第2話 初チュート・リアル
ファストトラベルは、拍子抜けするほどあっさり終わった。
視界が白く弾けて、次の瞬間には全員が作戦地点の外縁に立っていた。誰も驚いた顔をしていない。まるで最初から歩いてここまで来たかのように、平然と装備を確かめている。ただ、腕時計の針だけが、確かに時間が過ぎたことを示していた。
違和感を飲み込む暇もなく、メンバーは音もなく散開した。数分後には、作戦通りの四か所すべてに爆薬が仕掛け終わっていた。
「作戦開始」
イヤホンの奥で、オルセンの低い声が響く。
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、四方から腹の底を殴りつけるような爆発が起こり、足元の地面が震えた。封鎖された出入口の代わりに、俺たち自身の手で穴を開ける。そのための爆薬だ。
――今回は楽だ。
ゲームなら、一人で掃討する拠点。それを、自我を持った五人で制圧する。
「今のうちに行くわよ!」
ソフィアの声に弾かれて、チームが粉塵の舞う穴へなだれ込んだ。
◇
ソフィアは瓦礫をまたいで内部に滑り込み、倒れたデスクの陰に身を沈めた。すぐ隣で、ラウルが壁にもたれて目を伏せている。何かを思い出そうとしているような顔だった。
◇
ここはサイバーテック社。敵組織〈ジャッカル〉が根城にしている拠点だ。最初の殲滅戦。
『メビウス』の敵は、当然のようにメビウスの部隊を憎み、襲いかかってくる。中には、自分たちこそ正義で、こちらが悪の組織だと吐き捨てるセリフさえあった。
ゲームか現実か、まだ判断がつかない。ただ、今の最優先事項ははっきりしている。敵を倒し、全員で生きて帰ることだ。
「正義はこっちだ! メビウスの連中をやっちまえ!」
怒号が廊下の奥から押し寄せてくる。
何が正義だ。本当に正義を掲げるなら――
そこで、言葉が途切れた。
……正義を掲げるなら、なんだった?
次の言葉が、どうしても浮かんでこない。頭の中に白い空白だけが広がっていく。奇妙なことに、全身を締めつけていた緊張までもが、すうっと抜けていくようだった。
――駄目だ、集中しろ!
もしこれが現実なら、俺はわけも分からないままゲームの世界で死ぬことになる。それだけは嫌だ。絶対に勝って、生き残る。
「一人アウト。ラウル、私に続いて」
ソフィアの低い声。敵の銃弾が彼女のいるデスクの天板を削っていくが、身を潜めた彼女には一発も届かない。彼女が敵の注意を引きつけているあいだに、俺は銃口を持ち上げ、手前の一人に狙いを定めて撃った。
命中した敵が、血を噴き上げながら崩れていく。その光景が、やけにゆっくりと見えた。
引き金を引いた指の感触が、いつまでも残っている。胸の奥が、石を詰め込まれたように硬くなった。
銃声が止み、俺は静かに歩み寄った。そこには、動かなくなった肉の塊が、赤い液体にまみれて横たわっていた。
グラフィックじゃない。本物の人間だった。
冷や汗が背中を伝い、口の中に苦いものが広がる。血の匂いに胃がせり上がったが、それだけだった。吐くことはなかった。
「こっちだ!」
増援の二人が現れる。ゲーム通りの展開だ。ソフィアの銃撃が一人を仕留めるのを見ながら、俺は並んだデスクの天板を蹴って跳んだ。宙で身をひねり、敵が潜む壁へ向けて引き金を引く。
障害物を飛び越えながら撃つスキル〈スラッシャー〉。重いLMGや、望遠スコープを覗き込まなければならないSRでは使えない動きだ。体が、ゲームの仕様どおりに動いてくれた。
