お人好し勇者 後編
レイたちはジークフリートを連れてシュナウザー王国の高級宿に転移した。彼のために確保していた隣の部屋である。
ジークフリートは窓の外を眺めたあと部屋を見回して言った。
「なんかグリザールと似たり寄ったりですね。こっちのほうが妙に寂れてますが」
「魔法がある世界の街並みって、こういう感じが多いかな。ここから今の地球並みに科学が発展するまで、あと二千年以上はかかるだろう」
「魔法があれば機械はそれほど必要じゃない、ってことですか」
「魔法を使える連中が科学の発展を妨害するパターンかな。自分らの権益を守るために」
「はあ……もし仮に、僕がこの世界をぶっ壊そうとしたらどうなります?」
「ソッコーで魔王認定される。神は自分が作った世界を破壊するものに容赦しない」
「つまり僕を討伐するために別の勇者が連れてこられるわけですか」
「そうだな。君は強いから五人くらいで勇者戦隊を作るかも。それか、特例として俺が直接手を下すか」
野火の腕や首筋に鳥肌が立つ。慌てて首を振った野火が真っ青な顔でレイに懇願する。
「す、すみません、レイさん。冗談でも言っていいことではなかったです」
「いやぁ? 冗談はいくらでも言ってかまわんよ。言うだけならな」
「に、二度と言いません、どうかお許しください」
「ははは、気にするな。それよりこの世界の魔王だが」
そう言ってからレイはイチを振り返る。イチは部屋の隅でガクガクと震えていた。
「ミノタウロスが魔王を名乗ってるんですか? よっぽど特殊な個体なんでしょうか?」
「魔物にしては割と知能が高いと思います、ジークフリートさんと同レベルでしょうか。それ以外はまだ調べ切れておりません」
先ほど湖畔での会話がよほど腹立たしかったのか、イチのジークフリートに対する態度は少し辛辣だった。
「たとえばですが、単に『魔物の国の王』を自称しているだけ、という可能性ってありませんか?」
「アホがお山の大将を気取っているだけ、ということですか?」
ミノタウロスの知能をジークフリート並みと前置きしておいて、それをアホとけなす。三段論法で言えばジークフリートもアホということである。
「あの……まあアホかどうかは置いておいて、僕が前回相手をした魔王は下級悪魔でした。奴の下にはオーガの軍勢がいて、そいつらがミノタウロスやオークなどを使役していました。ですからミノタウロスが魔王というのはちょっと、あまりに格下すぎやしないかと」
「ジーク、悪魔だろうとミノタウロスだろうと、仮に人間であったとしてもだ、そいつがこの世界の均衡を大きく崩そうと企んでいたら、魔王と認定されて討伐対象になるんだ」
「くだんのミノタウロスがはたしてどう考えているか。本人に聞いてみなくちゃわからないですね」
本当に討伐されるべき相手なのか。これはジークフリートがお人好しとかの話ではなく、裁く側として当然の責務だとレイも考えている。
「隣国の噂では、近日中にワイバーンで攻めてくるそうだが」
「いきなり空爆ですか? それをゆるせば僕がいても少なからず被害が出ます。もし本当ならこっちから先に攻め込まないと」
「噂の信ぴょう性がわからないんだ」
「やはり魔王に会いに行きます」
「まあいいか。とりあえず明日は王宮に顔だけ出しに行くぞ」
翌日、いつもの応接室。宰相と国王の正面にはレイとジークフリートが座っている。今日はお茶が出されていた。お茶請けとしてピーナツが皿に盛られている。それをつまんでいるのは国王だけだが。
「まさか勇者ご本人を連れてこられるとは。毎回人を驚かせるのが得意なようですな」
「ええ、状況が思ったより複雑そうなんで、勇者にも調査を手伝ってもらおうと思いましてね」
「で、見積もりのほうはいかほどに?」
「ズバリこの国の金貨五十枚! はっきり言って破格です。今回は特別にそれで手を打ちます」
「宰相! それくらいなら払えるであろう!」
思っていたより安かったため、国王のテンションが一気に上がる。
「確かに想定していた額よりかなりお安いが」
「なにも裏はありませんよ。ただ、場合によったら魔王は討伐せず、不可侵条約か友好同盟を結んでもらうかも」
「な、何を言われる! 勇者殿は魔王を倒すのが仕事ではないのか!」
「我々が魔王と呼ぶのは、世界の破壊者です。魔物の国で王となっても、それがいわゆる魔王だとは限らないのですよ」
「ミノタウロスに人間と闘う気があるのか、僕が行って確認します。攻め入るつもりならその場で首をはねますが、もし平和主義者なら、話し合いの余地があるのではないかと」
勇者ジークフリートが凛として言い放つ。
「いやしかし。他の世界でそう言った例はあるのですかな」
「魔物と人間が共存する世界ですか? もちろんあります。ただ、その関係が永遠に続くという保証はありませんが。でもそれは人間同士でもおなじですし」
「確かにその通りだが。いや、わかった。で? 勇者殿はいつ魔王に会いに?」
「今日これから出ます」
「馬を飛ばせば魔王の山まで四日ほどでしょうな。妨害がなければですが。馬はこちらで用意した方がよろしいですかな」
「いえ、必要有りません」
レイが首を横に振る。
「もしや魔王の山まで転移できるとか?」
宰相は改めてレイを見る。いつも突然現れて、かき消えるよういなくなる。それはレイが転移魔法を使えるからに相違ないのだが。
「できますがそれはしません。ここからは勇者の仕事ですから。私は邪魔ができないのですよ」
「レイ殿のいた世界では、『協力』を『邪魔』と呼ぶのですかな」
「私が手を出すことすべてが勇者の邪魔になります」
「いろいろ決まりごとがあるようだ。とにかく勇者殿、無事を祈ります」
「ありがとうございます」
レイとジークフリートは王都を囲う城壁の外に転移した。東側なのでレオンベルガー軍は見当たらない。
その場にイチを呼び出した。
「えっ、イチさん、今日は女性の格好ですか」
イチは黒っぽい紫一色のワンピース姿である。背中が大きく開いており、白すぎる肌がまぶしい。ただ、体型的に特筆すべき点はない。それを指摘すると社会的に問題なので、ジークフリートもじろじろ見ないように気を付けている。
「レイ様と街中を歩くときしか男の格好はしませんよ」
「少年風はレイさんの趣味なんだ」
