第6話「粗大ゴミの日」
出勤するなり、熊谷所長が作業指示書と一緒に台車を寄越した。
「第七ダンジョン・第52層。ボス部屋周辺の全面清掃だ。協会から急ぎで入った」
「急ぎ、ですか」
「明日の朝、でかい攻略が入るらしい。その前に道筋を整えとけって話だ」
なるほど。イベント前の会場設営みたいなものか。ゼノギアにいた頃も、遠征前夜は倍働かされた。どこの業界も、前日がいちばん忙しい。
「ボス部屋って、名前だけは聞いたことがありますけど」
「階層の主が居座る区画だ。……普段は、掃除の依頼なんぞ来ん場所だがな」
所長はそこで言葉を切り、指示書の隅を太い指で叩いた。
「この台車は、何に使うんですか」
「でかいゴミが出たときのためだ。搬入口の脇に業者用の集積場がある。分別して、札を付けて出しとけ」
「札、ですか」
「素材系は資源ごみ。それ以外は廃棄物。回収業者が違うから、間違えるな」
「分別は得意です」
所長はそれには答えず、俺の顔をしばらく眺めた。何か言いかけて、やめた顔だった。
「……朝6時までに戻れ」
「時給分は働きます」
第52層は、におう階層だった。
ゲートを出た瞬間に分かった。生ごみと鉄錆を煮詰めたようなにおいに、饐えた甘さが混じっている。通路の汚れは47層より軽い。こびりつきよりも、奥から垂れてきた飛沫が目立つ。つまり、汚れの本体は奥にいる。
通路の清掃は2時間で片づいた。モップの一往復で影が拭き取れるのにも、もう慣れた。動く汚れは拭く。落書きは漂白する。仕分けさえ済めば、あとは手を動かすだけだ。
午前2時。突き当たりの大扉の手前で、持参の握り飯を食った。今夜も塩むすびが2個。扉一枚向こうに腐臭の主がいるらしいから、先に飯を済ませておくのが正解だろう。食休みもそこそこに立ち上がる。後半戦だ。
大扉を押し開けた途端、においが壁になって押し寄せた。
広間だった。天井までは光が届かない。床には骨と腐敗物が山を成している。その最奥、一段高い岩の座に――それは、いた。
小山、と最初は思った。灰色の甲殻に覆われた小山が、呼吸に合わせて上下している。呼吸のたび、足元の骨がかたかたと鳴った。拠点で5年眺めた資料の記憶を掘り返す。屍食の暴君。討伐難度はS級で、一国の軍隊が撤退した記録までついている。
俺は台車の持ち手を握ったまま、しばらくそれを見上げた。
「でっか……」
率直な感想だった。次の感想も、勝手に口から出た。
「これは、粗大ゴミですね」
分別に迷う大きさではある。だが腐臭の発生源は、どう見てもあれだ。部屋の主だか何だか知らないが、部屋を腐らせる主がいるか。元を残して帰れば、明日の攻略とやらの前にまた汚れる。二度手間は嫌いだ。
暴君の目が開いた。血の色が6つ。骨の山が雪崩を打ち、咆哮が広間を揺らした。腹の底に響く重低音。近所迷惑という言葉が頭をよぎる。深夜だぞ、今。
「まあ、掃除しときますね」
スプレーを構え、【クリーンアップ】を全開にした。
暴君が立ち上がろうとした。その動きは、途中で終わった。
輪郭が上から順に薄れていく。甲殻が。6つの目が。振り上げかけた腕が。頑固な汚れが漂白されるのと同じ順番で、静かに白へ還っていく。
断末魔は、なかった。音を出す器官のほうが、先に落ちたからだ。
30秒後。広間には腐臭の代わりに、洗剤の香りが漂っていた。
岩の座には、残ったものがある。拳より大きい深紅の結晶が、鈍く光っていた。真珠色の甲殻が数枚と、ねじれた黒い双角も転がっている。魔素の塊は拭き取れても、こういう「物」は残るらしい。47層の白骨と同じ理屈だ。
持ち主は、たった今拭いた。なら遺失物ではなく、粗大ゴミだ。
