第74話 猛虎討伐③ 三つ巴
時はその日の朝方まで遡る。
まだ小雨が降りやまぬ早朝に出発したイオだったが、いよいよ目的地が見える場所まで近づいた頃には大いに焦っていた。
というのもアルバートたちがいるであろう高原の麓が、小規模な山火事のように燃えているのを目にしたのだ。
諸々の事情を知るイオにとってこれを自然現象だと思うようなことはありえない。十中八九、すでに戦闘が始まっているのだろうと走るスピードを速めようとする。
しかしいくら急ごうと思っても、すでに「身体強化」を使って長距離を全力で走ってきているのだ。これ以上は速くできないどころか疲労で脳が休息を欲してすらいる。
だが休みたいという本能に従うことはできない。
イオは「身体強化」で無理やり体を動かすと同時に、すでに発動している「感覚強化」をさらに強力なものにして戦いの様子を探った。
積み重なる負荷に頭がずきんと痛む。
(ちっ……何も分からないか……!)
聞こえてくるのは派手な戦闘音ばかりで、実際にどのような戦いが行われているかはまるで分からない。距離が遠すぎて視力の方も役には立たない。
まだ全滅していないと分かったことだけが得られた収穫だ。
(もっと遠く……!)
しかしイオはそれで満足しない。
無理を承知でさらに「感覚強化」の強さを上げ、少しでも情報を得られるように試みた。
これから激しい戦場に踏み込むにあたって情報は何よりも大切である。
もしかしたらイオの助けは必要ないかもしれないし、仮に手遅れならイオがたどり着いても自殺にしかならない。
疲労した状態で、それでも集中力をすり減らして全力で魔法を使う。
それはいつかクイーンホーネット討伐の際に陥った状況と似ている。あの時のイオは、雑音によるストレスをため込みながらキラーホーネットの位置を探ろうとしていた。
そして突然まるで意識だけが飛んでいったかのように遠くのものを見ることができたのだ。
--今のように。
(これは……)
色のない、輪郭だけの世界。イオがこれを体験するのは二度目だった。
彼の意識は体を置き去りにしてぐんぐんと進む。
草や木に岩。そしてヘルフレアタイガー変異種のもと思われる特徴的な足跡。おそらくこのまま走れば同じような景色を見ることになるのだろう。
主だった障害物は見当たらず、探していた人物の姿はすぐに見つかった。
岩に隠れるようにして遠くを見ているカナリアとルーだ。
その視線の先に飛ぶと激しい戦いを繰り広げるアルバートもいた。
アルバートはイオも見たことがない炎の獅子を操っている。彼の得意魔法を知っているイオからすれば驚くことでもない。
ヘルフレアタイガー変異種はすでに相当なダメージを受けているようで、体の前半分が傷だらけだった。
戦いは優位に立てているとは言えないが、それでもまだ勝てる見込みがあるように見受けられる。イオにはそれを後押しすることができるのだ。
早速元に戻ろうと思ったイオだったが、彼の意志に反して意識は戦場を越えさらに奥へと行ってしまう。
そこにはローブを着た怪しい2人組が、アルバートの戦いを隠れて窺っていた。
(……誰だ?)
そう思うも今度こそイオは引っ張られるようにして一瞬で元の体に戻ってしまった。
考えることは多い。
どのようにしてアルバートに毒を渡すのか。
ローブを着た2人組は誰で、何を企んでいるのか。
あの「感覚延長」とも言うべき現象はいったい何なのか。
(まずは、追いついてからだ……!)
