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第3話 断罪の雷嵐と、世界一甘い誓いのキス


しとしとと不快な冷雨が叩く、アスター伯爵家の屋敷。


カビと湿気の臭いが充満する居間で、豪奢なドレスに身を包んだ異母妹のマリアンヌが、焼きすぎた硬いスコーンに高級なジャムをたっぷり塗りながら鼻で笑っていた。


「ねえお母様、そろそろガルディノス帝国から莫大な金貨と金鉱山の権利が届く頃かしら? あんな生贄のブタ女エレノアなんて、今頃あの恐ろしい竜帝に頭からバリバリ噛み砕かれて骨も残っていないわね!」


「オホホ! 当然よマリアンヌ。あんな雑用しかできない出来損ないでも、最後は我が家の金づるになって役に立ったわ。帝国から返事が来たら、すぐにあなたを『真の正妃』として送り込んであげるわね。あの冷血な竜帝も、あなたの美しさに狂喜乱舞するでしょうよ」


継母が汚い欲に満ちた笑みを浮かべ、高級な紅茶を口に運ぶ。

伯爵もまた、酒の臭いをプンプンとさせながら「これで我が家も大金持ちだ」と下品に笑っていた。


——だが、その直後だった。


ドドドドドドドッ……!


突如、地響きのような重低音が地表を揺らした。


「な、なんだ!? 地震か!?」


「いや……空を見ろ! 空が……っ!?」


窓際に駆け寄った伯爵が、顔を真っ青にして絶叫した。


つい先ほどまで降っていた静かな冷雨が一瞬で吹き飛び、上空に禍々しい真っ黒な「雷嵐」が渦を巻き始めたのだ!


ピシャァァァァンッ!! ズドォォォォンッ!!


鼓膜を引き裂くような激しい雷鳴。

急激な気圧の変動に、伯爵たちの耳の奥がキィィンと鋭く痛む。


狂暴な暴風が吹き荒れ、屋敷の美しいガラス窓が次々と音を立てて粉砕された。


「ひぃぃぃぃっ!? 何事!? 何が起きてるの!?」


悲鳴を上げるマリアンヌたち。

窓の外を見上げた彼らの視界を、圧倒的な絶望の光景が支配した。


暗雲を突き破り、空を埋め尽くすように飛来する数百頭もの漆黒の巨大竜。

そして、重厚な影を落とす白銀の超大型浮遊戦艦の巨躯。


庭園の樹木や彫像をなぎ倒し、バリバリと凄まじい風圧を立てて眼前に降臨するのは、体長数十メートルを超える黒銀の巨大竜だ。


「ひ、ひぃっ……息が……!」


吹き荒れる暴風雨によって飛び散るガラスの破片と泥水。

尋常ではない魔圧の暴風に肺を圧迫され、伯爵一家は恐怖のあまり床に這いつくばった。


バァァァァァンッ!!!!