「趣味言うな! 女の子より男の子のほうが、世間的にも言い訳がつくだろう? 俺はこう見えて聖人なんだ。食うこと以外の欲は神域に置いてきたよ」
「食欲だけはあるんだ」
「あと、ゴージャスなものを好みますけどね」
「それはいいからとっとと行ってこい」
「はいレイ様。明日には戻ります」
イチの背中に紫がかった透明の翼が生えた。大きな鳥の翼だ。
「うわっ、びっくりしたぁ。って、その羽根、背中から生えてるわけじゃないんですね」
ジークフリートが言うように、よく見ると翼の付け根とイチの体は繋がっていない。
「ただの視覚効果だよ。じゃあ気をつけてな」
そう言ったレイにイチはうなずくと、ジークフリートの腕をつかみ、そのまま天空に舞い上がった。
「うひゃあああ」
二人の姿が、ジークフリートの叫び声と共にたちまち小さくなっていく。相当なスピードだ。
「まあ、あいつも勇者だから腕がちぎれることはないだろう」
レイの姿もその場から消え去った。
腕を掴まれたジークフリートの体はほぼ水平状態だ。それほど高速で飛んでいる。強烈な風圧で頭が左右に振られ、ジークフリートはしゃべることもできない。ただ、もし声を発しても、この風切り音のせいで何も聞こえないだろうが。
半時間も飛んでいただろうか。山の斜面に激突するように着地した二人は、涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃだった。
「ぶひぃぃぃ、もうちょっと優しく飛んでくださいよ」
「一分一秒を争います。さっさと済ませて王都へ帰りましょう」
「いや、そこまで急ぐ必要もないと思うのですが。というか、風圧で髪と顔がぐちゃぐちゃなのに、よくドレスが脱げ落ちませんでしたね」
「引っ掛かりがないくせに、という意味なら殺します」
「あ、いや、そういうわけじゃ。それに、イチさんってまだ十歳くらいでしょう? 僕の姪っ子も同じような体形でしたよ」
「私は十四歳です」
十四というのはレイの使徒になった時の年齢である。それからもう何年も経っているが、レイもイチも成長は止まっていた。
「え? 中二ですか? それはまた……いや、なんというか」
「なんも言うな。黙って仕事をしろ」
「あ、はい、すみません。って、早速なにか近づいてきたみたいですね」
そう言ったジークフリートの右手には、すでに長剣が握られていた。ログハウスの前で研いでいたものだ。異空間収納魔法を使えるようだ。
「私は手を出しませんので」
「もとより了解してます」
ジークフリートが気配に向かって身構える。長剣は片手で持ったままだ。
木々の間から黒い毛の塊が飛び出してきた。相手は二体。
ジークフリートが片手のまま逆袈裟に切り上げる。『ドスン』という音とともに一体目が横に飛ばされる。瞬時に足さばきで体をずらしたジークフリートは、素早く剣を振り下ろした。
『ギャン』とひと鳴きして地面にたたきつけられた黒い生物は、オオカミの変種のようだ。
「オクリオオカミか。こいつは『一匹見かけたら百匹はいると思え』って言われているやつです」
「え……と、言われているって、誰に?」
「え? グリザールではそう言われていると、城の兵士に教えられましたけど」
「で? 見たことあるんですか? 百匹のブラック・ウルフ」
「いや、そんな大量には……って、『ブラック・ウルフ』って言うのですか? じゃあ僕が知っている『オクリオオカミ』とは別種なんだ」
「いや、ジークフリートさん? あなたたぶん」
「待って、新手だ」
そう言って視線を四方に向けるジークフリート。
「なんか大勢集まってきたようですね。空へでも逃げますか?」
イチがジークフリートを案じるように言う。勇者とはいえ、戦闘には一年間のブランクがある。
「ほら、やっぱ百匹……って、いや、オオカミだけじゃないな。イチさん、魔王の住処はどっちの方向です?」
「あっちです。ここからだと一キロほどしか離れていません」
そう言ってイチが指さした方向には、やはり鬱蒼とした木々しか見えない。
「突っ切ります」
そう小さく叫ぶとジークフリートは森の中に飛び込んだ。バキバキと枝をへし折る音に混じり、『ドカッ、ドスン』と鈍い音が聞こえる。
イチはその場でため息をつきながら黒いオオカミの死骸を見る。首は変な方へ曲がっているが、胴体とは繋がったままだった。
「峰打ち?」
イチは翼を広げ、上空へ舞い上がった。
レイは宿の部屋でノートを整理していた。相変わらず金釘流の難解文字で記されているが、開いているページには不思議な形に線が引かれていた。
「これが王都で、レオンベルガーの兵二千五百が西側に散開していて。今朝のコウモリの話ではシュナウザー兵の駐屯地が北東のこの辺と、南西のここか」
線は地図だったようだ。
「もしレオンベルガー兵の噂通り、ワイバーン部隊が上空から攻めてきたら……たぶんシュナウザー兵は間に合わないんじゃないか?」
そう呟きながら首をかしげるレイ。
「おや?」
レイは顔を上げ、窓の方へ近づいていく。
コウモリが一匹飛び込んできて胸にしがみついた。
『キキキーイ、キキ』
そのコウモリはレイを見上げて鳴き声を上げる。
「ワイバーン部隊だと?」
レイは宿の屋根に転移した。外資系の高級宿だけあって、周囲の建物より数段高く、とても見晴らしがよい。
知らせくれたコウモリはおそらく必死で飛んできたのだろう。だがワイバーンはすでに城壁の真上まで来ていた。その数七匹。V字に編隊を組んでいる。
「西から?」
その時、別のコウモリが飛んできた。
『キキキキイイイ、キキッキ』
「レオンベルガー兵もこっちに向かっているのか? 動きが早すぎるじゃないか」
レイはワイバーンを目で追う。七匹それぞれが大きな岩の塊を足で掴んでおり、一直線に王宮を目指しているようだ。
住民がほとんど出歩いていないせいもあり、街は静かなものである。
「せめて鐘ぐらい鳴らせよな。ちょっと王宮に行ってくる」
二匹のコウモリにそう告げると、レイの姿が消えた。
山の中腹に向かって道ができていた。といっても以前からあるわけではなく、勇者ジークフリートが通ってできた道だ。小さな戦闘を繰り返しながら登ってきたため、木々が薙ぎ払われて道になったのだ。魔物の死体が点々と散らばっている。
