第75話 猛虎討伐④ 決着と残る謎
ヘルフレアタイガー変異種をめぐる戦いはその激しさを増していた。
本来ならAランクとBランクの冒険者が複数名駆り出されていてもおかしくないのだが、今戦っているのはたった3人だけ。後ろに隠れる後衛や非戦闘員もいるが、本格的に攻撃を加えているのはイオ、アルバート、トーマの3人だけだった。
「よいせっ、と!」
たった1人でAランク相当の魔物を消耗させるに至ったアルバートの実力はもはやAランク以上と思われる一方で、トーマの実力も相当なものだった。
気抜けするような声とは裏腹に彼の放つ剣は一撃一撃が重く、また人の体を優に超える巨体の攻撃を受けても一歩も引き下がらないのだ。
それが例えば鎧を着こんだ大男なら納得もできる。しかしトーマはローブの下に防具という防具を身に着けている様子もなく、およそ筋骨隆々というには程遠いような細身でそれをなしているのだ。
爪から発せられる青い炎を怖れる様子がないのも異常に感じられる。
(……あれは)
イオはトーマのローブがめくれた一瞬の間に、彼の地肌が乾いた砂のように白くそこに黒い筋が幾本か浮かんでいるのを目にした。
人の身を越えた身体能力に通常とは異なる肌色。連想されるのは1人の人物だった。
「Graaaa!」
「っ、くっ!」
しかしトーマたちの正体を気にする余裕は今のイオには一切ない。手当たり次第に襲い掛かってくるヘルフレアタイガー変異種の燃え盛る爪を大袈裟に跳んで躱すと、先ほどまでイオがいた場所を青い炎が通り過ぎて行った。
地面を転がり振り向きざまに毒ナイフを投擲する。体の捻りを加えて投げられたナイフは一直線に飛んでいき、傷だらけの皮膚に新たな傷を作った。
まだ、毒の効果は表れていない。
「『救世の不死鳥』」
その時アルバートが最後の魔石を使って「救世の不死鳥」を発動した。
三種類の魔法生物の中で最も汎用性に長け、またパーティー名の由来にもなった魔法。かつてリュビオスからイオを救ったように、この状況を打破するため火の粉をまき散らしながら戦場に美しく舞い降りた。
「行くぞ!」
掛け声とともアルバートが駆け出し、その頭上を先行して火の鳥が飛んでいく。
やはりヘルフレアタイガー変異種のアルバートに対する恨みは一番大きいようで、こちらに向かって来ると分かるや否や怒り狂って炎を爆発させた。
「Grouaaaaaaaa!」
「はぁぁあ!」
「Guua!?」
一騎打ち、と思わせたところで突進の構えをとっていた不死鳥がいきなり翼を大きく広げて急停止した。
顔を覆うように翼を広げられたことでヘルフレアタイガー変異種の視界はその大部分が塞がれる。堪らず払いのけようと前足を持ち上げたところでその下を潜り抜けたアルバートが足や腹を合計3カ所切り裂いた。
「ぐぅぅっ!」
しかし爪に炎を纏う虎の体の下は獄炎の地獄だ。一瞬で駆け抜けたとはいえ全身を炙られたアルバートは苦しそうな声をあげた。
その端正な顔はところどころが火傷で爛れ、すすや汚れで真っ黒に汚れている。たとえ勝利に終わったとしてもその傷痕が完全に消えることはないだろう。
己が身を犠牲に放った攻撃は有効だったようで、ヘルフレアタイガー変異種は腹からぼたぼたと血を流していた。
もちろんアルバートの剣はイオ特製の毒が塗られている。まず確実に毒は体内に入り、その身を蝕み始めていることだろう。
「隙ありぃ!」
「Grauu……!」
動きの止まったところを襲い掛かったのはトーマだ。彼はローブの裾に火が燃え移っていることも気にせず後ろ足を何太刀も切り裂いた。
これにはさすがのAランク級も堪らないらしくその足で蹴り抜いてトーマを引き剥がそうとする。
「効くか、ってな!」
しかしトーマはあろうことかその蹴りを片腕で押し返して耐えて見せた。自分よりはるかに体重の重い相手の蹴りを受けて一歩も下がらない彼を見て、アルバートでさえも違和感を通り越して異常性を感じ始めていた。
そんなことを気にせずトーマは好機とばかりに受けとめた足の裏に自身の剣を深々と突き刺し、ねじり、引き抜いた。
「Gaurrrruuu!」
「うぉっ、ほっ、とっ」
反射なのか意図してなのか、突如発生した炎と爆風に驚いてトーマは思わず距離を空けてしまった。
至近距離で爆風を浴びたにも関わらず、彼は痛がる素振りも見せずに火の燃え移ったローブをはたいて消火していた。今はまだ何とか姿を隠すという役割を果たしているものの、もはやこの先使い続けることは不可能だろう。