フルオートの連射を浴びせると、敵は遮蔽物の陰に縮こまった。その間にも、ソフィアは滑るように位置を変え、SMGの細かな銃声を敵に浴びせていく。
「二人目アウト。クリア」
新兵とは思えない手際で、ソフィアが報告する。
◇
ソフィアは、胸の内でわずかな引っかかりを覚えていた。基地を奪還したときのラウルは、敵に冷酷なほど冷静だった。それが今は、まるで別人のようだ。
応答の声は微かに震えているし、動きも硬い。任務に集中できないなら、今からでも離脱させるべきか。ただ、そうすれば自分も相応のリスクを負うことになる。
「よくやった」
ラウルは、たった一言だけを返した。
「このまま進むぞ」
◇
じわじわと、実感が染み込んでくる。これはゲームじゃない。
「なるほどな……」
思わず声が漏れた。ゲームと現実の違いが、少しずつ見えてくる。
弾薬は補給できない。
装備の頑強さは仕様どおり。ただし、アーマーに守られていない部分は、ちゃんと傷を負う。
ジャッカルの連中もアーマーを着けている。ソフィアは、守りのない上腕や大腿、頭部を速射性の高い武器で狙った。だから一瞬でケリがついた。ただそれだけのことだ。
「先を急ぐわよ」
「ああ。残弾に気をつけろ」
SMGは速射性が高い分、弾切れも早い。俺が威力と最適射程を備えたARを選んだのは、そのためだ。そして――
◆Level UP lv1→lv2
スラッシャー:Lv.UP lv.2
視界の端に、淡い文字が浮かんで消えた。この表示は、ソフィアにも見えているのだろうか。ペアを組んでいるから、彼女が倒した分の経験値も俺に入る。
「ソフィア、レベルが――」
「違うわね。こいつら、完全な素人よ。見張りも立てずに、呑気なものだわ」
俺の言葉を、ソフィアが遮った。彼女の返しは、レベル表示が見えていないことを雄弁に物語っていた。
「……」
やはり、俺に見えているものは、ソフィアたちには見えないのか。
“上半身ハードアーマーをドロップ。交換しますか?”
YESに視線を合わせると、上半身の装備が自動的に切り替わった。ソフィアは、それにも気づいていない。
「おいソフィア、防具が――」
「シット! 静かにして。この先、敵が待ち構えているわ」
やはり、気づいていない。
マガジンを入れ替えながら、ソフィアが壁に身を寄せる。PVSの索敵が、確かに前方の反応を拾っていた。足元に転がる死体を見ても、罪悪感は湧いてこない。実感がないだけなのか。いや、違う。そういう訓練を受けた記憶が、頭の中に流れ込んできている。
ソフィアが敵のマガジンを回収しているあいだ、俺は先のフロアへ続く通路を見張った。壁に背を預け、足音を殺して前進する。
この先の部屋には、五人ほど待ち構えているはずだ。ディストピアという設定のせいで、建物はあちこち崩れている。程よく落ちた瓦礫が、身を隠すカバーポイントになることも、俺は知っていた。
とはいえ、痛覚のあるこの世界で、致命傷は避けたい。前後を確認しながら、ソフィアと二人で次のフロアへ踏み込んだ。
視界の隅で、索敵のマーカーが小さく瞬いた。
敵の数が、ゲームより多い。索敵範囲には限りがあるし、増援の有無で戦況は変わる。それでも、どこかがおかしい。
『潜入ポイントに敵影なし。先へ進む』
『こちらも敵影なし。予定通り、退路の確保を優先する』
単独行動のマイクと、ニック・ジェシカの二人組から、無線が入った。
「了解。こちらは敵を七人確認。これより殲滅する」
ソフィアが短く応じる。味方がこれだけいるのに、敵は俺たちの側に集中している。