屋敷の重厚な天井と正面扉が、まるでマッチ箱のように一瞬で粉砕された。


「ひぃぃぃぃっ!??!」


瓦礫と泥が舞い散る中、漆黒の甲冑を着た数百人の竜騎士団となだれ込んできたのは——全身から血のような殺気を放つ、『冷血竜帝』ジークフリートだった。


彼の背後には凶悪な赤黒い竜の影が立ち上り、雷光の中で威圧的な咆哮を上げている。


「お……おのれ何者だ! ここはアスター伯爵家ぞ! 無礼だぞ!」


震える足で立ち上がろうとする伯爵だったが、ジークフリートが一歩足を踏み出しただけで、その恐ろしい魔圧に押し潰され、バシャリと泥水の中に顔面から叩きつけられた。


「……誰の許可を得て、その汚い口を開いているのだ? 下等な虫ケラども」


低く、地鳴りのような声。

ジークフリートの殺気だけで、継母とマリアンヌは呼吸ができなくなり、ガクガクと顎を震わせる。


そこへ——ジークフリートの太く逞しい腕に恭しく抱きかかえられ、一人の少女が舞い降りてきた。


最高級の純白シルクと真珠をあしらった神聖なドレス。美しく整えられた黄金の髪。その身から溢れ出るのは、世界を包み込むような温かく清らかな『神聖魔力』の光。


「え……? え、エレノア……!? なぜお前が生きて……っ!?」


マリアンヌが引きつった声を上げた。


エレノアはジークフリートの腕の中でそっと目を伏せ、静かに実家の人々を見つめた。

かつて自分を冷たい小部屋に閉じ込め、毎朝素手で冷たい井戸水を使わせ、鞭で叩き、焦げたパンしか与えなかった家族。


だが、今のエレノアの心には恐怖も憎しみも一切残っていなかった。ジークフリートの温かい体温と愛に満たされているからだ。


「エレノアぁぁぁっ! お前、竜帝閣下に何を吹き込んだ!? 早く閣家に言いなさい、『マリアンヌお姉様こそが本当の姫で、私はただの雑用豚です』と!」


継母が泥に塗れた顔で叫ぶ。


その瞬間——。


ドォォォォォォンッ!!!!!


「ぬかせえぇぇぇぇっ!!!!」


ジークフリートの怒号が落雷のごとく屋敷を打ち壊した。


「我が最愛の妻……このガルディノス帝国の【至高の神】であるエレノアを……二度とその汚い口で侮辱してみろ! 一瞬で貴様らの肉を削ぎ落とし、骨を粉砕して頭から丸呑みにしてやるぞ!!」


ピシャァァァンッ!!

ジークフリートの怒りに呼応し、背後の雷光が弾ける。

伯爵一家は恐怖のあまり絶叫し、完全に腰を抜かした。


「ひっ……! か、神……!? あんな雑用しかできない奴が神……!?」


「フン、気づかなかったのか? お前たちの不毛な伯爵領が今までかろうじて崩壊しなかったのは、エレノアが毎日健気に祈り、屋敷を掃除していたおかげで、彼女の神聖魔力が土地をかろうじて繋ぎ止めていたからだ。彼女という神を追い出したことで、お前たちの領地は今や竜脈が枯れ果て、崩壊の一途をたどっている!」


ジークフリートは冷酷な笑みを浮かべると、指をパチンと鳴らした。


「アスター伯爵家に対し、以下の裁きを下す。我が帝国の神聖なる御子エレノアに対する長年の不当な虐待、国家侮辱罪、ならびに恐喝罪により——本日をもってアスター伯爵家は断絶。全財産を没収する」


「な……っ!??!? そんな……! 助けてエレノア! 私たちは家族だろう!?」


「嫌よ! 私、マリアンヌよ!? 綺麗なドレスを着て竜帝妃になるのよぉぉぉっ!!」


「黙れ。貴様らには……エレノアがこれまで味わってきた苦しみをそのまま返してやる」


ジークフリートの冷酷な宣告が落ちる。


「三人には極寒の北極鉱山での『一生涯の強制奴隷労働』を命じる。毎朝未明に起き出し、氷点下の井戸水で素手で硬い岩肌を磨き、焦げたパンの耳だけを食べて死ぬまで働き続けろ」


「「「いやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!??!」」」


かつてエレノアに強いていた「悲しい生活習慣」が、そのまま自分たちの永遠の地獄となって跳ね返ってきたのだ。

泥と不快な冷雨に塗れ、黒甲冑の衛兵たちにズルズルと引きずられていく伯爵一家。


エレノアは静かにその背中を見送り、小さく息を吐いた。


「エレノア、怖かったか?」


ジークフリートが優しくエレノアの頬を撫でる。


「いえ……ジーク様が隣にいてくださるから、少しも怖くありませんでした。それに……私、もう過去の悪夢から完全に解き放たれましたから」


エレノアが微笑むと、その瞬間——。


ドォォォォン……!


空を覆っていた禍々しい暗雲と雷嵐が一瞬で吹き飛び、地平線の彼方から暖かな光が差し込んできた。


そこに広がったのは——空一面を黄金色と朱色、そして深い紫に染め上げる「圧倒的な美しさの夕焼け」だった。

雨上がりの光を受け、濡れた草木が宝石のように輝いている。


「あぁ……綺麗……」


エレノアがうっとりと夕焼けを見上げる。


その横顔を見つめ、ジークフリートの胸に激しい愛おしさがこみ上げた。


(ダメだ……。夕陽に照らされたエレノアが美しすぎる……! 可愛すぎて……胸が苦しい……息が……息ができない……っ!!)


