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お人好し勇者 前編

 日差しがまんべんなく降り注ぐ宮殿の中庭に、直径三メートルほどの魔法円が描かれていた。円の中には大小二つの五芒星を配し、周囲には文字とも記号ともつかぬ文様が、幾重にもびっしりと規則正しく並べられている。

 そのそばには贄なのか、生きたままの子豚が杭に繋がれ、ビービーと元気のいい鳴き声を上げていた。これからその身に降りかかるであろう不幸も知らず、無邪気に尻尾を振り続けている。

 それらを見守るように張られた日除けの天幕。さらにその両側には、長槍を携えた兵たちがずらりと並ぶ。

 日時計の影が正午に近づいた時、木の杖を持った一人の老人が魔法円の縁に立った。

痩せた顔にまとわりつく髪、眉、さらには申し訳程度に生えた顎ひげまで、すべてが透明に近い白である。一見仙人めいた風貌であるが、身に纏う濃い紫のローブには光沢があり、襟や袖は金糸銀糸で縁取られている。明らかに高貴な身分か富裕な家の出であろう。

「王様、これより召喚の儀を執り行いまする」

 老人はそう言い放つと、天幕の奥に向かって頭を下げた。

 静まり返った炎天下の中庭に、元気な子ブタの鳴き声だけが響いている。

「光と闇を司るアミーラ神に請う……」

 老人が意外と張りのある声を上げたその時、突然魔法円の中央に小さな光球が現れた。それはピンクのプラズマ放電を纏いながら、見る間に拡大していく。

 詠唱はまだ始まったばかりであり、魔法円の反応は明らかにイレギュラー。老人や兵士、そして天幕にいる複数の人影から緊張が伝わってくる。ブタすらも息をひそめてその光に見入っている。次第に増す光量に直視ができなくなったのか、目の前に手をかざしたり、顔をそむける者が出始めた。

 突然光が掻き消えた。時間にするとほんの五秒ほどだが、老人のこめかみにはすでに汗が流れている。

 うっすらと開けた目で彼らが見たものは、魔法円の中央に腰を折りながら立つ、紺色のスーツ姿の男であった。

「毎度。突然でございますが、ワタクシ、『勇者派遣センター』のレイと申します」

「『毎度』……? 初めてと思うが」

 男の言葉に理解が追いつかず、思わず通り一辺倒の返しを入れてしまう老人だった。

「細かいことはお気になさらず。ワタクシども『勇者派遣センター』には、他世界で名を成した勇者が数多く登録されており、お客様のニーズに合わせ、即戦力としてお手元にお届けできます。この度は貴国で召喚魔法が発動したのを検知しましたので、こうして参った次第でございますが」

 そう言ってレイと名乗った男はキョロキョロと周囲を見渡す。この場の責任者を探しているのだ。

「た、確かに勇者を召喚する手はずであったが……お主自身は勇者にあらず、と申すか?」

 老人が探るようにレイを睨む。

「はい、わたくしがこの世界を詳しく調査した上、貴国に最適な勇者をピックアップしてお届けいたします」

 口角を上げ、明るい笑顔を振りまけば振りまくほど、逆に胡散臭さがマシマシになっていく。

老人はまぶたを小刻みに震わせながら、突然現れた例という奇妙な服装の男を凝視していた。レイの言ったことを頭の中で反芻しているのか、それとも思考を放棄しているのか、老人の表情から伺い知ることはできない。

「モリウス、こ奴の言、信用できるか?」

 その静寂を最初に破ったのは先の子豚ではなく、天幕の中央に座る、きらびやかだが少し安っぽい衣装を纏った若い男だった。先ほどモリウスに王様と呼ばれた男、シュナウザー王国現国王、グスタフである。

