第21話 意思と決断(後編)
「やあ、おはよう。今日は一段と冷え込むね」
時刻は八時、ドアを開けると筒治の姿があった。急ぎの要件で早めに来たのだが、まさか既に人がいるとは思わなかった。生徒会室にはサイズの合わない小さなストーブが焚かれている。
「はい、これ」
渡されたのは下の自動販売機で売っている缶ココア。受け取ると、手袋の上でじんわりと熱が広がる。
「自販機で買ってもこんな熱くないのに」
「ああ。それはね」
ストーブの上に置いてある盥には、軽く湯気が立っている。彼が言うには、一番最初に来た生徒会員に飲み物を渡すという生徒会長独自の恒例があるらしい。この時期には缶飲料をこうして熱々にして待っているそうだ。
悴んだ手でそのまま受け取っていたら、軽く火傷するくらいには熱々にするとにこやかに言っていた。そんなサディストな一面を持つ筒治のデスクには、高々と積まれた書類の山が形成されている。
「もう学校に来ることも無いからね。なるべく皆に負担を掛けたくないからさ」
来春を迎えれば、会長の座は鷹原が就任することになる。他の生徒会役員においても例外なく、引継ぎか継続という形式で年明けの生徒総会で新メンバーの紹介を行うのだ。俺の現状はそのいずれにも当てはまらない食み出し者。
これだけの責務を全うして、重圧を受けながら自身の役割を完遂した筒治という男には、一体どれだけの胆力があったのだろうか。整った横顔、その穏やかな表情には哀愁が見え隠れする。今、俺はどんな顔をしているのだろう。開拓を恐れ、真っ直ぐに敷かれた白線の前で、足踏みをしている凡人は。
「…俺が生徒会でやっていけるのかが不安です。結局、流れついた場所で断ることも出来ずに何となく続けているだけです。鷹原副会長のように気概あるわけでもなく、三宅先輩のように頼れるような人間でもありません」
筒治は静かに、一言一言に耳を傾ける。
「言い訳と御託ばかりでここまで来た俺に、その責任を背負う自信なんてありません」
他人からしたら、大袈裟もいいところだ。こんな小さいことで悩むなんて、理解できないだろう。自己完結の範囲内、身勝手な苦悩を彼に向けて愚痴るように言葉を吐いた。本音には今まで逃げてきた理由が、多分にある。
鼻で笑われるだろう。中学の時もそうだ。身の内を明かした瞬間、神経質だと 、気にしすぎていると、軽くあしらわれた。我を通せるほど俺は強くない。
だから、やめた。意思なんて持っていても仕方がない。それに、こんなことを気にして行動も出来ない自分が恥ずかしいから、誰にも言わなかった。
「それ、すごくわかるなあ」
「え…」
一蹴される覚悟だったのに、意外な反応にあっけを取られた。先程の表情にはない、ふやけたような微笑みで共感する筒治。こちらを見つめてゆっくりと話し出す。
「僕もね、あまり自分の意見を言うのは苦手なんだ。反対されたらどうしようとか、的外れな事言ったらどうしようとか。今僕が生徒会長をやっているのも、会員の強い後押しがあってのことだ。最初は自分が向いてるはずないって思ってたよ」
笑いながら、続ける。
「だからこそ、僕は皆を頼った。特別な事なんか何もしていない。出来ないなら、出来る人に助けてもらえばいいんだ。組織というのは周りの信頼と、己の行動で回っている。卒業間近になった今でも、僕は色んな人に頼りっきりさ。神田君だって、そうやって頑張ってきたんだろう?」
「会長の言う通り、本当に助かっているよ」
「すまないな。聞き耳を立てるつもりはなかったんだが」
振り返ると、いつからいたのか。三宅と鷹原が入室する。聞いていたのだとすれば、あの恥ずかしい自分語りも耳に入っているに違いない。身体全体が一気に熱くなり真っ直ぐ顔を見ることが出来ない。その様子を見ていた三宅は、一歩近づく。
「神田が生徒会に仮入会した時、仕事が丁寧な奴だと思った。デイキャンプでは皆が満足できる提案をしてくれた。文化祭では、学年間のトラブル解決や当日の役割に従事してくれた。そして今、来年の総会に向けた準備を期間内に終わらせるために、自分の意志で朝早く学校へ来ている。お前がしたことは、はたして意志のない行動だっただろうか」
「答えはノーだ。君が君自身で考え、行動した結果だ。それで中途半端などと、過小評価しすぎだな。現に私たちは、君のおかげで助かっている」
反論する間もなく鷹原が言い放つ。自虐的な発言すら許さないように。
「だが、今後お前が生徒会を続けようが辞めようが俺は止めない。それはお前が選択した結果だからだ。俺は神田の意見を尊重する」
「冷たいねえ。素直にいて欲しいと言えばいいのに」
彼らのフランクなやり取りは、筒治の言葉を体現している。お互いの淀みない信頼と真っ向から向き合う姿勢。その遠慮の無さが今の自分に足りないところだと、気づかされる。
喉に言葉が詰まり、苦しい。あと一歩を踏み出すには、まだ自分を奮い立たせ切れていない。自分の悪癖と化したこの現状維持は、こんなにも重く圧し掛かってくる。これだけの後押しがあるというのに。
「神田君、やらないというのも一つの答えだ。選択肢は皆平等に与えられる。自分が選ぶことこそが、行動するという唯一無二の価値なんだよ」
「まあ、どうしてもと言うなら引き留めることもしない。全てはお前次第だ、神田」
数秒の沈黙が、長く長く感じた。ストーブの火の粉が弾ける音だけが、部屋に残る。自分を誤魔化すことはもうやめる。今まで積み重ねてきた歩みを、ここで止めたくない。
ひときわ大きく弾けた音が、自分の覚悟の鼓動を鳴らした。
「俺は、生徒会を続けたいです」
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今年の冬休みは、妙に落ち着かなかった。2週間という時間はあっという間に過ぎ去っていく。今だって分不相応だと思うし、自分には荷が重いという根底は変わらないだろう。
「それでは、生徒総会、就任式を行います。前生徒会長、筒治理」
この場に及んでも、まだ頭の中は自問自答でごちゃごちゃだ。視線の集中するこの壇上で、神田幸太郎は生徒会の正式なメンバーとして、自らの意志とその足で立っている。
筒治が就任の言葉を終え、新生徒会が一名ずつ名前と学年、役職を点呼する。辰巳や里奈の顔が見える。名前を呼ばれたとき、心なしか二人はこの成長を見るようにやさしく笑っていた。
「一年、神田幸太郎。生徒会副会長に就任を命ずる」
一歩、踏み出す。俺が選択したことを後悔しないように。




