第3話 インターバル
ジャッカル討伐を終えたラウルたちは、サイバーテック社から基地へ引き上げた。
ソフィアは、前を歩くラウルの背中に、拭いきれない薄気味悪さを覚えていた。
出発のときも、帰り道も、彼は口を開かない。略奪を働く無法者に出くわしても、眉ひとつ動かさずに片づけ、また黙って歩き出す。そのくせ基地に着いた途端、何事もなかったような顔で、ぶつぶつと独り言を漏らし始める。
そして不意に我に返ったように「あー、到着か」と声を上げ、ソフィアの顔を見て、ほっと息をつくのだ。
ニックたちは「疲れていたんだろう。緊張もしていたはずだ」と言っていた。けれど、昔の彼を知っているソフィアには、どうしても別人にしか見えなかった。
◇
――翌日
目を覚ますなり、俺は腕時計とPVSの記録を何度も見返した。ファストトラベルの最中に、何か起きていなかったかを確かめるためだ。
「ふう……」
『メビウス』では、移動中に野良の敵と遭遇する。装備や経験値が手に入るなら、今後はファストトラベルを使わないほうがいいかもしれない。
医務室のベッドに仰向けになり、見慣れない天井を見つめて考え込んでいると、柔らかな声が降ってきた。
「ラウルくん、調子はどうですか?」
医療スタッフのリナだ。
ゲームには登場しないキャラだが、正直に言って、ものすごく好みのタイプだった。黒髪のボブカットに、目のやり場に困るほどの巨乳。そのうえ、人との接し方がとても丁寧だ。
「ああ、リナ……痛みはかなり引いたよ」
「よかったぁ……。何か食べるものを持ってくるわね」
“よかったぁ”って、なんだ。俺を口説いてどうする気だ。
早まる鼓動をごまかすように、俺はPVSの画面を開いた。シェイド戦のあと、応急処置や事後処理に追われて、ドロップ品の確認を忘れていたのだ。
◆Lv.7 → Lv.12 にUP
・フィジカルステータス向上
・オーキスシリーズ装備を取得
・SAR セミオート“ゲイズ・ヘル”をドロップ
・フィジカルスキル“フライングショット”を習得
ネームドの防具と武器か。このライフルは、俺がゲームでよく使っていたものに似ている。特別に優秀というわけじゃない。ただ、発砲音が他のどの武器より好きだった。
それにしても。
周囲を見渡すと、基地の中が見違えるほど綺麗になっていた。ストーリーを進めるほど設備が充実していくゲームではあった。けれど、誰ひとり、その変化に顔色を変えない。やっぱり、みんなNPCなのだろうか。せめてリナだけは、本物の人間であってほしい。
「食料が届いていたわ。ここに置いておくわね」
リナが運んできたのは、食事とは名ばかりのレーションだった。味気ない。
異世界といえば、料理の味も楽しみのひとつのはずだ。だが、この世界はゲームと同じディストピア。たいしたものは出ない。食えるだけまし、という世界観でもあるのだが、せめて選択肢が出て、「あーんしてほしい」を選べればいいのに。
「何かあったら呼んでね。他の患者さんを診てこないと……」
「うん、そうか」
動揺を悟られないように、できるだけ平坦な声で答える。残念だ。でも、仕方ない。
「あ、あの、ラウル隊員……」
立ち去りかけたリナが、振り返った。
「ありがとう。おかげで、たくさんの避難民を受け入れられるようになったの。……本当に、感謝してる」
胸の奥が、きゅっと跳ねた。女の子から、こんなふうに純粋に礼を言われたのは、いつ振りだろう。
「いや、当然のことさ」
返事は、キリッと。リアルでこんな台詞を言っても、きっと通用しなかった。そういう“どうでもいい人間の反応”の記憶は、なぜか残っている。一方で、元の世界での俺自身のプロフィールや、どんな暮らしをしていたのかは、きれいさっぱり抜け落ちたままだ。
「あなた、ああいう娘がタイプだったの?」
声のほうを向くと、隣のベッドでソフィアが身体を起こしていた。
「ソ、ソフィアさんも負傷したんですか?」