「かような馬の骨の申すこと、信ずるに能わず、直ちに排除されるがよろしかろうと」

 召喚する予定だったものとは違う、いわゆる外道を釣り上げてしまった老人は、その男の処分を要求した。

「ま、待った。あんたら、このまま儀式を続けても召喚は失敗するぞ、この魔法陣はすでに無効で……」

「討て」

 天幕の王が短く命令し、両脇に控えていた兵たちが槍を構えて魔法陣へ殺到する。

 その瞬間、男の姿は空間に飲み込まれるように掻き消えた。

「逃げおったか。しかしあやつは何者ぞ? 仰々しく現れた割に、消えるときは光も発しなかったが……ぬっ? それはなんだ?」

 国王が一点を指差す。男が立っていた場所に一枚の紙切れが残されていた。そばにいた兵が恐る恐る拾い上げる。

「この国の文字でなにか書かれてあります」

「モリウス、読んでみよ」

「ははっ」

 兵は小走りで老人モリウスに駆け寄り、片膝をついてその紙を手渡した。

「え~なになに?『勇者のご用命は当センターへ。その際はレイをご指名ください。まずは無料の御見積りから』……、裏に呼び出し用の陣まで描かれておりまする」

「周到にそのような広告まで用意しておったか。あやつ、本当に何者だ?」

 王はさっきまで男が立っていた魔法陣を見つめてつぶやいた。

「王様、不埒者に中断された召喚の儀、続けもよろしゅうございましょうや」

「よいのか? 得体のしれぬ男とは言え、此度の召喚は失敗すると申しておったぞ。モリウスよ、失敗は許されぬぞ」

「さようなことはございませぬ。陣も文言もいにしえの魔術書に記されしものと寸分違わず。さればしくじるはずはなかろうかと」

「ならば続けよ。だがもしうまくゆかぬなら」

 もし失敗したらどう責任を取るつもりか、脅す国王。

「ははっ、このモリウス、見事最強勇者を召喚して御覧に入れましょうぞ」

 と、責任に関しては一切の明言を避け、頑張りますとだけ返すモリウス老人だった。


 モリウスが長い呪文を唱え終わると、魔法円の中央に光の柱が立つ。

「先ほどとは光が異なる。これは……来るぞ、来るぞ」

 国王が床几から身を乗り出し、両手を握りしめてつぶやいた。

 やがて光は収束していき、あとには小さな生物の姿が残った。炎天のせいだろうか、やや息が荒いように見える。

「き、貴殿が勇者殿にあらせられるか!」

 モリウスがその小さな生物に駆け寄り、四つん這いになって語り掛ける。

「今一度問う! 貴殿が勇者殿か!」

 大声で叫ぶがその生物からはなんの反応もない。

「モリウスよ、ワシには緑色の子亀にしか見えぬのだが……のう、王妃にはなんと見ゆる?」

 王は隣に座る上品な女性に問いかけた。

「王様、妾氏にもカメにしか見えませぬ」

 おっとりとした表情で微笑みながら、若い王妃はやさしく答えた。

「モリウス、大言壮語の割りに、呼び寄せたるは子亀一匹のみ。さて、この責任をどう取るや?」

「こ、これは……もしや、かの男が召喚陣になんぞ小細工を施したのでは」

「この期に及んでさような申し開きが通ると思うてか? そもそも生贄として準備したはずの子豚が無事なのをなんと見る?」

 ブタは自分のことを言われたと察したのか、モリウスを見上げてビービーと嬉しそうに鳴きながら尻尾を振る。

「しかしいにしえの」

「ええい、先ほどの男を呼び戻せ!」

「ところで王様、このカメ氏はどうなされるおつもりで?」

 王妃がやはりにっこりと微笑みながら、子亀の処遇を気にかける。空気を読まないその王妃の可愛さに、怒気を和らげた王が一人の兵士に告げる。

「殺すのは可愛そうだ。堀にでも放してやれ」

「はっ」

 短く返事をして、兵士がカメを両手で恭しく掬ってその場から去っていく。その様子を見守っていた王妃は、そのカメ氏、ミシシッピアカミミガメが、一瞬ニヤリと笑ったように思えた。


 モリウスは不満げに何事かをつぶやきながら、さっきの男が置いていったチラシを地面に置いた。

「しかし肝心な呪文がどこにも……」

 そう声に出したとき、チラシに印刷された魔法陣の上に光の玉が現れた。

「ぬわっ!」

 モリウスが慌ててその場から離れる。ピンクの放電に触れるとどうなるかわからない。

 だが光はそのまますぐに消え、紺スーツの男の姿が徐々に現れはじめた。

「今回は登場が地味ではないか?」

「毎度! 出てくる演出のことはお気になさらず。で? 私はどなたと商談を進めればよろしいでしょうか?」

 スーツの男がにこやかに笑いながら、上着の内側に手を入れる。周囲の兵たちが一瞬身構えるが、男が内ポケットから取り出したのは黒革の名刺入れだった。


 宮殿の応接室。糸のほつれた布張りのソファーに座るスーツの男。そしてテーブルをはさんで二人。この国の宰相でロッドワイラーと名乗ったが、それが姓なのか名なのかはわからない。その隣は国王グスタフ・シュナウザーである。

決して広くはないその部屋には、額縁も花瓶も飾られてはいなかった。

「勇者派遣センターのレイと申します」

 両手で差し出す名刺は金属製だ。

「むっ? 見慣れない金属だが……それにこの手触り」

 国王が名刺を手に取りまざまざと眺めている。見る角度によって虹色に光を反射するその薄い金属板は、かすかに熱を帯びているようでもあった。

「オリハルコンです。この世界にもあると思いますが」

 レイが営業スマイルを崩さないよう、頬っぺたに力こぶを作りながら説明する。

「オリハルコンとな? そのように希少な金属で作られたカードであるか。して、その効能は?」

 王様はまだ若いせいか、好奇心が旺盛なのだろう。珍しいものには喰いつきがよい。

「え? いや、ただのネーム・カードです。特殊な機能はありませんが」

「はっはは、渡した相手の度肝を抜く、という効果はありそうですな」

 ロッドワイラーがさも楽しそうに、名詞とレイを交互に見ながら言う。

宰相が言う通り、レイの狙いはそこである。魔道具などに使われるオリハルコンは、金や銀よりも希少で高価である。それを名刺にして配るのだから、渡された相手が驚くのは当然だ。もっとも、それを鋳つぶしてインゴットにしたところで、小さすぎて何に使えるというわけでもないのだが。

「さて、この世界の状況については私どもでも調べますが、先に一つだけお聞かせください。勇者を召喚しようとした理由はなんですか」

 レイは宰相ロッドワイラーの目を見ながら話をする。

「それは当然ご存じだろう、魔王の討伐ですよ」

 ロッドワイラーもレイを見据え、眉一つ動かさずに告げる。

「失礼しました。たまに他国との戦争、つまり人間同士の争いの駒に使う国などもありましてね」

「どう使おうと、それは召喚した国の自由、というわけではないのですかな?」

 ロッドワイラーは相変わらず表情を変えずにしゃべる。隣の国王は目をキラキラさせながら、先ほどの名刺を今も眺めており、二人の会話など聞いていない。

「勇者は道具ではありません。どこかの国が所有するということはできない決まりです」

「それは誰が決めたことですかな?」

「高位の存在、とだけ言っておきます。異世界召喚術もそのお方の力が使われますし、当センターの設立にも関わっておられます」

 そう言われてロッドワイラーの片眉がぴくんと跳ねた。

「もしや『光と闇を司るアミーラ神』さま?」

 レイの話から高位の存在というのが神であることはわかる。ということで、ロッドワイラーが信奉する神の名前を挙げてみる。

「あ、いや、えーっと、言っていいのかな……。実はそういう名の神は実在しません」

 レイの思いもよらぬ発言を聞いて、宰相ロッドワイラーの目が逆三角形になった。

「な、なにを根拠に! 我々が信仰する神がまやかしとでもいうのか。それはあまりに無礼だぞ」

 顔を真っ赤にして怒り出すロッドワイラーであるが、レイにとってこの反応は慣れているのだろう、微笑みを崩さずに話を続ける。

「いや、その宗教がいつどのような形で、いったい誰が興したのかは存じませんけどね、そういうの、けっこうどこの世界でもありまして」

「だから根拠は何かと聞いている」

「はい、この世界の主神はナクタ。その使徒アキネたち七柱が今では自ら神を名乗っています。だけど、その中で闇に関連する神はおりませんし、アミーラという名前もありません」