「Ga…Gruu……」
足裏を差されたことでヘルフレアタイガー変異種の動きはこの上なくぎこちない。だがそれだけではなかった。
あれほどイオたちの脅威になり続けていた前足はぷるぷると震えており、呼吸は疲れとは別の要因で乱れていた。
「イオ、これは……」
「神経毒が効いてきたんだろう」
度重なるイオの投擲とアルバートの剣によってついに毒の効果が表れ始めたのだ。ヘルフレアタイガー変異種に最初ほどの余裕は一切なく、崩れそうになる足を必死に奮い立たせようとしている。
「今がチャンスだ。とどめを……」
「先にもらうよ!」
「あっ!」
明らかな好機を前にして最初に動いたのはトーマだった。一度は距離をとらされたもののすぐにそれを詰めようと全力で駆けていく。
慌てるアルバートにイオは言った。
「落ち着け! 魔法を使えば間に合う!」
「わ、分かった。救世の不死鳥!」
そう言ってアルバートは頭上にイオの毒ナイフを放り投げると火の鳥はそれを足でつかみ、真っ直ぐにヘルフレアタイガー変異種の方へと飛んでいった。
迫りくる一人と一羽を前に、傷だらけの猛虎がとった行動は--
「Grua!」
「なっ!?」
--逃走だった。
逃走とはすなわち負けを認めることである。まさかこの魔物がそれを認めるとは思わず、誰もがこの展開を予想していなかった。
しかも、その方向は--
「あっちにはカナリアとルーが! くっ!」
アルバートは顔を青くして不死鳥の飛ぶ速度を速めた。無理が祟って頭痛がしたが、それを気にする暇はない。
「ッ! ちぃっ!」
そしてあることに気づいたイオが舌打ちと同時に駆け出した。
ヘルフレアタイガー変異種を先頭に、トーマ、不死鳥、イオの順で走り、最後の戦いが始まった。
♢ ♢ ♢
「ねぇ……どうしよう!」
「迎え撃ちましょう!」
「無理! あんなの倒せっこないよ!」
「それでもよ!」
まさかこっちに逃げて来るとは、と焦りを募らせながらもカナリアはこれを好機だと感じていた。
正直あちらで何が起こっているのか全く分からない。
突然イオが後ろから走ってきて、こちらを見向きもせずに真横を通り過ぎていった。
その背中を目で追いかけるとアルバートが大ピンチに陥っている。慌てた2人はがむしゃらに魔法を放ち続けたが足止めにはならなかった。
しかしイオがなんとか追いついたことで窮地を脱するに至った。が、今度は謎の2人組が現れて突然戦い始めた。協力しているわけではないところが余計にカナリアを混乱させる。
(色々分からないことはあるけど……もう少しで勝てるってことは分かるわ)
ヘルフレアタイガー変異種は見るも無残なほどぼろぼろだった。白く美しかった毛並みは切り取られたり黒く焦げていて、その下の皮膚から血を流している。
後ろ足は明らかに大怪我を負っている上に、全体的に走り方もぎこちない。ここで逃がすという手はなかった。
(アルバート……とイオがあれほど頑張ったんだから、私だって!)
「ストーム……え!?」
最も威力の高い「暴風刃」を放とうとしたカナリアだったが、その射線上に突然人影が現れたために慌てて魔法を止めた。
向かって来るヘルフレアタイガー変異種の前に堂々と姿を現したのは--
「さあ、こっちに来て僕の糧となれ!」
--いつの間にか姿を消していたウィスプだった。尊大な物言いをしていてもへっぴり腰なのは変わりなく、震えているのがカナリアから見ても明らかだった。
しかし彼は決して逃げようとしない。同じく止まらないヘルフレアタイガー変異種と正面から接触する。
「ぶへっ!」
しかし予想を裏切らずにウィスプは炎を纏わない素の前足で軽々と弾かれてしまった。当然ウィスプの行動は一瞬の足止めにもなっていない。
「よし、繋いだ!」
「よくやった、ウィスプ! やれ!」
だが地面を転がったウィスプが何かを叫ぶと、それを受けて走るトーマも指示を出した。
その瞬間--
「Grua!?」
「ぐぅぁああ!」
同時に叫び出すウィスプとヘルフレアタイガー変異種。トーマを除いて何が起こっているのか分かる者はいない。
「止まれ!」
「おっと!?」
イオがトーマの背中目がけてナイフを投げ、避けられた隙にその背中に跳びかかった。
アルバートの「救世の不死鳥」はすでに2人を越えて、立ち止まりもがくヘルフレアタイガー変異種へと飛んで行っていた。
「言え、何をした」
