第57話「最後の妨害」
やぐらの脚が岩盤に立つ音を、堂島衛は着工の鐘として聞いた。
白紙の区間。地図の終わりの、さらに先。人類の誰も踏んでいない岩盤に、いま自分の機材が杭を打っている。悪くない眺めだった。ここまでの護送も設営も、金で買えた。買えない物のリストは年々短くなる。最後に残った1行を、今夜消しに来た。
「本部長。第3脚、固定完了です」
「その役職はもうない。……いや、好きに呼べ」
元ゼノギア攻略本部長。頭に「元」が付いたのは、あの弱腰のせいだ。テレビの中の王城は、基金だの人権だのと吠えていた。切る側の頂点にいた男が、切られる側の代弁者に転職した。あれは老いだ。堂島は逆へ歩いた。沈む船から運び出せるのは積み荷だけじゃない。航路も運べる。深層の地図と、子飼いの攻略員1個小隊と、金の匂いに鼻の利く海外の出資者。
清掃だの安全基準だのを、経費の欄から削ってきたのは自分だ。あの頃は削るたびに評価が上がった。数字は正しかった。今もやり方を変える気はない。変えた男の末路なら、テレビで見た。
搬入名義は資源会社。登記3か月の、紙でできた会社だ。品目は採掘機材一式。……嘘は1文字も書いていない。掘るのだから。
「地上の続報です。協会上層部、辞任4件目。監督権限の引き継ぎは、早くて来週と」
「つまり今週、この深さに法律はない」
好機の形なら知っている。混乱と、空白と、先に打った杭だ。核はエネルギーの塊だと、出資者の試算書が言っていた。換算で国家予算3年分、と。それをあの浄化騒ぎの連中は、雑巾で拭いて消す気でいる。燃える金脈を掃除で消すバカが、どこの世界にいる。あの会見の夜からずっと、世界は掃除の話ばかりしている。掘る話をするのは、自分が最初でいい。
端末には、出資者の催促が積もっていた。文面は毎回同じだ。進捗を、数字で。……いいだろう。朝までに、誰の判子も要らない数字を作ってやる。
資源は、先に触った者の物だ。
「共振破砕機、起動します。対象、防衛機構の外殻」
「やれ。既成事実は朝までに要る」
部下の1人が、計器を見ながら進言した。中の反応が生き物じみている、と。堂島は鼻で流した。眠っているなら、起きる前に掘り終えればいい。寝ている間に線路を敷くのが、開発というものだ。
ドリルの唸りが岩盤を這った。低い振動が、靴の裏から膝へ昇ってくる。配当の足音だと思った。
外殻に、最初の亀裂が入った。
やぐらの計器が、全部いっぺんに振り切れた。
亀裂から噴き出したのは、鉱脈の光ではなかった。黒い、目のような群れだった。
最初の悲鳴は、第3脚の方から上がった。次は真後ろ。指示を出そうとして、出す相手がもう立っていないと気づいた。護衛のA級が壁まで飛び、通信手の端末が砂を吐いた。数字には強い。だから現状も数えられた。戦力、残り2割。撤退路、崩落。救援の当て、0件。
やぐらが傾ぎ、天井が影ごと落ちてきた。
出資者の回線は、とうに沈黙していた。金は悲鳴より逃げ足が速い。知っていたはずの相場を、自分の側だけ例外だと思っていた。
瓦礫の下で、堂島は自分の試算書を思い出していた。リスク欄に書いたのは、環境変動の4文字だ。防衛機構の反撃は、脚注にもなかった。掘り当てたのは金脈じゃない。……巣だ。眠っている物の、枕の下だった。
薄れる視界の奥で、亀裂の底が明滅を始めた。速い。誰かが目を覚ましかけている、速さだった。
◇
同じ夜の2本目の電話は、うちの業界だと大体ろくでもない。
氷室さんの声は、1本目より半音低かった。
「確定した情報だけを。最終関門ゲートの先で、無届けの採掘作業。主体はゼノギア残党と、海外資本のダミー会社。そして12分前――核の防衛機構が、起動しました」
「中に、人は」
「搬入記録の人員合算で18名。生死は不明です。私は次の帰り便で戻ります。それまでの数字は、地上から読み上げます」