イオは一度見た道を全力で駆けるのだった。
♢ ♢ ♢
「いきなり走って来て、すぐに見つかるとは思ってなかったよ」
相手を見下したように語るのは背の低い方、ウィスプだった。
フードを深く被っているため表情は見えないが、おそらくその下では笑っているものと思われる。
「はぁ……なにもばれたからって出て行く必要はないだろうに……」
一方でその隣のトーマはしぶしぶといった様子だった。
イオの問いかけにウィスプが勝手に答えたためにこうして出て行かざるを得なかったのだ。
ヘルフレアタイガー変異種を挟んで向かい合う両者。
反対側に立つイオとアルバートは2人の意図を測りかねて警戒を強くする。
「Graaa!」
「っ!?」
しかし魔物にはそのようなことは関係ない。
走り寄ってきたイオにも突然現れたトーマやウィスプにも目をくれず、ただ自分に傷を負わせた憎きアルバート目がけて爪を振り上げた。
回避は不可。そう判断したアルバートはイチかバチかで剣を構え防御の姿勢をとる。
爪を防げたとしても炎は防げない。来たる衝撃と痛みに備え腰を落としたアルバートだったが、その爪が振り下ろされる前にイオが動いた。
「ふっ!」
懐から取り出した一本のナイフを短い動作で投げると、アルバートを救うべく自らも動いた。
投擲の技量などないイオの攻撃は怒る猛虎の体表に浅い傷をつけただけではじかれたが、アルバートを引っ張って距離をとらせるくらいの隙は作ることができた。
「イオ、どうして……」
「今はあれを倒すのが先だ。後でいくらでも説明する。これ使え」
未だに事態についていけていないアルバートを制して、イオは自分の剣を彼に手渡した。
「こっちを使え。その曲がった剣は俺がもらう」
「え? でも……」
「強力な毒を塗り込んであるから扱いに気をつけろ」
「え? えぇ!?」
「ほら、来る!」
「ちょっ……!」
2人が会話できたのはほんの短い時間だけだった。
すぐさま襲い掛かってきたヘルフレアタイガー変異種を左右に跳んで避けたことによって分断されてしまったのだ。
「そこの2人!」
次にイオはローブを着た謎の2人組に呼び掛ける。
「素材が狙いならすぐに立ち去れ! お前らにやる物はひとつもない!」
イオはこの2人を、おそらくヘルフレアタイガー変異種の素材を横取りしようとする冒険者だろうと考えていた。
このような行為は別段珍しいことではない。許される行いでないのは確かだが、それでも楽に金を稼ぐことができるからだ。
隠れて隙を窺っていたことからも否定材料は見つからない。
大方アルバートが弱っているところを狙おうとしていたのだろうが、その非道さを考えると反吐が出る。仮に2人が巻き込まれて殺されようとイオは一切悲しんだりしないだろう。
「はぁ!? 僕がお前なんかの言うことを聞くはずがないだろう!」
しかし尻尾を巻いて逃げるという予想とは反して、小柄な方が激しくイオに言い返してきた。
のこのこと姿を現したことから考えてもこの少年はかなり頭が悪いというか、精神的な幼さを感じてしまう。
「おいおいおい。ウィスプ、落ち着けって」
「なんでだよ! あの上からの物言い! 殺すべきだ! トーマおじさん、やっちゃって……!」
「でかい声出すな! ああ、ほら見ろ、こっちに来る!」
「え? ちょ、うわぁぁあ!?」
「Gruaaaa!」
あれほど大きな声を出し続ければ、ヘルフレアタイガー変異種の注意を引いてしまうことなど考えずとも分かる。
トーマの方はその可能性に思い至っていたのだが、癇癪を起こしたウィスプを鎮めるのが間に合わなかったのだ。
「うぉ!?」
「だから、言った、んだよ!」
ウィスプはばたばたと慌ただしく、トーマはやる気がなさげに見えて意外に余裕のある足取りで突進を避ける。
「頭来た! おじさん、”儀式”はあいつにする!」
「馬鹿が、そんな理由で決めるな。食われて死ぬぞ」
「いや、目が合ってビビッてきた。多分相性はばっちりだ!」
追ってくる巨体から逃げつつ2人はよく分からないやり取りをしている。
トーマはともかく口数の減らないウィスプの方は明らかにぎりぎりだった。おそらくアルバートが弱らせていなければすぐに捕らえられていただろう。
注意が逸れたおかげでアルバートも再びイオに合流することができた。
何やら言い合っているローブの2人組を横目に見ながら、様々な疑念を込めた目でイオを見ている。
「……あの2人は?」
