第5話
2週間、彼女と連絡が取れない。
オレのメッセージに既読すらつかない。
忠告されるまでもなく、『All You Heartful』には近寄らなかった。
彼女の動向を、あらゆる専門技術を使って調べた。
しかし特別なことは、何も見つからない。
あの健康的な黒髪、笑うと慈愛に満ちるまなざし、澄み切った声。
会えない日々が続けば続くほど、そうした彼女の特徴へ、愛着を持っていた自分に気付く。
決してストーカー扱いされない程度に、でも決して、オレの存在を忘れられない程度に、メッセージを送り続けた。
そんな中で、アキラが捕まったと、仲間から知らせがあった。
アキラはオレと違って、専門知識なしに、ああした行動をしていたから、当然、いつかは足がつくだろうと予想はしていた。
———でもアキラが供述でオレのことをバラしたら……
可能性はゼロじゃない。
オレは手際よく、アップしていた動画を削除し、アプリ上での自分の痕跡を抹消した。
不安に駆られると、動画で晒しものになってるヤツらを笑っては、気を紛らした。
そんな日々の最中、期待は大きく望まずに、また彼女へメッセージを送った。
“知らない若手だけど、かなり面白い芸人の動画見つけた、一緒に見ない?”
その文面を送信して、すぐに既読がついた。
数週間、こちらからのメッセージに反応がなかったので安心をした。
しかし、返信された彼女のメッセージは辛辣だった。
“もう先輩と一緒に笑いたくない。
先輩が笑うところを私も笑えば、人でなしへと堕ちてしまう気がする“
彼女との関係が危険な水位に達したことを察して、すぐさま通話をかけた。
彼女は間もなく通話に出たが、黙ったままだ。
「もしもし、聞こえてる?
あのさ、別に大げさに考えなくてもいいじゃね?
楽しいことを楽しむのがいけなかったら、生きていけないよ。」
オレの問いかけに応答はない。
「何を笑うのがいけないのか、教えてくれれば、オレだって理解はできると思う。
もしもし、あのさ……」
「……道ずれにしないで。」
「えっ?」
「私を先輩の道ずれにしないで。」
その一言の後、動作音と共に通話が切れた。
“一度、会って、冷静に話さない?”
すぐにオレのメッセージに応答があった。
“25日 15:00 ツルハビル5F テラスカフェ”
文面はそれだけ。
そのぶっきらぼうな態度に面食らったオレは、何も返信できなかった。
—◇—◇—◇—◇—◇—◇—◇—
25日の日曜は、穏やかな気候で、道行く人々の表情も、どこか和やかだった。
15:00きっかりに指定されたテラスカフェに到着すると、オレを出迎えたのは、あの娘、そう先日、晒しものにした、あの娘だった。
「いらっしゃいませ。
お待ち合わせの席へご案内いたします。」
あの集いの日に見せた憂いの顔が嘘のように晴れて、明るく自信に満ちていた。
彼女は文庫本を読んでいた。
数週間ぶりに見る、その姿に懐かしさを覚えた。
「お客様、お友達をお連れいたしました。」
———お友達? 恋人だろ!
彼女は文庫本から視線を上げ、オレを見つめた。
それは心の様子が、一切掴めない、冷たいまなざしだった。
オレは席につくなり話しかけた。
「あの娘、ずいぶん回復したじゃん。」
彼女は荒々しく文庫本を閉じて、テーブルに置いた。
「自殺未遂があったばかりだけど、動いてないと不安になって危ないから働かしてくれって頼まれて、ここでの仕事を紹介したの。」
「自殺?」
「そうよ。」
オレは、きびきび働く娘を見てから言った。
「でも死ななかった。
そうやって『死にたい』って周りを脅迫して、同情を引こうとしているだけかもしれない。」
「先輩、あの集いの後、あの娘の身に何があったかは分かってるわよね?
そして、その責任はアナタにあるということも。」
「何ソレ、良く分かんない。」
「あの告白をネットで公開して、あの娘を晒しものにした。」
「誰に吹き込まれたの?
そんな妄想。」
彼女はマグカップを持ち、少しだけ口にしてから、蔑むようにオレを見つめた。
「私はずっと、あの娘のそばで、元気づけてきた、『大丈夫、アナタにはアナタにしかない命の尊さがある』って。
でも、なかなか、あの娘を満足させてあげる言葉が見つからない。」
———あの醜い娘が尊い?