「あのグレネードで吹っ飛ばされたとき、頭を打っただけ。オルセンもリナも、大袈裟なのよ」
頭に包帯は巻いているが、見たところ、異常はなさそうだ。ただ、昨日目覚めたときに比べて、ソフィアの俺への当たりが強い気がする。
「軽傷ならよかった。でも、休めるときに休んでおいたほうがいいよ」
視界の隅のライフゲージを見ると、俺もソフィアも二割ほど削れたままで、ゆっくりと回復している途中だった。ゲームならセーフエリアに戻った時点で全快する。このあたりは、妙にリアルだ。
◇
その日の午後、ミッションを共にしたメンバーが、連れ立って医務室に顔を出した。
「お、二人とも平気そうだな」
狙撃手のマイク。それに、退路の確保にあたっていたニックとジェシカだ。
「俺とジェシカは、敵と遭遇しなかったからな。増援に向かえればよかったんだが」
ニックは肩までかかる金髪に、くっきりとした目鼻立ちのイケメンだ。これでサイボーグで日本刀でも振り回していたら、昔の戦闘機の名前をコードネームにしようと、オルセンに直訴したいところだ。
「ニック、あたしたちだって、出入口に敵が現れたときに備えてたのよ。結果的に現れなかっただけで、撃ったかどうかは関係ないじゃない」
そう言ってなだめるジェシカは、褐色の肌にブルネットのセミロングだ。マイクとはミッション前に話したが、ニックとジェシカとは、あまり面識がない。
彼らの大まかな経歴は、ミッション前にPVSで確認してある。ただし、閲覧できるのは作戦上関わりのある人物だけらしい。オルセンによれば、メビウスが全部で何人いるのかも、安全管理のために誰にも知らされていないそうだ。
「ラウル、ソフィア。お前たちは今日のところは休めってさ。俺たちはこれから、サイバーテック社の後始末だ」
「ええ。避難してきた市民が住めるように、死体の処理と、物資の運搬と、護衛ね」
ニックとジェシカが、息の合った調子で説明してくれる。さすがコンビだ。
一方のマイクは、
「俺だって活躍したのに」
だの、
「スナイパー・マイクと呼んでくれ」
だの、口数の減らないお調子者だ。
「昨日は、二人の活躍でこの基地を取り戻せたんだ。今日は俺たちに任せて、ゆっくりしてくれ」
ニックは、イケメンの上に性格までいい。誰かPVSに追記しておいてくれ。
三人が去ったあと、背中に、じっとりとした視線を感じた。振り向くと、ソフィアがこちらを睨んでいる。
「ソ、ソフィア……なにか?」
「屋上での最後の突撃のことよ。あれは何なの?」
「最後の攻撃のことか?」
「弾はまだあったし、マイクの援護もあった。持久戦を続けていれば、その脚を負傷することだってなかった――」
途中から、ソフィアの小言は耳に入っていなかった。自分でも分からないのだ。なぜ、あんな強行突撃を仕掛けたのか。
整理しておこう。ゲームと共通のスキルは、こうだ。
・障害物を駆け上がりながら撃つ〈スラッシャー〉
・横に回転して被弾を避けながら撃つ〈ローリングショット〉
どちらも『メビウス』にあったスキルだ。だが、一直線に突撃するスキルはなかった。PVSに表示された〈フライングショット〉が、あの突撃後の銃撃だったのだろう。
ミッションが始まると、この世界のことも、自分が本当は誰だったのかという疑問も、頭から薄れていく。意識が、任務の達成だけに絞り込まれるのだ。ゲームとの違い、安全マージン、何が有効か。そんなことばかりを考えている。死ぬ可能性がある以上、それも間違いではない。だが、最終的にボスへ突っ込んでいくのでは本末転倒だ。現に、足を負傷してベッドの上にいる。
「すまなかった、ソフィア。冷静じゃいられなくなったんだ。……自分でも、よく覚えていない」
「そう。……ごめんなさい。私も、少し言い過ぎたわ」
ソフィアが、視線を斜め下に落とす。その横顔に、愁いが滲んでいた。
――トクン。
美しい、と思った。