「おそらく素材を横取りしようとしていたんだろう。自業自得だ」
「そうか……気づかなかった。それで、イオはどうして?」
「まあ、気まぐれだ。これを届けに来た」
そう言ってイオは腰に差した何本かのナイフを鞘ごと抜いた。
「これは?」
「その剣と同じ、毒を塗り込んだナイフだ。討伐の役に立てばと思ってな」
「でも……毒なんて」
腐っても騎士だったアルバ-トにとってもやはり毒は好ましいものではないようだ。
毒を使うのはいわゆる暗殺を生業とするような人間だ。アルバートでなくてもいい印象を持つ者はほとんどいないだろう。
しかしイオに言わせればその考えは甘い。
イオも当然こんなものに頼らずに勝てるのならその方がいいと思っている。しかしいざ命の危機に立ったとき、そのような高潔な精神であり続けることにどれほどの価値があるだろうか。
死ぬくらいなら使える手はすべて使う。それはイオがこれまで生きてきた中で培ってきた理念の一つである。
「無理にとは言わない。自力で勝てるならそうした方がいいからな」
「……」
「俺が言えることではないが、アルバートが死んだら後ろの2人に罪が全部行くんだろう。それでいいのか?」
仮にアルバートが依頼を達成できずに死ぬことになれば、ロナルテッドとの契約は破綻し騎士剣を窃盗した罪に問われる。
その時に本人がいなければその責任は同じパーティーに所属するカナリアとルーに及ぶことになるのだ。それを回避するためにも彼は決して死ぬことが許されない。
「……分かった。ありがたく使わせてもらうよ」
自分の信念は二の次であると思い至ったアルバートは、しっかりとした手つきでイオからナイフを受け取った。
「おーい、そこのあんたら!」
と、そこに戦いの合間を縫ってトーマがイオとアルバートに呼び掛けてきた。
彼はもう一人を背中に庇うようにしてヘルフレアタイガー変異種の猛攻を剣で凌いでいる。あそこまで接近していれば相当熱いはずだが、トーマは依然として涼しい声のままだった。
「なんだ?」
「本当に悪いんだけど、この魔物は俺たちがもらう。今のうちに帰ることをお勧めするぞ」
「なっ!?」
衝撃の発言にアルバートから驚きの声が漏れた。
外見上落ち着いているイオも、本心ではやはり素材狙いかと嫌悪を込めた目で睨み返した。
「お前の言っていることは魔物の横取りだ。そんな横暴がまかり通ると思っているのか?」
「はっ、そっちの都合なんか知るわけないだろう。死にたくなかったらさっさと消えろと言っているんだ」
偉そうに答えたのは守られているだけで何もしていないウィスプの方だった。
口だけは立派だが迫るヘルフレアタイガー変異種を目の前にして若干腰が引けているようで、正直まったく脅しになっていない。
「偉そうな口を叩くならウィスプがやってくれ。元はと言えばお前の仕事だろう、これは」
「おじさん、それはないでしょ!?」
「まったく……明日からこき使うからな。それでお二人さん、どうする?」
敵を前に悠長な会話をしていたトーマが問いかける。
もともとヘルフレアタイガー変異種と戦っていたアルバートの答えは決まっていた。
「誰が退くものか。その言葉、そのままそちらにお返しする」
「なら競争だな。先に倒した方が勝ちだ」
「それに乗る必要性も感じない。倒すのは俺だ」
自分勝手な要求をするトーマとウィスプに相当怒っているようで、すでにアルバートは丁寧な姿勢を捨てていた。
「助けはいるか?」
「ああ、助けてほしい。さすがに俺だけだと厳しかった」
「……まあ、邪魔になりそうな気もするが」
そう口にするイオだが、悲観した様子は見られなかった。ここに来た時点でこうなることは大体予測できていたのだ。
武器を渡すだけでそのまま帰ろうなど、よほど神経が太いものにしかできないだろう。
残念ながらと言うべきか、イオも窮地に立つアルバートを見捨てて平気でいられるような精神はしていないらしい。
(……さて、生きて帰れるのやら)
自分の命を優先していたはずなのにこの状況。イオは自分の行動に内心で呆れていた。
そんなイオにアルバートが告げる。
「いろいろ言いたいことはあるけど……今はこれだけ言っておこう」
そこで一度言葉を区切った。そして万感の思いを込めて次の言葉を口にした。
「助けに来てくれてありがとう。また一緒に戦えることをうれしく思うよ」
イオがそれに何か返事を返す前にアルバートは駆けだした。