オレはたまらず笑ってしまった。
「そんなムキになったって、その甲斐はないよ。」
「私は真剣に、あの娘のことを思って、答えを出そうと努力してるの。
その姿勢を途中で笑いによって馬鹿にして、中断させないで。」
「立派な答えなんかAI使えば一発だし、ネット閲覧するだけだって、いくらでも見つかるじゃないか。
そんな徒労はしないで、楽しくいられないの?」
「たとえ答えが重複しても、私の答えは、私の言葉。」
どうにかして彼女を自分の土俵へ引き寄せる言葉はないものか、思案した。
「先輩、何もかも茶化して、うやむやにしないで。
私は本当に答えを得たいの。」
「これは愛嬌だよ。
それすら許されない程に余裕がないの?」
「愛嬌によっても、人を卑しめるのは許されないと、私は悟ったの。」
「だけどさあ……」
「先輩、笑うのは自由だけど、その自由の権利を際限なく行使すると、あれ荒むのよ。」
「堅苦しけりゃ、相互理解はないよ。
笑い合って和睦しなきゃ。」
「笑いは問題を飛ばすこと。
笑いは問題を省くこと。
笑いは心の成長を疎外するの。
笑いや嘲笑は相手への理解の深化を妨げ、停止させてしまい、不完全な理解のもとで、無様だと攻撃するものだわ。
そうして先輩は理解を怠り、全てを低く卑しめて、笑いものにするだけ。」
「そのために努力したって、新たな発見なんかないよ。
世の正義は決まり切ってる。」
「先輩は感じて変化することを恐れて、笑いで誤魔化してる。
でも私は、その時々で感じるものを受け入れて、自分の変化を恐れない。
その変化の先には、新たな希望があるはず。
先輩は笑いでもって自ら解決の糸口を閉ざして、惰性で人生を無駄に浪費してる。」
「自分のことはともかく、そんな不確かな期待、ネットの通念が一掃してしまうさ。」
「年寄りの、どちらかと言えば、右寄りの?」
「その言い方は偏見だ。
これは公理そのものさ。」
しばらく沈黙が続いた。
今すぐにでも彼女を愛撫したいのに、一度でも触れようものなら、2人の絆はたちまち崩壊すると思えた。
「今の私にとって、アナタは邪魔以外の何者でもない。」
彼女の最後通告。
さすがにオレはキレた。
「それなら、なんでオレなんか選んだんだ!」
「どうして愚かな男を好きになるかなんて、女に聞かないで。
そんなこと女は知らないし、知っていても、決して口は割らない。」
「じゃあ、もう『シロ』とよりを戻しに行けよ。」
「『シロ』は高潔すぎて、私では釣り合いが取れない。」
「じゃあ、それで?
そのために、妥協で、間つなぎにオレと付き合ったのか?」
彼女は真一門に唇を閉ざし、しばらくオレを睨みつけたが、程なくして立ち上がり、手荷物を置いたまま、テラスから去っていった。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
可愛さを強調し過ぎたメイクは、かえって娘の醜さを際立たせていた。
そして清楚なウェイトレスの衣装が、更に、その醜態に拍車をかけている。
周りにおだてられ、尊厳を着飾って、調子に乗ってる娘。
オレは、たまらず、その無様なさまを笑った。
「イーヒッヒッ! イヒッ! イヒッ! ハーヒャッヒャッ! ハヒャッ! ハヒャッ! イーヒッヒッ! イーヒッヒッ!」
———その偽りの尊厳を笑いで破壊し、丸裸にしてやる!
「イーヒッヒッ! ハハハッ! ハヒャッ! ハヒャッ! イーヒッヒッ! ハーヒッヒッ! ハーヒッヒッ!」
咄嗟に娘は瞼を閉じ、両手で耳を塞いで、しゃがみこんだ。
そしてオレの笑いに耐えられなくなると、そのまま目と耳を塞ぎ、走り出した。
その姿は疾走したかと思うと、テラスの柵を超えて、重力に引かれるがまま落下した。
下から人の悲鳴が響く。
呼応するように、オレはテラスから駆けていった。
幸いにも現場を見ていた人間はいないようだ。
歩道に臥した身体。
おそらくは、すでに死んでいる身体について、それに至るには全く関係を持たぬ者として、傍観していた。
オレは死を疑っていなかった。
だから死人が言葉を発さぬように、自分のことも口外はされることはないと安心していた。
しかし、その身体は再び動き、顔を上げた。
まなざしは、真っ先にオレを捉え、睨んでいる。
消えゆく間際、最後の命を全てかけて、そのまなざしは、オレに呪いを放っていた。
でも、残りの命はわずかで、無念のうちに、その身体は死へと沈んだ。
命を抜き取られ、抜け殻となった身体、つまりは死体。
その無残さ、あまりにもの悲惨な姿に、たまらずオレは息を飲んだ。
———笑わなければ、こんなことにはならなかった
娘の呪いは、オレを罪の意識に縛り付け、決して逃亡を許さない。
オレは犯した罪から身動きができなくなった。
そして犯した罪に従順になればなるほど、自分が最低に思えた。
だが、今、この娘に謝罪をすれば、疑われてしまう。
何でもいい、今すぐ贖罪がしたい。
気づいた時、オレは実家の墓へと歩んでいた。