「閃光弾を使う。その間に回り込んで迎撃してくれ」
「了解。いいの? また私の手柄になるけど」
手柄を気にしている余裕なんて、俺にはない。確かめるべきことが山ほどある。むしろ、このチュートリアルの段階こそ、確かめておくべきことが多いのだ。
「この状況で撃破数なんて、誰が評価するんだ? オルセンか?」
「……なんだか、朝の寝ぼけたあなたが嘘みたいね」
ソフィアの言葉を聞き流して、フラッシュグレネードのピンを抜いた。
『メビウス』では、投擲武器は一種類しか持てない。だが、ここへ来る前に確認してある。装備枠ではなく、実際にバックパックやホルダーに装備すれば、二種類以上でも持てるのだ。
閃光が、視界を白く塗りつぶした。思った通りの台詞を、敵が叫ぶ。
「ぐあっ! こっちだ!」
敵が、見当違いの方向へ銃を乱射する。その隙に、ソフィアが回り込んだ。俺は「こっちに敵がいるぞ」と知らせるように、その場でライフルを撃つ。
「うわ!」
「やられたのか!?」
「くそ、どこだ!」
雑魚たちが、口々にパニックを起こしている。
ソフィアのSMGが、細く高い音で敵を的確に撃ち抜いていった。俺もソフィアの死角に近い敵を撃つ。三秒で五人。残りは二人。閃光の効果が切れるまで、あと二秒。
「オラアアアアア!」
奥の扉が蹴破られ、ライトマシンガンを抱えた敵が飛び出してきた。
馬鹿でかい声を出しやがって。……クソ、こんな奴は知らない。
「ハッハー! ここからは俺たちの番だ!」
LMGが火を噴き、鼓膜を引き裂くような銃声が耳をつんざいた。序盤の中ボスが言いそうな台詞が、いちいち癇に障る。世紀末の雑魚みたいな物言いに、苛立ちが募った。
「ラウル、どうするの? ここからじゃ――」
ソフィアがとっさに身を伏せる。LMGの掃射が、彼女のいる一点に集中した。
回り込むということは、敵の側へ先行するということだ。奥から来た増援にとって、今のソフィアは格好の的になっている。
「安心しろ。予定通りだ」
手の中のアサルトライフルが、形を変えた。セミオートライフル(SAR)だ。
狙いをつけ、敵二人の膝を撃ち抜く。男たちがもつれるように床へ倒れ込んだ。急所の装甲が薄ければ、そこが弱点になる。
走りながらSMGを乱射してくる敵には、ローリングで壁際へ逃れ、同じく脚を狙った。正確に膝を射抜けるわけじゃない。膝にも防具をつけているかもしれない。それでいい。足を止めさせれば十分だ。
無鉄砲に走りながら撃ってくる。それがジャッカルの特徴だ。その癖を、逆手に取った。
LMGの中ボスが、こちらに標的を変える。
「ソフィア!」
――今だ!
「OK!」
ソフィアの投げた閃光手榴弾が、中ボスの視界を奪った。PVSの機能のおかげで、自分や味方が放った閃光のデバフは、こちらにはかからない。PVSの恩恵は大きい。
俺は身を低くして対角線上へ走りながら、セカンドウェポンを構えた。
至近距離から、ショットガンを二発。腹に響く重い発砲音とともに、中ボスが呻いて膝を折る。被弾すれば、それなりのダメージを受けるのだろう。この世界の敵のアーマーは、まるで紙のようだった。
“lv.5 → lv.7”
序盤だからか、敵を倒すほど、面白いようにレベルが上がる。ドロップ装備は、そのままPVSに表示された。
先ほどARがSARに変わったのも、視線による選択で切り替えたものだ。コントローラーで選んでいたものが、今は目だけで選べる。
“lv.5アーマーをドロップ。装備を変えますか?”