朝、目が覚めてから今まで、ソフィアやジェシカ、リナ――いや、リナは別格として――会う女性は誰もが美人かかわいい系なのに、不思議と、胸は少しも動かなかった。それどころか、一度は囮役のNPCのように扱っていたはずのソフィアが、今は、なぜ俺を叱っているのか、その優しさまで分かる。
「それと、あの突撃のときの……あなたの目。PVSがね……」
「え?」
彼女の横顔に見とれて、話に追いつけていなかった。ご褒美……じゃなくて、怒られているんだったな。
「金色になっていたの。……このことは、オルセンにも報告していないわ」
「金色……?」
PVSを装着して戦闘状態に入ると、メビウス隊員の瞳は全員、黒に近い色の中に、青白いVの線が浮かぶ。俺の知るゲームの中では、それは単なる仕様で、ビジュアル面の演出以外の意味は知らない。大ボス前のムービーでも青白い眼が出るものだから、アバターの瞳の色を設定した意味がないじゃないかと、プレイしながら思っていたのを覚えている。
「ここに運ばれてきたとき、リナがチェックしたけど、異常はなかったみたい。でも、PVSの色が変わるなんて、聞いたことがないわ」
「……そうか」
「まあ、あの状況だもの。私の見間違いかもしれないわね。その前にグレネードを食らって、頭も打っていたし」
PVSは万能じゃない。あくまで、主人公であるプレイヤーの優位性に説得力を持たせるための設定だった。怒りや憎しみで能力が上がるわけでも、敵の動きが先読みできるわけでも、見つめるだけで黒い炎が出るわけでもない。
「もう日も暮れているし、私はこのまま寝るわ。レールカーテンを閉めるから、変なことは考えないでね。入ってきたら、リナに、あることないこと言いつけるわよ」
「い、いや、それだけは!」
「ふふ、冗談よ。……――」
最後に何か呟いた気がしたが、聞き取れなかった。まあ、いいか。
「おやすみ」
そう言ったものの、寝付けない。
振り返ってカーテンを開ければ、そこにはスタイル抜群の金髪のお姉さんがいる。是非、初体験を卒業させていただきたい。今ならそう思えるソフィアが。そして、ここは『メビウス』によく似た世界だ。
ゲームのストーリーを思い出そうとすると、頭の奥で、金属を擦り合わせるような耳鳴りが走り、白いフラッシュが弾ける。記憶は戻らない。ただ光るだけの、裏づけのないフラッシュ。ミッションが始まると、意識が敵を倒すことだけに切り替わるスイッチ。そして、金色の眼。
そこまで考えて、ふと気づいた。本当の自分の一部が、わかったのだ。
俺は……童貞なのか……。
◇
ラウルは、本来の記憶と呼んでいるものを、ほんの少しだけ思い出し、そのまま眠りに落ちた。
どれだけ訓練を積んだ記憶と肉体を持っていても、実戦の緊張が残ったままでは、疲れは抜けにくい。少しだけ親しくなれたソフィアの言葉で、肩の力が抜けたのだろう。
ソフィアは、カーテン越しに聞こえる寝息を背に、窓の外の遠くを見つめていた。
「もう、私の知っている彼ではないのね……」
◇
――翌日・セントラル基地
体力が戻ると、俺たちは、敵がうろつくスポットを掃討し、ジャッカルの連中に奴隷のようにこき使われていた市民を救い出して回った。それでも、レベルやドロップの成果は、たいしたものではなかった。
ただ、ひとつだけ分かったことがある。共に行動した仲間が倒した敵の経験値は、俺にだけ流れ込んでくる。そして、そのレベル表示を、ソフィアたちが見ている様子は、やはり一度もなかった。
「メビウス隊員、ありがとう」
「あなたたち、他には何人いるの? みんな、感謝してるわ」
避難している市民から、礼を言われるようになった。嬉しいことではある。だが、ラウルにとっては、ゲームでも同じだった。拠点奪還ミッションをクリアすれば、NPCが感謝の言葉を口にしてくれる。
――慣れているんだよな、その言葉は。
そう言いたげな表情になりかけたのを、ぐっと堪えて、笑みを浮かべる。
「サイバーテック社は、無事に市民の居住区になったみたいね」
ソフィアが、市民に手を振りながら話しかけてきた。
