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第17話「各国、動く」


 照会文書は、17通で止まらなかった。


 週明けの霞が関。内閣官房参事官・首藤の机の上で、それは午前中だけで23通に増えた。差出人は米国にEU、大陸連邦、その他諸々。文面はどれも似ている。曰く――貴国で観測された正体不明の単独攻略者につき、情報の共有を求む。


 外交文書の「求む」は、命令形の丁寧語だ。役所で25年も翻訳業をやっていれば、それくらいは読める。


 窓の外では、羽田行きの航路が混んでいるらしい。今週に入って、政府専用機の着陸申請は6件。観光シーズンには、まだ早い。


「参事官。米国特使の入国目的、公式には『観光』だそうです」


「観光客は政府専用機で来ない」


 その観光客と会ったのは、当日の午後だった。


 迎賓室のソファに腰を下ろした特使は、天気の話を1分で切り上げた。


「単刀直入に申し上げる。我々は当該人物を、単独で戦略兵器に匹敵する個人と評価しています」


 通訳を挟む間も惜しいらしい。特使は書類を1枚、テーブルの上へ滑らせた。永住権。専用研究施設。家族への生涯医療保障。最後の行の数字は、ゼロを数えたら9個あった。


「契約金です。ドル建てで、この桁を保証します」


「……振込先の口座番号は、ご存じなのですか」


「それを貴国に伺いに来ました」


 名前も顔も分からない相手に、うちの省庁の年間予算より重い札束を積む。積めるほうも積めるほうだが、こちらには積み返す札束がない。笑顔の裏で電卓を叩き合うのが外交だとすれば、こちらの電卓はいま電池切れだった。


 同じ頃、大陸連邦の国営放送は真逆を向いていた。


『いわゆる《ファントム》なる存在は、西側観測網の誤差の集積に過ぎない。なお我が国の誇る第7攻略旅団は今期、世界最深到達記録を更新する見込みであり――』


 存在しないと言い張った翌日に、「ファントム対策特別委員会」の設置が衛星写真から漏れた。存在しない相手の、対策委員会。あの国の議事録は、役人として一度読んでみたい。


 ジュネーブの協会本部は、一番綺麗な声明を出した。


『特異攻略者は特定国家の資産ではなく、人類共通の財産として中立に管理されるべきである』


 中立管理。訳せば「うちが先に押さえる」だ。今週の地球上で、辞書どおりの意味で動いている言葉はひとつもない。


 その間も、電話は鳴り続けた。外務省経由の「非公式の関心」が11件。大使館主催の晩餐会への招待が3件。相手は違っても、聞きたいことはひとつだけだ。――そちらの幽霊は、いくらで売るのか。


 金曜の夜、官邸の地下で会議が開かれた。


 長机を囲むのは外務・防衛・経産、それに協会日本支部。全員の手元に同じ資料がある。表紙には【特異攻略者関連情勢について(取扱厳重注意)】。


「国防上の重大事案です。仮に当該人物が他国へ渡った場合、戦力バランスは――」


「渡さなかった場合の試算もお願いしたい。これは使い方次第で、最大の外交カードになる」


「カードも何も、肝心の札がまだ見つかっていません」


 協会日本支部の担当者が、観測資料を配った。作った部署の机には、栄養ドリンクの空き瓶が並んでいたという。数字は明快だった。稼働は深夜0時から明け方5時まで。平日のみで、土日は完全に止まる。


「……兵器のデータではありませんな、これは」


 誰も笑わなかった。笑う体力の残っている者が、この部屋にいなかった。


 短い沈黙。資料をめくる音だけが続いた。手札のないポーカーに、17か国が席を着いている。降りる椅子だけが、どこにもない。


 結論は1時間で出た。内閣に「特異攻略者対策室」を新設。任務は各国に先んじた《ファントム》の特定と、接触と、保護。


 室長の席は押し付け合いの末、こちらへ回ってきた。25年の役人人生で、一番実体のない辞令だった。人員は各省の寄せ集めで12名。予算の欄には「必要に応じて」とだけある。要するに、誰も本気の桁を書けなかったのだ。


 深夜の対策室で、部下がホワイトボードに数字を書き並べていく。


 米国の提示額、推定10億ドル。大陸連邦の特別委予算、非公開。協会の管理基金、3億スイスフラン。防衛省の試算する戦略的価値は、算定不能とあった。


 世界がひとりの人間に付けた値札は、板1枚に収まらなかった。


 ――同じ夜。都内、駅前の100円ショップ。


 俺は掃除用品の棚の前で、かれこれ20分動けずにいた。


 モップが、3種類ある。


 糸の房のやつ。マイクロファイバーのやつ。絞りレバー付きのやつ。深層の現場は水場が多い。絞りやすさは作業速度に直結する。つまりこの選択は、今後の勤務の質を左右する重要案件だった。


 レバー式は絞りが速い。ただ、柄の強度が引っかかる。第53層で骨の魚に柄を齧られて以来、道具の骨格は信用しないことにしている。


 手に取る。絞る動きを試す。棚に戻す。隣のやつを試す。


 三周目で、レバー式の柄が二重構造になっているのを見つけた。芯まで金属が通っている。これなら齧られても折れない。開発した人と握手がしたい。


 決まりだ。


 ついでに替えの手袋と、隅用のゴムベラも籠に入れた。深層の経費が自腹なのは玉に瑕だが、道具は自前が一番手に馴染む。仕事道具を値切らないのが、うちの家訓だ。今日決めた。


 レジ横の棚で、いちご味の飴が売られていた。手が伸びかけて、やめた。飴はいらない。この調子で稼げば、駅ビルの生のやつに手が届く。妹に飴で間に合わせる兄では、いられない。


 会計を済ませて、レシートを確かめてから財布にしまう。


 モップ 108円。


 いい買い物だった。これで今夜の水回りが速くなる。時給1,250円なら、およそ5分で回収できる投資だ。5分働いて現場の安全が買えるなら、こんなに堅い取引はない。


 自動ドアを出ると、夜風が乾いていた。今夜の現場は第54層。誰も知らない職場で、誰も値段を知らない清掃員が、108円の新品を提げて世界記録を更新しに行く。


 週明け、対策室には各国からの「善意の情報共有」が集まり始めた。


 回りくどい外交文の底で、どの国も同じ場所を掘っていた。米国の分析報告が来た。大陸連邦からは傍受記録の断片が、協会からは内部監査資料が回ってきた。


 重ねて、透かして、線を引く。


 一つの名前が、浮かび上がった。


 《ファントム》初観測の直前に大規模な人員整理を行い、以後、原因不明の事故が急増している国内最大手クラン。


 ――ゼノギア。


 首藤は赤いペンで、その名前を二重に囲んだ。


 月曜の朝礼で、最初の調査対象として告げるつもりだった。世界より先に、まずこの名前の裏を洗う。……偶然にしては、できすぎている。



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― 新着の感想 ―
熊さんが搾取してるんじゃなくて依頼先が搾取してるんじゃないかと思うのよね
…はやくおちんぎん上げたげてぇ…(´;ω;`)
未だに熊が搾取し続けてるのか。 ヘイト溜まるなぁ
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