所長が、地図も見ずに立った。レイジさんはもう出口を向いていた。俺はモップと予備の水を取った。深夜の緊急対応に割増が付かないのが、うちの会社だ。分かった上で、全員がもう歩き出していた。
白紙の区間は、片道2時間の見積もりだった。40分で着いた。先頭のレイジさんが、道を「開けながら」走ったからだ。露払いというより除雪車だった。
現場は、控えめに言って散らかっていた。
折れたやぐら。潰れた機材。壁一面の黒い染み――じゃない。染みが、動いている。倒れた人影の方へ、ゆっくり寄っていく。
それと、亀裂の奥から嗅ぎ慣れない気配がした。落ちない汚れの、もっと深い親戚。あれはまだ、こっちを見ていない。見ていないうちに、済ませる仕事がある。
「湊、手順は任せる。生きとる奴から先に拾え」
「はい。いつも通りで」
床と同じ要領で、掃除した。
黒い群れは、モップの触れた端から汚れとして落ちた。呪いも魔素も、まとめて1度で。染み抜きは順番さえ間違えなければ、あとは面積の問題だ。レイジさんが瓦礫を持ち上げる。所長が資材の板を切って担架にする。俺は、拭く。分業が回るほど、現場は静かになっていった。残業だな、と頭の隅で思う。今月2回目。深夜割増の交渉は、生きて帰ってからにする。
17人まで数えた。全員、息はある。目を開けた1人が、俺のモップを見て何か言いかけた。言い終わる前に、レイジさんが毛布を顔まで引き上げた。
「見なかったことにしとけ。長生きするぞ」
18人目は、いちばん大きい瓦礫の下にいた。レイジさんが岩をどけて、俺が顔の埃を払う。スーツの男だった。この深さに、スーツで。
男は、俺の顔を見た。
瞬きを2回した。声が出るまでに、たっぷり10秒かかった。
「……お前……雑用の……灰崎……?」
誰だったか。……ああ、本社の廊下でよくすれ違った人だ。挨拶が返ってきた記憶は、ない。
「お疲れさまです。清掃です」
「なぜお前がここに――待て。じゃあ、未踏破層の記録は……お前が、掃除して……」
「暴れないでください。担架は無料ですけど、壊れると次の人が困るので」
男の口だけが、何度か開いて閉じた。数え直しても合わない計算の、動き方だった。諦めたほうが早いですよ。あなたの元の代表も、多分そうしたので。
担架に載る寸前、男は掠れた声で訊いた。
「……なぜ、助けた」
「ここ、明日にはうちの現場なので。……ついでです」
男は目を閉じた。値札の読めない物を前にした人の、閉じ方だった。
◇
撤収の間際、所長だけが亀裂の奥を見ていた。
深いところで、何かが明滅している。心臓の音に似ていた。ただし速い。健康な速さじゃない。
「嬢ちゃん、聞こえとるか。濃度の上がり方は」
端末の向こうで、頁をめくる音がした。
「……観測値を信じるなら、指数関数です。眠りが、浅くなっています」
「三十年前と同じさ。突かれた核ってのは、目覚まし時計より正直でな」
所長は籠手を一度だけ鳴らして、こっちを向いた。
「猶予は百日じゃなくなった。――あと三日だ」
三日。
誰も、すぐには声を出さなかった。発光苔の明かりだけが、いつも通りの顔をしていた。レイジさんの奥歯が鳴った。端末の向こうで、息をひとつ呑む音がした。俺は、妹の「退院したらリスト」と書きかけの工程表を思い浮かべた。準備は7割。温存の予定は、白紙になった。
三日。妹の次の面会日より、近い。ひよりには何と言おう。……いや、決まっている。掃除が早く終わりそうだと、そう言えばいい。嘘じゃない。順番の話だ。
「工程を組み直します。3日で回る形に。無理と無茶の仕分けは、戻ってからやります」
「はっ。前倒しは嫌いじゃねえ。夜逃げみてえな決戦ってのも、たまにはいい」
順番が繰り上がっただけだ。やる作業は、最初から変わらない。散らかした奴がいる。困っている人がいる。あとは、床だ。
息を吐いて、モップを握り直した。
「やるしかない、ってことですね」
大掃除の日取りが、決まった。