ジークフリートは今まで振っていた剣を投げ捨てた。地面の石に当たって金属音を建てた長剣は、すでに刃がこぼれ、歪んでいた。
「魔物は峰で打ち、木は刃で切り倒すなんて。ジークフリートさんって器用なんですね」
そばに舞い降りたイチが長剣を見ながら言う。
「ええ、予備の剣はそれ一本しかないですからね。ここまで折れないよう大切に使いました」
そう言ってジークフリートは空間から両刃の大剣を取り出し、それを両手で構える。
「さっきまでのが予備で、その大きな剣が本番用ですか」
「ええ、魔王は硬いですからね、あの剣じゃ切れない」
目の前には少し開けた空き地があり、ミノタウロスが三体、武装したオークが十体、ジークフリートと向かい合うように立っていた。
「でも、あの中に魔王はいないようですけど」
「中ボスを倒したら出てくるんじゃないですか」
そう言い残してジークフリートが十三体の魔物に突進する。
オークが駆けだしてきたが、どうやら狙いはイチのようだ。
「イチさん!」
ジークフリートが叫んでイチを振り返ろうとしたが、一体のミノタウロスが巨大な斧を投げつけてきた。
躱さずに大剣ではじき返すジークフリート。『ガギン』と大きく鈍い音がしたが、大剣に刃こぼれはない。
二体のミノタウロスがダッシュで近づいてくる、左右の手には一本ずつ斧を握っている。
ジークフリートは半身で身構えながらイチを視界に入れる。が、心配する必要はなさそうだ。くるくると踊るように、手刀で次々オークを切り刻むイチの姿が目に入った。
「僕が十人いても敵いそうにないや」
そうつぶやいて大剣を水平に薙ぐ。一体のミノタウロスが右腕を切り飛ばされた。
レイは宰相ロッドワイラーの執務室へ転移した。この部屋や王の居室は事前に場所を把握してあった。コウモリが調べたのだが。
「「ぬおおおっ」」
突然部屋のソファに足を組んだレイが現れ、宰相ともう一人、武官らしき男が大声を上げた。
「あっ、この変な服の男は召喚のときの!」
男のほうが腰の剣に手を駆けながら叫ぶ。しかしレイはそれを無視してロッドワイラーを見る。
「このままじゃここに岩塊が降ってくるぞ」
落ち着いた声でそう告げるレイだが。
「御心配には及ばん。ワイバーンが運べる程度の岩で、この部屋が潰れることはありません」
今この宮殿に向かっているワイバーンは尻尾を入れて体長五メートルほど。いくら魔力で補助しながら飛ぶとはいえ、足で掴めるものはせいぜい百キロほどだろう。中型バイク程度の重さだ。三階建ての一階にあるこの部屋まで潰されることはない。
「それを聞いて安心したよ。ところで宰相閣下」
レイが眼差しに力を込めてロッドワイラーを見る。男が剣を抜いた。
「バカ者! 剣を収めろ。この方に無礼は許さん」
「しかし」
「お前は黙ってそこに立っていろ。……レイ殿、申し訳ない、部下の無礼をお詫びいたします」
「宰相、ひとつ聞きたい。この国は隣国との戦争のために勇者を召喚したのか?」
「それは断じてない。勇者はあくまで魔王討伐のためです」
そのとき宮殿が揺れ、『ドーン、ドドーン』と何度か大きな音がした。
「安心してくれ、岩はすべて中庭に落ちたはずだ。あいにく俺はこの宮殿の構造を知らなくてね。万が一潰されてはかなわんからな」
「か、かたじけない。恩に着ます」
武官の男がレイを見て呆然としている。今の二人の会話から、レイが何らかの力を使い、ワイバーンが落とした岩を中庭に誘導したと想像できる。ではそんなことができるレイとは何者なのか。
「こちらの調べでも、確かにお山のミノタウロスは魔王を名乗っているようだ。だからそれを倒すために勇者を召喚しようとしたのもわかる」
レイはこの一連の動きを頭で整理しながら、ゆっくりと言葉を選びながら話す。
「…… ……」
ロッドワイラーは黙ってレイの話を聞いている。
「わからないのは、王族間で姻戚関係のあるレオンベルガーと、なぜ今戦争になるのかということだ」
「さっきのワイバーンは魔王軍ではなくレオンベルガーだと?」
「ああ。やつらは東のアレイ山脈ではなく、西から飛んできた。どうやって飼いならしたのかはわからないが、まちがいなくレオンベルガーの所属だ」
「ふう、貴殿が言われる通りですよ。一年前からレオンベルガーは、なぜかこの王国を狙いだした。そのためにワイバーンまで飼いならして」
「それを掴んだあんたらは返り討ち、いや、逆にレオンベルガーを手に入れようと画策した。あの国は海に面している。海産物の宝庫というだけでなく、大型貨物船の港まである。内陸のシュナウザーにとって、喉から手が出るほど欲しいのではないか?」
レイはさっきからの姿勢を少しも崩さず、淡々と話しを続ける。
「確かにその通りですが、先に仕掛けてくるのは奴らですよ」
「仕掛けやすいようにわざわざお膳立てしてやったろう? まずは魔王軍襲来の噂を流し、王都から民衆を退避させる。避難先は王室の自治領だけでなく、隣国ラインベルガーもリストに入っていたな。しかもそちらには民衆に紛れてゲリラ戦特化の兵まで送り込んでいるらしい」
「…… ……」
「そうして王都を空っぽにすると同時に、レオンベルガーとは対魔物戦の軍事協定を結び、やつらの兵が王都の周囲に展開できるよう仕向けた」
「対魔王軍同盟は生き残るために必須でしょう」
「レオンベルガーも『しめしめ』とほくそ笑んでいるだろう。その結果が今の王都包囲だ。しかも食料供与というおまけつきだ。軍だけでなくレオンベルガー本国にまで送っているのは、自国民を受け入れてくれたお礼というわけか?」
「やはり貴殿は神なのでしょうな。調査だけでそこまで核心に迫ることは不可能でしょう。ならば、わが王国とレオンベルガーの戦争が、魔王軍と勇者殿とは無関係だとおわかりかと思いますが」
実は先ほどレイが言ったことは、別に調査で明らかになったことではなく、単なる推理に過ぎなかった。もし仮にレイが神様だったとしても、そこまで見通せるわけないではないか、と心の中で叫びたい。
「人間同士の戦争が忙しくて魔王軍に対応しきれず、それで勇者を召喚したのだろう? だが安心しろ。魔王軍は魔王軍だ、勇者が責任をもって対処する」
魔王のことはレイのほうで引き受ける。それだけ確約しておく。
