを変化させる事が無いのは実証済みだ。時間が稼げる。
手すりを掴んで踊り場を舞う。
下りの階段を駆け下りようとして足を踏み外した。
額を打った。二の腕を打ち、背中を打ち、腰を打ち、もう、全身隈なく、所々に鈍痛。
『笑えよ、ボケ』
うるさいなー。わかってるよ。
「降りるよりは、……はやい、よねー」
痛む全身に耐える。耐え抜く。笑ってみせる。
階段を全段飛ばして飛び降り、時には転がり落ちながら、決めた次の行き先は寮の部屋。それ以外の場所だったら、熟考を重ねて行き先を予想した方が早そう。
サッチなんて、最後にと、長く過ごした寮の部屋で思い出に浸ってる間に私に取っ捕まればいいよ。楽しいこと、あったでしょ? あったよね? 私は具体的には思い出せないけど、あった筈。そう信じたい。
また転びそうになりながら、下駄箱まで着いた。帰ろうとする生徒とぶつかりそうになって、時には軽くぶつかって軽い謝罪を振りまく。
上履きのまま寮に行こうか。そう思ったけど、もしその後また何処かへ行く時、不都合だ。
片方の踵を、上履きから抜いて。と、途端に床が顔面に向かって迫ってくる。
「あ」
また転んだ。でもすぐに起き上がる。今の私はだるまさんも目じゃない。
「え、ちょ……! だいじょぶ?」
見知らぬ同級生さん、ご心配どーもです。でも切らした息と全身の痛みと時間の都合で、喋るのは困難だ。軽く手を上げて、応えた。下駄箱から自分のローファを引っ張り出しながらまた走る。上履きは脱ぎ散らかす。
都合4回。
それが寮に着くまでで転んだ回数だった。
初等部から(運動を避けていたのに)転びに転んだ私は、自慢じゃないけど転ぶのが得意だ。
顔には傷一つ無い。庇うのも、運動エネルギーを上手く逃がすのも他人より上手だ。
ただ、両肘と両膝から張り付く感触があった。血が出てるかな。それと砂のおまけは避けられなかった。
どってことない。元々、肘と膝だけ、肌の色が違うくらいにはずっと傷ついてきたんだし。
エントランスを駆け抜けて、紺色のブレザーが呼んでいたっぽいエレベーターに乗り込んで、閉まるボタンを押した。呆気に取られたらしい一年生は、乗って来なかった。
このエレベーターって、こんなに遅かったっけ。緩い浮遊感も、機械の音も、五感から得られる全ての情報が私を急かしてるみたいで、歯噛みした。
落ち着け。落ち着け。努めて、軽く。普通に。なんでも無い事のように。
乱れる思考は頭の回転を重くして、発想を暗くする。
自分の部屋のある階に着くまで、ただ棒立ちする。
両肘、両膝が、心臓の音に合わせて血を滲ませ、熱を感じさせる。身体まで私を急かす。
今、この瞬間、もしサッチが――――
その場面を想像しそうになって、止めさせた。動けなくなりそうだ。動けなくなるのは結果が出てからでいい。動いていないとありもしない結果に押しつぶされそう。ようやく開くエレベーターの扉を、身を横にして滑り出て、走りこむ。廊下のカーペットがずれるの感じた。
部屋の扉を開いく。
「サ……ッ」
と、同時に駆けこみながら名前を呼ぼうとして、乱れた息に咳き込んだ。
見れば、中は暗い。私は靴を脱いで上がった。洗面所、ベット、収納。探す部分は少ない。サッチが居ない。すぐにその結論に辿り着く。暗い部屋の中、私の荒い呼吸だけが響いてる。
どこに行ったの。検討もつかない。まだ体育館に居る、なんて事は無い筈。強子が探しただろうし。
「…………あー」
『筈』!? 『だろう』!?