「ああ。屋上に菜園まで作るそうだ。この基地から近いから、俺たちも護衛はできる。でも、敵はまた、あそこを奪いに来るんじゃないか?」
ゲームでも、この手のサイドミッションはよくあった。
「聞いてないの? あの戦闘のあと、避難民の中から元警官や退役軍人が名乗り出て、市民兵を作るって話」
「知って……聞いたよ。でも、ろくな装備もないだろう?」
ゲームの市民兵は、Tシャツにスラックス姿でハンドガンを撃つだけだった。防具を身につけてマシンガンを抱えた無法者に、何度も撃ち殺されていた。
「私たちが倒した敵の防具や武器を、提供するそうよ。弾薬なら、ここで作れるし。少しずつ防衛力を高めて、セーフエリアにしていくみたい」
なるほど。ドロップした装備を再確認しようとしたとき、アイテム欄が空だったのは、そういうことか。治療を終えてから地下の武器庫を覗くと、見覚えのある銃器と防具が補充されていた。俺が不要と選んだ防具や武器は、自動的に保管庫へ移される仕組みらしい。
「そろそろ上に行くわよ。オルセンからブリーフィングがあるの。聞いてるでしょ?」
「ああ。次のミッションか?」
「さあね。でも、最近はイーストサイドばかり見回っていたから、何かあるなら分かるはずよ」
最初のミッションではファストトラベルが使えたが、この世界は、ゲームとは少し違うらしい。地形も建物も、地図の表記も違う。巡回しながら、自分の目でも確かめていた。
ブリーフィングルームに入ると、マイク、ニック、ジェシカの他に、数人の隊員が集まっていた。中央の大型ディスプレイを睨みながら、オルセンが待っている。
正直、オルセンというキャラは好きじゃない。ゲームでは、無線で指示を飛ばしてくるだけで、戦闘には一切参加しない指揮官だった。話し方は温和だが、いざ戦闘になれば、絶対に役に立たないと思いながらプレイしていた。
それよりも、俺は、なぜかこの場にいる愛しのリナを、ちらちらと盗み見ていた。
「集まったな。先日はご苦労だった。我々も、少しずつだが体制が整いつつある。ここにいない隊員も、通信でこの話を聞いている」
イヤホンからも、オルセンの声が流れ込んでくる。目の前にいるのに、おっさんの声が二か所から聞こえるのは、なんだか嫌だ。無線を切っておこう。
「まずは、この司令部だ。皆に紹介しておく。各セクションのチーフだ。偵察ドローン操作班のジェーン、装備配給班のハリー、そしてメディック班のリナだ」
名前を呼ばれたリナが、こちらに向かって、小さく手を振った。
トゥンク。また、トゥンクが来た。
「サイバーテック社のあるイーストサイドは、先の基地奪還後に伝えた通り、ジャッカルという組織が支配している。まずは、ここを攻撃する」
「連中を残らず殲滅するってことか?」
いつも落ち着きのないマイクが、身を乗り出して尋ねる。
「ああ。この基地を起点にして、避難民が安全に暮らせるエリアを、少しずつ広げていく」
「だが、そう簡単にいくのか? ジャッカルだけじゃない。“ワイルドファイア”という組織もいる。そのうえ、この基地だって、四方からいつ攻撃を受けてもおかしくない」
真面目なイケメン、ニックが口を開く。
『メビウス』との相違点はあるが、大まかな流れは知っている。本当は、ずっとリナを見ていたい。だが、ソフィアの視線も感じるので、スキンヘッドのおっさんの顔を見ていることにした。
「幸い、本土決戦のあとに散らばっていたメビウスの隊員が、こちらへ合流しつつある。当面、この基地の防衛については問題ない。ワイルドファイアの拠点は、まだはっきりしていないが、君たちが持ち帰ってくれた情報の中に、ジャッカルの幹部の情報があった」
オルセンが操作すると、机上のディスプレイに、数人の顔写真が浮かび上がった。
「奴らの幹部は、不名誉除隊になった元軍人や、特殊部隊にいた者たちだ」
「その連中が、下っ端に銃器の使い方を教えていたのね」
