第19話 新しい門下生
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
春だった。
道場の庭に桜の花びらが舞っている。
レンは桶を抱えて歩いていた。
師匠が亡くなってから一年。
季節は巡った。
けれどレンの日々は変わらない。
朝は仕事。
昼は仕事をしながら稽古を見る。
夜は素振り千一回。
そして誰もいなくなってから型を真似る。
ただそれだけだった。
けれどレンは不思議と不満を感じていなかった。
少しずつでも前に進んでいる気がしたからだ。
ほんの少し。
ほんのわずか。
それでも昨日よりは今日。
今日よりは明日。
そう信じて木剣を振り続けていた。
***
その日の朝。
一人の少年が道場へやって来た。
レンと同じくらいの年齢。
いや、少し上かもしれない。
背は高い。
肩幅もある。
腰には立派な木剣を差していた。
道場の入り口で堂々と頭を下げる。
「入門を希望します!」
よく通る声だった。
新しい師範がうなずく。
「名前は?」
「ガルドです!」
師範は少年を見て少し驚いたようだった。
立ち方が違う。
素人ではない。
剣を触った者特有の重心がある。
「剣術経験は?」
ガルドは胸を張った。
「父から学びました!」
その言葉通りだった。
構えを見れば分かる。
基礎ができている。
***
門弟たちがざわつく。
「あれ、強そうだな」
「同じ歳くらいじゃないか?」
「結構いけるんじゃないか」
レンも見ていた。
自然と目が向く。
そして思う。
(いい踏み込みだ)
(体も強い)
(すごいな)
純粋に感心していた。
***
稽古が始まる。
予想通りだった。
ガルドは強かった。
教わったことをすぐ覚える。
動きを真似るのも早い。
門弟たちとの打ち込みでも良い動きを見せる。
周囲は感心していた。
***
一方のレンは床を磨いていた。
いつも通りだった。
変わらない。
学ぶことだけが目的だった。
***
昼。
仕事を終えたレンが木剣を片付けていると、後ろから声がした。
「おい」
振り返る。
ガルドだった。
「はい?」
「お前、門弟じゃないのか?」
レンは少し困ったように笑う。
「一応、道場にはいます」
「なんだそれ」
ガルドが鼻で笑った。
「稽古してるところ見たことないぞ」
レンは答えなかった。
見せたことがないからだ。
夜しか振っていない。
ガルドは周囲を見回した。
そして納得したように言った。
「ああ」
「雑用係か」
レンは否定しなかった。
間違ってはいない。
「何年いるんだ?」
「……九年くらいかな」
ガルドの眉が跳ね上がる。
「九年!?」
周囲の門弟たちまで振り返った。
「九年いてそれ?」
「型もやってないのか?」
「試合は?」
「したことない」
ガルドは呆れた顔をした。
「何してたんだよ」
レンは答えられなかった。
何をしていたのか。
そんなことは自分が一番知っている。
毎日振った。
毎日見た。
毎日考えた。
毎日失敗した。
それでも続けた。
けれど、
それを説明したところで意味はない。
「そうか」
ガルドは笑った。
どこか見下した笑みだった。
「まあ頑張れよ」
去っていく。
門弟たちも笑っている。
悪意はない。
ただ不思議だっただけだ。
九年もいて何もできない少年が。
レンは一人残された。
けれど悔しくはなかった。
腹も立たなかった。
ただ少しだけ。
木剣を握りたくなった。
***
その夜。
レンはいつもの空き地に立っていた。
木剣を振る。
一。
二。
三。
積み重ねる。
ただ黙々と。
九百九十九。
千。
そして──
千一。
木剣を振り切る。
汗が額から落ちた。
昼間のことを思い出す。
“何してたんだよ。”
ガルドの言葉。
レンは静かに木剣を握り直した。
「強くなるんだ」
誰に聞かせるわけでもない。
「もっと」
木剣を構える。
「あの人たちみたいに」
踏み込む。
昼間見た型を思い出しながら。
失敗する。
もう一度。
また失敗する。
それでも。
レンは笑った。
「一本ずつだ」
夜空の下。
少年は再び木剣を振った。
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