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朧車  作者: 赤丸朧
幕間
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幕間

 広い体育館に先生が吹く笛の音が鳴りひびく。床を蹴るリズムが段々と狭くなっていって、弾けるような音を踏み切り板が立てる。そして、その身は宙に舞う。


 体育の授業は跳び箱だった。


 A6(うち)A5(となり)の女子が体育座りで密集してる中、わたしは自分が呼ばれるのを同じようにして待っている。所々、微かに話し声が聞こえる。


『なんでこの時期、跳び箱? 春先にやったっしょ』『なんかウチだけ単位足りてなかったらしいよ』『マジで!? アタシ卒業できんの?』『その為にこーやって埋め合わせしてんでしょ』『仕事しろよ体育教師』


 わたしはドキドキしてる。胸がムズムズする。


 元女子体操部部長の番が来た。それを見て少し驚く。彼女が選んだ跳び箱が、並んでる中では一番低い5段だった。先生も少し不思議そうにした後、笛を吹く。


 彼女は縦に置かれた跳び箱を睨むように間をとった後、走り出す。踏み切り板が跳ね上がって。そのままに飛び込む。


 …………あれ? ホントに飛び込んだ。


 まるでプールへ飛び込むみたいにゆるやかな弧を描く。その身体は跳び箱に触れること無く、マットの上で前転するに至る。やられた! てっきり持ち前の部活で養った技術を披露ひろうするかとおもいきや、だ。


 飛び込み前転ならぬ……飛び越え前転? 転がり終えて、膝立ちのまま、両手をYの字に挙げる彼女。


「ハイッ」

「ハイ、じゃないよ。危ないだろ。失格」

「えぇー」


 わたしも含めたギャラリーがドッとき返る。その笑顔に隠れて、わたしの心臓の音も、一段大きくなる。


 一番最初に跳んだがいけなかった。元陸上部、中距離の選手だったが前方倒立回転飛び――ハンドスプリング――をしたんだ。それだけならまだ良かった。次の吹奏楽部、帰宅部、と、自分の飛べる高さを普通に跳んだだけだったし。


 その次の四番手、武道部の娘が決め手だった。


 華麗な側方倒立回転跳び4分の1捻り後ろ向き――ロンダートを決めた。


 お陰で『元運動部は普通に跳んじゃダメね?』なんて空気が出来上がってしまった。なんで、今は引退した元運動部の面々は思い思いの跳び方でわたしの心臓を責めていった。


 もうすぐわたしの番。わたしは元女子バスケ部。他の運動部には負けてられないよ!


 でも、同じ技やるワケにもいかず、わたしが狙っている技を先に出されないものか、とドキドキしてる。でも胸がムズムズするのは授業が始まる前からだった。


 構成員くんと優柳、あんな所(カタコーム)に二人きりだよ!


 大丈夫、だとは思う。優柳ゆうなぎは男子に興味なさそうだし。構成員くんも、かなり硬派っぽいし。


 なんか二人共、仲が悪そうだし。


 わたしが居なくなってからどれくらい時間があったかな? 20分ぐらいかな? 跳び箱を準備してる間も、気が気じゃなかった。二人で何をして、二人で何を話すんだろう。きっと聞けば答えてくれる。でも。


『別に。テストをしただけですが。何か』

『あー……なにかあったっけ? なんにもなかったよ』


 きっとそんな感じ。


 そうなんだけど! そうじゃなくて! 本当に無言でテストしてたワケじゃないでしょ!?