生真面目コンビのもう一人、ジェシカが、納得したように言う。
「ああ。現状では、今ある情報をもとに動くしかない。ジャッカルは小規模な荒くれ者の集団だが、だからこそ、何をしでかすか分からない」
「オルセン、ここまで詳しく話すってことは、ジャッカルの本拠地は分かったのか?」
「イーストサイドの北東にある、科学技術センターだ。ジェーンがこれから、偵察ドローンで情報を集める。準備が整い次第、潜入と殲滅を目的とした作戦を開始する。備えておいてくれ」
科学技術センター……。
PVSで場所は確認できる。だが、俺の知らない場所だった。名前からして、嫌な予感がする。
「それから、ハリーたち装備配給班が、物資を調達してくれた。装備のカスタマイズの幅が増えたから、各自、自分に合った装備を整えておいてくれ」
武器MODか。それは楽しみだ。ブリーフィングが終わると、俺はさっそく、ハリーから支給されたパーツを確かめに向かった。
相変わらず、俺の場合は、PVSに選択項目とMODによる数値の変化が表示される。アイテムボックスの前で、セミオートライフル“ゲイズ・ヘル”に合うMODを選ぶと、スコープとバレル、拡張マガジンが追加されたのが分かった。
“拡張マガジンの入手により、保有弾数の上限がUPしました”
またか。この“俺にしか見えない”表示は、作戦後のPVS記録を他のデバイスで再生しても、映らなかった。この表示はPVSによるものではなく、別の何かなのだろうか。
「そのライフル、使うのか?」
声をかけてきたのは、イケメンのニックだった。マイクもニックも、話してみるといい奴だ。たとえば、ゲームにはないプライベートな時間。トイレやシャワーの場所が分からずにオロオロしていると、「一緒に行こうぜ」と案内してくれる。
ニックは、地下の射撃場で訓練しようと誘ってきた。設定上は新兵だが、聞けば、正規軍に配属されていた経験があるらしい。何度も敵の奇襲に遭ったせいで、準備は入念にする癖がついたそうだ。
「ああ。なんだか、手に馴染むんだよ」
「PVSの記録を見たが、ラウルのクイックショットは圧巻だったな。どこで覚えた?」
ニックが言っているのは、戦闘中に、俺が視線で銃を選んで切り替えていたことか。どうやら、皆の目には、単に持ち替えているように見えていたらしい。
「ああ、あれか。なりふり構わず持ち替えていただけなんだけど。上手く見えたなら、よかったよ」
辻褄を合わせておく。銃が変化した、なんて言ったら、頭がおかしくなったと思われて、医療室送りだ。そこでリナに変な奴だと思われたら、この先、どうやって生きていけばいい。
「あんなに敵の武器を奪っても、体の動きは重くならないのか?」
「敵の数が多かったからな。念には念を入れたんだ。でも、今後はどうかな。結構、反省してるよ」
ニックに答えながら、頭の中で振り返る。ドロップのあとのダッシュは遅くなっていたし、身体の動きも、確かに重くなっていた。装備を変化させられるといっても、背中にマウントできるメインウェポンを入れ替えられるだけだ。何でもかんでも回収すれば、重さで動けなくなってしまう。
最初のミッションでは、
“敵がどこにいるか”
“増援が来るか”
“どんな反応をしてくるか”
ばかりに頭がいって、そこまで考えが及ばなかった。実戦が始まってから、レベル表示や仕様の違いに気づいたのは、リスクでもあったわけだ。
「なあ、ラウル。メビウスに配属されたのは、ソフィアやマイクと一緒だったよな。結成時の顔合わせも、一緒だったんだろう?」
「そうだけど?」
そう言われた途端、また、都合よく結成時の記憶が流れ込んできた。これは偽物だ。俺の記憶じゃない。それは分かっているが、こういう会話のときには、助かる。
「そうか。どうやら、メビウスっていうのは、それぞれ別の時期、別の場所で集められたらしいな。俺の知っている隊員は、ジェシカ以外、ここにはいない」