「ぐ、具体的だな……。たしかにナクタ神信仰はこの国にもあるし、デルゼやキューロスでは国教だ。そのナクタ神は実在して、我がアミーラ教が実はエセ宗教だったとは。できれば信じたくないが、なぜか貴殿の言葉にはウソが感じられん。いったい貴殿は何者なのですか? それとも、実は我々が知るのも畏れ多い存在なのですかな?」

 おそらくかつての国王が宗教詐欺に会い、騙されて国教に指定したのだろう。信仰が集まれば新しい神が生まれることもあるらしいが、アミーラという神は生まれなかったようだ。

「私はもともと人間ですよ。さるお方からこの仕事を拝命するまでは、ね。いや、そんなことはどうでもいい。それよりも今、あらゆる世界で勇者が余っているのです」

「あらゆる……世界?」

「ああ、そこから説明しなきゃならないか。つまり異世界含めたあらゆる次元の世界です」

「ますますわからんが、まあいいだろう。で?」

「創造主が造られたその世界を、宿敵である悪魔は破壊しようと狙っています」

「悪魔? まさか魔王の正体ですかな?」

「魔王は悪魔であったりその眷属であったり、時には獣や人間の場合もありますが、まあ大抵は悪魔がらみですね」

 国王は理解できているのかわからないが、しきりにうんうんと頷いている。学生によくいるタイプである。

「我々人間は果たして魔王に勝てるのですかな?」

「普通の人間は敵う術を持ちません。そのため神は異世界召喚術という魔法を人々に授けました。もちろんすべての次元の世界で。先ほど貴国が使おうとした召喚魔法がそれです」

 レイは遠回しな言い方をやめ、すんなり『神』と言い切った。とはいえ、神は創造主の下、各世界に大量に存在するという。レイが言った神が、誰のことを指すのかはわからない。

「いや、しかしカメしか召喚できなかったが」

「召喚魔法はある理由で今は無効にされています。もちろん神の手によって。ちなみに勇者の代わりといってはなんですが、カメなら当たり、ハズレは金魚です」

「ほう、あれは当たりでしたか。いや、それよりも、召喚魔法を停止された理由とは? ……もしかして貴殿が現れたことと何か関係が?」

「はい。先ほども申しましたが、現在、勇者が余っておりまして」

「いやしかし、余っているのなら召喚しても問題ないのではなかろうか」

 確かに普通はそう考えるだろうが、それは異世界召喚の仕組みをわかっていないからである。

「余っている彼らを魔法で召喚することはできません。勇者を含め、魔力を持つ者は神域を通ることができないのです。だから召喚できる対象は魔法を使わない世界からのみ、つまり魔力を持たない一般人だけということです」

「召喚対象が一般人? 勇者召喚魔法ではないのか? それでは召喚しても使い物にならないではないか」

『勇者召喚』という割に、召喚できるのは勇者ではなく一般人だけだと言う。これにはロッドワイラーも合点がいかない。レイは説明を続ける。

「呼ばれる前は一般人ですが、魔法で召喚された人間は、異世界へ渡る際に誰もが一旦神域を経由します。その時に神の力の一部を授かるのです。ニートや高校生でも、そこで超人の素質を与えられるわけです」

「ニ、ニートやコーコーセー?」

 若い国王は知らない単語を耳にし、横にいる宰相を見る。

「王よ、ニートは農民、コーコーセーとはおそらく冒険者のことを指しているものかと」

 ちょっと、いや、全然違うが、めんどくさいのでレイも敢えて否定はしない。

「レイ殿、その、神域では神様にお会いできるのであろうか?」

 国王がなにに興味を持ったのかわからないが、目をキラキラさせながらレイに聞く。

「もちろん会えますよ。土下座はしてくれませんが」

 と聞いて目が『?』になる国王グスタフであるが、

「うーむ、それを知っているということは、貴殿もかつてはニートから勇者になった者の一人ということですかな」

 と宰相が勝手な推理を展開するが、レイの場合は違っていた。

「ふっ、まるで違います。私はニートではなかったし、勇者になったこともありません。それより、話を続けても?」

「そうか、すまぬ。で、勇者が余っている、だったのですな」話がふりだしに戻った。

「ええ、勇者は魔王を倒しても、たいてい元いた世界に帰ることができない」

「その理由を聞いても?」

「呼ぶときは召喚魔法で多世界からランダムに吸い上げますが、帰すときは元いた世界の、さらに元いた座標に送り届けなければならない。非常に精緻な制御が必要な魔法なのです。とても人間に扱えるものではありません。だから、送還魔法は伝わっていないのですよ」

 集団の中から目を瞑って一つを抜き出すことはできるが、抜き出してしまったら、それが元々どこにあったのかはもうわからないのだ。

「つまり、魔王を討つという仕事が終わっても、その世界に留まらざるを得ないわけですな」

 ロッドワイラーが納得したようにうなずく。

「その通りです。例えば貴国の場合、魔王を倒す力を持つ者を、どのように扱われますか?」

「魔王がいなくなった後の勇者の処遇ですか。放置……いや危険だな。飼い殺しにするしかないか」

「国に勇者がいるだけで戦争抑止にはなります。なにせ大量破壊兵器ですからね。でも勇者本人にはやることがない。しかも民衆にとっては悪を倒したスーパーヒーローだ。どこへ行っても心が落ち着く場所はない」

 彼らは異世界人、つまり宇宙人と同義である。しかも神から力を与えられた特別な存在。その世界の住人に比べて力がありすぎるのだ。これではもう王になるしかないが、ほとんどが元の世界で普通に暮らしていた若者だ。いきなり政治のトップに立てるわけもない。