 わたしが知らない構成員くんを、優柳は知ってる。そしてその逆もだ。


 うぅ、ムズムズする。


 二人がそう言ったら、きっと本当にそうで、なんにも無かったんだろうな。そんな事、わかりきってるのに。疼くのはどうしようもないよ。


 優柳には、知っておいてもらいたい。わたしの気持ち。


 でも逆に。


 優柳だけには、知られちゃいけない、とも思ってる。


『あのね、わたしね、構成員くんの事、気になってるの』

『ふーん』


 きっとこんな感じ。胸をドキドキさせながら打ち明けてみたら、昨日の天気の話を聞くみたいに興味無さ気にそっぽを向いて雑誌を捲ってるの。わたしは肩透かしをくらう。


 そんで、次の日辺りに。


 やつれた構成員くんを連れて来て、何事かと思ったら。


『サッチが気になってるって言うから、味見してきたよ』


 とか言うんだ! 笑顔で! 悪気無く! 語尾に☆付きそうなカンジで! 味見ってナニしたのッ!? あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ――――――ありうる。やりかねない。優柳なら。


「うぅ」


 おなか、さらに痛くなってきた。気になるなぁ。気になるなぁ。

 …………そうやって茶化して誤魔化してみたけど。


 着実に、わたしの番が近づいてくると、現実に引き戻される。


 跳び箱と、あの二人。それだけでも多少は緊張したりするんだろうけど、こんなに緊張してるのは他に理由がある。



 今のわたしに、吉祥天きっしょうてんは無い。

『どこからがわたしで、どこからが吉祥天だったの?』

 その問いの答えが出るんだ。



 わたしはずっと、無意識に吉祥天を使っていた。いつ使ってどこは使って無かったんだろう。


 春先にやった跳び箱で成功させた技がある。強い踏み切り板と8段の跳び箱を使った、前転とび前方かかえ込み二回宙返り――ローチェ。


 クラスメイトに勧められるがままやって、一度も失敗しなかった。みんな驚いてた。自分でも驚いたよ。吉祥天があった時は出来た。本当はすごく難しい技らしい。


 無い今は…………? 多分、できないよね。できたとしても、失敗が多数かな。


 胸が高鳴る。喉が乾いてきた。教室に飲みかけの紅茶を置いてきた事を思い返す。


 わたしが吉祥天に自覚して、呆けていた時に。構成員くんが紅茶をくれた。それはわたしが好んで飲んでいたやつで、これも吉祥天の効果か、なんて思った。

『ふざけないで下さいッ! 他人ひとの好意を……! こんな事なら……!』


 初めて構成員くんが怒鳴って、わたしはびっくりした。


『あ、あのね、最近あの紅茶、ずっと飲んでるの』なんて他愛も無い会話をしたこと、怒鳴られてから初めて思い出して。わたしは自分の事で精一杯で、そんなだったのに、構成員くんはそれをずっと覚えてたんだ。


 それから、たまに紅茶をくれるようになった。今日の昼、地下でもらったので四本目。


 一人、また一人。わたしの前に並ぶ女子が減っていく。


「はふー!」


 わたしは胸に詰まる息を吐き出した。本当に跳べなかったら、やっぱりちょっと悲しいから、覚悟を作っておく。跳べなくても、また紅茶でも飲んで、がんばろう。


 構成員くんを振り向かせるとか? うん、それだ。


 …………まず、名前からかな? あ、それにもうすぐ卒業だ。しかも関わりがあるのは、優柳の監視が終わるまで? 第二、わたしは男子に対して積極的に関わりを持った事が無い。第三、構成員くん、恋愛とか興味なさそう。


 そこがまたいいケドね! 顔、好みだし! 特に眼鏡! …………前途多難だぁ。


「はぁ」

「さっきから、なにしてるの?」

「へ!?」


 隣に座ってる妹さんが話し掛けてきた。普段は名前で呼んでるけど、中、高等部とずっと女子バスケ部を率いてた部長の、わたしの憧れの女性ひとの妹。だから心の中では妹さん、なんて呼んでる。


「落ち込んだり、ニヤけたり」

「そ! ……ーんな顔……してた、かな? あはは」

「してたよ」


 優しい微笑。落ち着いた雰囲気。木漏れ日の中、読書でもしてそうなおっとりとした雰囲気が出てる。無口でいつでも微笑んで優しいのは優柳に似てるけど、突拍子も無い事を言ったりしないし、やったりしないし、意地悪もしない。

