第23話 酸いも甘いも今日次第(中編)
朝から里奈に催促されて家庭科室の使用許可申請を提出した。今日中に申請が通ると三宅に言われていたのだが、放課後を過ぎても連絡がない。
ありがたいことに、購入した材料は生徒会室に設置してある冷蔵庫へ保管してもよいと言われた。申請の状況をじっと待つことが出来ないのか、妹に絶賛詰められ中である。俺のせいではないというのに。
「とにかく、慌ててもしょうがないだろ。少し落ち着け」
「でも!」
実際、作って渡すとなるとそこまで時間に余裕があるわけでもない。焦っても許可が下りないことには何も始まらない。本人もそれを知っているのに、逐一聞いてくるのは朝霧の存在が大きいのだろう。
文化祭の一件で、あまり力になってあげられなかったとボヤいていたそうで、その話を辰巳から聞いたときは驚かされたものだ。だが、彼女は献身的なサポートやアドバイスもしていたし、なにより朝霧の心の支えにもなっていたはず。
気にする必要などないというのに。
「明日になっても連絡がないようなら、三宅先輩にも聞いてみる」
「…わかった。…ごめんお兄」
あからさまに気落ちする里奈を慰めるように、辰巳が声を掛ける。
「まあまあ。幸ちゃんも僕も気持ちは分かるからさ。僕たちだって、朝霧さんに協力したいって気持ちは一緒だから」
明日になれば無事に許可も下りているだろうと、二人で里奈をなだめる。三宅からも、先ほど連絡があった。「申請の結果がまだ来ないが、不備はないから大丈夫だろう」とのことだった。そのことを伝えると、安心したのかだんだんと表情が柔らかくなっていく。校門で朝霧とも合流し、そのまま帰路に着いた。
そして、二日が経った。経ってしまった。何の音さたもなく一報すら入らない現状に、俺と辰巳も焦燥に駆られている。里奈に至ってはもう虫の息。あれだけ張り切っていたのだから、感情の急降下は避けられなかった。
「神田、いるか」
教室のドア付近から自分を呼ぶ声に振り向くと、そこには三宅の姿があった。廊下で手招きをしているので、白くなっている意気消沈娘を辰巳に任せて彼の方へ向かう。
ようやく使用日時が決まったんだなと安堵していたら、欲していた回答と真反対の言葉が返ってきた。一言、「すまない」と。俺はすっかり気を抜いていたせいか、顔に出てしまったのだろう、三宅は申し訳なさそうな顔をしている。
「お前も分かるとは思うが、この時期だ。かなりの数が殺到しているらしくてな。最速でも二十日を過ぎてしまう」
「そう…ですか」
何とかなるだろうと楽観的に構えていたが、まさか大幅に日を過ぎてしまうとは思いもしなかった。このままだとバレンタイン当日にチョコを渡すどころか、用意すら出来ない。
「まあ、なんだ。各家庭で作ることも出来るだろう。あまり拘り過ぎても――」
「それじゃダメなんです!」
不意な大声に、三宅と揃って肩が跳ねる。どうやら聞き耳を立てていたようで、必死な目で訴えかけるようにこちらをじっと見つめていた。困り果てた様子の三宅に、文化祭で似たような状況があったこと、その時に思うように手助けが出来なかったことをぼんやりと伝える。
「鷹原とお前がバイトしている喫茶店は?笹嶺さんなら――」
俺が首を横に振ると、考え込んでしまった。許可が下りなかったことは彼のせいではないし、申し込みの数が多いのなら順番待ちになるのもしょうがないこと。ただ、里奈のことを考えると、やはりどうにかしてあげたいと兄心としては思うわけで。
「分かった。ほかに方法がないかこちらでも考えよう」
「ええと、いいんですか?僕らとしてはありがたい話ですが…」
三宅は俺を見て、ふっと笑う。
「神田には今までも、そしてこれからも世話になるからな。こちらも出来る限りサポートさせてくれ。それに、大切な友人の頼みなんだろう。無下にするわけにもいかないさ」
こちらの我儘、ましてや個人的な都合を押し付けていると言っても過言ではない状況でその返しが出来るのは、やはり彼の人柄が大きい。三人で深くお礼を言うと、気恥ずかしそうにしていた。
