第44話「初代攻略隊」
新品の扉ってのは、蝶番の音まで若い。
弁償だと言って、世界1位が業者ごと寄越した扉だ。建て付けは前より良くなった。築40年のボロ事務所で、いちばん新しいのが扉ってのも妙な話さ。
卓袱台には、地図を広げてある。方眼紙を貼り継いだ手書きの代物だ。インクは褪せ、折り目は千切れかけている。30年、棚の奥で日の目を見なかった紙だ。
湊。氷室の嬢ちゃん。天海レイジ。3組の目が、地図と俺の顔を行き来していた。
「……と、大見得を切ったはいいがな。湊、先に茶ぁ淹れてこい。よっつだ。長丁場になる」
「はい」
あいつが給湯室に立ってる間に、言葉の並べ方を決めた。30年、誰にも話さなかったことだ。せめて並べる順番くらいは、こっちで選ばせてもらう。
湯呑みがよっつ、卓袱台に並ぶ。俺は茶を一口だけ含んで、切り出した。
「30年前の話だ。――当時はまだ、ダンジョンって名前もなかった」
◇
最初の穴は、真冬の埋立地に開いた。
深さの分からん縦穴から、黒い靄が潮みたいに噴いた。近づいた野次馬が倒れた。報道は「有毒ガス」と呼んだ。翌月にはふたつ目の穴が開いて、呼び名が「ガス」から「災害」に変わった。魔素なんて言葉ができたのは、ずっと後のことさ。
病院には、原因の分からん患者が増え始めていた。今でいう魔素症候群の、最初の世代だ。軍が穴に潜って、半分になって帰ってきた。機械は深層でことごとく黙った。それで国は、機械と組織の代わりに「人間」を搔き集めることにした。
山屋に爆破屋、軍崩れの狙撃手に医者。それと、妙な力に目覚めたばかりの若いのがひとり。国が搔き集めたのが、その5人。束ね役に、解体屋の親方だった俺がついて、都合6人。後から書類の上で「第1次攻略隊」なんて旗をもらったが、実態はただの、後のない人間の寄せ集めだった。
シノ、というのが若いのの名だ。
首にいつも手拭いを巻いた、モップも似合わん優男でな。力の判定は「対象の消去・戦闘不適」。役人は「掃除しかできない」と鼻で笑った。本人はへらへらしてたよ。「じゃあ俺、掃除係っすね」だとさ。
――だが、地下でいちばん働いたのは、そいつだった。
降りて分かったことを、順に言う。
浅い層の魔物は、獣の形をしてる。深く潜るほど、形が崩れる。崩れて、最後はただの「染み」になる。壁を這う染み。呼吸する床。……深層ってのは、生き物の中なんだ。俺たちは怪物の腹の中を、胃袋へ向かって歩いてた。
俺は湯呑みを置いて、地図の下半分を叩いた。
「嬢ちゃん。この地図、どこのダンジョンのものに見える」
氷室が地図へ目を落とす。等高線の代わりに、層の断面図が描いてある。
「……第66層以下の構造が、第七ダンジョンの観測データと一致します。ですが紙の古さは、30年前のもの……第一ダンジョンの時代のはずです」
「両方正解、というやつさ」
「穴は別々でも、行き着く先は同じ腹だ。深く降りるほど、どのダンジョンも同じ『体内』へ合流していく。壁の紋様が揃う。方角が意味をなくす。そこから先は、世界にひとつしかない。……だから30年前の手書きが、今の第七の深層でそのまま使える」
レイジが口笛を鳴らした。
「はっ。地図の使い回しが利くなら話が早えや。……で、親父さんたちはどこまで行った」
「いちばん奥さ。――核の間、まで」
◇
最深部に、それはあった。
説明の言葉は30年探して、まだ見つからん。強いて言うなら、傷口だ。世界の床が破けて、裏側から「汚れ」が噴き続けてる。魔素の湧出点。ダンジョンという体の、心臓であり傷であるもの。
降りた6人のうち、核の間の前に立てたのは4人だった。爆破屋は第70層の崩落で。医者は、毒の霧で。……いや、この言い方はやめよう。ふたりは班長の判断ミスで死んだ。俺の帳簿には、そう書いてある。
核相手に、火力は全部試した。爆薬も、狙撃も、俺の腕っぷしもだ。傷口ってのは、殴っても塞がらん。噴く汚れが増えるだけだった。撤退を決めかけた、そのときだ。
シノが、前に出た。
「源さん、ここは俺がやっときますよ」
振り向いた顔は笑ってた。いつものへらへらじゃない。仕事を見つけた職人の顔だった。
「ずっと考えてたんです。俺の力、戦いには向いてない。……けどこれ、要するに、でっかい汚れでしょう」
止める理屈を、俺は持ってなかった。あれだけの修羅場を越えて、班長の頭にあったのは「こいつならやるかもしれん」だ。……聞くべきだった。その掃除の勘定を、誰が払うのかを。
シノが手をかざした。
世界が、澄んだ。
