第7話「人類最強、退屈している」
視界の端で、火竜が咆えた。
全長20メートル超、討伐難度S級。一国の空軍が失業する火力、という触れ込みだった。
で、俺は欠伸を噛み殺している。
第二ダンジョン・第38層。スポンサー同伴の公開攻略だ。頭上ではドローンが3機、いい画を探して旋回している。契約書いわく、戦闘尺は最低90秒。つまりあと80秒ほど、こいつには生きていてもらう。
「悪いな。今日、スポンサーの尺なんだわ」
ブレスは半歩でかわす。薙ぎ払われた尾は跳んで越える。爪は剣の腹で受けて、カメラ映えする角度に火花を散らしてやる。派手だが、暇だった。この10年で上達したのは、強さより手加減の計算だ。
90秒が経った。
「はい、お疲れさん」
一閃。
落ちていく首を最後まで見届けずに、俺は出口へ歩き出していた。
地上は拍手の壁だった。スポンサーの重役が握手を求めてくる。記者がマイクを突き出す。ファンが名前を叫ぶ。
「天海選手! S級を90秒とは、まさに人類最強! 余裕の勝利でしたね!」
「まあね」
余裕じゃなかった勝負を最後にしたのはいつか、思い出せない。まさかそう答えるわけにもいかないので、営業用の歯を見せておいた。
公認ランク世界1位。18で頂点に立って、そこから10年。番付は一度も動いていない。強くなるたびに世界は静かになって、今じゃ耳鳴りしか残っていない。
挑戦者はもういない。いるのは客だけだ。
――昨日の夜の、あの速報を除けばな。
控室に戻ると、マネージャーの葛西が死んだ魚の目でスケジュール表を差し出してきた。
「このあと18時からスポンサー会食、明日は対談が2本と撮影が――」
「全部飛ばせ」
「またですか!?」
「それより、昨日頼んだやつは」
葛西は胃のあたりを一度押さえてから、タブレットを寄越した。例の速報の裏取りだ。世界ランク1位の看板があれば、協会の認定文書くらいは回ってくる。
画面を繰る。
第七ダンジョン・第47層。敵性反応ゼロ。残留魔素ゼロ。進入1名、帰還1名。観測史上初の【単独完全攻略】。続けて第52層。屍食の暴君、消失。討伐痕跡なし。現場に残っていたのは、分別された素材の山だけ。
……計算してみるか。
47層の制圧に要る推定戦力は一個大隊。俺がやるなら全力で6時間、ってところだ。ログの滞在時間も6時間。ただし戦闘痕はゼロ。魔素の飛散もゼロ。つまりこいつは、俺と同じ速さで、俺より綺麗に勝っている。
計算が、合わねえ。
指先が震えた。武者震いなんて単語を、何年ぶりに思い出したのか。
「一人で、47層を、丸ごと……?」
口の端が勝手に上がっていく。ああ、まずい。顔が営業用に戻らない。
「はっ……面白くなってきた。葛西、車回せ。協会だ」
「アポは!?」
「俺が行く。それがアポだ」
ダンジョン協会東京支部は、いい建物だった。受付嬢が俺の顔を見て固まった。警備員も固まった。代わりに駆けつけた偉いさんが、揉み手で現れた。名札には観測部長とある。
「て、天海様! 本日はどういったご用件で……」
「《ファントム》。生データを持ってるやつのところに案内してくれ」
部長の目が泳いだ。泳いだ先の扉が、答えだった。
記録分析室。その札の部屋のいちばん奥に、彼女はいた。銀縁の眼鏡にモニター4枚。入ってきた俺を見ても、立ち上がりもしない。いいね。この建物に来て初めて、まともな目に会った。
「……アポイントは」
「俺が来た。それがアポだ」
「警備を呼びます」
「氷室紗雪さんだろ。第47層の異常を最初に拾った分析官。認定文書の末尾に名前があった」
彼女の手が、机の上のメモを音もなく裏返した。ほう。
「協会を代表して回答します。《ファントム》に関する情報は、すべて非公開です」
「なら非公開の話をしに来た」
俺は勝手に椅子を引いて、逆向きに跨がった。廊下で部長がおろおろしているが、止めには入らない。世界1位の看板は、こういうときだけ万能だ。
「推定戦力・一個大隊の階層を、単独6時間で更地。戦闘痕ゼロ。あんた、この数字をどう読んだ」
「……観測機器の誤作動。それが公式見解の候補です」
「あんたはそう思っちゃいない。思ってたら、生ログ抱えて3日も残業しないだろ」
眼鏡の奥の目が、初めてまっすぐこっちを向いた。当たりだ。分析室の残業記録くらい、来る前に押さえてある。俺だって数字くらい読めるんだ。読む気になった相手のことなら。
「……ご用件は」
「決まってんだろ」
俺はモニターの中の、真っ白な47層のマップを指差した。
「その幽霊、俺が見つける」
「はあ」
「はあ、じゃねえ。いいか、こいつは俺より強えかもしれねえんだぞ。そういうやつを10年待った」
「見つけて、どうするんですか。表彰でも?」
「勝負を申し込む」
紗雪は眼鏡のブリッジを押さえて、天井を仰いだ。頭痛を堪える顔というものを、俺は初めて間近で見た。
「お引き取りください。分析官の業務に、果たし合いの仲介は含まれません」
「部長さんよ」
俺は廊下へ首だけ向けた。
「協会としちゃ、どっちが安心だ? 俺が勝手に単独で嗅ぎ回るのと、この人の監視付きで動くのと」
部長は3秒で陥落した。組織ってのは、こういうところだけ話が早い。
「ひ、氷室くん。天海様への情報提供と、連絡係を頼む。上には私から通しておく」
「部長!?」
「いいじゃねえか。データは嘘をつかないんだろ?」
適当に言っただけだったが、紗雪の眉が初めてぴくりと動いた。何か踏んだらしい。
「……条件があります。単独行動はしない。データを勝手に触らない。私の指示に従う」
「善処する」
「いちばん信用できない返事ですね」
紗雪は長い息を吐いて、モニターに向き直った。その横顔に、言っておくことにした。
「悪いな、分析官どの。けど10年待ったんだよ、こっちは。――俺より強えヤツの顔が見てえんだよ!」
「勤務中です。声量を下げてください」
かくして、追う者がふたりに増えた。彼女のメモが裏返しのままだったことは――まあ、今は聞かずにおいてやる。
待ってろよ、幽霊さん。
――同じ日の夕方。
都内の病院、402号室。
定時検診の医師が、モニターの数値の前で手を止めた。
「ひよりちゃん、今日は体がだるくない?」
「んー、ちょっとだけ。昼寝したから平気です。……あ、先生。退院したら、いちご狩りって激しい運動に入りますか?」
「入らないと思うよ」
医師は笑って答えて、カルテには笑わずに書き込んだ。それから看護師にだけ、低い声で告げる。
「魔素値が、上がっています。検査を1日2回に増やしてください」
窓の外はまだ明るい。ひよりの手元では、書きかけの「退院したら」リストが5番まで増えていた。