よくもこの状況でそんな事が思えたなー、私は。
寮に来る前に確認するべきだった。
駆け戻ろうか。そう考えた途端、胸の辺りに微弱な振動を感じた。携帯電話だ。
サッチ!? 携帯電話は持ってなかったけど、公衆電話から掛けてくる可能性はある。
慌てて取り出しながら、アンテナを伸ばす。通話ボタンを押しながら窓際に立つ。
「もしもし」
電子に乱れながらも、淡々とした男の声が耳に届いた。
『先刻から貴女は何をしているんですか。監視を撒く事は不可能ですから、大人しく――』
構成員くん? なんで? ってそうか、監視してる上、アドレスを知ってるんだから番号を知ってるのも道理か。私が何をしてたのかも、見ていたらしい。
でも、口ぶりからしてサッチの状況を知らないみたい。未だ続ける構成員くんの小言を遮る。
「サッチが居ない」
息を飲んで止まる空気。数瞬の間が開く。
『確認します』
口早にそう呟いて、一方的に通話は切られた。しばらくその電子音を聞いていたけど、その腕をゆっくり下ろして、また懐に仕舞った。
「あー」
ダメだ。全然、冷静でいられてない。
体育館を探しに行かなかった。私に気付かれず監視をするぐらいには能力のある構成員くんに真っ先に連絡するべきだった。そもそも屋上から飛び降りたなら屋上、その下とかに教師や野次馬が居る筈で。直接屋上に探しに行くまでもなかった。もう放課後なんだ。人目は多い。
思いつかなかったな。
構成員くんからの連絡を待つべきか。そう思いながらも私の身体は勝手に動く。部屋を荒らしまわった。サッチの上着は全部ある。靴も私服も減ってるようには見えない。いつも使ってた学園のサブバッグも無い。
サッチは寮に戻ってない。そう結論付けるのに数分掛かったのに、まだ構成員くんからの連絡が無い。もしかして、勝手に一人で探しに行っちゃった?
それでもいい。
ただし、第一報が『サッチの無事を確認した』に限る。
私も寮を出よう。そう思い至った時、また携帯電話が震えた。
『把握しました。貴女はそこに居て下さい』
構成員くんはそう言って、また一方的に通話を切った。私の言うことを聞こうともしない。急いでるみたい。それはそうか。
って、何? 把握した、って。把握しただけ?
『貴女は』って事は自分は探しに行くって事?
任せておけるわけない。
部屋を出て、エレベーター内で靴に踵を詰めながら、エントランスを駆け出た。真冬の気温も、寒くはなかった。出た所で、また携帯電話が震えた。さっきから時間も経ってないし、サッチを確認した、なんてなさそうだけど、微かな希望が、私を電話に出させた。
「もしもし?」
『他人の話を聞いてたんですかッ! そこに居て下さいって言ったでしょう!』
……なんでわかったんだろ。
「私の監視はいーから、サッチ探してねー」
構成員くんは何か叫んでたけど、さっきのお返しとばかりに電話を切ってやった。
また、学園に戻るのか。
私の足じゃ10分は掛かる。転ぶし。
光輪、使おうか。
寮の前の道路を見る。その向こうの雑木林を真っ直ぐ抜ければ、学園の敷地に着く。林は中々に深くて、走ることは困難だけど、光輪を使えば関係ない。
要は、見られなきゃいいんでしょ。
私は手近な植込みに隠れるようにして身を縮こませる。これで全周囲の半分は隠れた。後の半分を注視する。構成員くんも居なければ、通行人居るけど見えない位置だ。
【私の身体は、あの雑木林の中に落ちる】
マンホールみたいに光輪を作って中に飛び込む。
乾いた落ち葉を踏みしめた。周りにはところ狭しと木々が生えてる。後ろには道路があった。 成功。これを繰り返せば、走るよりずっと早く、学園に辿りつける。
携帯電話が震えた。
嫌な予感しかしないので、無視。何度か繰り返す内に、学園の敷地を示す高い壁に行き着いた。壁の向こうであろうと、光輪には関係ない。
けど、壁の向こうに誰かが居たら、流石に言い訳できないなぁ。
【私は壁の向こうが見える】
掌に収まる程の光輪を作って、中を覗き込む。
正門から校舎へ続く道が近いけど、それでも植木に隠れられそう。遠くに何人か見えるけど、わざわざこっちを見たりしないよね。いけるかな?
「何をしてるんですかッッッ!!」
すぐ背後で起こった声に身を怯ませて、驚きながら振り返った。そこには息を切らせ、顔を真赤にしてる構成員くんが居た。
「あれほど……! あれほど使うなと言ったのにッ!」
あー、ごめんごめん。でも、今、そんな場合じゃないでしょ? なんで私に来てるの?
私は溜息をしながら、構成員くんを力いっぱい押した。
「うわ!」
【構成員くんは壁の向こうに敷地に入る】
よろめく構成員くんの背後に、光輪。尻餅を着いた先は、もう学園敷地内だ。私も光輪を潜って後に続く。辺りを確認。誰にも見られてないよね?
