第13話「入れ違いの夜」
午後7時の記録分析室は、モニターの光で青白かった。職員が入れ替わり立ち替わり、同じ映像を確かめていく。第40層で6名孤立。救助は明朝。昼間の生中継は、夕方のニュースで百回は擦られていた。
「進入は明朝、ねえ」
俺は断面図の前で、空の缶を握り潰した。安全確認だの二次遭難防止だの、言い分はあるんだろう。あるんだろうが、要するに朝まで6人を岩の底に寝かせるって話だ。
「協会の決定です。抗議なら広報窓口へ」
「分析官どの。あんたの赤いピン、もう一回見せてくれ」
氷室紗雪の嫌味を聞き流して、俺はピンの列を眺めた。47層。52層。39層。31層。この幽霊の狩り場に、値札はついていない。ついているのは危険度だけだ。放っときゃ人が死ぬ場所から、順番に消えていっている。
「なら聞くがな。今夜、この街でいちばん危ねえ場所はどこだ」
紗雪の目が、モニターの速報へ戻った。それから数字の並びと俺の顔を、二度見比べる。
「……第40層。負傷2名、魔素酔い4名。周辺の敵性反応は百以上」
「だろ。幽霊は今夜、40に来る。俺は先回りする」
「飛躍です。行動予測にはサンプルが足りな――」
言いかけて、彼女は眼鏡のブリッジを押さえた。長い沈黙は、この人にしては珍しい。
「……論理としては、否定できません」
「はっ、だろうな」
「探索者の進入経路は、正面ゲートの1系統に集約されています。張るならそこです。それと、単独行動はしない。条件は生きていますよ」
「善処する」
「いちばん信用できない返事ですね」
――同じ頃。駅裏の雑居ビル3階。
くまがいクリーンサービスの事務所では、音を消したテレビが同じ速報を映していた。熊谷源三は発注書の綴りを開き、来週の欄の一行に線を引く。
第七・第40層周辺、定期清掃。実施日、本日に繰り上げ。判は自分で押した。30年もやっていりゃ、前倒しの理屈なんぞいくらでも書ける。
「灰崎。今夜は現場変更だ」
「40層って……昼からニュースでやってる階ですよね。人が閉じ込められてるとか」
「らしいな。おかげでだいぶ散らかってるそうだ」
「……ああ、なるほど。なら、掃除しときますね」
「搬入ゲートから入れ。正面は今夜、混むぞ」
指示書を胸ポケットに畳んで、青年が階段を降りていく。足音が消えてから、熊谷は「救助は明朝」のテロップへ湯呑みを軽く掲げた。
「……朝まで待てってのはな、待たされたことのねえやつの台詞さ」
――午後11時。第七ダンジョン管理棟、正面ゲート前。
俺は柱の陰にいた。帽子は深く。缶コーヒーは4本目。世界ランク1位の張り込みである。葛西が見たら胃を押さえて泣く。
ゲートの部屋は夜通し明るい。夜勤の職員が2人、端末の前で船を漕いでいる。一度こっちに気づいて色紙を持ってきたが、断った。サインをしない。約束は覚えている。惜しかったが。
0時。誰も来ない。
0時半。まだ来ない。
尻が石の温度と等しくなった頃、電話が震えた。
「観測値が動きました。第40層です」
「読み通りだな! で、いつ入った」
「それが……敵性反応は0時過ぎから減少を続けています。魔素濃度も。この崖みたいな落ち方は、47層と同じです」
俺は正面ゲートを見た。誰も通っていない。この4時間、まばたきも惜しんで見ていた。
「進入記録は!?」
「正面はゼロのままです。保守系統の記録は別管理で、照会は明日の窓口になります」
「お役所か!」
「お役所です。――ひとつだけ確かなことを。あなたの読みは当たりました。入り口だけが、外れています」
俺はゲートの部屋に飛び込んだ。ここからは看板の出番だ。
