1 遠征する無関係と閑話する反対色
「学、どこか行くの?」
ギルドの玄関ホールにて、天風癒暗は外に向かおうとする少年の背に声をかけた。人が出かけることにいちいち関心を抱く必要も、そうまでして引きとめるような用事もなかったのだが、少し退屈で誰かと話したい気分だったのだ。竹咲学は足を止めて癒暗を見た。山吹色の髪には寝ぐせが残っており、おっとりした薄緑の目は眠たげだ。
「あぁ癒暗くん。これから遠出の任務なんだよ」
学は肩を竦めて困ったように笑う。一人でかい、と尋ねると一人ではないよと答えた。
「礼架くんと誓南ちゃんと、あと白黒ちゃんたちがいるよ。ただ俺が寝坊してねえ、みんなは先に出発したんだよ。困ったねえ」
白黒ちゃんというのは藍那白と藍那夜黒のことだ。彼女たちは双子の姉妹で、二人をまとめて示す際にそう呼ばれることが多い。
「困ってるのは先に現地へ向かった四人だよ。そういうことなら早く行かないと。引きとめてごめんね。四軍しかいないってことは戦いも想定されてるんでしょ? 気を付けてね」
「俺たちが無事に帰って来れることを祈りながら行ってくるよー」
「あ、自分で祈るんだ。行ってらっしゃい」
学はひらひらと手を振りながら出かけて行った。彼が寝坊するのはいつものことだが、遠征に向かう日まであの様子では周囲は困るだろう。朗らかというか能天気というか、不真面目ではないのに責任感がない……ようでいて意外とあるような。憎めない人ではある。
学との会話に出た「四軍」というのは個人の性質によって分けられるギルドの階級のようなものだ。一軍から五軍まであり、「軍」などと格式張った言い方をしているが、結局は役割分担のグループみたいなもので、階級と言っても一軍以外は基本的に横並びの関係で上下関係はない。
一軍はギルド長などのような組織の上層部のことだ。二軍はギルド以外で個人的な活動もしている者を指し、三軍は機械整備や装備の修理、修繕など、ギルド員たちの活動や暮らしをサポートする、いわゆる縁の下の力持ちのこと。
そして四軍が戦闘要員のギルド員を指し、五軍は非戦闘要員のギルド員のことだ。癒暗も学も四軍に所属している。
学を見送ったあと、癒暗は自分の部屋へ戻るため三階へ向かった。このギルドは一階に応接室や食堂が、二階に司令室や図書室などがあり、三階からはギルド員たちが暮らす寮となっている。一人一部屋ずつ割り当てられる私室はあまり広くないが狭いわけでもなく、冷暖房完備で温度調節も完璧。なかなか快適な空間だ。
部屋に戻り、しばらくぼうっとしていると、隣の部屋からコンコンと壁を叩く音がした。こちらが同じように叩き返すと、直後に双子の兄である天風柴闇が癒暗の部屋にやってきた。
柴闇と癒暗は話し相手がほしいときや用がある際に壁を叩いて在室状況を確認し、叩いた側が相手の部屋を訪れるようにしている。壁はそれなりに防音性能があるので、少し強く叩かないと音が聞こえないし、部屋の扉をノックしたほうがよく聞こえてすぐに応対できる。そんなことをしなくても柴闇と癒暗の間にはいつどこにいても意思疎通ができる能力――いわゆる精神感応――がある。だから本来、こういった物理的な行動は不要なのだが、二人がそうしない理由は実に単純で、このほうが楽で疲れないからだ。能力を使えば大なり小なり魔力を消費する。
わざわざ部屋を出てドアをノックしたり呼びかけたりしても、相手が留守なら動いただけ損だ。それに引き換え壁を叩いて在室を確認する方法ならば、そちらの壁に寝具などを置いておけば横になったままでもできるし、音が返ってこなければそれだけなのだ。また時間をおいて確認すればいい。
これは柴闇が提案してきた方法で、いかにも彼が面倒くさがりなように聞こえるが、もともとは別の誰かがはじめたことらしく、柴闇はただそれを真似ただけなのだという。いや、これを取り入れた時点で面倒くさがりは事実かもしれないが。
「兄者、どうしたの?」
特別な理由はないのだが、癒暗はいつも柴闇をこう呼んでいる。以前は「お兄ちゃん」とか「兄ちゃん」とか呼んでいたこともあるが、なんとなく違うような気がして、彼をなんと呼べばいいか悩んだ時期があった。「兄さん」は絶対に似合わない。しかし「兄貴」と呼ぶと少々たくましすぎる。かといって名前で呼ぶのもなんだかちょっとなという気分だった。そうして迷走し最終的に行き着いたのが「兄者」で、限りなくテキトーに発したこれが妙にしっくりきたものだから、なんとなくこれに決まった。今後また変わるかもしれないが、しばらくはこのままだろう。
柴闇は別に特別な用じゃねえけどな、と言いながら備え付けの椅子にどっかりと座った。後頭部の低い位置でひとつに結った、腰まで伸びた藍色の長い髪が彼の動きに合わせて揺れる。おそらくここのギルド員の中で一番髪が長い。そんなに伸ばしてどうするのだろう。
「空來が三日ほど前から帰らないらしいんだよ。なんか知らないか?」
右目の眼帯を僅かにずらして瞼のあたりを掻いた柴闇につられて、癒暗も自分の左目を塞ぐ眼帯にそっと触れるが、すぐにその手をひっこめた。
「空來が? また女の子と遊んでるんじゃないの?」
「って俺も思ったんだけどな、どうも違うらしい。どこかに行くとかしばらく留守にするとか、そういう連絡は一切なし。音信不通なんだってよ」
「そのうちひょっこり帰ってきそうだけどね」
「まあ、今までにないことだからな。なんかあったのかもしれないって勇來が焦りだしてる。つっても、今の段階じゃ探偵も動いてくれそうにないからなあ」
探偵というのはギルド員の一人だ。名の通り「探偵」をしている、世界的にもかなり有名な名探偵である。実績はあるが口が悪く足癖も悪く、評判も良いのか悪いのかよくわからない。一応善人ではある。
「それ、僕たちも協力したほうがいいかな? さっきも言ったように、じきに戻ってくるかもしれないし。みんなに声かけてまわるのはもちろんいいけど、ちゃんと調べるんだったら……」
「勇來が空來のここ最近のスケジュールについて確認しに行ってる。その答え次第だな」
「もし残念なほうだったら?」
「……とりあえず神社に行ってみよう」