 レイの言う高位の存在、ある神様は、そのことを危惧し、勇者派遣センターを設立、同時に新規の召喚をしばらく無効にしたのである。

「そんな余った勇者を必要とされる場所に派遣する、それが貴殿の役割ですな」

「ええ、ですので、まずは無料の見積もりから」

「か、金をとるのか?」

 急に現実を突きつけられた国王が、目のキラキラを消して慌てたように言う。

それに対し、レイは落ち着いた声で説明を続ける。

「陛下、考えてもみてください。もし通常の召喚を行ったとして、その人間が魔王を討つまでにどれほどの時間と費用が必要と思われます?」

「すぐには戦えないのか? その、神域で力を授かっているのであろう?」

「召喚された一般人は素質こそあれ、そのままでは力不足であり、まだ悪魔に太刀打ちできません。そこで一年から長い場合は十年という歳月をかけ、勇者としての力を付けていくわけですが」

「そんなにかかるものですかな?」

 ロッドワイラー氏もそこまでは思っていなかったようだ

「先ほども申しましたが、召喚対象者はもともと魔法がない世界の普通の人たちです。そんな魔法を知らない少年が魔王を討つ。これが決して簡単ではないこと、それはお分かりいただけると思いますが」

「十分承知した」

「しかし宰相よ、その見積もりとやらがもし高額なら」

 若い国王が心配そうにロッドワイラーを見る。職場の先輩に連れられ、初めて高級風俗店を訪れた新入社員(もちろん自腹)のようだ。

「魔王の危機はそこまで迫ってきております。しかもその脅威は我が国だけのものにあらず。他国にも呼び掛け、金はわたくしがかき集めてまいります」

「では諸々の調査に三日ほどお時間を頂戴します」

「レイ殿、そなた寝食のあてはあるのか? まだ決まっておらぬなら、ここに滞在するがよいぞ」

 国王は値引きのためか、レイの経費を少しでも安く上げようと提案する。

「陛下、お言葉のみ有り難く頂戴いたします。これより動き回りますゆえ、こちらに留まることはかないません」

 どう見ても貧乏王国である。硬いベッドに粗末な食事しか想像できない。

「さようか、残念である。いろいろと異世界の話も聞きたかったのだが」

「いずれお時間がございましたら」

 そう言ってレイは立ち上がった。


 王都内にある外資系高級宿の一室で、レイはソファの背に体を預けながらノートを開く。

「宮殿や街並みを見る限り、この国に金銭的な余裕はなさそうだ。となればノーギャラで動いてくれる勇者に限られるんだけど……」

 ノートには見慣れない記号が並んでいた。魔法で変換された特殊記号であろうか。

「俺って、ほんと字がへたくそだよな。自分でも何書いてあるかよくわからん」

 記号ではなかった。

「おーい、イチ! 出てこいや」

 なにもない空間に呼び掛けると、その周囲が一瞬だけぐにゃりと歪む。そして元の状態に戻った時、そこに一人の少年が片膝をついていた。

「レイ様にはご機嫌麗しく」

「挨拶はいいから、まあ座れ」

 イチと呼ばれた少年は、言われた通り黙って向かいのソファに腰かけた。明るい髪色で、肌は限りなく白に近く、頬だけがうっすらとピンク色を帯びている。長いまつ毛のせいもあって、服を着替えれば少女に見えるだろう。

