第26話「ざまぁ、第一波」
火種は、木曜の未明に投下された。
匿名掲示板・ダンジョン板。深夜2時に立った画像スレが、夜明けを待たずに祭りの会場になった。
【画像】ゼノギア様の極秘作戦、結果がこちら
添付は3枚。鏡みたいに白い床。磨き上げられて黙り込む鉄の箱の列。最後の1枚は、箱の上に置かれた手書きのメモだった。
『ご担当者様 特別清掃、完了しました。汚染が酷かったので2時間超過しました。承認お願いします』
612:名無しの探索者
状況が分からん。誰か3行で
613:名無しの探索者
ゼノギアが数億の重力結界でファントム捕獲作戦
→2晩張って戦果ゼロ
→なぜか現場だけピカピカになって、この置き手紙
614:名無しの探索者
グラビティ・ケージ(笑)
615:名無しの探索者
捕獲する側が掃除されてて草
616:名無しの探索者
むしろファントムに清掃料払え
617:名無しの探索者
「承認お願いします」が今年いちばん強い日本語
618:名無しの探索者
数億かけて掃除されただけの会社
619:名無しの探索者
資源ごみ→遭難→清掃。三部作、完結してて草
620:名無しの探索者
株主だけど笑えない。笑ってるけど
スレは40分で埋まった。次スレのタイトルには、もう(笑)が標準装備されていた。
朝のトレンドは上位が3つ。#グラビティ・ケージ、#承認お願いします、#ゼノギア。昼には有志の検証班が画像の型番から装置の市価を割り出し、「総工費・推定数億円」の図解が10万回共有された。夕方には「承認お願いします」のスタンプが配信され、その日のうちに販売首位に座った。世間の風刺は、仕事が早い。
ワイドショーは3日連続で特集を組んだ。コメンテーターが真顔で「企業統治の問題です」と論じ、隣の芸人が「うちの事務所より掃除が行き届いてますけどね」と続けた。スタジオの笑い声の数だけ、時価総額が削れていく。
祭りの中心では、今夜も火柱が上がった。
「はいはーい、緊急生配信よー。考察系配信者、ノロイちゃんでーす。結論から言うわ。今回の作戦、データで見ても満点の間抜けなの」
「いい? 重力8倍の結界が、戦闘痕ゼロで停止してるのよ。ファントムは戦ってすらいないわ。掃除の邪魔だから、片付けた。数億の檻の扱いが、廊下の段ボール箱と同じなの」
「あの会社に言うことはひとつだけ。――清掃料、払いなさい」
同時接続は自己記録を更新した。スーパーチャットの金色の中を、例の文言が滝になって流れ続ける。承認お願いします。承認お願いします。
夜のニュースが、締めを打った。スポンサー2社の契約解除。ロゴの露出を止めて様子を見ていた2社が、そろって船を降りた。翌日の株価は寄り付きから崩れ、引けを待たずに年初来安値を更新した。
――ゼノギア本社、大会議室。
緊急役員会は、開始10分で法廷になった。
「予測の責任は解析班でしょう。91パーセントは誰の数字ですか」
「装置の排気設計の問題です。あの汚染がなければ、清掃の発注そのものが発生していない」
「警備の問題だ。箝口令を破った人間を、まず特定すべきで――」
「そもそも、決裁したのは代表ご自身で――」
言いかけた口が、途中で閉じた。閉じ方だけは、全員一流だった。
被告席だけが空いている法廷だった。王城巧は上座から、発言者の指の向きを順に見た。全員が、外を指している。数字が上を向いているあいだ、この部屋の指は揃って上を向いていた。数字が下を向いた途端、指は横を向く。組織の壊れ方の、教科書の1ページ目だった。
リーク元の特定は、初動で捨てた。現場要員30名に、本部と技術班。画像を撮れた人間は3桁いる。犯人を吊るしても、株価は1円も戻らない。数字にならない復讐はしない主義だ。……主義の残高も、そろそろ心許ないが。