「ありがとうございます。これで戦争に集中できます」
「とはいえまだまだ分からないことだらけだ。そもそも貴国は隣国に勝てるのか?」
敵軍を王都に引き込んで何らかの罠にはめることは間違いない。しかし敵国を陥落させるには、攻め入って王城を占領する必要がある。そこまでの兵力が貧乏なこの国にあるのだろうか。
「そのためにこの一年間、国家予算のすべてを軍事費に割り振りました。対魔王戦のためだと口外しておけば、名分も立ちますでな。おかげで現在の兵力はレオンベルガーの三倍。負ける道理がありません」
「わかっていると思うが、なにごとにも絶対はない。それに、変なフラグを立てるようで申し訳ないが、どうもまだなにか裏がありそうな気がする。ああ、隣国レオンベルガーのことだが」
その言葉を聞いて、宰相がふっと笑ったような気がした。
「絶対勝つとは申しますまい。しかし、九割以上の確率でわが王国は勝利しますぞ」
そのときイチから念話が入った。
『レイ様、魔王がどこにもおりません』
『勇者が現れたのを知って逃げたか?』
『それが、魔物の数も少なすぎるのです』
レイは新たな不安を覚える。嫌な予感というものは得てして現実となる。
「うん? どうかなされましたかな」
どこか心配げに黙り込んだレイを見て、宰相が声をかけた。
「いや、魔王がどこかへいなくなったそうだ」
「勇者に恐れをなして逃げたのですかな」
「まだわからない」
執務室の窓ガラスに外から何かがぶつかった。
「あ、悪いが窓を開けてもらえるか? うちの使い魔だ」
武官男が恐る恐る窓を開けると、黒いコウモリが飛び込んできた。
「どうした?」
『キィ』
「なんだって! 五分ほど前に魔王軍が森の出口に現れただと? 数は三万?」
「さ、宰相閣下、今あのコウモリは、一回『キィ』と鳴いただけですよ」
武官が宰相に目配せをしながらささやいた。
『キキィ』
「くそっ、山の麓から森の地下に数十キロのトンネルを掘っていたというのか」
『キッキキィキィ、キキキキキィ』
「いや、お前が謝る必要はない」
「さ、宰相閣下、本当に会話してるんですかね?」
武官がレイとコウモリを交互に見ている。
『イチ、そういうわけだ、ジークを連れてすぐ戻ってくれ』
『えっ? なにかあったのですか?』
さっきのコウモリとの会話は念話に乗せていない。イチにはなんのことかわからなかった。
「えっ? あ、そうか、キィキキィ」
「さ、宰相閣下」
「決してツッコんではならぬぞ」
とりあえずコウモリの報告をイチに話す。噛んで含めるようにゆっくりと。
『えーっと、最初から言うとだな、つまりミノタウロスの魔王が、軍勢を引き連れて、森から出てきた、と』
『ええっ! しかし森は平穏で』
『山のふもとからトンネルを掘り、森の地下を通ってきたようだ。おそらく気配も消していたんだろう』
レイがそう言い終わると、イチは返事もしないで念話を切った。
「あいつ、どうしたんだ? ……あっ、お前はもう行っていいぞ。ご苦労だった」
レイはテーブルの上で自分を見つめているコウモリにそう言い、喉を撫でてやった。
『キキッ』
コウモリが一鳴きして飛び立つ。窓から出る直前に兵士の方に顔を向け、歯を見せて笑った。
『レイ様!』
イチが念話を入れてきた。
『おう、どうしたんだ、さっきは突然切って』
『こちらでトンネルの入り口を見つけました』
『えっ? トンネルを探していたのか? わざわざ? それよりもすぐ戻ってきてほしいんだが』
『はい、このトンネルを使って後を追えば、いずれ魔王軍のしんがりに追いつくと思います』
『いやいやいや、地下を走るより空を飛んだ方が速いと思うぞ』
『えっ?』
『うん、いいからすぐ戻れ。宮殿一階の宰相部屋にいるから』
『は、はいレイ様。そちらに急行します。もちろん空を飛んで』
『待ってる』
「すまん、今、念話を使って部下と話をしていた」
レイが宰相たちに説明する。念話の内容はもちろん宰相たちにはわからないが、レイが非常に疲れていることは見て取れる。一緒にいるジークフリートの影響か、少しボケているイチに疲れたのだが。
「ううむ、念話とはかなり魔力を使うものらしいの」
それとは知らぬ宰相がつぶやいた。
それから約半時間後、宰相執務室の窓の外で、『どおおおん』と激しい音が響いた。宰相が淹れてくれたお茶が波打つ。
レイ、宰相、武官の三人が窓の外に目をやると、土煙の中から二つの人影が現れた。
「勇者殿と……えっ? 子供?」
ジークフリートの隣にいる、髪の毛がばさばさのイチを見て、宰相が驚きの声を上げる。二人は今が初対面だ。
高速で飛んできたのだろう、二人とも涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔に、着陸時の土煙を被ったせいか、それは激しくどろどろに汚れている。
「二人ともそこで止まれ」
レイがそう言い、二人の頭の上に指を向けた。
すると、何もない空間から突然豪雨のように水が降り注ぐ。しばらくすると、水が止まって風が真上から吹き付ける。ジークフリートとイチは気持ちよさそうに目を細めており、宰相と武官があっけにとられながらその光景を見ていた。
きれいになった二人は窓枠を跨いで執務室に入ってきた。レイと宰相は呆れたように天井を見ていたが、武官の男だけは、ワンピース姿でそれをするイチをガン見していた。
「飛んでくるときに上空から見ました。魔王軍は森を出て荒野に集結。王都の二か所の門の外にはレオンベルガー軍が待機しています。それと、信じられないことですが、七頭のワイバーンに餌を与えている部隊がいました」
「し、信じられない……、あの速度でそこまで見えたのか」
ジークフリートが感心している。
「宰相、なんとなくだが、レオンベルガーと魔王が共同戦線張ってる気がする」
レイがぼそりとつぶやくように言う。
「いや、それはさすがにあり得んでしょう。そんなことをして、両軍とも何のメリットがありますか?」
たしかに、合同でシュナウザー王国を墜としたとしても、やがては両者で取り合うことになるはずだ。
「そもそも、レオンベルガーはなぜこの国を手に入れたがる? 荒野の向こう、樹海を越えた山脈には魔王が住んでいるんだ。間にこの国があった方が安心できるはずだが」