イチはゆっくりと部屋の中を見回す。

「これはまた高そうなお部屋ですね。レイ様には格別お似合いで」

「よせ、お前が言うと嫌味にしか聞こえん。いつも言ってるが、商売人は信用を得るためそこそこいい身なりが必要なんだ。もちろん宿や車も同じだ」

「存じておりますレイ様。そのカシミアのスーツは単なる見栄のためではない、と」

「今回の問題はそこだ。たぶん俺は王より高い服を着ている」

「貧乏なのですか、この国は」

「ああ。勇者召喚なんてとても考えられないほどにな」

「魔王より先に、暴動で国が滅びそうですね」

「オレもそこは気になる。だがまだこの世界のことが分かっていない。まずは調査だな」

「はっ、直ちに」

 イチはそう言って目を瞑ると、口の中でもごもごと何かをつぶやき始めた。

 レイはその様子を見てから、視線を窓の方へ移す。羽の生えた黒い生き物が飛んできて、ガラスにへばりついた。

「ふうん、この世界にはコウモリがいるんだな。前回はカブトムシとか使ってたもんな」

「ええ、子供に捕獲されたりしてたいへんでした」

 窓にしがみついてこちらを見ていた小型のコウモリが、イチにうなずいて見せたあと、小さな羽音を立てて飛び立っていった。


 人通りは決して多くない。今レイたちが歩いているのは王都の中でも繁華な通りのはずだが。

 レイとイチはこの街の住人と同じ格好をしている。裏通りでもからまれないよう、職人風を意識した服のチョイスである。

「レイ様はなにを着てもお似合いですね」

「おお、高校時代は演劇部だったんだ」

「おっ、役者の卵だったんですね、それで町人にも商人にもなり切れるわけだ」

「そこは貴族や王族って言え。っつうか、俺は裏方だったけど」

「うっ……、いや、それで納得いたしました。なぜこの作業服がそんなにお似合いなのか」

「とにかく腹が減った。開いている店で飯を食おう」

 中途半端な時間である。夕食には早すぎるため、店が開いているかわからない。

「あっ、あそこは今から開店のようです」

 イチが指差した先で、入り口にのれんをかけている少女が見えた。看板に『お食事処』と書いてある。

「よし、あそこにしよう。うまいかマズいかわかんないけどな」

 これだけ人通りが少ないと客も来ないだろう。そうなると新鮮な食材は望めない。つまり、あまりうまい店ではないと考えた方がいい。

「すみません、もうやってます?」

 イチが小走りで少女に近づき、店が開いているか確認する。

「あら、こんにちは。はい、今からです。どうぞお入りください」

 仮にも王都の目抜き通りにある店だ。少女の対応は丁寧だった。

「レイ様ぁ! 開いてますよぉ!」

 イチがレイに大声で手を振る。まばらに行きかう人々が、思わず振り返って二人を見た。レイはその人たちと目を合わさないよう下を向き、そそくさと店の中に滑り込んだ。

「お前、人前で俺を呼ぶときは『様』付けすんなよ」作業服姿のレイが言う。

「申し訳ありません、でもレイ様をレイ様以外で呼ぶなんて、そんな畏れ多いことは」

「いらっしゃいませ、仲がよろしいんですね」

 さっきの少女がメニューを持ってやってきた。童顔ではあるが、こうやって見ると十八は超えているかもしれない。

「まあ兄弟みたいなもんだよ。ところで君の言葉遣い、妙に上品だが、この街の女性はみんなそんななのか? おっと失礼、俺たちは今日初めてこの街に来たんだが」

「まあ、ようこそクレゼールへ。うふふ、王都なのにあまりに静かで驚かれたのではないですか」

「ああ、正直びっくりしている。みんな家に引き籠っているのか?」

「いえ……、この国から出て行ってしまいました」

 レイはイチの顔を見るが、首をかしげている。さっきの今だ、街の情報はまだ集まっていない。

「そうなのか。王様は質素で善政を敷いているって聞いてたんだけどな」

 善政かどうかはレイもまだ知らない。ここは適当なことを言って様子を見る。

「アレイ山脈の魔王がいよいよ攻めてくるって、もっぱらの噂なんです」

 それは事実だが、時期はまだ先の話だ。それより、そんなことが国民に知られているというのは問題である。

「君たちは逃げないのか?」

「ええ、お客さんで残っている方たちも大勢いらっしゃいますし。それに……私たちにはもう逃げる先がありませんし」

「この国の人間ではないのかな?」

「レイ様、あまり人さまのことを詮索するようなまねは」

「おっと、これは失礼。君があまりに美しくて上品だったからね、元はどっかのお姫様かなって思ったんだ。それより、これと、これと、これと、あとお薦めのスープとかってある?」

 メニューを見てもよくわからないので、適当に指を差して注文する。

「あ、はい、本日限定でミドリガメのスープがありますよ」

「ミドリガメ?」

「ええ、父も初めて見る種類だそうです。さっきお城の兵士さんが売りに来られたんですよ」

「じゃあそれを」


 頼んだ料理が運ばれてくるが、皿に盛られた量は、決して二人が満足いくものではなかった。やはり食材が不足しているのだろう。

「カメのスープは臭みもないな」

 大きなスプーンを右手に持ったまま、レイが感想を述べる。

「というか、塩味しかしませんね。身もほとんどありませんし。これならコウモリの方がまだましかも」

「コウモリってお前の眷属みたいなもんだろ? 食うのか? あいつらを?」

「非常食ですよ。さすがにいつもいつも食べているわけではありません」

「お前の眷属にされずに済んで、ほんとよかったよ」

「私がレイ様の眷属になってしまいましたからね」

「俺はお前を食ったりしないぞ」

「食ってもよろしいのですよ」

「ははは、聖人になった俺にそんな俗っぽい冗談は通じないぞ」

「では私が女の姿に戻ってもよろしいので?」

「だめだ。少女のお前を連れて歩けるわけないだろう。ソッコー捕まるわ」

 食事をしながらそんなたわいもない話をする二人。そこへさっきの娘がやってきた。

「今、金魚が入荷したのですけど、ご賞味なさいます? 一尾しかありませんが」

「いや、それ、食うとこないだろう? つか、金魚って……あいつら性懲りもなく試しやがったな」

「え? レイ様、それってつまり召喚……」

「ああ、たぶんさっきのカメも神獣だ。お嬢さん、その金魚って」

「父がすでに三枚におろしましたけど」

「イチ、王宮に伝令を飛ばしてくれ、『今度やったら神罰を下すぞ』って」

「はい直ちに」

イチがそういうと、一羽のインコが店の中に現れた。これもイチの使い魔である。

ほぼ同時に、奥から店主が虫取り網を持って飛び出してきた。


 食事を終えた二人は宿に戻り、テーブルにノートを広げる。開け放した窓からコウモリが頻繁に出入りしているが、ここは高級宿であり、客のプライベートについてとやかく言われることはない。コウモリの出入りにも寛容なのである。

「王都、クレゼールだったか。ここから北西に森、その向こうに山地が広がっていて、そこに魔王の拠点があるんだな」

「はい、森まで約三十キロ、その間に領地はないようで、荒れ地です。森はアレイ山脈のすそ野まで広がっており、樹海と呼んだほうがいい大きさです。魔王の素性と魔王軍の構成や規模はまだわかっていません」

 イチがコウモリからの報告を整理してレイに伝える。レイはそれをノートに記していく。

「なあ、いつも思うのだが、コウモリって、魔王の情報とかを誰から集めてくるんだ?」

「地元の虫や動物です。場合によっては人間もありますが」

 コウモリとイノシシが情報のやり取りをする図……非常にシュールだ。だがさすがに人間と会話をする場面は想像できない。オウムやインコのように人語を発声して話をするのだろうか。