ジークフリートは真顔で胸を押さえ、たまらずエレノアを抱き寄せると、その唇に激しく甘い誓いのキスを叩きつけたのだった。



◇



それから、帝国挙げての婚儀の準備が始まった。


「ひゃうっ……! あ、あの、侍女長様、少しコルセットが苦しいです……っ」


「我慢なさいませ、御子様! ジークフリート陛下から『我が国の至宝を最高に輝かせるドレスに仕上げろ。国家予算の12%をこれにつぎ込んでも構わん』と厳命されているのです!」


大聖堂の控え室。

エレノアは最高級シルクの重みと、香ばしいハーブの香油が塗られた自身の肌の滑らかさに、目眩を覚えるような感覚の中にいた。


かつて傷だらけでしもやけに塗れていたエレノアの手は、毎日の最高級ハーブオイルとローズクリームのケアにより、白磁のように美しく生まれ変わっている。


「国家予算の12%……ゴールド換算で3億5千万ラングですわ。世界最高の職人たちが作り上げたベルギーレース、そして散りばめられた本真珠の数は5,000粒を超えております」


「さ、さん億……っ!?」


あまりの金額の解像度にエレノアが脂汗を浮かべ、心拍数を乱していると、控え室の重厚な扉が静かに開いた。


白銀と金の飾りが施された漆黒の礼服に身を包んだジークフリートが、ゆっくりと歩み寄ってくる。


パイプオルガンの重厚で美しい音色が聖堂内に響き渡る中、彼は階段を登ってくるエレノアの手を恭しく取ると、感極まったように瞳を潤ませた。


「綺麗だ……エレノア。世界中のどの宝玉よりも、我が国のどの秘宝よりも……お前が一番美しい」


「ジーク様も……とっても格好いいです」


神父の前で交わされる永遠の誓い。


「新郎は新婦に、誓いのキスを」


神父の言葉が終わるか終わらないかのうちに、ジークフリートは待ちきれないようにエレノアの腰を引き寄せ、その唇を深く、深く奪った。


「ん……っ!? ジーク、様……っ! んチュ……っ」


甘いハーブと薔薇の香りが二人の間で弾け、甘美な痺れが全身を駆け抜ける。

息が続かなくなるほどの長く濃厚なキスの後、顔を真っ赤にしてハァハァと息を荒らげるエレノアを、ジークフリートはお約束のように軽々とお姫様抱っこで持ち上げた。


その瞬間——!


ワーーーーーッ!!!!!!!


大聖堂を埋め尽くした数十万人の参列者、そして外に集まった数百万人の帝国臣民から、耳を割んばかりの祝福の大歓声が巻き起こった!


「「「至高の神聖なる御子様万歳!!」」」

「「「ジークフリート陛下万歳!! お二人のお幸せを!!」」」


城の上空には祝福の砲撃が打ち上がられ、風に乗って色とりどりの花びらが大空を舞う。

そして、雨上がりの大空にはどこまでも鮮やかな「七色の巨大な虹」が二重に架かっていた。


ジークフリートはエレノアを抱きかかえたまま、彼女を自分の膝の上にすっぽりと座らせ、耳元で甘く囁いた。


「これからの人生、永遠に私のお膝の上で、甘やかされてくれるか? 我が愛しい神様」


エレノアはジークフリートの首にそっと腕を回し、幸せ溢れる満面の笑みを浮かべた。


「はい……! ジーク様が私を好きでいてくださるなら……私、一生ずっとジーク様のお膝の上で甘やかされます!」


生贄として捨てられた薄幸の少女と、彼女を「息ができないほど」愛した冷血な竜帝。

二人が紡ぐ国ごと溺愛ストーリーは、こうして最高のハッピーエンドを迎えた——。


——はずだった。



◇



「……報告します。ガルディノス竜帝、および『神聖なる御子』の婚姻を確認。これより、我が【天聖教国】の極秘計画——『偽りの神の引き剥がし作戦』へと移行する」


歓喜に沸く帝都の喧騒を見下ろす、遠くの鉄塔の上。

漆黒の法衣を纏った謎の密使の手には、エレノアの髪と同じ黄金色に激しく明滅する、不気味な『神聖魔力妨害結晶』が握られていた。


世界で一番甘い二人の生活に、今、新たなるマクロな世界の動乱の影が忍び寄ろうとしていた。



(完結)

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