第47話「チーム『くまがいクリーンサービス』」
作戦司令室ってやつには、何度か入ったことがある。国連合同のでかい部屋だ。壁一面のモニターに、通信士が30人。飲み放題のコーヒーは、出がらしの味がした。
――で、うちの司令室である。
くまがいクリーンサービス事務所、奥の六畳間。壁には方眼紙を貼り継いだ30年前の手書き地図。その余白を、分析官どのの書き込みが埋めていた。赤が観測値。青が経路。黒い丸はゲートの位置だ。国のモニターより、よほど見やすい画面だった。
卓袱台には湯呑みが4つ。茶請けは煎餅の袋がひとつ。値札が付いたままだった。100円、税別。人類の存亡がかかった机の上で、煎餅が湿気ってやがる。断っておくが、味は保証する。俺がもう3袋目だ。
「揃ったな。最終確認といくぞ」
上座の親父さんが、指し棒代わりのモップの柄で地図を叩いた。作業着の下に例の古い装備を着込んで、革の留め具を鳴らしている。体は六畳間にいるのに、目だけがもう地下にいた。
「行きは業者用ゲートで、第66層まで一気に降りる。申請は清掃業務で通す。そこから先は徒歩だ。第79層までは嬢ちゃんの経路図。その先の白紙は、俺の足で埋める」
「第66層から第79層までの最短経路、確定しました。魔素の薄い時間帯に合わせて、区間ごとの通過時刻も出してあります。……4分遅れると、次の窓まで6時間待ちです。遅刻は、しないでください」
分析官どのが、手帳に定規を当てたまま言った。この人の脅し文句は、いつも数字の形をしている。
「役割を言う。指揮と道案内は俺。観測と管制は嬢ちゃん。魔物と呪いの類は――」
「俺だ」
手ぇ挙げてやった。
「露払いは全部こっちへ回せ。魔物も呪いも、まとめて片す。10年ぶんの在庫処分だ」
「ということさ。で、湊。お前は最後尾で寝てろ」
「寝るのは、無理があると思いますけど」
湊は真顔で、新品のモップを膝に立てていた。柄の先に、まだ値札の輪ゴムが残ってる。
「お前の財布は、核の前で1回だけ開く。道中は開かせん。指の1本も出すな。……それがこの作戦の背骨だ」
「わかりました。道中は、見学と道具の整備で時給をいただきます」
「深夜手当と潜行手当はつける。危険手当は……ああ、言い値でいい」
「じゃあ、据え置きで」
「欲のねえ野郎だな!」
「あの、このモップ、経費で落ちますか」
「落とせ落とせ。請求書はぜんぶ俺の賞金に回せ」
言ったろう。使い道は決まってたんだ。10年ぶんの賞金が、モップと煎餅に化けていく。悪くない換金率だった。
補給の段取りは、分析官どのの手帳に全部入っていた。中継は3か所。第70層と第75層と第79層のゲート脇へ、水と食料と交換部品をゲート便で先送りしておく。
「食いもんは」
「初日のぶんだけ、定食屋に握り飯を頼みました。塩だけのやつです」
「上等だ」
「帰りの管制も私です。全区間、退路のゲートを常に2本確保します。――生きて帰る前提の数字だけを、揃えてあります」
協会一の頭脳が、協会に黙って協会の数字で退路を引いてる。頭が下がるを通り越して、缶コーヒー1箱じゃ足りねえ借りだ。
装備も新しくした。金は俺の賞金だ。親父さんの籠手は革を張り替えた。分析官どのには軍用の観測端末。湊には安全靴と、防塵マスクの上等なやつを箱で渡した。本人は値札を見て、しばらく固まっていた。
「これ、俺の月給より……」
「気にすんな。スポンサー料だ。なんなら背中に俺の名前でも貼っとけ」
「社名以外は、貼らない規則なので」
話が進むほど、俺の中の疑いが晴れていった。これは思いつきの決死行じゃねえ。工程表と観測値と30年の足で組んだ、まっとうな仕事だ。……ただし、最後の議題までは。
「問題は、こいつさ」
親父さんの柄が、地図のいちばん下を突いた。第80層から先。紙の色が変わり、30年前の線だけが細く走っている区間だ。
「核に近づくと、番犬が出る。魔素の王の眷属――湊が第58層で会った『落ちない汚れ』の、親玉に近い連中だ。核ってのは、掃除されそうになると牙をむく。30年前の噴き返しも、あれの仲間の仕業と見とる」
