第13話 長期休暇と金無し小僧(後編)
どうも皆さんこんにちは、アルバイター幸太郎です。ご存じの通り、今私はアルバイトをしています。そう、鷹原と同じ喫茶店で。
「誰に向かって何を言っているんだい?」
「なんでもありません」
八月も中旬、夏のピークを迎えた今。メモとペンで手を塞いで、彼女から指導を受けている。あの図書室での一件、もはや偶然とは思えない。生徒会に勧誘を受けた時も全く同じ手口で、今回もまんまと餌に釣られてしまったのだ。そう考えると自身の行動はいつも受動的で、あまり変わっていないんだなと実感する。
なんだかんだ、気付けば他人の口車に乗せられてばかり。喫茶店のシフトは週2回、午後から夕方閉店までの時間でせっせと働いている。生徒会の集まりに合わせて組んでいるため、自動的に鷹原とは一緒になるのだ。
「君は面倒という割に、結構イエスマンなんだな」
「毎回断れないような魅力的な誘い方をしているのはあなたですよ」
「おや、嬉しいことを言ってくれる」
どちらも彼女から提案を受けるという、なんとも情けない話である。続ける理由があるとすれば、基本常連さんと周辺高校の学生が殆どなので見慣れた顔が多いことと、店長が菩薩のような人だからだろう。
そこまで日数は働いていないとはいえ、数週間も経てばある程度仕事は慣れてくるものだ。基本的には店長と一緒にカウンターで作業をしている。珈琲と紅茶に関しては一番最初に教え込まれ、二人に比べれば劣るが、なんとか形になってきた。
「笹嶺さん、エチオピアのブレンドってどこにありますか?」
空っぽの紙袋からはしっかりと残り香がある。珈琲豆は時間経過により、酸化が進んで香りや風味が失われてしまうもの。要するに、それだけ保存状態に気を使っているということだ。
「それだったらここに…あれ?もう残ってないね。裏からストック持ってくるよ」
店長の名前は笹嶺智隆。喫茶サミネを経営しており、店内に飾られている数々の風景画は店長の妻である笹嶺佳苗が撮ったものだそうだ。奥さんは写真家で、普段は各国を飛び回って活躍しているという。
「かんちゃん、お会計お願いね」
「あ、はい!いつもありがとうございます!」
かんちゃんという愛称はバイト初日で常連さんから付けられたものだ。苗字の頭文字にちゃんをつけて呼ばれるのがこの店の鉄板らしく、店長でさえも「ささちゃん」と呼ばれているのをよく聞く。
普段から覇気のない俺は、数段テンションのギアを上げて対応するのが丁度いいと店長に言われた。様子を見に来た辰巳と里奈には可笑しかったようで、右手で口を隠し、左手で腹を抱えながら小刻みに肩を震わせていた。声を出さずにいたのは、彼らなりのマナーだったんだろうけど。
会計を済ませると、入れ替わりで初顔のお客さんが入店してきた。席に案内し、メニューを渡そうとすると鼻を鳴らしながらぶっきらぼうに受け取る。
「俺さ、飲食の界隈で有名なんだけどさ。珈琲にはうるさいんだよね」
聞いてもいないことをベラベラとしゃべり始める。所謂、面倒くさい客というやつなのだろう。カウンターへと戻ると笹嶺の顔が少し歪んでいる。どうやら、この辺りで周知されている厄介客らしい。
小太りでイエローカラーのサングラス、色褪せたジーンズにヴィンテージ調のリネンシャツを着ている。彼の一張羅なのか、この姿でよく目撃されるようだ。何かとうんちくやケチをつけては、商品をタダ食いにしようとしたり、女性店員にはセクハラ紛いなことや連絡先を迫るような行為も報告されているとのこと。
「ちょっと、さっきの店員。呼ばれたの分かんないかな?客の一挙手一投足で注文取りに来れないとかあり得ないんだけど」
先程からこちらをチラチラ見ていたのはそういうことか。視線があったなら注文の合図だろうと、言いたげな客は人差し指でコツコツと机を叩く。
「すみません。ご注文をお伺いします」
「いやすみませんじゃなくてさぁ、もっとこう誠意とかないの?大体、ロクな知識もないのに何で働いてるわけ?年は?」
「十六です」