ジェシカさんとは旧知の仲、ということか。イケメンと美女。連携が、どのバディよりも噛み合っているわけだ。
「そうなのか?」
キャラクターの経歴設定も、ゲームと同じだ。部隊メビウスの候補生は、国の危機に備えて、各地で、軍人か一般人かを問わず、素質のある者がスカウトされ、訓練を重ねてきた。普段は一般人として暮らしながら、定期的に訓練をこなす。スパイのようだが、正規でありながら非正規の部隊なのだから、仕方がない。国家の危機が起こらない限り、メビウスという存在は、世界には存在しない。
確か、そんな設定だった。細部は違っていても、ニュアンスはそんなところだっただろう。
「ああ。実際に顔を合わせたのは、この基地の奪還戦で、それぞれが集まったときだった」
「そうだよな。でも、なんでそんな話を?」
まさか、性格や話し方が違う、お前は誰だ、とでも言われるのだろうか。そうなったところで、俺自身、何も知らないのだが。
「実は、俺は正規軍に半年ほど所属していた。そこに一人、雰囲気の違う奴がいたんだ。戦場を知っているような顔つきだった。だが、話すとおどけていて、ちゃんと理解しているのか、はっきりしない感じでな。今思うと、ラウル、お前によく似ていたよ」
「え?」
ニックは、少し笑みを浮かべて、懐かしそうに続けた。
「彼は戦場も経験していたようだった。腕は、俺よりも確実に上だ。ただ、動きがな……まるで、俺の動きを事前に知っているみたいだった。間違いなく、経験値が違った」
ニックの話は、俺にとって、重大な意味を持っていた。もし、その人物が、俺のように『メビウス』に似た世界へ迷い込んだプレイヤーだったとしたら。理屈も科学も分からないが、もはや、この状況自体がSFじゃないか。『メビウス』に、そんな入隊時のエピソードはなかった。
俺とは違う、別の日本から来たプレイヤーなのかもしれない。そんなアニメは、俺も見たことがある。
「その人の名前は?」
「確か、コードネームはジェイコブ。腕が上なのは当然かもな。明らかに、俺よりずっと年上の顔だった」
「え、そういえば、ニックっていくつなんだ?」
「記録にあるだろう? 二十八だ」
「そ、そうか……」
なんて若々しい、美形の二十八歳だろう。心の中で、ニックパイセンと呼ばせてもらおう。彼は自分の作業を終えると、巡回のシフト交代へ向かっていった。
武器のカスタマイズは楽しい。組み合わせで変わるステータス。敵との相性や優位性を想像するだけで、胸が高鳴る。
でも。
俺、人を撃ち殺したんだよな。
死体は、消えなかった。任意で始められたミッションの、リプレイもできない。ここは現実で、やり直しはきかない。
「人を撃つ権利があるのは、撃たれる覚悟のある奴だけ、か……」
いつ、どこで聞いたのかも思い出せないが、何かのアニメで耳にした言葉が、頭をよぎった。アニヲタだったのかな、俺って。
「ねえ、ちょっといい?」
背後から声をかけられた。ソフィアが、「ちょっとトイレに来いよ」とでも言いたげな目つきで立っている。
彼女は美人で、スタイルもいい。一般人に聞けば、俺がトゥンクしているリナよりも、彼女を選ぶ人のほうが多いだろう。少なくとも、外見は。
俺から見ても、美人には違いない。ただ、彼女はよく俺を睨むし、その目つきが、おそろしく怖い。かといって、手下に「顔はやめてボディにしな」と言うタイプではないだろう。体育館裏に呼び出して、自らボディブローを叩き込むタイプだ。そして、そのボディブローは、絶対に痛い。特に、中年の俺には――
その瞬間、また、あの金属を擦り合わせるような耳鳴りが、頭の中に鳴り響いた。反射的に、頭を押さえる。痛みはない。ただ、うざったい。
「ちょっと、どうしたの? まだ何もしてないのに!?」
え、“まだ”って言いました? 姐さん。
「カスタマイズに夢中になっちゃって。ごめん。で、何の話?」
「こっちに来て」
ああ、やっぱり、トイレじゃなくて体育館裏のほうか。何の呼び出しなんだろう。
◇
――十分後