「レオンベルガーは海に面している。国土を広げたければこちら側に出てくるしかないのですよ」
「しかし親戚だろう? 不可侵の誓いとして娘を差し出したんじゃないのか? くそっ考えるのも面倒だ。とにかく魔王は引き受けた。あとは勝手にやってくれ」
「そうさせていただきましょう。では勇者殿、娘さん、ご武運を」
「イチ、悪いがお前も加勢してやれ。とっとと片付けて退散しよう」
「「わかりました」」
まずは魔王軍の陣容を目で確認すべく、レイたち三人は空をゆく。イチの背中付近に現れた紫の翼とは対照的に、レイの白い翼は小さなものだった。
「レイさん、頭に輪っかをつけりゃ、まんま天使ですね」
「小さな弓矢が似合いそうです」
「それはキューピッドな。こんなおっさんじゃなくて幼児っぽい姿の」
「おっさんといえば、レイさんって設定は何歳なんですか」
「なんだよ設定って。まあ、俺は二十四でこの仕事に就いて、そっから見てくれは変わってないからな。『設定』とすれば二十四だな」
「イチさんと十歳違いですか。それくらいの差なら世間一般じゃないです?」
「君が何を言いたいのか大体わかるが、問題は俺との『比較値』ではなく、イチの年齢の『絶対値』だ。それに、イチに限らずだが、俺が誰かにそういった感情を抱くことはない」
「すみません、俗っぽくて。でも、二人とも妙に人間臭いところがありますんで」
「俺は一応人間のつもりなんだけどな。イチは元々違うけど」
「あ、でも私も外観や感情なんかは人間と同じですよ。少なくともレイ様よりよっぽど人間っぽいと思いますが」
「なに言ってやがる。あんだけ無表情に人を殺しまくって」
「それは仕方がありませんね。種族の性というやつです」
「おっと、見えてきたな。すでに進軍を開始したか」
集結していた魔王軍が動き出したようだ。荒野に土煙が上がっている。
「三万って聞いていましたが、遠目に見てもすごい規模ですね。」
「一秒で一匹として、一時間で三千六百匹。私と二人でも四時間以上かかりそうですね」
イチは全滅にかかる所要時間を計算している。
「って、待て。お前ら、魔王が見えるか?」
「行軍の中央で神輿に乗ってるやつですよね。むううう……やはり話通りのミノタウロスですね」
「ええ? すみません、私にはアレの頭が牛だとは思えないのですが」
「ああ、俺にもヤギにみえる」
「それって……」
「「「悪魔だ」」」
神輿に設えた豪奢な椅子に座る巨体は、側頭部から黒い巻き角を生やし、横長の瞳孔を持っていた。下級悪魔でたまに見かけるタイプだ。
「イチ、コウモリたちに牛とヤギの違いをちゃんと教えておけ」
「レイ様、この場合、牛とヤギの違いではなく、ミノタウロスと悪魔の違いです。だいたいアイツの頭はどちらかというと羊に近い気がしますが」
「えっ? 羊って、ヤギの毛が伸びたやつでしょ?」
「いや、ヤギは尻尾が立っているが、ヒツジは垂れているもんだ」
「レイ様、アイツはヤギでもヒツジでもなく、悪魔なんです。動物の種に関してはこの際どうでもよろしいかと」
「わ、わかった。しかしジークなら大丈夫だろう。おっ、そうだジーク、これをやろう」
レイがそう言った途端、ジークフリートの右手には巨大な両刃の剣が握られていた。
「ちょっ、重っ!」
ジークフリートの手を掴んで飛んでいるイチが、急に増えた剣の重みに耐えかね、一メートルほど高度を落とした。
「この剣は!」
「スパスパ切れるうえ、一切の刃こぼれがない。ただ、魔法は撃てない」
「ありがとうございます! まさに僕のための剣じゃないっすか」
そう言いながらブンブンと剣を振り回す。
「あ、ばか、危ない、早く空間収納へ……あっ」
ジークフリートが重たい剣を振り回したため、イチが手を離してしまった。
「あ~れ~~~~」
と声を上げながら、ジークフリートは落下していく。高度は千メートルほどなので、勇者である彼なら死にはしないだろうが、魔王軍がすでに真下まで進軍してきていた。
勇者の叫び声に魔王軍全員が上を見上げる。
「あっ、俺らまで見つかっちゃった」
ジークフリートは少しでも空気抵抗を増やすため、両手両足を目いっぱい広げて落ちていく。
そのままの態勢で魔王軍の先鋒、ワーウルフの集団の中に落下した。両手を広げて速度を殺そうとしていたが、それでも時速四百キロ以上は出ている。レイが渡した大剣込みで三百キロ弱の重量がその速度で激突した。地面は大きくへこみ、数十体のワーウルフが肉片となって飛散する。
「あの中にジークの肉も混じってるかな」
「爆心に『大』の字の穴があります。あそこにめり込んでいると思います」
「悪いけど掘り起こしてくれるか?」
「まあ、手を離した私の責任も少しありますから」
そう言ってイチは急降下していき、大の字の穴に向けて爆破魔法を放った。
ジークフリートが墜落した以上の衝撃波が起こり、魔王軍の兵たちが吹き飛ばされる。
「おいおい、ジークまで吹き飛ばすか」
もうもうと上がる土煙の中に彼の姿を探すが、さすがのレイでも見つけることができない。そんなレイに向けて複数の火球が飛んできた。
「この高度まで飛ばすとは、なかなかの魔力だな」
だが火球はレイの手前で消失した。遥か地上で、杖を突き出した姿勢の黒ローブ姿が三人見える。
「ゴブリン・メイジかな?」
突然その三人それぞれの目の前に、先ほど消えた火球が現れた。ゴブリン・メイジらは、反応する間もなく自分が撃ったはずの火球に吹き飛ばされる。
「俺への攻撃はそのまま自分に返る。そのことに気付いてくれればいいんだけど」
オークの軍勢がバリスタをレイに向けていた。だが彼らは矢を発射する前に爆発して吹き飛んだ。イチの仕業だ。その後連続的にあちこちで爆発音が響く。
「イチめ、爆発魔法を連射してやがる。土煙でなんも見えなくなったぞ」
その土煙を突き抜け、半分になったオークやゴブリンの体が飛び散り始めた。
「あれはジークか。どうやら無事だったようだな」
とはいえ、相手は総勢三万の大軍だ。このまま上空で待っていても、いつ終わるか見当もつかない。
「暇だし、あのヤギ頭のところにでも行ってみるか」
レイはふわふわと魔王の神輿に近づいて行った。
最初は大量の弓矢攻撃を受けたが、そのすべてが放った者に返っていくことに気付き、今は皆槍を構えたままで、ゆっくり降下してくるレイを睨みつけている。
