第55話「最強、反旗を翻す」
病院の正面玄関前で、白い移送車は9分間停まっていた。
王城巧はその9分で、3本の電話をかけた。1本目は弁護団の事務所。2本目は経済紙の旧知の記者。3本目は――10年かけて作った広報の連絡網の、いちばん上へ。
決裁文書の写しは、未明のうちに手元へ届いていた。協会の中にも、夜中の決裁を苦々しく思う人間はいる。10年かけて金と義理で編んだ網は、切られた程度では破れない。
10時を回る頃、玄関前にはカメラが6台並んだ。会見場を借りる時間はない。だから会見場のほうを、ここへ運ばせた。段取りの速さだけは、切る側にいた10年で鍛えてある。使い道が変わっただけだ。
移送班の男が抗議しかけて、やめた。自分の背後の白い車が、6台のレンズに収まっている。映ってはいけないものが映る側は、いつも先に黙る。映す側に10年いたから、知っている。
マイクが集まった。王城は書類の束を掲げた。
「本日未明、ダンジョン協会上層部は16歳の入院患者の移送を決裁した。起案から決裁まで40分。医療上の必要の記載は、1行もない。文書の写しはいまお配りした。数字と日付だけ、ご確認いただきたい」
どよめきが波になった。質問が飛ぶ。あなたは解任されたのでは。狙いは。売名では。
「本日、私財で基金を設立する。名称は『特異攻略者人権保護基金』。規格外の記録を持つ人間を、国や組織の資産として扱わせないための金だ。それから――」
一拍置いた。置き方も、10年で鍛えた技術のうちだ。
「クランと協会の間で、特異な記録の持ち主がどう『商材』として値付けされてきたか。私は当事者として証言する。仲介手数料の相場まで、数字で話せる」
レンズが2台、増えた。金の話は正義より足が速い。知っていて、餌にした。最後の釣りが、初めてまともな用途だった。
「最後に一問。王城さん、なぜあなたが」
昨日までの自分なら、事業判断だと答えた。合理性の語彙なら、在庫はいくらでもあった。
「――返済だ」
それだけ言って、マイクの前を離れた。何の返済かは言わなかった。切り捨てた男の背中に置いてきたものの返済だと、正直に言える日はまだ来ていない。
スロープの上から、車椅子の少女がこちらを見ていた。膝のぬいぐるみごと、小さく頭を下げてくる。
「あの。兄に、何か伝えますか」
「……いや。まだ、名乗れる数字がない」
少女は少し考えて、頷いた。話の早い子だった。あの男の妹だと、それだけで分かった。
◇
深層ってところは、報せの足だけは地上より速い。
昼前、氷室さんの端末が二度鳴った。1回目は吉報だ。移送は差し止め。病室は元どおり。読み上げの途中で、湊の肩から力が抜けるのが見えた。音のない安堵ってのは、ああいうのを言う。
2回目が、俺の出番だった。
「第72層、西側連絡路を降下中の集団を確認しました。総員28名。うち協会公認S級が7名。……私たちの流した偽ルートを、そのまま進んでいます」
「はっ。餌に食いついたのは、鯉じゃなくて鮫の群れか」
拘束部隊。狙いは班ごとの確保だ。偽ルートの先に班はいねえ。だが素通りさせりゃ、網は本ルートまで伸びる。なら答えはひとつだ。偽物の住所に、本物の門番を立てる。
「殴り込みは駄目なんだろ、所長。――なら店番だ。通せんぼに、戦争って名前はつかねえ」
「……理屈は雑さ。だが筋は通っとる」
所長は籠手を一度鳴らして、付け足した。
「殺すな。壊してええのは、装備と面子だけさ」
「注文が細けえんだよ、うちの所長は」
湊がモップを置いて、腰を浮かせかけた。目が階段を探す前に、指を1本立てて塞ぐ。
「お前は本業だ、清掃員。床は任せた。……門は、俺が拭いとく」
「行ってらっしゃい。……備品は経費で落ちないので、壊さないでください」
◇
第72層の西側連絡路は、天然の一本道だ。幅6メートルに高さ4メートル。防衛戦の教科書があれば、表紙に載る地形だった。
俺は道の真ん中に胡座をかいて、缶コーヒーを1本だけ置いた。
28人は、予定より早く来た。見知った顔が先頭に3つ。左端の大男とは、8年前に3か月だけ組んだ。真ん中の隊長格は――芹沢。公認ランク5位。祝勝会で2回、俺に会計を払わせなかった男だ。
「……天海。なんで、あんたがここにいる」
「散歩だ。それよりお前ら、道を間違えてるぜ。ここから先は、ゴミひとつ落ちてねえ」
「業務命令だ。特別観測対象の確保に際し、公認ランク保持者は協力義務を負う。あんたも保持者だ。立ち位置を間違えると――」
「その義務ってのはあれか。ランクの札に、最初からついてる首輪の話か」
芹沢の頭上で、記録ドローンが浮いてやがった。レンズがこっちを向いてる。上等だ。生中継なら、言い直しが利かねえ。
俺は立ち上がって、胸のランクタグを引きちぎった。
10年、俺の値段だった札だ。賞金の桁を決めた。席次を決めた。俺の隣を、10年空席にした。
指の間で、握り潰した。
「協会公認ランク世界1位・天海レイジは、たったいま廃業した」
28人の呼吸が、揃って浅くなった。
「俺は今日から、くまがいクリーンサービスの警備員だ。――通りたきゃ、人類最強を倒してからにしな」
時給は聞いてねえ。あの所長のことだ、どうせ渋い。それでも10年で初めて、肩書が軽くて背中が重い。守るもんを背負った奴の重さだ。悪くねえ。
右端の若いのが先に動いた。名前は知らねえが、血の気は買ってやる。
一歩で間合いを潰して、拳の腹で胸当てだけ砕いた。若いのは3メートル滑って、壁で止まった。息はある。装備と面子。注文どおりの内訳だ。
「次」
誰も動かなかった。芹沢が無線に手をやりかけて、やめた。あの止まり方は知ってる。現場で算盤が合わなくなったときの、責任者の顔だ。残りは27対1。数字の上じゃ大軍で、中身は割り算のできる大人の集まりだった。
「……全隊、撤収。反転しろ」
背を向けかけた芹沢が、半分だけ振り返った。
「天海。札を捨てて、あんた何を拾った」
「はっ。――床を拭く男の、背中だよ」
通じたかは知らねえ。ドローンは最後までこっちを映していた。映しとけ。今日の分は、世界中に配って構わねえ。
◇
キャンプに戻ると、湊が塩むすびを2個、皿に載せて待っていた。警備手当だとよ。現金より利く支払いってのが、世の中にはある。
氷室さんは手帳を開いたまま、俺と端末と、地上の方角を順に見た。
「整理します。一、地上の移送は差し止めが確定。二、深層の拘束部隊は撤退。三、両方の映像が、すでに世界中へ出回っています。……残る障害は、決裁欄の判子。協会上層部、そのものです」
「殴り込み先としちゃ、今度こそ本丸だな」
「物理は要りません」
手帳の間から、古い封筒が1通出てきた。角が擦り切れて、それでも背筋の伸びた封筒だった。
「兄弟子の事故の、握り潰された報告書――公開します」