 でも、そこに少しだけ物足りなさを感じたりする。うぅ、わたし、染められてる。


「緊張してるの?」

「えっとー、まぁ、そんなトコ!」


 そんな彼女だから、部長の妹だって事に、二年生になるまで気付かなかった。しかも妹さんから『私の姉、知ってるでしょう?』と話し掛けてもらって、初めて気付いた。


「ちょっとドキドキするよね、こういうの」

「あはは。だよねー」


 気付かないのもしょうがない、って思う。だって身長、凄く高いし、足長いし、綺麗だし。夢はモデルらしいし。身長が低くて、元気で、化粧もしないで走りまわってた部長の正反対ってカンジだ。


「何段跳ぶの?」

「ローチェだから、8かな? 板とマット、調整してもらって」

「ろーちぇ…………? そっか。私も8にしようかな」

「チャレンジだ! 思い切っていけばいけるよっ」


 部長の妹さん。当然、部長の連絡先も知ってるよね。

 薬を貰ってから、ずっと考えていた事がある。


「うー」

「…………? どうしたの」


 わたし、みんなにいつか謝りたいよ。ズルしてて、ごめんなさいって。お父さん、お母さん、あの娘、…………部長。わたしは連絡先知らないけど、妹さんならきっと知ってる。


「あははー。ちょっとおなか痛くて」

「緊張しすぎたの?」

「それもあると思うけどー。あのね、わたし、チョコ食べるとお腹痛くなるんだ! 思い込み(ジンクス)だとおもう!」

「…………?」


 すごく怖いよ。想像しただけで立てなくなっちゃいそう。嫌われるかな? 無視されるかな? 否定されるかな? 亜因果の事、触れちゃいけないんだから、謝る事なんか出来ないんだけど。構成員くんに相談してみようかな。……怒られそう。『先輩。それはできません』て。


「トイレ、行ってくる?」

「んーと、えー、と」


 どうしよう。前に座る女子が一人減るたび、お腹の痛みも増えてるんだ。そして前にはもう一人しか残ってない。ちょっと厳しいかもしれない。


 妹さんは察してくれたみたいで、立ち上がり私の順番を抜かす。わたしもそれにならって、立ち上がる。前の女子が跳んだのを見てから、妹さんは声を挙げた。


「先生。8番、離席中です。飛ばして9番、行きます」


 先生がわたしを見て、目が合う。軽く会釈してから、

「はーい、次ー」

 なんて声が聞こえた。わたしは『ありがと』って小さく言って、妹さんと視線を交わした。微笑んで小さく手を振ってくれた。


 私は小走りで、備え付けのトイレに向かう。妹さんのお陰かな。さっきまで緊張でがんじがらめになってハチャメチャな思考をしてたのに、今は収まって、心地いいぐらいの緊張が身体を包んでる。早く戻った方がいいのかな? それともふざけて技を繰り出して、もう一回になった娘達と一緒に跳ぶのかな。そんな事を考えながらトイレのドアに手を掛けた時。