「おい下級悪魔! お前は世界の破壊者か?」
レイが魔王の鼻先十メートルほどの空中に静止し、声を上げた。
「貴様は天使か?」
魔王が豪奢の椅子の上からレイに問い返す。『天使か』というセリフが外見の誉め言葉にも聞こえ、ご機嫌な顔をするレイ。
「まあ神界の関係者だ。下級悪魔よ、いま一度聞く、お前はこの世界を破壊する者か?」
「下級下級とムカつくやつだ。貴様だってどうせ下っ端だろうが。だがな、俺様の兄貴は違うぞ。じきにこの世界を支配し、中級に格上げされるお方よ」
「つまり今は下級ってことだろ、お前の兄貴も。っつか、兄貴ぃ? どこにいるんだ?」
レイの背中に遠くの爆発音が響いてくる。あの二人が暴れている音だ。
「クハハハハ、レオンベルガー王と入れ替わり、今頃シュナウザー王都に向かって居るところだ」
「なに?」
「我らと合流し、シュナウザーを墜とす。そうすればレオンベルガーからわが拠点の山脈まで、広大な魔王国が誕生するのだ」
やはりジークフリート並みの知能のようだ。なんでもペラペラしゃべってくれる。
しかし、宰相ロッドワイラーには大きな見落としがあった。自国より兵力の小さなレオンベルガーと侮っていたが、実はすでに悪魔に乗っ取られていたのだ。となると、王都の周囲に集結している二千五百の兵も、魔物が人間に擬態している可能性がある。悪魔の力を使えばそれも不可能ではないのだ。
「魔王国を作った後は? さっき、この世界を支配すると言ったが」
「おうよ。他の悪魔を召喚し、この世界を我ら悪魔で満たす。だが安心しろ、人間どもは殺さずに奴隷として使ってやるからのう」
そう言って魔王は黄色い歯をむき出して笑う。
レイの後ろから音もなくとびかかるオーガがいた。長剣を大上段から振り下ろす。
だが長剣はオーガの両腕ごと掻き消え、次の瞬間、オーガは頭から真っ二つになって地べたにたたきつけられていた。少し遅れて血糊の付いた長剣を掴んだ腕が、音を立ててその場に落ちる。
「無駄だ。俺の周囲には逆相の空間を展開している。俺を攻撃するやつはすべて自分の武器の餌食となる」
「跳ね返すのは飛び道具だけじゃないのか」
「あらゆる攻撃だ」
「クソッタレがぁ!」
『クソッタレがぁ!』一瞬遅れてその声まで魔王に返ってきた。それを見て数体のミノタウロスが笑いをこらえる。
「まあお前、弱そうだし、あの二人に任せていても大丈夫そうだ。俺はちょっくらお前の兄貴とやらに会ってくる」
「ま、待て、貴様、神界の者がこの世界に直接関与する気か」
「魔界のお前らが出張ってきたんだ。正当防衛だ」
「我らと全面戦争になるぞ! ハルマゲドンだぞ!」
「下級がほざくな。どうせお前らは使い捨てだ」
「キサマ! 許さん! あっ」
魔王は怒りに任せて巨大な戦斧を振るってしまった。同時に自分の首が落ちる。
「「「魔王!」」」
周りにいた部下たちが悲痛な叫び声をあげる。
「あ~あ、しかしこいつはどっちにしろ魔王の器じゃないだろ」
レイはそう言い残すと空へと舞い上がる。
戦場はいまだ土煙に覆われ、あちこちで爆発音や斬撃が聞こえる。
「まあ魔物たちだって、いまさら振り上げた拳を収めることもできんか。人間と共存する道もあるのになぁ」
残念そうにつぶやいたレイは、西に向けて飛び立った。
レオンベルガーとシュナウザーをつなぐ街道に、槍や剣を持った農民たちの死体が点々と転がっていた。彼らは身なりこそ農民だが、すべてシュナウザー王国の兵士である。自国へ進軍しようとするレオンベルガー国王一行に向け、奇襲をかける作戦だったようだ。すべて返り討ちに会ってしまったが。
「手遅れだったか。やはりレオンベルガー兵は魔物だったか」
剣とは違う傷跡を見て顔をしかめるレイ。
そこへ一匹のコウモリが飛んできた。
『キッキキィキィ』
「なに? 国王と合流したレオンベルガー兵が王都には入らず、イチたちの戦場へ向かったというのか」
『キィキキィ』
「わかった、報告ありがとう」
誤解してはいけないが、レイは別にコウモリの鳴き声を聴きとっているわけではない。コウモリが伝えようとする思念を読み取っているだけである。だから、くだんの武官のように、『コウモリの鳴き声の長さと、伝える文章の長さが一致しない』などと愚問を呈してはならないのだ。
「ダハァハァ」
「大丈夫ですか、まだ二割ほどしか削っておりませんが」
「いや、前の世界で魔王倒したのが一年前ですからね。リハビリなしにいきなり戦場って、やっぱきついですわ」
「でも、魔王の首が落とされたのに、なぜこいつらは降伏しないのでしょう」
「だいたい、いつ魔王は倒されたのかな。やったのはレイさんで間違いないと思うけど、ゼイゼイ、念話で聞いてみたら?」
「忙しかったので忘れていました。お待ちください」
『レイ様、イチです。お元気ですか?』
『おおイチ、そっちはどうだ? 忙しそうにしていたんで声はかけなかったが』
『いったいなにがあったのでしょうか』
『魔王に兄がいた。そいつがレオンベルガー国王になりすましている』
『というと、シュナウザー王国は二人の魔王に挟まれていたと?』
『そういうことだ。レオンベルガー軍もどうやら魔物で構成されているようだ。で、そいつらがそっちへ向かっている』
小休止の様相を呈していた戦場だが、再び魔王軍が動き出した、大勢でイチとジークフリートに迫って来る。
「うるさい!」
イチが爆発魔法を連射し、魔物の群れを吹き飛ばしていく。
「イチさん、そんなに乱射したら弾切れになりますよ」
弾切れとはもちろん魔力の枯渇だ。
『それで、レイ様は今どちらに?』
「ここだよ~ん!」
いつの間にかイチの後ろにレイが立っていた。突然現れたレイにジークフリートも腰を抜かす。もし彼が敵だったらこの時点で詰んでいる。
「レイ様、それで魔王の兄とは」
「おいでなすった」
レイたちの西方二キロほどの場所に、レオンベルガー軍が土煙と共に現れた。同時にさきほどまで賑やかだった魔王軍がピタリと動きを止める。
レオンベルガーの軍勢は五千程度。王都の城壁前にいた兵士たちも合流している。
「奴らの狙いは、レオンベルガーと魔王の山の間にあるシュナウザーを統合し、魔王国を築くことだ。その後はもちろんこの世界の支配」