「ハァ、ハァ……ソフィア、激しすぎるよ」
「ハァ、ハァ……まだよ。もっと! もっと強く!」
「ハァ……すごいよ、ソフィア。まだ続けられるなんて……」
「何言ってるの。ここからでしょ!」
両手に構えたミットの芯を、ソフィアのハイキックが撃ち抜いた。腕の骨まで響く衝撃に、思わず息が止まる。
体育館裏で手下に「やっちまいな」と言われるわけでも、小銭をせびられるわけでも、ましてや二人でムフフなことをするわけでもない。連れてこられたのは、近接格闘戦のトレーニングだった。
「さあ、次はあなたの番。左右のジャブから」
ソフィアが、両手にミットを構える。
「い、いいの?」
「生ぬるいパンチなんて打ったら、容赦なくカウンターを叩き込むわよ」
正直、気は進まない。だが、ええい、ままよ。
左、右。乾いた音を立てて、拳がミットに沈んだ。お、いいパンチが打て――
次の瞬間、左脚の外側に、鋭い痛みが走った。ソフィアのローキックだ。
「たぁー!!」
思わず、変な声が出た。怪我をしている脚に、クリーンヒットだ。
「言ったでしょ? 容赦しないって」
『メビウス』では、銃撃が主体で、近接攻撃は二種類しかなかった。持っている武器で殴るか、ボタン一つで決められたラッシュを繰り出すか。確かに、このトレーニングには意味がある。女性隊員のソフィアでも、これだけ強いのだから。
「ぐぐぐ……」
蹴られた左脚が、じんじんと痺れている。なんなんだ、このキック力は。
「撃たれた場所を蹴ったのは、わざとよ。傷口は開いていないでしょうけど」
ソフィア。万能型美人の彼女に、俺は何か恨みでも買ったのだろうか。
「私たちは銃撃戦を経験した。まだ経験していないのは、近接戦闘よ。次は、弾薬の数を気にする前に、敵に囲まれるかもしれない――」
言い終えるより早く、ボディに重い一撃が沈み、息が詰まった。続けて顎が跳ね上がり、こめかみに衝撃が走って、視界が揺れる。容赦のない追撃に、身体を折って悶えた。
「捕まって武器を奪われたとき、あなたはどうするの?」
「う……ぐ……」
「近接戦闘は、そんなに苦手だった? ナイフを使っていなくて、よかったわね」
くそ、こんなときに、また耳鳴りと頭痛か。キンキンうるさい。
――うるさい。
「……ソフィア、ツヅケヨウ」
訓練用のナイフを、ソフィアに渡ス。
何を心配してイルンダ? お前が望んでいたコトダロウ。さっさと攻撃してくればいいモノヲ。
「イイカラ……コイ」
「フッ!」
ソフィアのナイフが、鋭く空を切った。
踏み込んできた彼女の左斜め前へ、先に身体を滑り込ませる。ナイフを握る右手を左手で掴み、右手で顎を押し上げて、そのまま床へ押し倒した。
「コレナラ……ドウダ?」
「……上出来、ね」
身体が、勝手に動いた。何だこれは。よく分からないが、できる。できるということだけは、確信があった。
「いつまで押し倒してる気?」
「あ、ああ……ごめん」
両手を離すと、ソフィアは服の乱れを整えながら言った。
「打撃は苦手なようね。でも、不思議な人。東洋のアイキドーでもやっていたの?」
「さあ。でも、こっちのほうが、俺には合っているみたいだ」
「続けるわよ」
「え?」
「今、分かったでしょう。あなたは打撃に弱い。だから訓練するんでしょ!」
言い終わりと同時に、側頭部へ衝撃が炸裂した。
実際にここまで痛いと、ご褒美じゃなくなるんだなあ。
◇
――夜
初日から寝つけずにいた俺は、宿舎を抜け出して夜風にあたっていた。ここがはっきりした異世界と呼べる場所なら、少しは格好をつけていたところだ。だが、目的は――
「うげぇぇぇっ!!」
食べたものが、一気に逆流してきた。止まらない。
ニックと話したあと、ソフィアとのトレーニングで、俺は何をした。
また、金属音のような耳鳴りが響いてくる。胃が熱い。身体が、おかしい。
「ハァ、ハァ……」
「誰!?」
