第12話「会見と炎上」
会見の30分前。控室の鏡の中で、王城巧はネクタイの結び目を1ミリ直した。
演台に置く台本は3枚。広報が上げてきた原稿は12枚あったが、9枚は捨てた。謝罪、遺憾、再発防止。数字にならない言葉を、王城は原稿に残さない主義だ。
残した言葉は3つ――被害、違法、捕獲。
「代表、直前の確認です」
広報部長が端末を差し出してくる。株価の推移だ。第52層の失態が漏れて以来、右肩下がりが2週間続いている。あのグラフに右肩下がりを許したのは、代表就任以来初めてだった。底を打たせるための、今日の会見だ。
「メディアは全社入りました。ただ、その、質疑は荒れるかと。例の……札の写真が、また出回っていまして」
『資源ごみ(回収お願いします)』
あの手書きの札は、写真1枚でうちの時価総額を3パーセント削った。笑った人間の数だけ、うちの数字が減った計算になる。なら、笑いの向きを変えればいい。嘲笑は消せない。だが向け先は変えられる。
「予定どおりだ。今日からうちは、被害者になる」
もうひとつ、仕込みは打ってある。与野の精鋭部隊は今朝、第40層へ降りた。会見の締めに「作戦行動中」の一報を映す。口だけの会社ではないという画が、いちばん株価に効く。
14時。フラッシュの壁に向かって、王城は一礼した。角度は15度。それより深い礼は、謝罪に見える。
「本日は、事実を数字で語りに来ました」
スクリーンに第52層の攻略権許可証を映す。発行日、署名、協会の押印。
「当クランは正式な許可を得て、第52層の攻略権を保有していました。その現場に、何者かが無断で侵入した。討伐対象を無断で処分し、当クランが得るはずだった素材を遺棄した。市場価値にして数十億。これは攻略ではありません。窃盗であり、業務妨害です」
会場がざわめいた。いい波だ。ペンの走る音が、明日の見出しの太さに聞こえる。
「世間は《ファントム》を英雄のように扱っていますが、無許可・無申告の深層立ち入りは探索者法の明確な違反です。よって当クランは本日、対ファントム特別捕獲チームの設立を発表します。違法攻略者は――わがゼノギアが、捕獲する」
フラッシュが焚かれた。質疑の手が林のように挙がる。
「ファントムは結果として災害を防いでいる、という指摘もありますが」
「善意なら信号を無視していいと、あなたの社は書くんですか」
記者が黙る。半分は敵意、半分は好奇。どちらも視聴率に換算できる。今日の王城には、どちらも客だった。
「なお、口先でないことの証明として――現在この瞬間も、当クランの精鋭部隊が第40層で作戦行動中です。結果は、追って」
異変は、質疑の3人目で起きた。
袖に控えた広報部長の顔色が、照明でも隠せない白さになっていた。端末を握りしめて、口だけが動いている。だい、ひょう。
王城はマイクの角度を変えずに、進行を巻いた。
「時間です。数字はすべて、配布資料で」
袖に入るなり、端末を耳に当てた。
「こちら与野! 第40層深部で立ち往生! 盾の術式膜が3枚同時に剥離、帰還用の座標記録も消失! 負傷2、魔素酔いが4……り、離脱不能です! きゅ、救助を要請します……!」
看板部隊の隊長の声だった。軍隊調が、語尾から溶けている。背後では何かの崩れる音と、若い隊員の咳き込みが重なっていた。
「……協会へ救助要請を。非公開でだ」
「それが」
広報部長の声が、喉の奥で詰まった。
「作戦車両の通信が、会見中継の回線に乗ったままでした。……今の要請は、生放送に流れています」
王城は3秒、動かなかった。頭の中を走ったのは損失の計算ではない。計算式そのものが、白紙になっていた。
炎上は、夕方のニュースを待たなかった。
『【悲報】ゼノギアさん、捕獲宣言の10分後に救助要請』
『他人を捕まえる前に自分の部隊を助けたら?』
『違法攻略者さんに助けてもらえば? ついでに掃除もしてくれるぞw』
『資源ごみ→遭難。今期いちばん面白いクラン』
トレンドの1位から3位までが、うちの名前で埋まった。例の考察配信者まで緊急生配信を立てたらしい。「他クランを煽ってる場合じゃないでしょ。まず社員を助けなさいよ」。正論は、敵に回すといちばん高くつく。
夜になっても、代表室の電話は鳴り止むという機能を思い出さなかった。
主要株主が3人、続けて説明を求めてきた。スポンサーが2社、ロゴの露出停止を通告してきた。協会は救助隊の編成に「二次遭難防止の安全確認のため、進入は明朝」と返してきた。第40層の6人は、朝まで岩と魔素の底で待つことになる。うちの精鋭が、だ。
日付の変わる頃、最後の電話を置いて、王城は初めて部屋の静けさに気づいた。
窓際の観葉植物は、枯れ切っていた。誰も水をやらないからだ。やっていた人間を、切ったからだ。
気がつくと、机の上に1枚の書類が出ていた。
退職処理票。氏名、灰崎湊。所属、雑務係。勤続5年。退職事由、会社都合。
いつ引き出しを開けたのか、覚えがない。指が勝手に、経歴の欄をなぞっていた。あの男がいた5年間、装備は腐らなかった。素材は枯れなかった。拠点で人は倒れず、精鋭は道に迷わなかった。数字にすれば、ただの偶然の並びだ。偶然。そのはずだ。
議事録に要らない、と切り捨てた若手の呟きだけが、一言一句再生できた。あの人がいた頃、剣が腐ったことなんて一度も――。
「……なぜ、あいつの顔が浮かぶ」
声に出してから、口を閉じた。理屈は繋がらない。雑用と遭難のあいだに、引ける因果の線はない。数字にならないものを信じないと決めて、10年やってきた。
決めているのに、書類をしまう手が動かない。
磨き上げた爪の先が、天板を叩いた。1度。2度。爪の間が黒かった頃の、考え事の癖だ。とうに捨てたはずの癖だった。
深夜0時過ぎ、内線が鳴った。観測班に張り付かせていた渉外担当だった。
「代表。協会の救助隊は、まだ地上で待機中です。ですが――第40層の観測値が、動き始めました」
「救助より先に、誰が入った」
「不明です。正面ゲートの進入記録は、ゼロのままで。それなのに」
早口の実務屋が、一度だけ言葉を切った。
「……何かが、もう中にいます」