会見は15時からだった。
控室の鏡の前で、ネクタイの結び目を1ミリ直す。前の会見と、同じ動作だった。違うのは台本だ。広報の原稿12枚を、今回は1枚も捨てられなかった。謝罪。遺憾。再発防止。数字にならない言葉だけで、3枚目まで埋まっていた。
登壇して、マイクの角度を直す。最前列に、前回やり込めた記者の顔があった。今日は向こうが、静かに笑っている。攻守というものは、こうもあっさり入れ替わる。
「このたびは、世間をお騒がせしましたことを……深く、お詫び申し上げます」
フラッシュの壁に向かって、王城は頭を下げた。
角度は測らなかった。測る意味がない。今日の礼は、何度をどう切っても謝罪にしかならない。
下げた頭の、暗くなった視界の中で。
ひとつの顔が、浮かんだ。
磨き上げた床の上で、静かに頭を下げた男。爪の間に黒の残った手を膝に揃えて、抑揚のない声で言った男。
――5年、お世話になりました。
あの日、下げさせたのは俺だ。今日、下げているのは俺だ。図形が一致した。それだけのことのはずだった。雑用の解雇と、数億の空振りと、白い交差点。並べたところで、帳簿の上では他人同士だ。因果の線は、どこにも引けない。
引けないのに、顔が消えない。
思い出せるものは、少なかった。声と、手と、礼の深さ。顔の造作は、もう輪郭が怪しい。5年間そこにいた男について、保存してあるのはコスト欄の数字だけだった。
フラッシュは焚かれ続けた。シャッター音の数だけ、明日の見出しが刷られていく。頭を下げたまま、王城は自分が何秒数えていたのかを見失った。
――同じ頃。市立病院、402号室。
世界でただひとり祭りと無関係の男は、プリンの蓋を開けていた。
「特売で2個。1人1個だ」
「おお、豪遊だ」
ひよりはベッドの上でスプーンを構えた。点滴は2本のまま。それでも今日は、頬に色がある。数値のいい週は、顔を見れば分かる。テレビは消えたままだった。世間の騒ぎは、この部屋には入ってこない。
「カラメルは先派? 後派?」
「考えたこともない」
「人生の3大質問なのに」
「そうか。……そういえば、今月は特別手当が出る。残業も2時間つけた」
「はたらきものだ」
「だから今度、いちごを買ってくる。特売じゃないほうだ。駅ビルの、札に『特選』って書いてあるやつ」
ひよりのスプーンが、止まった。
「……それ、高いやつじゃん」
「投資だ。お前の機嫌は数値に効く」
「効くねえ。効いちゃうねえ」
ひよりは笑って、自分のプリンの最後のひと口を俺の容器に落とした。
「利子です。特選の前払い」
「元本より軽いな」
「ところで、蓋の裏は?」
「……何がだ」
「プリンの蓋の裏だよ。舐める派? 派閥があるの」
「洗って、資源ごみに出す派だ」
「出た、職業病」
「ね、お兄ちゃん。退院したら、プリン・ア・ラ・モードを作りたいなあ。特選いちごの余りで」
「余らせる予定はない」
「じゃあ2パックだね」
頭の中で電卓が鳴ったが、聞かなかったことにした。世界がどれだけ騒がしかろうと、俺の経済はプリンといちごで回っている。回っているうちは、たぶん大丈夫だ。
――同じ夜。駅裏の雑居ビル、3階。
くまがいクリーンサービスの事務所で、熊谷源三はテレビを消した。
画面には直前まで、頭を下げる背広の男が映っていた。世間は「幻」の続報で過熱し、報道の網は日ごとに狭まっている。狭まる先には、あの眠そうな夜勤の若造がいる。
机の上の写真立てを、手に取る。色褪せた6人が、旧式の防護服で笑っている。「第1次攻略隊」の旗の下、若い自分の隣には手拭いを首に巻いた男がいた。
熊谷は長いことそれを見て、静かに伏せた。
「……そろそろ、潮時かもしれんな」
誰もいない事務所で、湯呑みの茶だけが冷めていった。