交換の表示は、現在の装備より数値が高い場合にだけ出るようだ。切り替えると、ソフィアの防具も同時に変化した。
「ありがとう、助かったわ」
「いや……しかし、あんな武器を持っているとは」
ラウルは平静を装って答えたが、LMGは完全に計算外だった。それでも、知っている場所で、知っている敵に、負ける気はしなかった。
「ねえラウ。予定通りって言ったわよね。どういう意味?」
「一緒に参加している三人が、敵影を見ていない。つまり、敵は比較的こちらへ集中しているということだろう。それに、上の階の方が人数を残していると、偵察ドローンで確認されている」
とりあえず、そう誤魔化しておく。この手のゲームで、増援が出てこないことなんてない。ドロップ装備を一瞬で切り替えられたのは、幸運だった。
「そう……確かに、他の二部隊は入口じゃなくて、壁の薄い面を爆破して侵入したものね」
「ああ。上階へ行こう」
自分とソフィアの残弾を確認すると、銃の種類に関係なく減っている。ゲームでは種類ごとに残弾が変わったのに。
「上階には、ジャッカルの幹部がいるって話よ。気を抜かないで」
「皆、聞こえるか。これから上階へ向かう」
『敵が四人いる。今から排除する』とマイク。
『了解。こちらは手はず通り、出入口付近を見張る』とニックとジェシカ。
やはり、先行するのは俺たちだけか。
廊下を抜け、階段に差しかかったところで、違和感が胸をよぎった。フロア以外に、敵が出てこない。
「マイク、聞こえるか。敵は排除し終えたか?」
『ああ。本当に素人だったな、こいつら。五人も必要な作戦だったのか?』
余裕のある声に、少し安心した。この五人の中で、単独行動が多い可哀想なマイク。だが、腕は確かなようだ。
「確認したいことがある。今から言うことを実行してくれ」
◇
十分後。
上階のフロアにも、人の気配はなかった。
「ラウ、こっち」
ソフィアの視線の先に、屋上へ続く階段が見えた。
屋上?
このミッションでは、そこがボス部屋だった。俺の知っている戦闘エリアではない。屋上に近づくにつれ、PVSが反応を拾い始める。
「嘘……これって」
「ああ、信じられないが。奴ら、籠城戦を決め込んだらしい」
出会ってからずっと冷静だったソフィアも、さすがに動揺を隠せない様子だった。
敵の数だけなら、まだゲームの方が多い。それでも、PVSが検知しただけで十人。奥にはもっといるだろう。増援も、必ず来る。
ゲームに似ていようと関係ない。撃たれればアーマーは削られ、最悪の場合は死ぬ。
これは、もう現実なのだ。
なぜ、とか、どうして、とか。そういうことは後回しにしよう。わけも分からないまま死ぬのは、絶対に嫌だ。
幸いなことに、この身体は、自然とプロの兵士のように動いてくれる。
“重装備の敵反応……照合:『シェイド』”
浮かび上がった名前に、眉をひそめる。こんなボスは知らない。だが、ネームドだ。
おそらく、強固なアーマーで簡単には倒せない、最初のステージボス。俺の知っているここのボスも、初見では弾切れを起こして、何度もリプレイさせられたものだ。
「ソフィア、スモークはあるか?」
「ええ、残り二つ」
「よし。それを投げ込んでくれ。俺が迎撃する。お前は、近づいてくる奴らを頼む」
「分散するより、固まった方がいいわね」
「俺がSARで狙い撃つ。命中率の高い方が、敵のアーマーを削りやすいはずだ」
階段を上るあいだに、新たな表示が視界に流れた。これも、俺にしか見えないのだろう。
“Level UPにより、索敵範囲が拡大されました”
“敵のレベル表示が視認できるようになりました”
敵の数は三十以上。そして、全員がレベル10。
今の俺とソフィアは、レベル7だ。レベルがインフレしている。ゲームでは、この段階は序盤の序盤で、装備も敵もレベル1のはずだった。物陰から見る限り、敵の防具も、明らかに強固なものになっている。
「やれ!」
「了解!」
ソフィアが投げ込んだスモークグレネードが、白い煙を吹き上げて視界を塞ぐ。その煙の向こうへ、俺は引き金を引いた。
上半身のアーマーに命中したが、アーマーゲージがわずかに減っただけだった。
「どこから撃ってきてる!?」
「こっちだ!」
視界を奪われた敵の混乱した叫びが、フロアに反響する。
「くっ」
続けて撃つ。だが、こちらにも反撃の銃弾が数発、アーマーに食い込んだ。闇雲に撃っているようでいて、撃ってきた方向くらいは把握しているらしい。自分のアーマーゲージが、二割ほど削れたのがわかった。