「浄化が効かねえなら、消せねえ。消せねえなら物理だ。つまり、俺の客だな」
「単純に考えるな。ありゃ汚れでも魔物でもない。核の免疫みたいなもんさ。掃除人が近づくほど、濃く湧く」
「観測記録と熊谷さんの手記を照合して、湧出の予兆を3つに絞りました。壁の紋様が揃うこと。魔素濃度の逆転。それと――音が消えること。3つ揃ったら、全員、私の合図で停止してください」
六畳間の空気が、1段沈んだ。煎餅を齧る音がやけに響く。齧ってるのは俺だ。行儀の話は、あとで聞く。
「それと、朝礼を入れる。点呼と工程確認。最後に湊、お前はあのノートを声に出して読め」
「……検品、ですか」
「そうさ。在庫が減っとらんか、毎朝たしかめる。減っとったら、その日の工程は組み直しだ」
湊は胸ポケットの上から、ノートを一度押さえた。
「わかりました。読みます」
「最後に、書類です」
分析官どのが、1枚の紙を卓袱台の真ん中へ置いた。協会の作業申請書だ。
「業者用ゲートの通行申請です。作業内容の欄は『第66層以深・特別清掃』で通します。データの上では、どこから見てもただの清掃業務です」
「『データは嘘をつきません』じゃなかったのかよ」
「ええ。嘘は書いていません。……全部は書いていないだけで」
どこかの清掃員みたいな理屈だった。この班、書式まで似てきやがった。
申請書の上から2行目に、空欄がひとつ残っていた。班名、とある。俺はそこを指で叩いた。
「で、これだ。クラン名はどうする」
訊きながら、少し楽しみにしてた。人類の存亡を背負う4人だ。竜殺しでも黎明でも、でかい名前を掲げる権利はある。書類の2行目くらい、景気のいい字面でもバチは当たらねえだろ。
「決まってるだろ」
親父さんは、考える素振りすら見せなかった。
「――くまがいクリーンサービス、特別清掃班だ」
湊が頷いた。当然の顔だった。
「社名が入ってると、申請が早いんですよね」
「灰崎さん。感想が、それですか」
「はっ――」
笑いが出た。止まらなかった。
はっ、ははは! いいぜ、上等だ。大層な二つ名のクランを10年ぶっちぎってきた俺の、最初で最後の所属先がこれだ。町の清掃屋。時給制。茶請けは100円の煎餅ときてる。
葛西が聞いたら泡を吹くだろうよ。ちなみにあいつへの届け出は「長期修行のため音信不通」だ。行き先は言ってねえ。あいつは嘘が顔に出る。国中がファントムを探してる今、正直者に荷物は持たせられねえ。
だが、断言する。火力は人類最強。道知りは初代攻略者。管制は協会一の頭脳。で、切り札が神の雑巾ときた。……史上、これより強いクランを俺は知らねえ。
親父さんが、万年筆で班名の欄を埋めた。字は、思ったより丁寧だった。それから一同を見回して、乾杯の代わりに一言だけ置いた。
「掃除ってのはな、世界を昨日より少しマシにする仕事だ。今度の現場はでかいが、やることはいつも通りさ。――全員で降りて、全員で上がる。以上、解散」
円陣は組まなかった。胴上げもなしだ。うちの班は、締めまで実務だった。それが妙に頼もしいってのは、どういう理屈なんだろうな。
◇
出発前夜。
装備の最終点検を終えて事務所を出ると、湊が原付にまたがるところだった。
「夜勤か」
「いえ。……面会に。明日から、しばらく行けなくなるので」
「おう」
手紙はもう読まれてる頃だ、とは言わなかった。代わりに、煎餅の残りを袋ごと持たせてやった。
「妹さんと食え。100円とは思えねえ味だぜ」
「湿気てるだけ、だと思います」
テールランプが、病院のある方角へ曲がっていく。
見送る柄じゃねえ。なのに気づけば、灯りが消えるまで突っ立ってた。世界1位が、同僚の原付を見送ってる。10年前の俺が見たら、鼻で笑う図だ。
あの兄妹が今夜どんな答え合わせをするのか、そいつは俺の知ったことじゃねえ。ただ、ひとつだけ賭けてもいい。
あの手紙は今ごろ、封の角がよれるくらい読み返されてる。――妹さんの、その手の中でだ。