「それは敵認定ということでよろしいのですね」
「もとより。レオンベルガー国王は悪魔だ」
「レイさん、ポーションかなにか持ってませんか? さすがに体力がやばいです」
「そういえばこっちへ転移するとき、なんにもギフトを授けなかったな。ちょっと待ってろ」
レイは空を見上げて目をつぶる。ジークフリートには何をしているのかさっぱりわからない。
「よし。上から承認をもらった。ギフトとして『無限体力』を授ける。これは空気中の魔素を取り込んで直接エネルギーに変換するスキルだ。これでいくら暴れても疲れ知らず。まあ、腹は減るけどな」
「ありがとうございます、これで何も考えずに動き回れます」
「ジークフリートさん、それって、別名『社畜スキル』って言われてるやつですけど」
「ははは、僕は会社勤めの経験がないからピンとこないです。とにかく死ぬまで働き続けます」
「よく言った。君こそわが社の鑑だ。がっはっはっは」
レオンベルガー軍から、黒塗りの馬車が前に出てきた。屋根の上には白いあごひげを生やした男が、腕を組んで仁王立ちしている。
「なんか落ちそう。荒野でそれをやっちゃ危ないのに」
馬車が揺れるたびに少しふらつくが、何とか落ちずに踏ん張っている、見上げた根性の持ち主である。
「わが弟を討ったやつはどいつだ!」
あの魔王の兄、レオンベルガー国王に間違いない。細身のわりに張りのある太い声である。
「間接的には俺だが、直接的には自死だぞ」
レイが一歩前に出て言った。
「わけのわからぬことを……ぬっ、貴様、人間の臭いがせぬな、もしやナクタ神の使徒か」
レオンベルガー国王には悪魔特有の嗅覚があるようだ。
「いや、ナクタ様と面識はないよ。別口だ」
「どちらでもよい。厄介そうなやつは早めに退場願おうか」
そういうとレオンベルガー国王こと魔王兄は、空間から槍を取り出し、無造作にレイへ投擲した。
「あっ!」と声を上げたのはジークフリートだけだ。イチは落ち着いているが、その理由がすぐに分かった。
投げられた槍はレイの目前で消失し、いきなり魔王兄の眼前に現れたのだ。
「ふがう!」
声にならない叫びをあげて仰け反る魔王兄。突然の槍の反転をなんとか躱した。
「落ちる!」
馬車の上で大きく体制を崩した魔王兄だが、そのままの姿勢で空中に浮かび上がり、落下は免れた。
「ふうん、あれを躱すか。弟より出来はいいみたいだな」
レイはそう言うと、魔王兄と同じ高さまで舞い上がった。
「まさか逆相空間を使うとはのう。貴様、中位の悪魔ではなかろうな」
「残念だが悪魔に敵対するグループだ。さて、どう出る? お前の弟は俺に切りかかって自ら果てたぞ」
「自惚れるでないわ!」
魔王兄が叫んだ途端、レイの体が盛大に燃え上がった。
「レイ様っ!」
叫んだのはイチである。彼に攻撃が届いたのをこれまで見たことがなかったのだ。遅れてジークフリートもなにか喚きだした。
「ぐわっはっはっはっは! わしは転送魔法が使えるのだ。火球を貴様の体表に直接転送させたのよ! 逆相空間を飛び越えてな」
「レイさん!」ジークフリートが泣き叫ぶ。
レイを包んでいた炎がようやく収まった。
服はところどころ焦げ、顔は煤でくすみ、髪の毛はアフロになっている。
「ぷううう」
白い煙を吐き出すレイだが、命に別状はなさそうだ。というか、やけどを負った形跡もない。
「ははは、対策を知っていたか。やるな、魔王兄。実力はもう中位悪魔に届いているな。あとは実績だけか」
そう言ったレイは余裕の笑みを浮かべている。
「き、貴様、あれを食らって無事だというのか。だが、これならばどうだ!」
レイの目の前に一瞬氷の刃が現れるが、すぐに消え、次の瞬間には魔王兄の頬を削っていた。
「逆相空間の内側に現れたアイスナイフを俺がそっちへ転送した」
「ぐうう、あり得ん。貴様いったい」
頬から流れる血を止めた魔王兄がうめくように言う。
「魔王兄よ、お前を中位悪魔と認めて決闘を申し込む。受けて立て!」
レイは楽しそうに笑いながら右手に剣を出した。何の装飾もない、みたところ普通の鉄剣である。
「貴様のその余裕、わしが打ち砕いてやる。吠え面かくなよ」
魔王兄の手にも黒い長剣が現れた。禍々しい黒い瘴気を吐いているのがジークフリートにもわかった。
「いくぞ、それ」
レイは魔王の前に転移し、鉄剣を突き出す。急なことで避けるのが遅れ、魔王兄は左腕に傷を負うが、それもすぐに回復する。後方へ大きく飛んだ魔王兄の、顔と体つきが見る見る変わり始めた。ヤギ顔の悪魔である。
「ほう、白髭はかわらないんだ」
「ひげはわしらのアイデンティティじゃい」
魔王兄がジグザグに転移しながらレイに近づくが、その転移した先にはレイが構えた剣先があった。
「ぐわっ」
胸を刺し貫かれて魔王兄が悲鳴を上げるが、即座に斜め後方に転移して逃げる。
が、次の瞬間にはレイの目の前に現れてしまう。魔王兄は転移に集中するため、自分に回復魔法をかけている暇がない。
「あぐう」
「イチさん、あれってどうなってるんです?」
「私も初めて見ますが、たぶん魔王兄が逃げた先に、レイ様が転移魔法を展開し、ご自分の剣先に引き寄せているのだと思います」
「レイさんは魔王兄の逃げる場所がわかっているのか?」
「あらゆる世界の勇者召喚を検知されるお方ですよ。魔王兄がどこへ飛ぼうが逃げ切れるわけもありません」
「すごいな、レイさんは」
「見ている私たちがこれほど緊迫していても、ご本人は余裕なんですから」
「へぇ、そうなんだ。……どれどれ。レイさーん! 明日の天気ってわかります?」
「えっ? ……アッツ」
レイがジークフリートを振り返った瞬間、転移してきた魔王兄の剣を肩に受けてしまう。
「ああっ、どうしよう」
それを目の当たりにして青くなるジークフリートだが、
「風の妖精の話では、明日もいい天気だそうだぞ」
と普通に受け答えするレイ。一度ミスはあったものの、もう普通に魔王兄に対処している。しかもすでに傷はふさがっているようだ。
「すみませんでしたぁ!」
腰を九十度折り曲げながら謝るジークフリート。それを見てイチが言う。
「レイ様は何とも思ってらっしゃいませんわ。それより見てください。魔王兄がかなり弱ってきたみたいです」