生徒会室に場所を移して、どうにか方法がないか模索する。学校が選択肢から外れた以上、代案が思いつくこともなく、刻一刻と時間が過ぎ去っていくだけ。意を決してキッチンスタジオを借りようと近場で探してみたが、既に予約がいっぱいで八方塞がり。
途中から鷹原にも協力を仰ぎ、一緒に頭を捻ってもらう。一縷の望みで鷹原や三宅の自宅にお邪魔できないかという、図々しいお願いもしてみたが我が家と同様に親の検閲が厳しいとのことだった。
「君から力を貸してもらっている手前、何とかしてやりたいのだがな…」
「いえ、無茶なことを言ってすみません」
気付けば喉がカラカラ、小一時間もしゃべり倒していれば当たり前だ。何も思いつかない頭を絞って、喋りながら誤魔化していただけだから無駄に思考疲れもある。
外の空気を吸うついでに、自販機で飲み物を買う。その場でカシュッとプルタブを倒し、一気に流し込む。さっきまで詰まっていた砂漠のような乾きが瞬く間に癒えていく。
「そーいえばさー、いがちゃんにちゃんと言ったんだよね?」
「もちもちー。明日にでも家庭科室使えるようにしてくれるってー、まじサイコーなんだけど」
あきらかなギャル口調の女生徒が、なにやら楽しそうに話をしている。聞き覚えのある声だと思っていたが、よく見るとこの前ファミレスにいた二人組だった。家庭科室と聞こえたが、あらかじめ申請を通していたのだろう。
「マジラッキーだよね、いがちゃんが担当でほんとよかったわー」
ここで油を売りすぎてもしょうがない。さっさと戻ろう。
「やっぱりおかしいな」
生徒会室に戻ると、なにやら三宅と鷹原が怪訝な顔をしている。後ろからパソコンの画面をのぞき込むと、使用許可の申請手続きの確認をしているようだった。何も不審なところはない様に見える。
三宅はこちらに気付いて顔をむけるが、鷹原はじっと画面を見つめたまま固まっている。しばらく考え込んでいたが、一瞬目が大きく開く。一息してこちらに視線を向けると、何やら確信を得たようだった。
「三宅の言う通りだ。使用許可が下りている申請書に偏りがある。特に二年の二クラス分」
「それって贔屓じゃん!あり得ない!」
そう考えるのが普通だろう。許可印のある申請書は、二年の一組と三組に集中している。もしそれが事実だとするなら、申請の段階で誰かが書類の間引きを行っていることになる。
書類の申請段階は生徒会、生徒会顧問、そして申請対象の教室を管理する科目担当の教師だ。生徒会は中立的な立場であることが絶対。そのため、このような不正染みた行動は処罰の対象となる。
「となると、教科担当だな。二学年でしか行わない授業だから、贔屓されているというのは濃厚だろう」
ふと、自販機前の話が浮かぶ。
「鷹原先輩、三宅先輩。いがちゃんって誰か分かりますか?」
瞬間、二人は理解したようだった。
「ああ、なるほど。そういうことか」
三宅は深く頷き、鷹原はなぜ思い出せなかったんだと頭を抱えた。先程その話をしていた女生徒がいたこと、いがちゃんという言葉をよく言っていたこと。その人物は山頂で男子生徒に声を荒げていた、俺たちも知っている無責任教師。
「俺と鷹原は選択科目で音楽を選んだからな。すぐ思い出せないのも無理はない。だが、いまので分かった。それに、五十嵐先生ならやりかねない」
どうやら、生徒間でも五十嵐の悪癖は有名らしい。若い男性教師で家庭科を担当。顔もそこそこ整っているので、女生徒からは特に人気を博する。ただし、実態はお気に入りの女子を贔屓目にしているという噂があるということ。
傍から見れば「近所の気前のいい兄ちゃん」感があり、目立った問題もないため何かといい様にしていると三宅は話す。その話を聞いて、俺はちょっとばかし自慢げに口角を上げる。
ずっとファイルに眠っている、これの使い時が。
「もし本当に、相手が五十嵐先生なら、なんとかなるかもしれません」




