第18話「王城、気づき始める」
応接室に、名刺が7枚並んだ。
協会日本支部が2枚。内閣の「特異攻略者対策室」が2枚。残る3枚は横文字で、肩書の欄に「合同調査団」とある。通訳まで2人付いてきた。うちの応接室で通訳を見るのは、創業以来初めてだった。
王城巧は7枚を等間隔に置き直して、上座を勧めた。肩書の長さと権限の重さは比例しない。ただ今日の7枚は、どれも重い側だった。
「事情聴取ではありません。あくまで、任意の情報提供のお願いです」
対策室の調査官がそう前置きした。役所の「任意」は、断る選択肢の値札を先に見せてくる言い方だ。
「当方は数字でお答えします。どうぞ」
「では、率直に」
口を開いたのは調査団の男だった。通訳を待たず、癖のない日本語で続けた。
「我々は《ファントム》初観測より前の『兆候』を、世界中の記録から探しました。気象、魔素、市場。どこにもない。――一件を除いて」
タブレットが卓を滑ってくる。表示されていたのは、見慣れた形のグラフだった。見慣れた形が、見たくない向きに折れている。うちの事故報告の推移だ。
「初観測の直前、御社は大規模な人員整理を行った。そして初観測の後、御社の事故率だけが世界で跳ね上がっている。装備の腐蝕。素材の風化。拠点内の魔素中毒。異常の時計は、御社の帳簿から動き始めています」
「偶然の並びです。数字は相関と因果を区別しない」
「同感です。だから確かめに来ました」
男は指を2本立てた。
「人員整理の名簿。それから、整理された業務の一覧。ご提供を」
「人事情報です。令状をどうぞ」
「結構。手続きします」
男はあっさり引いて、それから初めて笑った。目は笑っていなかった。
「王城代表。我々の興味は、御社が『何を切ったか』にあります。令状が出るまでに、社内でご確認されておくといい。――我々より先に答えを知りたいのは、御社のはずだ」
聴取は50分で終わった。応接室には7枚の名刺だけが残った。こちらは何も渡していない。それなのに、全部持っていかれた気分だった。
その夜、代表室に呼んだのは監査室長と総務部長の2人だけだった。
「内部監査だ。過去5年分。事故記録、装備更新費、医療費。保険料率と廃棄損も付けろ。全部門だ」
「外部への提出用ですか」
「出すな。役員にも伏せろ。報告はこの部屋で、口頭のみ」
「……比較の基準は、何に置きますか」
「業界平均と」
一拍、空いた。空いた自分に、爪の先が鳴った。
「――人員整理の、前と後だ」
2人は顔を見合わせなかった。見合わせないように、していた。
監査の結果が揃ったのは、3日後の深夜だった。
机に積まれた資料の、最初のグラフで説明が要らなくなった。
遠征事故率。過去5年の平均、0.3パーセント。業界平均の10分の1を切る。この数字はうちの看板で、営業資料の1ページ目だった。
それが人員整理の日を境に、12パーセント。
「計測ミスだろう」
「私も最初に疑いました。3回、検算しています」
監査室長は手元も見ずに答えた。3晩、同じ数字と寝起きした人間の声だった。
次のページ。装備更新費。うちは長年、他社の半分以下で回ってきた。「整備体制が優秀」というのが定説で、王城自身、株主総会で毎年そう説明してきた。そのグラフが同じ日から、業界平均を上へ突き抜けている。
医療費が続く。保険料率の改定通知が続く。ページをめくるたび、別の項目に同じ形が現れた。なだらかな低地が、ある一点で崖になる。
「崖の起点は、全項目で同じ日です」
監査室長は日付を読み上げて、口を閉じた。
読み上げられるまでもなかった。その日付の書類なら、引き出しの一番上に入ったままだ。
退職処理票。氏名、灰崎湊。所属、雑務係。勤続5年。
王城は資料を閉じて、逆から解き直した。数字が合わないとき、若い頃からやってきた手順だ。仮に。あくまで検算のための仮定として、あの男の「雑用」が装備の寿命を延ばしていたとする。素材の鮮度を保ち、拠点の魔素を抜いていたとする。床と結界も、あの男が磨いていたとする。
すると、5年分の帳簿の説明がつく。
0.3パーセントの説明がつく。半額の更新費の説明がつく。「優秀な整備体制」の正体の説明が、ついてしまう。
まさか。
ありえない。
あんな、何の資格も持たない男が。
検定なし。等級なし。測定可能な戦闘適性は最低評価。年収分の付加価値を数字で示せない。だから切った。あれは感情の判断ではない。数字の判断だ。数字は裏切らない。裏切らないが――その数字の土台を、この5年、誰が毎晩磨いていた?
爪の先が天板を打った。1度。2度。3度目の前に、手を握って止めた。
思い出せる顔が、ろくにない。朝の廊下で会釈をされた気がする。頼んでいないのに剣が研ぎ直してあった、と誰かが言っていた。議事録に要らないと切り捨てた、あの呟きだ。事実として覚えているのは、帳簿のコスト欄の5年分だけだった。
5年間、毎日そこにいた男の顔を思い出せない。それはつまり、5年間ただの一度も、事故でその名を呼ばずに済んだという意味でもあった。
「――この資料の存在を知っているのは」
「この部屋の3人です」
「そのままにしろ。令状で出す資料から、雑務系の人件費明細は外せ。適法の範囲でだ」
総務部長が頷いて、それから遠慮がちに口を開いた。
「代表。仮に、あくまで仮にですが……調査団が同じ崖に辿り着いたら」
その先は言わせなかった。言葉にされたら、形になってしまう。
各国が億単位の契約金を積んでいるという噂は、渉外経由でとうに届いている。世界中が正体不明の「何か」を探している。うちの帳簿は、その「何か」の輪郭とは別物だ。別物の、はずだ。
考えるのをやめた。いや、考える場所を変えた。幽霊の正体探しは国の仕事だ。うちの仕事は、うちの数字を元の形に戻すことだけだ。狂った原因が1人なら、1人戻せば直る。単純な計算だった。
それが計算ではなく、祈りに近い何かであることは、認めない。
「人事部に回せ。極秘扱いだ」
声は普段どおりに出た。出てくれた。
「灰崎湊の――現住所を調べろ」
総務部長が短く息を吸った。それが返事の代わりだった。
窓の外は、雨が降り始めていた。枯れ切った観葉植物が、鉢ごと窓際で黙っている。捨てろと言いそびれたまま、もう2週間になる。
数字にならない男の居場所を、数字の男が探し始めた。その一歩がどこへ続く坂なのか、坂の上からは、まだ見えない。
――同じ夜。協会・記録分析室。
氷室紗雪の机では、3枚のモニターが同じ記録を映していた。階層消失の発生ログ、この1か月分。
発生は深夜0時から明け方5時のあいだ。平日のみ。土日は完全に停止する。祝日も止まる。
災害は、暦を読まない。天才の気まぐれは、祝日を尊重したりしない。この波形と同じ形をした存在を、紗雪は一種類しか知らなかった。
勤怠だ。それも、夜勤シフトの。
「……データは嘘をつきません」
端末に、いつかの聞き込みのメモを呼び出す。深夜帯に入坑できる業種。業者用搬入ゲートの通行権限。のらりくらりと煙に巻いてきた、あの清掃会社の所長。それから――一度だけすれ違った、欠伸まじりの会釈。
深夜帯。清掃会社。
「……あの、眠そうな人」
メモの端に、紗雪は小さく書き足した。まだ、誰にも見せないページだった。