セミオートで削りきり、四、五発命中させると、敵はようやく崩れ落ちていった。
こっちも必死だ。ソフィアへ指示を飛ばす。
「リロード中にビットを展開する。ソフィア、続けてスモークだ!」
「了解!」
敵の視界を奪い続けながら、ビットガジェットの起動スイッチを入れ、同時にマガジンを入れ替える。ビットは、自律型の近未来ドローンという設定だった。
背中から、大きな菱形のユニットが浮かび上がる。それは空中で四つの小さな菱形に分かれ、ランダムな軌道を描きながら敵を攻撃していった。
「くっ、やめ……ぐあああっ!」
悲鳴を聞きながら、間髪入れずに、手にしたグレネードを投げる。スモークが効いているうちに。
「ソフィア、伏せろ! “ベア”を投げた!」
ソフィアがとっさに身を伏せた直後、空気そのものが破裂した。
鋭い炸裂音とともに、PVSの上で敵の反応が右往左往する。複数の叫び声が重なった。効いている、効いている。
他のゲームにはない、ベアリンググレネードだ。炸裂と同時に鉄球が飛び散り、出血ダメージを与えるアイテム。アーマーを剥がした後のライフゲージの減り方を見る限り、狙い通りに効いたらしい。ベアリングも出血も、アーマー越しに効くという仕様は、ここでも同じようだ。
俺は躊躇なく、SARを撃ち込んだ。
ここまで来たら、敵が本物の人間でも、ゲームのキャラでも、ゲームによく似た何かの虚像でも、もうどうでもよくなった。
殺らなければ、殺られる。
「ただ、それだけだ!」
数が多い。一体ずつ、集中して確実に撃ち倒す。中途半端に残せば、その隙を突かれる。視界を奪っている今のうちに数を減らさなければ、一気に形勢が悪くな――
不意に、腹の底を突き上げる衝撃が、全身を襲った。
爆風に煽られて、俺とソフィアは床に叩きつけられた。遠くから乾いた発射音が聞こえた。着弾したのだと、遅れて理解する。
グレネードランチャーだと!? チュートリアルの敵が、使ってくるはずがない――
迷っている間にも、次々と榴弾が撃ち込まれる。
「ほら、どうした!」
ゲームでは、この手の敵は攻撃に偏り、こちらにも撃ち返せる隙があった。問題は、ゲームとの違いだ。ここには、痛みがあり、ダメージがある。
「ラウル、平気?」
「あ、ああ……」
そう答えたものの、PVSには、互いのアーマー損傷率が表示されていた。俺にしか見えない数字だ。
◆“アーマー損傷率70%
同行パートナー アーマー損傷率65%”
「くそ。ソフィア、先に回復しろ。俺が援護する!」
アサルトライフルに持ち替え、グレネードランチャーの敵に集中して撃ち込んだ。敵は、慌てて障害物の陰に身を隠す。序盤の敵とは思えない素早さだ。
銃撃が敵に当たっているのは感じる。だが、残弾が減っていくことが不安だった。撃つのをやめれば、またあの榴弾が飛んでくる。
「アーマーの回復が終わったわ。次はラウが回復して。私が援護する!」
「頼む!」
ソフィアと入れ替わり、PVSの回復キットのマークを見つめる。アーマーの回復が始まった。ナノマシンなのかどうかは知らないが、耐久値が、少しずつ戻っていく。
だが、五秒は長すぎる。
早くしろ!
ソフィアの残弾が、見る間に減っていくのがわかる。検知できる敵は、あと十五。
「マイク! まだか!?」
思わず叫んでいた。
リアルで榴弾を撃ち込まれれば、反撃する気が萎えるのも無理はない。
視線を向けると、ソフィアはカバーの陰に身を寄せながら、ガジェットのシールドを展開していた。この世界では、カバーとシールドの同時展開が可能なのか。だが、悠長に確かめている場合じゃない。シールドの耐久ゲージは、すでに半分以上が持っていかれている。
アーマーの回復が済むと、ビットが手元に戻ってきた。再チャージには、三十秒かかる。
不利だ。それでも、わけも分からないまま死ぬわけにはいかない。
「俺が奴を撃つ! ソフィアは、他の連中の牽制を頼む!」
「わかったわ!」
ソフィアがARで敵を撃つ。命中はしているのに、怯みもしない。衝撃を感じていないのか。あのフルプレートというやつは。
グレネード使いのアーマーも、半分は削った。だが、一発が重い上に、他の敵もまだ残っている。この状況では、身動きが取れない。
金属が擦れる、独特の装填音が耳に届いた。空き缶を落としたときのような、乾いた響き。また榴弾が来る――!