結論から言うと、人類最強は百の魔物より書類に手間取った。夜勤の職員は権限がないと震え、電話口の観測部長は3秒で陥落したくせに、安全装置の再認証とやらが小一時間。「特例・先行安全確認要員」の腕章が発行されたときには、空が白み始めていた。
午前4時半。転送の光。
――第40層は、いい匂いがした。
鉄と血を覚悟していた鼻に、薄荷みたいな洗剤の香りが抜けていく。ヘッドライトを回すと、光が床で照り返った。
磨いてある。
岩盤の通路が、旅館の廊下みたいに磨き上げてある。報告にあった崩落の瓦礫は、壁際に大きさ順で積んであった。几帳面か。敵性反応百以上の群れは、影も形もない。戦闘痕もない。焦げ跡ひとつ、血の一滴も落ちていない。
通路の先の待避区画に、6人はいた。
毛布にくるまって、寝ていた。
装備は脇に畳まれ、武器は刃の向きまで揃えてある。負傷者2人の腕には応急の固定。枕元には水筒が並び、そばの岩に手書きの札が立ててあった。
『お忘れ物(探索者6名様)――回収お願いします』
……写真で見た字だ。52層の『資源ごみ』と、同じ字だった。
「おい、あんたら! 誰に助けられた!」
揺すると、隊長格の男が薄目を開けた。濁った目が、俺の後ろの何かを探す。
「……モップ、が……」
「モップ?」
「魔物が、汚れみたいに拭かれて……我々も、その……回収され……」
男はそこで力尽きて、また寝た。よく寝てやがる。命の恩人の顔も見ないで。
俺は通路の奥へ走った。床の照りは突き当たりまで続いている。走りながら歩数を数えた。往復すりゃ2キロは堅い。その全部が、磨いてある。
突き当たりに、業務用の搬入ゲートがあった。表示灯は緑。稼働ログの最終行――4分前、行き先・地上。
4分。
たった4分前まで、ここにいた。
「……っ、また会えなかった!」
声が通路に反響して、6人の誰かが寝返りを打った。俺は地団駄を踏んだ。踏んでから、誰にも見られていないことを確かめた。危ないところだった。人類最強の地団駄は、たぶん高く売れる。
磨かれた床に、あぐらをかく。
数字を並べてみる。百以上の掃討。瓦礫の撤去。6人ぶんの救護と搬送。そのうえで、床の磨き上げ。掃討だけなら、俺も同じ時間でやれる。だが手当てをして、毛布をかけて、床まで磨く時間はない。
速さで並ばれて、丁寧さで千切られた。
「はっ……」
笑いが漏れた。この10年で一度も出なかった種類のやつだ。強いだけの相手なら、待ちくたびれる前に何人か見た。会いたいのはこういうやつだ。百の魔物を拭き取った同じ手で、他人の毛布の端を直していくようなやつだ。
電話をかける。ワンコールで出た。
「回収班を寄越してくれ。6人とも無事だ。手当てまで済んでる」
「……そうですか。ファントムは」
「4分差で退勤しやがった」
回線の向こうで、息だけの笑いが聞こえた気がした。気のせいかもしれない。
「なあ、分析官どの。あの幽霊はな、いいやつだぞ」
「データで語ってください」
「毛布と包帯と、忘れ物の札。ほら、3点ある」
今度のは、気のせいじゃなかった。
待ってろよ幽霊さん――は、もうやめだ。待つのは性に合わねえ。会いに行くぜ、そっちがどこの誰でもな。
――午前5時過ぎ。地下の管理棟ホール。
地上行きの大型エレベーターは貨物兼用で、呼んでもなかなか降りてこない。俺は操作盤の前で肩を落としていた。徹夜の収穫は空き缶6本と、幽霊の人柄がひとつ。腹の虫が、さっきから抗議を続けている。
隣に、誰かが並んだ。
作業着の青年だった。コンビニ袋を提げて、あくびを噛み殺している。石鹸を煮詰めたような匂いが、ふわりとした。
「お疲れさまです」
「……おう。お疲れさん」
エレベーターの扉が、のろのろと開いた。




