第25話 酸いも甘いも今日次第:当日談
「然くん、今日のお昼時間あるかな…」
今日の朝、薫からそう言われた。僕もそこまで鈍感じゃない。今日はバレンタイン、男女が仲を深めるための祭典だ。
「うん、大丈夫だよ」
多分、声が震えていたと思う。なんとなく、察しはついているんだ。別に嫌じゃないけど、僕はまだあの時のトラウマを完全には克服できていない。未だにこの時期になると、あの時を思い出してしまう。
彼女とも色々話せるようになったし、休日は二人で出かけることも多くなった。それでも、怖いと感じてしまう。また、裏切られたらどうしようと。そんな不安を、最近は隠しきれなくなってきている。
「じゃあ…いつものところで待ってるね」
学校にいる間も、空き教室でお昼を一緒にすることがある。毎日じゃないけど、僕にとっては貴重な時間だ。
「チョコ、だよな」
トイレでぼそっと口から洩れてしまう。幸い、誰もいないから聞かれることも無かったが、何故だか慌てるように教室に戻った。朝からずっと、頭の中と心が騒がしくしている。一向に落ち着かない。
やっぱり、まだ怖いんだ。
「ちゃんと課題やっとけよー」
四限を終え、弁当箱を持って薫と一緒に教室を出る。彼女の弁当袋がやけに膨らんでいる。密閉されていて、しないはずのチョコレートの匂いが、より緊張を生む。終始ぎこちないだろうな、今の僕は。
「それでね、お母さんってば凄く心配性だから」
気を使ってくれているのだろうか。普段の他愛ない話をして、僕は細かく相槌を打つ。意識しないように、弁当を淡々と食べ進める。気付けば空箱の底を箸で何回かつついていた。食べ終えたことも忘れるくらいに。
「ごちそうさまでした」
少しの沈黙。彼女の小さな呼吸が一つ、それだけが良く聞こえた。
「然くん」
名前を呼ばれて薫と目を合せる。僕は、彼女の手元にある箱に視線をずらす。その箱を大事そうに、丁寧に僕の目の前に差し出す。
「これ、作ったんだ。良かったら受け取ってほしい」
初めて告白されたときは、彼女は声も手も震えていた。でも、いまはそうじゃない。僕の目を見て、作ったチョコを落ちないようにしっかり持って、真っ直ぐ芯のある声で話す。
「わかるよ、まだ信じることが怖いこと。一緒にいる時間が長くなったから、そう感じとれることも増えたの」
「…うん」
「でもね、それって私を信じようと頑張ってくれているんだって感じるの。私もね、然くんともっと仲良くなりたい。然くんとなら、例え喧嘩しながらでも、一緒に笑いあえると思うから。だから…」
一つ一つ、耳に届く言葉は心臓を熱く、締め付ける。鼓動が早くなるにつれて、今と昔を頭が繰り返す。薫は、あいつらとは違うことをわかっているのに。どうしても、答えを出し渋っている自分がいる。
「然くん、好きです」
彼女とは色んな所へ行った。この数か月間、たくさんの時間を一緒に過ごした。僕だってきちんと伝えたいのに、自分の弱さやトラウマが、出ようとする言葉を鎖で縛り喉奥から引っ張っている。
「僕は…その、えっと」
ダメだ、ダメなんだ。あと一歩が思うように動かない。寄り添ってくれていることに甘んじているだけではいけないと、分かっているのに。
数分の沈黙が続いたそのとき、見覚えのある三つの影が目の前へ姿を現した。
「葛西然、あんたは何を見ているの?目の前の今にちゃんと向き合えている?どんな答えでも、きちんと言葉を吐きなよ。それが礼儀でしょ」
神田の妹が、ぐっさりと槍を刺す。そういわれても中々口を開かずにいると、痺れを切らしたのか、さらに追い打ちを掛けようとしてきた。それを加苅と幸太郎が制止する。
「然、朝霧のことが好きか?」
「…ああ」
「そうか」
その瞬間、頬が熱くなる。幸太郎の掌も、同じように熱を帯びて赤くなっている。加減をしてくれたのか、痛みは感じない。周りにいた皆も少し驚いたしたような顔をしている。
「それはあの時のお返しだ。もう、分かるよな」
彼は、自己主張が強いタイプじゃない。それでも、これは彼なりの鼓舞なんだと直感で分かる。「突き飛ばされたことを、俺はもう気にしていない」と、その平手で伝えられた気がした。
「僕はまだ、完全にあの事を克服しきれてない。薫に影を重ねてしまっていることもある。それでも…自分の気持ちには正直でいたい」
震える声でも、ちゃんと伝えよう。僕の一歩はここから始める。
「薫のことが好きです。こんな僕でよければ、よろしくお願いします」
「…はい!」