「いや、なんかいびり殺しているようで、レイさんっぽくないなぁ。どっちかというとレイさんが悪魔みたい」
「なにを言うのです。本当はレイ様も早く楽にしてあげたいのですが、三万の魔物たちに見せつける必要があるのです。恐怖を刻み付けなければいけないのです。人間の国に手出しするとどうなるのかを。レイ様だって涙を飲んであのようなふるまいを」
「ヒャーッハァ! 苦しめ苦しめ!」
静かな戦場にレイの奇声だけが響き渡る。
ジークフリートの目からすると、レイは嬉々として魔王兄をいたぶっているように見える。
「や、やはり残酷では」
「まだまだ若いわね、ジークフリートさん。時として神は悪魔より残酷なのですよ。元下級悪魔だった私が言うのですから、まあ間違いはありませんわ」
「バンパイアって下級悪魔だったんですね。でもイチさんって、人間時代のレイさんに負けたのでしょう?」
「ええ、力ではなくあの方の頭脳にね。もう今では力でもかないませんけれど」
そう言いながら、うっとりとした視線をレイに送るイチ。ジークフリートはそんなイチに生暖かい視線を送っている。
「お前ら、聞こえてんぞ! まあ俺も飽きてきたんで、ぼちぼち終わらせるとするか」
「飽きてきたって言ってますよ!」
「いいから黙って最後まで見ていなさい!」
レイの剣筋が変わったのがわかった。それを証明するかのように、魔王兄の左手が肩口から切り飛ばされた。
「ぎゃあ」
喚きながらも転移で逃げる魔王兄。だが逃げた場所に転送魔法をかけられ、瞬時にレイの前に引き戻される。
魔剣を持った右腕が体から離れた。それはくるくると回転しながらイチたちの目の前にボトリと落ちる。
「イチ! その剣を回収しておいてくれ。高値でさばけそうだ」
ジークフリートが抱いていたレイのイメージが、雪崩のように崩れ落ちていく。
「はい、レイ様。手に指輪がはまっていますがどうしましょう」
「安物ならいらん。高そうならお前にやる!」
「あ、ありがたき幸せ!」と言ってイチが両手を組んでその場に跪く。
「い、祈り始めたよ、この人」
ジークフリートは目の前で行われている戦闘、というよりも、レイたち主従の行動に旋律を覚えた。
「僕はどんなことがあっても逆らいませんから……」と思わずつぶやく。
その声を耳にしたイチが振り返る。
「ね、今あなたが言ったこと、魔物たちも同じように感じていますわよ」
そう言われて戦場を見渡すジークフリートの目に、剣や弓を放り出し、イチに習って跪きながら祈りを捧げる魔物たちの姿が、妙に痛々しく映った。
魔王兄がバラバラに刻まれ、最後に頭を真っ二つにされた後、レイは周りでひれ伏している魔物たちに言った。
「小競り合い程度なら俺も認める。だが、決して支配しようとするな! それは人間たちも同じことだ」
『ははぁぁぁぁ』
一斉に了解の意を示す魔物たち。
「それと、もしお前らが人間たちと良好な関係を築き、交易を望むようであれば俺から口をきいておく」
『ははぁぁぁぁ』
とはいえ、今魔物たちにリーダーはいない。だから、それが実現するとしてもだいぶ先になるであろう。
「さて、これから宮殿に戻って宰相に説明だ。任せたぞ、ジーク」
「えっ、僕が? ……ですか?」
すべての仕事を終えたあと、三人は神域にいた。白い雲の大地が永遠に広がっており、目に入るものはただひたすらに青い空だけである。
「これから君を日本に帰す」
「あ、ありがとうございます」
「不安だろうが、やはり元の世界に戻るのが一番だと思う」
「そうですね。この三年間を親にどう説明したらいいか」
「なんだったら記憶を消すこともできるぞ」
「いえ、それは勘弁してください。この記憶は、僕が十七歳から二十歳まで、ちゃんと生きてきた証ですから」
「それでいい。で、君がかつてこの場所で授かった力は取り上げることになるが」
「はい、わかっています」
「ここにシュナウザー王国の金貨が三十枚ある。誰かに『どこで何をしていた』と聞かれたら、これまでのことは何も覚えていないが、気付いたらこの金貨を持っていた、と伝えろ」
「えっと、何か意味が?」
「こんな金貨、地球の歴史上には存在しない。つまり君は家出人としてではなく、失踪ミステリーの主人公として騒がれることになる」
「はあ、まあ実際その通りなんですが」
「しばらくテレビや雑誌がうるさいぞ。その時は真実を語っても神罰は下らないから安心しろ」
「誰も信じてはくれませんけどね」
「で? これから転送する先は、君が失踪した場所がいいか? それとも自宅前がいいか?」
「この勇者の格好で高校なんかに送られたらえらいことになります。自宅前でお願いします。でも、僕の家、知っているのですか?」
「座標は事前に調べてある。俺たちも日本に少し用事があるから、家の前までは一緒に行ってやる」
「あ、ありがとうございます」
ジークフリートの顔が笑顔でほころんだ。
野火家玄関前。
「なにからなにまでお世話になり、本当に有難うございました」
「いや、元々君は身勝手なグリザール王国に召喚された被害者だ。我々もこれくらいのケアはさせてもらう」
「ジークフリート、いえ、野火太郎さん、本当にお疲れ様でした。……って、まだ心配そうですね」
「ええ、勝手にいなくなった僕を両親がどう思っているか。というか、すでに死んだことにされてるんだろうな」
「くよくよするな。頑張って生きていれば、いいことはいくらでもある。君は勇者だろう?」
「はい! そうですね。あのバカ力はもうありませんが、気持ちだけは勇者のままでいます。では」
そう言って野火太郎は回れ右をし、玄関に歩いて行く。もうレイたちを振りむくことはしなかった。
レイたちも踵を返して歩き出す。背中で声が聞こえた。
「ただいま!」
「太郎? 太郎なのかい! あなた! すぐ来て! 太郎よ! 太郎が帰ってきたわ!」
母親らしい女性の声が遠ざかっていく。
「よかったですね、レイ様、家族はちゃんと待っていてくれてたんですね」
「そりゃそうさ。彼はみんなから愛されて当然だ」
「ところで、最後に戦場で彼に渡したスキル、『無限体力』の回収を忘れていません?」
「ああ? 別名『社畜スキル』か? まあいいさ。これから社会に出たら必要になるだろう」
夕暮れの街に二人の笑い声がこだました。