台車を転がして、分別を始めた。結晶と角と甲殻は素材系だから資源ごみ。骨の山は、人骨が混ざっていないか確かめてから廃棄物へ。途中で認識票が3枚出てきたので、泥を拭ってポケットに入れた。忘れ物は、届けますから。
搬入口の集積場に、山を積み上げていく。種類ごとに角を揃えると気分がいい。最後に備え付けの札へ、マジックで書き込んだ。
『資源ごみ(回収お願いします)』
仕上げは床磨きだ。腐敗物の染みをまとめて拭き上げると、フロアの色が2段階明るくなった。通しで磨き切ったところで、指先から根こそぎ持っていかれる例の感覚が来た。今夜のは、いつもより重い。時給に換算できない何かまで払っている気がするが、深夜労働とはそういうものだ。
帰りのゲートで、磨き上げた広間を振り返る。
いい部屋になった。明日の攻略とやらも、これで気持ちよくやれるだろう。
――翌朝、午前10時。
ゼノギア攻略部隊の隊長・与野は、第52層の大扉の前で号令を張り上げていた。精鋭は24名。代表からは直々の檄も受けている。この扉の先の暴君を討てば、続いていた不運はすべて帳消しになるはずだった。
「開門。総員、抜刀――」
号令は、そこで止まった。
白い。
床が白い。壁が白い。見上げた梁まで白い。腐臭で名高い階層のはずが、空気はうっすら石鹸のにおいがした。
そして玉座は、空だった。
「……偵察班。反応は」
「敵性反応、ゼロ。残留魔素もゼロ。……計器は、正常です」
誰かの喉が鳴った。24本の抜き身の剣が、行き場をなくして下がっていく。
搬入口の脇で、副長が声を裏返らせた。
「隊長! こ、これを!」
そこには山があった。深紅の核石。真珠色の甲殻。黒い双角。市場に出れば数十億を下らないS級素材が、種類ごとに角を揃えて積まれている。
山の頂には、手書きの札が1枚載っていた。
『資源ごみ(回収お願いします)』
「……資源ごみ? 屍食の暴君が……資源ごみ!?」
与野は震える手で通信機を掴んだ。数字で語れ、が社の掟だ。だがこの光景を語れる数字を、与野は持ち合わせていなかった。
「こちら与野。ボス部屋に到達。……標的が、いません。繰り返します、標的は存在しません。現場にあるのは、その……分別された、ゴミの山だけです」
通信の向こうが静まり返り、次いで怒号と問い返しが折り重なった。
その日の午後には、協会の緊急照会が各国の対策機関を駆け巡った。第52層、攻略済み。攻略者の記録、なし。現場に残されていたのは、分別済みの超希少素材と1枚の札だけだった。
《ファントム》。
幻の攻略者の名は、もう報道規制で止まる高さを越えて飛び火していた。
その夜。駅裏の定食屋で、俺は生姜焼き定食の大盛りと向き合っていた。
夜勤明けに寝て、起きたら腹が減っていた。何を食うか決めていた気がするのだが、思い出せない。まあいい。壁の品書きでいちばんうまそうなのが、生姜焼きだった。
頭上のテレビが速報を流している。第七ダンジョン、追加の立ち入り規制。カウンターの常連たちが騒いでいた。
「単独攻略って、本当かねえ」
「軍隊が逃げた化け物だぞ。人間業じゃねえって」
人間業じゃない、は言い過ぎだと思う。世の中、上には上がいるものだ。俺は味噌汁をすすった。規制が増えるなら、うちの仕事も増えるだろうか。増えるといい。時給1,250円。積み上げれば、40万の壁にも指くらいはかかる。
豚肉を白飯に乗せて、かき込む。ひよりの外泊許可が出たら、ここに連れてこよう。「退院したら」リストの末尾に、定食屋を書き足してもらうのもいい。
――同じ速報を、都心のホテル最上階で眺めている男がいた。
公認ランク世界1位。人類最強と呼ばれるその男は、ソファに沈んだまま速報を巻き戻し、もう一度再生した。
口の端が、ゆっくり吊り上がる。
「はっ、面白くなってきた」