何とかトーマを押し倒したイオは背中を足で踏みつけ首にナイフを添えて尋問する。足で感じる背の感触はまるで石のように固かった。
「なんのことだか」
「なら質問を変えよう。お前ら人魔の目的はなんだ?」
とぼけるトーマに向かってイオは決定的な言葉を口にする。人魔という単語が出た瞬間、石のような背中が余計に強張った気がした。
「人魔……か。まあその通りなんだが」
「動くな。このナイフには毒が塗ってある。余計なことはせず質問に答えろ」
「いやだ、ね!」
「!?」
イオのかける体重など軽いとばかりに体を起こそうとするトーマの首に、イオは致死性の毒を塗ったナイフを押し付けた。が、石を切ったように弾かれて肉に食い込みさえもしなかった。
警戒を強め距離をとったイオ。目の前でゆっくりと起き上がるトーマの顔を近くから見て思わずぎょっとした声を出す。
「ガー……ゴイル……」
尖った耳に赤い目と鋭い牙。さらに石のように無機質な肌をしたその男は、石像の魔物であるガーゴイルに酷似していた。片目は閉じられ、黒い筋が浮かび上がっているなど差はあるが、それは悪魔の石像の形をしていた。
トーマはイオの呟きを無視して口を開く。
「……別に、目的なんて大したものはない。強いて言えば、人間らしい暮らしがしたかった、ってところだな」
「人間らしい……?」
「俺は優しいから口封じとかしないが、俺たちの中には人に強い恨みを抱えているものもいる。あいつのようにな」
そう言って目線で指す方向にはヘルフレアタイガー変異種と、ウィスプがいた。
ヘルフレアタイガー変異種は不死鳥が首に毒ナイフを刺してその上にとまっていた。おそらく死んだのだろが、最期は驚くほどのあっけなさだった。
一方でウィスプの方は地面に伏したまま動かないものの死んだ訳ではないようだ。かすかに持ち上がる背中が息をしていると証明している。
「命が惜しければできるだけ俺達に関わらない方がいいぞ。……さて、あのバカを回収するか」
「待て!」
「あーそれと」
尚も引き留めようとするイオに、トーマは殺気を発しながら告げた。
「俺は人を殺さない主義だが、死ななければそれでいいと思っている。目が潰れようが腕がなくなろうが、死ななければいい。いや、その方がいい。これ以上関わるなら、お前の目ん玉くり抜くぞ?」
そう言ってイオを睨むトーマの隻眼は、まごうことなき恨みの色に染まっていた。
何も言えずにただずむイオの目の前で彼はウィスプを抱え、森の中に消えていくのだった。
「イオ! あの人たちは……!」
「倒したんですよね!?」
「やったわね! それはそうとイオ、あんたなんでここにいるのよ?」
前後から走り寄ってくる元パーティーメンバーの声を聞きながら、イオは思考に耽っていた。
人魔とはいったい何なのか。その目的は何なのか。なぜ人間を恨んでいるのか。
考え出すと切りのない問ばかりが頭に浮かんで脳内を埋め尽くしていく。
「予想外のことがたくさんあったけど、俺たちは勝ったんだ。皆、本当にありがとう……」
「ちょっ、アルバートが泣いてる!?」
「アルバートさん!? って、それよりも怪我! 治療しないと!」
感極まったのか涙を流し始めるアルバートを中心に広がる騒がしくも温かい光景。
彼らの背後ではヘルフレアタイガー変異種の死体の上で羽を休めていた「救世の不死鳥」が音もなく消えていくのだった。
(……まぁ少しは役に立てた、か?)
イオはいつも通り3者の輪には加わらず自分に問いかけた。
死の間際だったアルバートを助けられたこと。
隠れていた人魔を暴き、偶然だが戦闘に巻き込めたこと。
イオ自身や作った毒も、役に立ったということにしておこう。
イオ個人としては満足のいく結果である。
多くの謎が残っているが、今だけは彼も他の3人と同じように少しだけ勝利の余韻に浸るのだった。
♢ ♢ ♢
「はぁ……ったく、自分の足で歩けよ」
トーマは森を歩きながら両腕に抱えた少年を見てぼやいた。だが文句を言ってもその相手は眠ったままだ。
やがてため息を吐くとトーマはウィスプの腕に新しく生えた白い毛並みに触れて、親の顔で優しく告げるのだった。
「ま、今だけは許してやるか。”儀式”お疲れさん。よく生き残ったよ」
たくさんの疑問点が出たと思いますが、答え合わせはできるだけ早めにしたいと思っています。
ここまで読んでいただきありがとうございました。これからもよろしくお願いします。