振り返ると、俺だと気づいたリナが、小走りで近づいてくるところだった。やめてくれ。こんな格好悪いところを、よりによってリナに見られたくない。
「ラウル!? ちょっと、誰か来て! 担架を持ってきて!」
朦朧としながら、自分が運ばれていくのが分かる。人に見られたくない。でも、この世界に来てから不眠が続いていたし、今日は、夜になるほど気分が悪くなっていた。食べたものも、全部吐き出した。栄養が欲しい。
「ハァ、ハァ……」
意識が、遠のいていく。
◇
――……
「……ん」
目を開けると、ソフィア、マイク、ニック、ジェシカが、俺を見下ろしていた。ああ、医療室のベッドに運ばれたのか。
「リナ! ラウルが目を覚ましたわ。来て!」
駆けつけたリナが、一通り、俺の身体を触診していく。ご褒美と言いたいところだが、全身が痺れていて、ほとんど感覚がない。くそ、情けない。
「疲労がたまっていたのかもしれないけれど、はっきりとは分からないわ。ここにある機材では、精密な検査ができないの。……昨日、何か変わったことはあった?」
「あ、あの、それは……」
ソフィアが、バツの悪そうな顔をする。たぶん、違うとは思う。すまない、ソフィア。
「き、近接格……ソフィアに、蹴られ……」
「ソフィア……」
メディックとしての警告なのか、リナが、困ったような顔でソフィアを覗き込む。
「ご、ごめんなさい。加減したつもりだったのに……」
「気にしないで……大丈夫。少し休めば、動け――」
「格好つけんなよ。知ってんだぜ、お前、最近ろくに寝てないだろ? 実戦に訓練、その上、有名なソフィアの男殺しの蹴りを食らっちゃ――」
マイクの言葉が、途中で歪んだ。ジェシカが、彼の足を思い切り踏みつけたらしい。ソフィアは、ひどく申し訳なさそうな顔で、こちらを見ている。
「リナ、君の見解はどうなんだ?」
「さっきも言った通り、精密検査ができないの。食あたりの可能性もあるけれど、寝不足ということだし、今日は安静ね。睡眠剤を点滴に入れておくから、ゆっくり休んで。何かあったら呼んでね」
リナは点滴に薬液を加えると、静かに部屋を出ていった。
「ソフィアも反省しているみたいだし、許してあげて、ラウル」
ジェシカが、俺の顔を覗き込む。身体が元気なら、くんかくんかしておきたいところだ。もう少しちゃんと話したいが、まだ声が出ない。
「ソフィアの任務は、ラウの付き添い。それでいいでしょ」
「ええ。……ラウ、ごめんなさい。必要なものがあったら、何でも言って」
ん、今なんでもって。そう、おどける元気がほしい。
それにしても、四人とも、真剣な顔をしている。普段おちゃらけているマイクまで。みんな、俺のことを心配してくれているのか。
「じゃあ、私たちは行くわね」
ジェシカの言葉を合図に、三人が部屋を出ていく。ジェシカは、ソフィアにとってお姉さん役のような存在なのだろう。ニックパイセンは、ぽんぽんと、優しく俺の肩を叩いていっただけだった。
残ったソフィアとの沈黙が、気まずい。睡眠剤は、都合よく効くほど即効性がない。
「ごめん、ソフィア……違うんだ」
「え?」
「君に蹴られ……たからじゃない。本当は……」
咳き込みながら、俺は続けた。
「倒れたのは……君のせいじゃ……ゴホッ……」
「ラウ、分かった。分かったから、無理に話さないで」
「ハァ、ハァ……」
「いいから、眠れなくてもいいから、目を閉じて。大丈夫、何かあったらリナを呼ぶわ。大丈夫だから……」
「……」
そっと、目を閉じる。なんだか、安心した。
――大丈夫。
ソフィアの口から出た、ありふれたその言葉が、不思議なほど、身体の芯に染み込んでいった。
第0章2
雨の中の帰り道。濡れても、傘を買う気にはなれなかった。
「そういえば、明日は休みか」
休みの日は、あまり好きじゃない。
何をしていても、頭から離れない遠い記憶がある。それを深く思い出すたびに、吐き気が込み上げてくる。
普段は平然とした顔で、周囲におどけてみせている。そんな自分が、誰よりも滑稽に思えた。