「いや、前回はカブトムシだしな。しゃべるわけないか」

「は? どうされました?」

「なんでもない。ところで、森の生き物たちに緊張感はないのだろうか? 魔王たちが進軍するとなると、途中にある森は蹂躙されるのではないか?」

『キィキキィィィ』

 イチに報告していたコウモリが、レイを振り返って鳴き声を上げた。

「ビックリしたぁ! こいつ、俺の言葉がわかるのか?」

「そりゃあレイ様ですから。今この子が言ったこともおわかりでしょう?」

「あ? ああ、なんとなくだが、『森の連中はまだのんびりしている』って言ってるようだ」

『キィキィ』

 コウモリがレイの言葉に鳴きながら頷いた。

「うわぁマジだよ、俺、人間に戻れるのかな」


 外が暗くなるまで次々に飛び込むコウモリの相手をし、二人はもう一度街に出て行った。今回は商人風を意識した服装だ。

「さて、問題は酒場が開いているかどうかだな」

 住民の生の声を拾いに行くのである。酒が入れば声が大きくなるし、酒を奢ると言えば口も軽くなる。

「あそこがやってますね、っと、あっちも開いているみたいですよ。なぜ酒場だけ繁盛しているのでしょう」

 イチが何軒か順に指さしながら、首をかしげている。

「戦争になって国から逃げ出すとき、物は荷物になるから今は誰も買わない。でも飲み食いは別だ。特に不安があるときは酒を飲みたくなる。ま、ほかの娯楽もないしな」

「食材は不足してもお酒だけはあるのですね」

「作り置きができるからな」

「でも、材料がなければそのうち在庫も切れますよね」

「穀物や果実から木の実まで、糖質を含んでいればなんでも酒の材料にはなるらしい。酒飲みがいればそこに酒ができる、そんなもんだろう」

「そうなんですね。私は飲まないのでわかりませんが」

 二人は賑やかな一軒の酒場に入っていく。

 四人掛けの丸テーブルが十二卓並ぶ、比較的大きな店はほぼ満席だった。テーブルはあきらめてカウンターに向かう。

 子供連れの客もいて、イチを連れていても好奇な視線を向ける者はいない。

 二人はスツールに腰かけた。中にいるのはガタイのいい髭のおっさんだ。

「蒸留酒をロックで。こいつには……」

 レイはそう言いながらイチを見る

「トマトジュースってありますか?」

 こういう店では難易度が高そうな飲み物を頼もうとするイチ。

「レモンとスパイスは?」

 おっさんがグラスを磨きながら聞き返した。

「抜きで。塩を一つまみお願いします」

 イチが微笑みながら返す。

 この場にそぐわない会話を目の当たりにし、改めて髭のおっさんを見るレイであるが、

「王都から五キロほど南へ行ったところに実家があってな、高地でいいトマトが採れるんだ」

 おっさんが手早く酒とトマトジュースを準備し、カウンターの上に音もたてずに置いた。

「ああ、この酒は十二年物だがランブルク領産だ。雑味もなくまろやかだぞ」おっさんがどこか自慢げにレイに酒を紹介する。

「あんたも何か飲むかい?」

 レイがグラスを持ち上げると、氷がカランと音を立てた。

「見ない顔だが田舎から出てきたわけじゃなさそうだな、オレも同じものをいただくとする」

 おっさんは満足げに言うと、カウンターの下からグラスを取り出した。すでに琥珀色の液体で満たされている。

「気の利いたことは言えないが、そうだな、クレゼールに」

「新たなる出会いに」

 レイとおっさんが互いにグラスを掲げる。イチはそんな儀式におかまいなしで、すでにコップの中身は半分ほど減っている。

 この店はカウンターとは別に厨房があり、三人ほどいるウエイトレスがエールのジョッキをのせた盆を手に、目まぐるしく店内を動き回っていた。酒や料理を注文する声、誰かの爆笑、怒号や悲鳴などが入り混じり、まるで祭りの喧騒の中にいるようだ。

「すごい繁盛だな。毎晩こうなのか?」

 レイがいったん周囲を見回してからおっさんに聞く。

「あんたらがいつ王都に来たのか知らないが、魔王の話はもう聞いてるだろう? ここに来ているのはどこにも逃げ場のねえ連中でな、魔王が攻めてくるまで、ありったけの貯えを酒に替えて、最後のひと時を楽しんでいるのさ」

「魔王の侵攻はもう目前なのか?」

「ああ、うわさじゃあと一週間とか言われている」

「バカな! 東の森に魔王軍が展開している様子なんて、微塵もないぞ」

「あん? まるで見てきたような言い方だが、それもありえる。なにせ奴らはワイバーン部隊を抱えているからな、森なんてひとっ飛びだろうさ」

「いや、戦争ってのはそういうもんじゃない。地上部隊抜きなんてありえないだろう? だいたい、その話はどっから出たんだ?」

「レオンベルガーの兵士たちが話してたってのが元だな」

「レオンベルガーって?」

「はあ? あんたどっから来たんだ? 西のレオンベルガー王国だよ。まさかそこの軍が加勢しに来てることも知らないんじゃねえだろうな?」

「知らない。初耳、というかまだそこまで調べてない」

「あんた商人かなんかだろう? そこらへんを知っとかないと、商売なんかできねえぞ」

「とにかくありがとう、帰るわ。ごちそう様」

 レイは早口にそういうとスツールから滑り降りる。イチも慌ててそれに従った。


 高級宿の部屋。もう深夜であるが、コウモリたちは目まぐるしく出入りを繰り返している。

「これまでに分かったことを整理するぞ」

 テーブルの上にはノートのほかに、何枚ものメモ書きが散らばっている。レイはそれらをどけて持っていたグラスを置いた。さっきと同じ酒だ。酒場を出るときに一瓶売ってもらったものだ。イチはトマトジュースのコップを両手で抱え、ノートに目を落としている。

「レイ様、なんて書いてあるか読めないんですけど」

「あ……ああ、これはだな、誰かに見られてもいいように、暗号文字を使っているんだ」

「ところどころは日本語で書かれてるんですよね」

「あ……ああ、見られてもいい部分は、だな」

「レイ様は全部読めるんですよね?」

「今はそんなことを言っている場合じゃないだろ、とっととまとめるぞ!」

 急に怒り出したレイにびっくりして、あやうくトマトジュースをこぼしそうになるイチ。

「は、はい、申し訳ありません」

「まず魔王軍だが、主力はミノタウロス。そのうちの一体が魔王を自称している」

「はい、その通りです。悪魔が出張ってきてなくてよかったです」

「そうだな。ミノタウロスなら変異体であろうが簡単に倒せる。どの勇者を呼んでもOKだな」

「あとは勇者がどうやって魔王の前まで行くかですが、時間がないのでこの国でパーティーを集めるのは無理。となると軍と共闘するか、複数の勇者を呼んで組ませるか、ですね」