年を聞くやいなや、鼻を子豚のように得意げにならしては定型文のような煽り文句を吐き続ける。
「はぁ…?高校生がアルバイトで働いてるなんて、個人経営が聞いて呆れるよ!いいかい、珈琲ってのは香りが命なんだ。取り扱いもわからないただの子供がごっこ遊びで働くような場所じゃないんだよ。わかる?わかんないよね」
よくもまあ丁寧に返すものだと、一種の感心さえ沸いてしまうほどだ。正直な話、見下されたり文句を言われること自体には大したダメージではない。もっと鋭くぶっ刺してくる奴が身内にいるので、特に気にしていない。
ただ、店全体の雰囲気が悪くなるし、なにより他のお客さんの迷惑になってしまう。あまり刺激しないようにつつがなく対応していたのだが、逆に相手のボルテージを上げる結果になってしまった。
「謝るならだれでも出来るんだよね。さっきも言ったじゃん、誠意を見せなさいよ。例えば珈琲を一杯サービスするとかさ」
「申し訳ございません。私個人では出来かねます」
「だ・か・らさぁ!」
次第に声が大きくなる。そばにいた鷹原が声を掛けてくれたが、それが新たな火種を生んでしまったことには言うまでもないだろう。その男は噂通り、顔色を変えて鷹原の連絡先を必死に迫ってきた。困り果てた彼女の様子を見て、流石に限界だった笹嶺がフォローに入ろうとする。その時、入店のベルが鳴った。
「やあ、幸太郎。様子を見に来たよ」
「あれ、父さん?なんでここに」
「そりゃ、息子が頑張っている姿を一目見ようと思ってね。ちなみに里奈のほうには母さんが顔を出しているよ」
笹嶺さんに様子を見に行くことを事前に連絡していたらしく、カウンターから父親に会釈をする。お客さんに対応している姿を丁度見られてしまっていたのか。肉親から働く姿を見られるのは中々恥ずかしい。まあ、只今クレーマーに詰められている姿を晒しているわけだが。
「なんだ、親に見てもらわないと働けないのか。どんな親なんだろう…な?」
その男が父親の顔を覗くと、瞬時に血相が変わる。口をパクパクさせて、怯えている様子だった。先程までの刺々しい態度はぐるりと手のひらを返し、作り笑顔でゴマをすり始める。
「神田さんのご子息でしたか、いやはやこの年で労働に従事するというのは立派なものですな。ははは!」
その発言に、父親は顔色一つ変えない。俺が対応していたところが外から見ていたようで、暫くは様子を伺っていたらしい。だが、店の外にまで声が響き始めたため、店内に入ってきたようだ。
「取り繕わないでも結構ですよ。お声が外まで漏れていらっしゃったので」
普段の父親はそこになく、発した声には圧がある。二人のやり取りを聞いていると、互いの関係性が見えてきた。地元ではかなり規模の大きいメーカーで父親が働いており、その取引先の営業担当がこの男だった。
「仕事に私用を持ち込むような真似はしたくない。ですが、今ここで起きたことに関してはしっかり上に報告させて貰います」
「そこを何とかお願いします!今ここで取引の機会を失ったら、私は…!」
父は、冷たく突き返す。
「仕事をする人は、身の振り方に気を付けたほうがいいですよ」
鋭い眼光に完全に腰が引けたのか、這いずるように店から出ていった。その姿を最後まで確認すると父親はこちらへ振り替える。その顔はいつもの優しい父親に戻っており、先ほど出ていった男の席に座り「珈琲を一つ、お願いするよ」と注文をする。
仕事モードは一瞬しか見ることは出来なかったけど、その凛とした姿は家にいる時とのギャップも相まって単純に格好いいと思ってしまった。あの一連のやり取りで、店の雰囲気が徐々に戻っていく。
「いいお父さんだね」
鷹原も横で頷いている。俺を見ては「君の将来も楽しみだな」と小声で言われた。何かを期待されても困るのだが。
笹嶺から、カウンター越しにアイス珈琲を渡された。持っていくと、朗らかな優しい顔で受け取り、一口。フルーティーでさっぱりとした酸味と香りが広がり、外の暑さを飛ばしてしまうような一杯。
父親が美味しそうに飲む姿を見て、自然と言葉は出ていた。
「ごゆっくりお過ごしください」