その瞬間、遠くから空気を裂くような狙撃音が轟き、グレネードランチャーを構えていた敵が、糸の切れた人形のように倒れた。
『待たせたな、ラウル、ソフィア』
マイクの通信だ。最高のタイミングだった。
「狙撃手がいるぞ!」
「どこだ!?」
混乱した敵の声が飛び交う。平静を装えば、まだましに見えただろうに。しょせんはモブか。
隙を逃さず、引き金を引いた。
常々、思っていたことがある。オープンワールドだった『メビウス』でも、立ち入れるエリアや施設には限りがあった。このミッションに屋上はなかったが、他のエリアで屋上を見かけたとき、ちょうどいい高さのビルがあるのに、そこへ入れないことが不満だった。遠距離から狙撃できればいいのに、と。
ゲームの世界で入れなくても、ここなら時間をかければ、近くのビルの上から援護狙撃ができるのではないか。その発想が、功を奏した。マイクは、屋上へ入る前に出した俺の指示を、よく聞いてくれていた。
「隠れたつもりだろうがな。丸見えだぜ」
マイクの狙撃音と無線を聞きながら、体勢を立て直す。さすがSRのヘッドショットだ。アーマーを無視して、一撃で敵を仕留めていく。
「シールド修復完了。回り込むわ!」
「了解。援護する!」
ソフィアに応えて、引き金を引いた。
状況が、次々と好転していくのがわかる。あっという間に、敵の残りは五人になった。
だが、その中に、ネームドボスの〈シェイド〉の反応がない。
錆びた蝶番が軋む音がして、非常口の扉がゆっくりと開いた。
「お前らは、ここで皆殺しにしてやる!」
全身を鋼で覆った男が、のそりと姿を現す。
“重装備の敵を発見……『シェイド』”
PVSが、即座に表示した。
「そいつがボスだ! フルプレート装備だぞ! 気を抜くな!」
声を張り上げる。全身を防具で固めたフルプレートは、『メビウス』のボスがよく身につけていた装備だ。堅牢な装甲。お決まりなら――
鈍く、重い銃声が空間を叩いた。俺とソフィアは、とっさに身を伏せる。ガトリングガンだ。今の俺のレベルとアーマーで浴びれば、ゲージはあっという間に消し飛ぶだろう。
そのとき、味方のSRの銃声が、空を裂いた。
『ここからなら、奴の攻撃は届かない! 少しずつ削ってやるぜ!』
イヤホンから、マイクの声が響く。続いて、俺も指示を出した。
「ソフィア、マイク! ビットを展開する。二人は残りの敵を頼む!」
「「了解!」」
背部のユニットが分かれ、敵を一体ずつ追っていく。そのあいだも、マイクの狙撃は続いていた。
マイクの狙撃に合わせて、俺もアサルトライフルを撃つ。だが、ボスの射線がこちらに向いていて、隠れながらでは思うように狙えない。
「マイク! 銃弾ベルトを狙え! そこに隙ができる!」
「了解!」
ピンポイントで狙わない限り、あの強固なアーマーは壊せない。ただし、フルプレートは走れないほど重く、動きが鈍い。身を隠すこともできない。
俺は、最も当てやすい上半身へ、集中攻撃を仕掛けた。
敵の銃撃も、狙いが逸れながらこちらへ放たれる。速射性が、こちらのフルオートとはまるで違う。焦りが、じりじりと胸を焼いた。遮蔽物も削られていき、反撃に出るたびに、こちらも何発か被弾する。
“アーマー損傷率50%”
PVSが警告を示した。
「くっ」
安全マージンは必要だ。アーマーを回復しながら、マイクに指示を送る。
「マイク! 銃弾ベルトだ!」
「わかってる!」
次の瞬間、狙撃音に続いて、金属が弾けるような高い破砕音が響き渡った。