「そういやこの国の軍勢を見てないな。宮殿付近にもいなかったし。まあ、当てにするのは止めておこう。却って足手まといになる可能性がある」

「魔法を使えない一般兵じゃ、せいぜいオークの相手までですからね、それも三人がかりで。ミノタウロスと闘うとなると、もう弓と槍だけじゃ勝負にもなりません」

「となると、盾役と魔法使いと回復役も他世界から派遣か。でもそれだとかなり高くつくな」

「この国で払える額じゃないでしょうね。西のレオンベルガー軍でしたか、そっちは使えるのでしょうか」

「きな臭いにおいしかしないね」

「申し訳ありません、あれから慌ててコウモリを飛ばしたもので、まだ調べられておりません」

「それはしかたないさ。だがレオンベルガーの連中はこの王都を決戦場にする気のようだ。そこが気に食わん」

 レイはメモの一枚をぐしゃりと握りつぶした、


 翌朝十時きっかりに、レイは昨日の応接室に転移した。朝早い時間にメッセンジャーのインコを飛ばし、来訪する旨は告げてある。

 国王と宰相は十分前から待機していたが、突然目の前のソファにレイが足を組んだ状態で出現した。これにはさすがに驚いたようだ。

「ぐうう、神出鬼没ですな」

 宰相がズボンにこぼしたお茶をハンカチで拭きながら言う。

「まあ、転移くらいしか私にはできませんが」

 レイはそう謙遜するが、宰相たちは首を横に振っている。

「勇者派遣などと言わず、いっそ貴殿に魔王を倒していただければ早いのだが」

 彼らの目には、レイが勇者並み、いや、それ以上の力を有しているように映っているだろう。

「おっしゃることはわかるのですが、こちらにも事情というものがありましてね」

 その事情をこの場で言う必要はないが、レイが勇者を派遣するには理由がある。しかもノルマまであるのだ。

「わかりました。それで、お見積もりはたしか明後日になると」

「調べていくうちに不可解な点がいくつか出てきまして」

「というと?」

 宰相が一瞬身構えたのをレイは見逃さなかった。やはりまだすべてを語ってはいないようだ。

「街から人が出て行っていますね、それも大量に。聞けば来週にも魔王軍がワイバーンで攻めてくるとか」

「またさような噂が流れておりますか。貴殿の調査で分かるとは思いますが、魔王はまだ軍を動かす準備すらしていないのです。王都から人が流出しているのは、街から食料が減っているせいでしょう」

「食料が王都に入ってこないのは、レオンベルガー軍が西方に展開しているからですよね」

 王都民の胃袋を満たすための農作物、畜産物などは、大半が西に広がる農業地帯で生産されている。しかしそこには現在レオンベルガー軍が居座っており、運搬に影響が出ているだけでなく、糧食の供出まで要求されているようだ。王都に食料が入ってこないわけである。

「レオンベルガー軍には魔王戦の後詰を任せる協定がありましてな。魔王軍との戦争が始まるまで西方に待機させておるのです。その間の食料はわが王国から供与するが、それ以外、金銭等は一切要求しないという好条件なのですよ」

 それが好条件であると勘違いをしてしまっている。この宰相もその程度の器なのか、それとも貧しいがゆえに視野が狭まっているのか。

「そのせいで王都から国民がいなくなっているのですよ? 王都ですよ」

「それも魔王を討ち取るまでの辛抱。その後は皆必ず帰ってくる」

「いや、みんなは移住したって聞きましたよ」

「まあそこは魔王を倒してから考えればよいかと」

「ちなみに、魔王がまだ当分攻めてこない、というのはどこの調べですか」

「レオンベルガーの諜報部隊ですが」

「それなのに、『来週ワイバーンで攻めてくる』という噂を、そのレオンベルガーの兵が流しているというわけですか」

「うむ、上層部との齟齬があるのやもしれませんな」

「ふう、わかりました。確認は以上です。ではまた明後日に」

 そう言い残してレイは消えた。

「あっ、茶を出すのを忘れておったの」

 国王が思い出したように膝を打った。


 宿屋の部屋。メモの数は増え続け、今は床一面に広げられている。そこへレイが転移で帰ってきた。数枚のメモを踏んでしまう。

「うわっ、なに散らかしてんだ」

「レイ様、お帰りなさいませ。あっ、それ、踏まないでください。まだ整理できてないやつなんです」

 イチがつま先立ちで、器用にメモの隙間を縫いながら駆け寄る。

 レイが片足を上げるとイチがそのメモを拾い上げた。

「この辺に並べているのはレオンベルガーに関するものです」

「宰相の話では、軍事協定を結んでいるようだったが」

「シュナウザーとレオンベルガーは姻戚関係にあります。シュナウザーの現国王グスタフの妻はレオンベルガーの王族ですし、姉はあちらの公爵家に嫁いでいます」

「表面上仲は悪くないということか。ところでそれはどこから?」

「レオンベルガーの農夫の話だそうです」

 それを聞いてレイは顔をしかめる。コウモリが農夫に取材している図を想像したのだ。

「西方に待機しているという軍の動きはどうだ?」

「兵数は二千ほど。投石機やバリスタなども準備しているようです」

「二千? そんな数の兵を養うくらいで王都の食糧がなくなるか?」

「あ、もしかしたら二千五百ほどいるのかな」

「それが五千だろうが同じだ。もともとこの王都には五万以上の市民がいたんだぞ」

 王都を捨てて出て行った人の数は約半数と聞く。

「もしかしてほとんどの食糧がレオンベルガーに運ばれている?」

「まず間違いないだろうな」

「近くに兵を待機させた上で食料を奪う……それって狙いはシュナウザー侵攻ですか」

「わからん。宰相のロッドワイラーが気づいていないとも思えないし」

「もう少し魔王の動きを探ってみましょう」

「いや。見積もりはまだ出してないけど、先に勇者を呼んで来ようと思う」

「え? もうだれかに絞っているのですか?」

「ああ。今回はノーギャラの可能性が高いからな。あいつしかいないだろう?」

「なるほど、お人好し勇者ですね」

 イチが言い終わると同時に、二人の姿がその場から掻き消えた。


 シュナウザー王国が存在するところとは別の世界。

ルーゼルバーグという国の西北、『黒い森』と名付けられた森林地帯がある。そこを越えれば隣国エステバンだ。この森の奥へ踏み入って帰ってきた者がおらず、森の正確な規模や内部の生態系などは知られていない。

 広大な森を切り分けるように大小さまざまな川が流れており、そのところどころに湖や沼などが点在していた。

 森のほぼ中央にある直径二キロほどの湖。そこに流れ込む小川のそばに、まだ新しいログハウスが建っていた。その裏には樹木を刈り取って作られたであろう、小規模な畑も見える。