噴き続けてた黒が、端から薄れていく。壁の染みが引く。床の呼吸が静まる。空気が軽くなって、俺は自分が30日ぶりに深く息を吸ったのに気づいた。汚れの底が、見え始めていた。
7割。
あとひと拭き、というところでだった。
シノの輪郭が、薄れてた。
汚れと同じ速度で、あいつが透けていく。手拭いの色が抜けていく。名を呼んだ。返事の代わりに、あいつは親指を立てた。
核が、脈打った。
傷口が裏返るみたいな音がして、噴き返しがきた。黒い潮が、透けかけたシノを呑んだ。俺は突っ込んだ。手を伸ばした。摑んだはずの腕が、煙みたいに指を抜けた。手の甲が焼けた。それでも伸ばした。
届かなかった。
次に目を開けたとき、核の間には黒が戻ってた。7割消えたはずの傷口が、何食わぬ顔で汚れを噴いてる。シノの立ってた場所には、手拭いが1本落ちてるだけだった。
名前は呼んだ。何度呼んだかは、俺の帳簿にも書いてない。
◇
地上へ帰り着いたのは、3人だった。
国の仕事は早かったよ。到達記録は封印。俺たちは名簿から抹消。「英雄の死は士気に障る。最初からいなかったことにする」だとさ。……本物の英雄ってのはな、名簿の外にいるもんさ。あの口癖は皮肉じゃない。ただの、経験談だ。
持ち帰ったものは、ふたつある。
ひとつは深層の遺構から回収した「転送基部」だ。協会の前身がそいつを解析して、量産した基部を無人機で各層へ打ち込んだ。お前らが毎晩使ってる管理ゲートの正体さ。人が踏んでない層にもゲートだけはあるだろう。あれは人が置いたんじゃない。機械が空から釘を打っただけだ。
嬢ちゃんが、湯呑みを置いた。
「……アーカイブの空白の説明が、つきました。第1次攻略隊の到達記録が公式に存在しない。だから第47層は、書類の上では『人類未踏破』のまま――」
「そうさ。ふた月前、うちの新入りが未踏破の第47層を『単独完全攻略』したことになった理由でもある。あそこは30年前に、俺たちが一度通ってる。記録の上で、誰も行ってなかっただけさ」
「データは嘘をつきません。……でも、空白は嘘をつくんですね」
嬢ちゃんは地図の千切れかけた折り目を、指でそっと押さえた。
持ち帰ったもうひとつは、こっちだ。
俺は右手の甲を、卓袱台の明かりの下に置いた。古い火傷の痕。シノへ伸ばした手の、領収書だ。
◇
解体屋には戻らなかった。代わりに、清掃会社を興した。
理由は単純さ。シノの力は、いつかまたどこかで生まれる。役人はそれをまた「ハズレ」と呼ぶだろう。なら、あの力の値段を知ってる人間が、受け皿を出しとくしかない。「深夜・ダンジョン清掃」。30年、求人だけは絶やさなかった。
シノの力の調査書類は、解散のどさくさで俺が全部持ち出した。だから世の中に、浄化の記録は1枚も残ってない。協会の検査官がお前の力に「クリーンアップ」なんて吞気な名前をつけたのは、そのせいさ。比べる台帳が、どこにもなかったんだ。
ふた月前、面接に来た若いのは、履歴書より先にうちの床を見た。汚れの位置を、目で数えてやがった。初出勤の夜に手袋の先を見て、確信したよ。シノと同じだ。汚れを見ると、体が先に動く側の人間だと。
その湊は、さっきから湯呑みに口をつけてない。長い話の間、挟んだ質問はひとつだけだ。「そのシノさんって人、道具は何を使ってたんですか」。……モップだと答えたら、目元が少しだけ緩んでいた。
その湊が、初めて身を乗り出した。
「所長。シノさんは、核を7割まで消したんですよね。なら、残りは3割です。同じ掃除を俺がやれば――」
「話は、まだ終わっとらん」
自分で思ったより、低い声が出た。
「あいつは核を7割まで消した。だがな。浄化ってのは、消す対象と自分を『引き換え』にする力なんだ」
卓袱台の上で、湯呑みが三つ止まった。
「タダで消せる汚れなんぞ、この世にはない。小さい汚れなら、小さい何かを。でかい汚れなら、でかい何かをだ。シノは核と引き換えに、自分の全部を差し出した。7割ってのは……あいつの、全額の値段だ」
レイジの眉が動いた。嬢ちゃんの顔から色が引いていく。察しのいい連中だ。もう気づき始めてる。この8か月、毎晩ダンジョンを磨いてきた男が何を支払ってきたのか、という話にだ。
当の本人だけが、きょとんとした顔で自分の手袋を見ていた。
「引き換えって……俺、別に何も減ってないですよ。強いて言えば、疲れくらいで」
「湊」
知らせずに送り出すことは、二度とやらん。そう決めて30年待った。だから今夜、全部言う。
「灰崎。お前の【クリーンアップ】の代償――最近、何か『忘れて』ないか」