「やったぞ! 野郎、敵の目の前でベルトを直してやがる!」
マイクの声が弾む。ここから、逆転だ。
「よし!」
“メインウェポン変更 SARセミオート → LMGライトマシンガン”
銃がLMGに変わる。身を乗り出し、引き金を引いた。威力は大して変わらない。だが、ドロップしたLMGの弾数は百発。アサルトライフルは三十発で弾切れになる。リロードに割く時間が惜しい。
「ぐっ、集中攻撃を受けて――」
シェイドが弱音を吐きながら周囲を見回すが、雑魚はすでに、ソフィアの手で次々と撃ち倒されていた。
ソロプレイヤーだった俺にとって、仲間の存在はあまりにも大きい。
LMGの弾が尽き、撃鉄が空を打つ乾いた感触が掌に伝わった。同時に、シェイドのアーマーが砕けたのがわかった。
PVS、アーマーと武器の自動換装、アクションスキル。今使えるものは、すべて使う。使わなければ――
“圧倒的ナ強サデハナイ”
LMGをその場に捨て、全速力で距離を詰めながら、武器を切り替える。急げ、ガトリングが来る!
失敗は死を意味する。失敗はできない。もう二度と――
“メインウェポン変更 SARセミオート”
「おおおおっ!」
ラウルの突撃に追い詰められたシェイドが、最後の悪あがきでガトリングの銃口を向けた。賭けだ。やるしかない。
間近で、ガトリングの回転音が唸りを上げる。
「――ラウ!」
ソフィアの叫びがイヤホンを震わせる中、ラウルは横へ跳びながら、シェイドの胴体へ狙いを定め、引き金を引き続けた。眼は血走り、腕の筋肉は同じ動きを繰り返すように固まっている。ただひたすらに、引き金を引き続けた。
呼びかける声にも耳を貸さず、攻撃の手を止めない。
鈍い衝撃とともに、左脚に激痛が走る。それでも、手の動きだけは、決して変えなかった。
撃て。撃て。撃て。撃て。
巨体が、重く床に沈む音がした。
撃て。撃て。撃て。撃ち続けろ。
「――ウル……ラウル!」
引き金が、空を打った。弾が、もうない。
「ハァ、ハァ……」
そっと、肩に手が置かれた。ソフィアの手だ。
「終わったわよ……」
我に返ると、シェイドは血まみれで倒れていた。安堵する間もなく、脚に焼けるような激痛が走る。
「ぐうっ!」
「大丈夫、かすめただけよ。止血するわ」
ソフィアが、俺の脚を強く圧迫する。正直、悲鳴を上げたいほど痛い。だが、仕方がない。生きている。それだけで、十分だった。
そこへ、オルセンから通信が入る。
『こちらオルセン。敵勢力の殲滅を確認した。ご苦労だった』
◇
十五分後。
マイクと合流し、彼の肩を借りながら、敵の痕跡を調べて回った。
「これって……」
「何か見つけたのか、ソフィア?」
大柄なマイクは、俺を支えながらも余裕のある声で尋ねる。
「ええ。今、PVSが読み込んでる……オルセン、見えてる?」
『ああ。連中の武器の出所がわかったぞ。本拠地もだ』
PVSの同期で、同じ映像を見ているオルセンが応じた。
「〈ワイルドファイア〉……奴ら、別の組織とつながっているの?」
いつの間にか、上空にヘリの影が差していた。基地から近いぶん、到着も早かったのだろう。
『よし、屋上にヘリを回す。ご苦労だった』
こうして、痛みと恐怖を伴った、ありふれた戦闘が終わった。異世界に来たことを確信した〈彼〉の、初めての現実の戦闘だった。
そして、深く胸に刻まれたことがある。
この世界に、魂か何か、正体のわからない〈俺〉という存在があるのなら、たとえ死んでも、生き抜かなければならない。




