第22話 酸いも甘いも今日次第(前編)
新生徒会が発足して早一か月。月初から男子生徒の落ち着きがない。あるものは期待に胸を膨らませ、あるものは前髪を弄り、あるものは非モテ同盟を組んでいる。
そう、バレンタイン。彼らは来たる十四日のため、少しでも己を良く見せようと様々な方法を試みている最中だ。傍から見ればなんとも滑稽な話だが、本人たちは大真面目なのである。義理だろうが、おまけだろうが、貰えたことによるステータスは今後の学生時代に輝きをもたらしてくれるに違いない。
そして、そんな期待も祈りもこれっぽちもない男が、今回もまた小さな騒動に巻き込まれる。
「めんどくせぇ…」
里奈と朝霧、それから辰巳を含めたこの四人で製菓用品店に足を運んでいる。ことの発端は今日の放課後。特に用事もなく、真っ直ぐ帰路に着こうとしていた時に里奈から|一通の命令が下された。
ただの一言、「稲穂通りの製菓専門店に来い」とだけ。別に無視をしてもよかったのだが、心優しい菩薩のような兄で有名な神田幸太郎はその誘いを受ける。決して屈しているわけでない。ほんとだよ、うん。
「遅い」
腕を組み、仁王立ちするその姿はまさしく弁慶。その後ろには朝霧と辰巳の姿もあった。妹の我儘に付き合わせてしまって申し訳ない。
毎度のことながら、この時期は彼女の独壇場。毎年買い出しに付き合わされては、使いきれもしない量の材料を買い込んで荷物持ちにされる。結局、余った分は母親が消化しているので無駄になることはないが。
「お前、今年こそは買う量考えろよ。去年は母さんに釘刺されてただろ」
「別にお兄が持つんだからいいじゃん。それに、寂しいお兄にもチョコ作ってあげてるんだから文句言わないで」
傲慢だ。このお姫様は遠慮というものを知らない。その様子に少し呆れていると、後ろからひょこっと顔を出してぽつぽつと朝霧が話し出す。
「あの、実は私がお願いしたんです…」
「そうそう、幸ちゃんにはその話してなかったね」
朝霧がいる時点で、そこまで俺も鈍感ではない。文化祭以降仲良くなった葛西然という俺の友人に、バレンタインでチョコを渡すからその手伝いをしてほしいと言ったところだろう。
「それがね、ちょっと違うんだよね」
辰巳の発言に俺が首を傾げていると、腕を里奈に掴まれて店内に引きずられる。詳しい話は買い物を終えてからとのこと。俺は、大人しく従うことにした。
次々とカゴに放り込んで、レジを通す。今年も大荷物になると予想していたが、どうやらそうではないらしい。今年は作るものを予め決めていたようで、本当に必要なものしか買わなかった。おかげで鞄に収まる程度の量で少し安心した。
少し得意げな顔をしていたが、これが普通だと言えばまた凶器を飛ばしてくるに違いない。取り敢えず、話を聞くためにいつものファミレスへと足を運んだ。
「で、その話ってのは?」
「うん。端的に言えばさっき幸ちゃんが言ってたように葛西君にチョコを渡すってことなんだけど、実は朝霧さんが少し思うところがあるらしくて」
朝霧が一息。その後、ゆっくりと口を開く。
「最近はね、二人でよく出掛けるようになったの。神田君や里奈ちゃん、それに加苅君にも凄く感謝してる。でも、その…なんていうか、まだ少し距離を感じる気がしていて…」
然の一件は、未だに根が深く這っている。彼自身が変わろうとしているが、その拭いきれないトラウマが、二人でいるときに見え隠れしているのだと朝霧は言う。悟られまいと繕う笑顔を、最近はよく分かるようになったとも。
「それでも、私は葛西君が好き。この気持ちは嘘じゃない…から、もう一度伝えたくて」
あの時の彼女とは違い、言葉から強い思いを感じる。そして然。彼もまた、そろそろ答えを出す時が迫ってきている。もう一度、正面から向き合いたいという朝霧の願いに、俺たちも応えてあげたい。
「そういうことだから、幸ちゃんなら何か出来るんじゃないかと思ってね」
「買いかぶりすぎだ。でも、その話を聞いて今更断る理由もない」
「それに、お兄が正式に生徒会に入ったんだから使えるものは使わないとね」
「俺はお前のものじゃないんだけど」
生徒会という立場が、恋愛という舞台においてどう役立つのかは分からないが、里奈が俺を呼んだ理由は今分かった。全く、しょうがない。大切な友人と妹の頼みだ。甘んじて巻き込まれてやるとするか。
ただ、問題がないわけでもない。
一つはチョコを渡すタイミングだ。然は部活には入っていないものの、放課後に居残ったりはせずにすぐ帰宅してしまう。然は下の兄弟が多く、両親も共働きで学校から自宅までの距離も遠い。そのため、自分が早く帰って夕飯を作ったり兄弟の世話をしなくてはいけないと言っていた。渡すなら日中帯しかない。
そしてもう一つ。こちらは今すぐにでも解決しないといけないことだ。
「作る場所がないんだよね。僕のうちは賃貸だからキッチンがあまり広くない。幸ちゃんのうちは一軒家だけど…」
「母さんがキッチン周りを触られるのは嫌がるからな。身内でも一声かけないといけないくらいだ。難しいだろうな」
母親は普段おおらかな人だが、キッチン周りだけは許可なく触れてはいけない。そこは母親の絶対領域であり、その観察眼は凄まじく、物の位置が少しでも違えば即バレてしまうほど。
バレンタインの時期は一時的に里奈が許可を取っているが、それだけ厳格なら家族以外に場所を明け渡すことはまずないだろう。
「そういえばお兄がバイトしてる喫茶店は?ええと、笹嶺さん?に言えばなんとかしてくれそうだけど」
それも考えてはいたが、今週から店内イベントで小学生以下向けにお菓子作り教室を開くと言っていたのを思い出す。近隣の小学校と連携して行うもので、間借りするのも難しい相談だろう。
キッチンスタジオを借りることも考えたが、金銭的な問題と休日は予約が埋ってしまうこともあり、あえなく断念した。
「んー、八方塞がりだね…」
空になったコップを持ってドリンクバーへ向かう。何を飲もうか悩んでいると、違う卓から同校の女生徒二人組が飲み物を取りに来た。先に譲ると、「ありがとう」と言われ、その場で入れ終わるのを待つ。
「そういえば、これから学校戻るんでしょ」
「うん、さっき買ったチョコとか冷やしておかないと」
彼女らもどうやらチョコ作りに勤しむようだ。今から学校に戻って家庭科室でも借りるのだろうな。彼女たちがその場から去り、ジンジャーエールのボタンを押す。先程の会話と同じように、炭酸の弾ける音に自然と耳を傾ける。
ん?そうか、その手があったか。
「家庭科室があるじゃないか」