 妹さんが跳ぶ為の、笛の音が響く。床を蹴るリズム。その終いに踏み切り板を蹴る音。


 でも次に聞こえたのは、跳び箱に手を着く乾いた音でも、マットに着地する柔らかな音でも無かった。



 ――――――――木の破砕音はさいおん



 背後でざわめきが聞こえた。


『え、ウソ。まじで?』『なにこれ。ヤバくない?』『どうなんの、これ』『は? 今、跳び箱が――』


 わたしは振り返った。女子たちは大体、似たような事を口走って戸惑っている。


 視線の先には跳び箱がある。5段と6段と7段。その三つだけ。……元々、四つだった。


 8段があった所の代わりに、瓦礫の山と、そこから飛び出ている、女子生徒の、妹さんの片足。そして割れた木の板が突き刺さり、皮膚を裂き肉を破り、赤黒い■■■■■。


 周囲がざわめいてる。


「全員、教室に戻れーッ! 後は自習! クラス委員と保健委員は残りなさい! あとアンタは復白ふくしろ先生呼んで来なさい」


 瓦礫に駆け寄った先生が叫んでる。一人だけ、駆け寄った女子生徒に指示を飛ばす。


『あ、い。い……い、た。い…………痛いぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいいい』


 叫びが、ざわめきを切り裂いて、体育館中に響いてた。先生が腫れ物を扱うように、それでも素早く瓦礫と化した板屑いたくずを一つ一つ取り除いていく。


 痛い、しか言えてない、妹さん。普段、温厚で、怒ったところなんか見たことないのに。


 今は小さな、子供みたい。


 女子達が、一人立ち上がり、また一人立ち上がり、ぞろぞろと、わたしの前を通って体育館から出ていく。誰かが私の腕を抱くように掴んだ。引きずられたのか身体が揺れる。


 全てが遠く感じた。この世に自分だけしか居ないような感覚。湧く疑問。



 なんで?

 ―――――――――――本当はわたしが跳ぶ筈だった。

 なんで?

 ―――――――――――わたしが、ああなる筈だった。

 なんで?



 朝、チョコを食べて、お腹が痛くなって、わたしが順番を飛ばして、妹さんはわたしと会話しなければ8段を跳ぼうとしない筈で、そもそもあの8段を昼休みに設置したのはわたしで。


 全部、偶然。でも、その偶然は――――。


 そんなわけない。そんなわけないそんなわけない。

 わたし、薬、ちゃんと飲んだ。これは本当に、ただの偶然の、はず。


 ポケットからピルケースを取り出して、ジャラジャラ出して、それを飲み込む。一個じゃ、足りなかったのかな。何個飲めばいいの。だれかおしえて。薬、効いてないの? 薬を飲んでから、吉祥天は出てなかったよね?


 飲み始めたのは昨日の夕方。そして今日の朝。


 生真面目な構成員くんと、根は真面目な優柳が、理由も無くいがみ合ってる。それなのに、なぜか、朝食の時、優柳は構成員くんを引き止めた。


 お陰で、楽しい朝食だった。

 構成員くんは仕事熱心な筈なのに、朝、優柳の携帯番号をその場で聞かなかった。 


 お陰で、ずっとムズムズしなくて済んだ。



 わたしが…………そう…………望んだから?

 わたしより、仲良くなっちゃったら、嫌だな、って。

 口いっぱいに広がるラムネの香りを飲み込む。



 ――――薬、効いて、ない?



 これも。

『あああああああああ! い、いた、い。い、たいぃぃぃぃぃぃ』

 体育館の床に広がっていく■■■も、吉祥天わたしが望んだの?


「あ」


『怖いけど、いつか謝りたい』



 あれ? あれ? ダメ。ダメ。考えちゃダメ。

 ――――――――謝る事、決まってすらいなかった。

 違う。違う。違う違う。違う事、考えないと。

 ――――――――なのに吉祥天は妹さんを■■して、それを防いだ。

 優柳と構成員くん。今頃なにしてるんだろ。

 ――――――――吉祥天は遥か先までどこまでも、すべての可能性を見越してるんだ。



 じゃあ……あれ? 昔あった事、も?



 男子に対して積極的になれないわたしが、あんなに積極的になれたのは彼女がいたから。


 彼女が居たから、気恥ずかしさを負けん気で誤魔化せた。

 部長の代わりに、憧れの女性の代わりに、その想いを背負って同じ場所に立つ。

 部長が怪我をしなければ、それは起こり得ない事だった。

 わたしがこんな人間でも、きっとお父さんとお母さんは愛してくれる。



 吉祥天が、わたしの為に。

 彼女に恋をさせ当て付けて。部長に怪我をさせ。

 それすら許してくれる両親の元に生まれさせた。


『どこからがわたしで、どこからが吉祥天だったの?』

 それが、たった今、判明わかった。



 ―――――――――全部、だ。

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