 ログハウスの前で大剣を研いでいた男がその手を止め、大きな素振りで晴れた空を仰ぎ見た。先ほどまで聞こえていた鳥の鳴き声が一斉に止んだためだ。

 次の瞬間、男から五メートルほど離れた空間に、紺色のスーツに赤いネクタイを締めたレイが出現した。レイはそのまま土の上に着地すると、薪を割っていた男に手を挙げて声をかける。

「やあ野火さん、三か月ぶりくらいかな」

いつの間にか鳥の鳴き声が戻っている。

「レイさん! ようこそいらっしゃいました。今日はおひとりですか?」

 野火と呼ばれた男が切り株の椅子から立ち上がり、手拭いで手を拭きながらレイに近づいていく。

「イチもすぐ来るよ。だいぶん元気になったじゃないか」

「この場所に住み始めてからすぐに復活しましたよ。やっぱり自然はいいですね」

「人恋しくならないかい?」

「これまで四回ほどフリントロックの街に出ました。まあ大きな街ですし、用事は日用品の買い出しだけなんで、街の人との交流なんてありませんけどね」

 フリントロックは森を出て南東へ五キロほど行ったところにある。ルーゼルバーグを縦断する街道沿いで宿場町だ。ただ、この場所からは直線距離でも五十キロ以上離れている。つまり、深い森の中を最低で四十五キロは歩かなければならないはずだ。

「相変わらずなかなかの健脚ぶりだ」

 レイが感心したように言うが、

「いえ、そのボートで湖の向こう側の川を下って森を出ました。帰りは逆流で少し疲れますが、魔獣も出ないのでけっこう早いですよ」

 野火はログハウスの横に伏せた状態で置いてあるボートを指さす。長さが四メートルほどの手漕ぎボートだ。

「は? まあ君は勇者で腕力もあるからね」

 といいながらも呆れるレイ。そこへイチが出現した。いつもの少年の格好である。

「こんにちはジークフリートさん」

「やあイチさん、こんにちは」

 野火の本名は野火太郎だが、勇者召喚でこの世界に来てからジークフリートと名乗っている。野火太郎という名前が好きではなかったので、英雄っぽい名前にしたのだが、最初は呼ばれるたびに赤面しそうだった。三年たった今では、逆に野火太郎のほうが違和感を覚えるようになった。

「ここの生活には慣れました?」

「ええ、獣や魚をさばくのだって手慣れたものですよ。まさかこの僕がアウトドア派になるなんて、日本時代からは到底考えられないですけど」

 その名前からわかる通り、野火は日本人である。高校二年生のとき突然こちらに召喚され、二年後に魔王討伐、それから一年が経つので今は二十歳。強大なパワーと優しさを併せ持った、理想的な好青年である。お人好しが過ぎるのが欠点で、勇者派遣センターへの登録も、何の疑いもなく簡単にサインした男である。

「野火、いやジークフリート、実は勇者として別の世界に飛んでほしいんだけど」

 レイたちがここへ来たのはもちろんそのためだ。シュナウザー王国へ連れて行き、魔王を討伐してもらうのが目的だ。

「あ、その件なんですがね、ちょっとこちらでも魔王討伐の仕事がありそうでして」

 ジークフリートが申し訳なさそうに言う。

「はぁ? 何を言ってるんだ? 魔王は一年前に君が倒しただろう? 最低でもあと百年は現れないぞ」

「いえ、フリントロックの街で聞いたんですけど、また別の魔王が出現したそうです。それでグリザール王国のエミリア王女が討伐隊を集めていると」

「エミリア王女って……君に毒を盛ったクサレ女じゃないか!」

 ジークフリートが単独で魔王を討伐した後、王家はその強大すぎる力を脅威と感じ、ハニートラップを仕掛けて毒を飲ませることに成功した。エミリア王女はそれを企画・実行した張本人である。

「まあ、そうなんですけどね。でももう一年も前のことですし、僕はこの通り生きていますし」

「あなた、死にかけていたじゃないですか! というより、私たちがいなかったら死んでいますよ。だいたい、こんな辺鄙なところに隠れ住んでいるのは誰のせいです」

「その節はお世話になりました。たしかにあの王女、というよりグリザール王国には僕も思うところはあります。でも魔王が現れたのであれば」

「待ってください。私、そのグリザールの様子を見てきたんです。魔王討伐についてはあちこちで張り紙も見ました」

「やはり新魔王が?」

「魔王が現れた場所は『黒の森』の真ん中ですって」

「なんだって! ちょうどこの付近じゃないですか。こうしてはいられな」

「アホか! 君を魔王に仕立てて討伐隊を差し向けるつもりなんだよ」

「僕が? 魔王? え? ここにいるのがバレた?」

「おおかたフリントロックで誰かに見られたんだろうさ。グズグズしてると奴らがやってくるぞ」

「ジークフリートさんなら返り討ちにできるでしょうけど、もうここには住めないでしょうね」

「クソ、あの国はなんで僕を放っておいてくれないんだ」

「君はパーティーも組まず、ましてや軍を率いることもなく、単騎で魔物の軍勢を打ち払い、魔王の首級を上げたんだ。いくらお人好しでただのアホだといっても、王国にとっては魔王以上の脅威であることに違いはないんだ」

「別の世界へ派遣されても同じことじゃないですか? その世界で魔王を倒せば、やはり同じように命を狙われるんじゃ……あ、それと、僕はそんなにアホじゃないと思いますよ」

「無事仕事が終われば日本へ帰すことができるぞ」

「え? でもグリザールの連中は無理だって」

「人間には無理だ。だが今回は神との契約になる。ちゃんと元の世界に戻してやる。まあ、神域を通るとき、その力は剥奪されることになるけど」

「日本じゃこんな力なんて必要ありませんよ」

「それと、君が消えた時間まで戻すことはできない。向こうでも同じように時間は流れているからな」

「家出したと思われてるでしょうね。高校も退学になってそうだし」

「そうだとしても、この世界よりよっぽどましだと思わないか?」

「ははは、思います思います。やっぱ帰りたいです」

 無理やり異世界に召喚されてしまった青年を、レイは複雑な思いで見つめていた。

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