「お叱りは後で聞くからさ。今はサッチの事だけにしよ」
しばらく歯噛みしてた構成員くんも、立ち上がって、辺りを念入りに確認する。
「……お叱り? 何の事かさっぱりですね。僕は何も見ていないので」
さっぱりしない、怒りの表情はそのままだけど、光輪を見なかった事にしてくれたらしい。切り替えが早くて大いに結構。
そう思ったのも束の間、構成員くんはスラックスを叩きながら立ち上がり、すぐに走りだした。正門に向かってる。その進路に迷いは無い。それを見て、私も後に続く。
「サッチの場所、知ってるの!?」
私が声を掛けると、走る速度を落として合わせてくれた。
「知りません!」
私は転んだ。それを見た構成員くんは、わざわざ急ブレーキの後、引き返す。そして私の腕を掴んで『何をやってるんですか! ……だからそこに居ろと言ったのに!』なんて言いながら引っ張り起こしてくれた。右肘と右膝に痛みを帯びながら、また走り出す。
「外に行くの? だったら私は敷地内を探すから」
「いいえ。先輩は絶対に敷地内に居ます」
あー、え? 今、知らないって言ったのに。
「なんでわかるの」
息も絶え絶えにそう言うと、構成員くんは立ち止まった。正門のすぐ近く敷地内の地図が載った案内板を睨みつけてる。
「僕の亜因果です」
周りの生徒に聞こえないように、小さな声で呟いた。
「…………あー。…………え?」
「学園は亜因果を持つ者を集めた、と言った筈ですが」
「構成員くんなんだから集めた方の人間でしょ?」
「僕も元々は普通の生徒でした。きっかけがあって、構成員に志願したんです」
構成員くんは懐に手を突っ込む。取り出した物は金色の懐中時計。
……懐中時計?
それを胸前で握りしめて、瞑想を始める。
「僕の亜因果は『レトロアクト』。アナログ時計を見ながら、過去の出来事を意識すると、それが起きた時間がわかります」
「……時間がわかる……って、時間だけ? しか、わからないの?」
「はい。しかも、一度、時間の取得が発動すると、そこから12時間は再使用できません」
色々と納得いかないけど、わかった事もある。
起こった事の時間がわかっても、もう遅いでしょ! 起こるのを止めたいんだから。
それがどうして、サッチが敷地内に居る確信に変わるの?
「なにそれ。全然使えない」
「そうですか? 僕はそうは思いません」
瞑想を終えたらしく、私をチラリと一瞥してから構成員くんは目を見開いて、懐中時計を開いた。その小気味いい音と共に、構成員くんは抑揚のない声で、呪詛のように呟く。
「レトロアクト・リューズセット。
『本日、5時間目の授業の後、先輩が自殺を試みた時間』
…………先程、貴女から聞いた時、真っ先に使いました。レトロアクトは発動しません。時間はわかりません。不発です。すなわちそれは、先輩は『まだ』という事に繋がります」
私は絶句する。過去の出来事って、その条件付は自由自在?
「さらに。リューズセット。
『本日、5時間目の授業の後、先輩が敷地を出た時間』
…………これも先程から、ずっと不発です。先輩がまだ敷地内に居る事は確定してます。もし外へ出ていた場合、僕の手に負えませんので、助けを呼ぼうと思っていました。まだ敷地内に居て、僕が確保できるなら、まだ僕達で対応できます」
案内板に来たのは、それが理由?
「レトロアクトを発動させる機会は少ない。不発こそが今と未来を教えてくれますから」
構成員くんは次々と、敷地内の校舎の名前を上げていく。
これなら……サッチの居場所がわかる?
「レトロアクト……遡上? マインスイーパーに変えた方がいいんじゃない?」
やり口が似てるから。
ちょっとした安心感と、構成員くんの真剣な表情に、つい軽口が突いて出たんだけど。
「考えておきます」
意外にも。真剣な表情を崩して、鼻を鳴らし小さく笑った。
黙々と、校舎の名前を上げていく。サッチが向かっていない場所を確定させていく。
例えレトロアクトが発動しても『その時、その校舎に向かった』事しかわからない。
きっと構成員くんは苦肉の策で条件を広げて唯一の手掛かりを掴もうとしてる。なのに、それすら当たらない。
段々と絞られていく候補。荒かった私達の呼吸も、未だ大きいけど、それでも整ってきている。ただ、代わりに、切迫した空気がまた湧いてきてる。
終に、構成員くんが最後の校舎を読みあげて……不発した。
歯噛みする構成員くん。
「どこの校舎にも行っていないようです。どこか、行きそうな場所はありますか」
広すぎれば情報として価値がない。狭すぎれば当たらない。難しいな。
「まだ、体育館から動いてないんじゃない?」
『残ってるの、そこぐらいしかないでしょ』と訴える。
「事故後、本日の体育館は使用禁止、中に生徒が居ない事を確認して、厳重に施錠をした、という報告がありました」
「吉祥天に例外は無いって自分で言ったでしょ」
「……先輩は薬を飲んでいます。吉祥天は作用しません」
いいから、やるだけやってみてよ。と手で仰ぐ。一瞬、不満気な顔をしたものの、それ以外に案は無かったのか、構成員くんは呟く。
「リューズセット
『本日、5時間目の授業開始から、先輩が体育館の外へ出た時間』
…………不発。時間は取得できませんでした。
――――当たり、です」
そのセリフを皮切りに、私たちは走りだした。




