第73話 猛虎討伐② 乱入者
初撃だけを放ちすぐさま退散したカナリアとルーの2人はかなり離れた場所から目を凝らしていた。
「……」
目の前で繰り広げられる激しい戦いに2人は声を出すこともできない。
人の背丈を大きく越える巨体を持ち青い炎を纏うヘルフレアタイガー変異種と、魔法によって生み出された赤い炎の獅子。
そして衝突する2匹の間を剣をもって動き回る1人の青年。
勢力の上ではアルバートが勝っている。しかし実際には、両者は危うい均衡を保ったままどちらも深く攻めきれずにいた。
そして時間が経てば経つほど周りに広がっていく炎の被害。
Aランク級の魔物との戦いは周囲の地形や環境さえも大きく変える。相手が使ってくる攻撃の1つ1つが人の身どころか地面さえ大きく削り取るようなものであるのに対し、そんな魔物にダメージを与えるにはこちらも周囲を巻き込むほど規模の大きな攻撃をする必要があるのだ。
(……こんな戦い、割って入ることなんてできない)
カナリアは拳を強く握りしめて歯噛みしていた。
相手を舐めていたわけではない。その危険性はアルバ-トから耳が痛くなるほど聞いていたし、その姿を実際に見た時から格の違いははっきりと感じていた。
だがここまでとは思っていなかったのだ。油断していた最初だけではなく下がった後も何かしら役に立てるはずだと思っていた。
しかし自信家な彼女であっても、目の前の戦いに手を出すことは不可能だと感じてしまう。
下手な援護はアルバートの邪魔になりかねないし、相手の気を引いてしまえばその矛先をこちらに向けられるかもしれない。そうなるとカナリアにはなすすべもない。
しかしそれで終わらないところも彼女が彼女たる所以だろう。
(チャンスは一度だけ。たとえ狙いをこちらに向けられても、決定的な隙を作ることができればアルバートが倒してくれる。それを待つ)
カナリアはこの圧倒的に高度な戦いを目の当たりにしてもまだ諦めていなかった。こんな中途半端な場所で諦めるくらいなら、もっと早い段階でアルバートとは袂を分かっていた、と決意を新たに気を引き締める。
「カナリアちゃん」
そしてそれは隣の親友も同じだ。
ルーもここで手をこまねいて決着を待つという選択肢はとれないと、目でカナリアに訴えかけていた。
カナリアもそれに頷きで返し、視線を前に戻した。
アルバートがここまで苦戦しているのを見るのはこれが初めてだ。
激しい戦闘音とともに届く苦鳴じみた叫びは、彼がどれほど苦戦しているかを何よりも物語っている。
2人は来たるその時を見逃さぬよう、ひたすらに目を凝らし続けるのだった。
その時。
「……ん?」
カナリアは直観めいたものを感じて背後を振り返った。
視線の先からは何やら黒い影がこちらへ急接近している。
昨日までの天候を考えると雨上がりの朝にこの場に人がいることは考えにくいのだが、どうやらその影はローブを着た人間であるようだった。
(なんでこっちに……)
この先で大規模な戦闘が行われていることは一目瞭然のはずだ。それを知りながら尚こちらへ向かって来る人間とはいったい何者なのか。
カナリアは警戒を抱きながらその正体を見極めようとするのだった。
♢ ♢ ♢
「はぁぁぁあっ!」
腹から力を絞り出すような叫びをあげながらアルバートがヘルフレアタイガー変異種へと剣を振り下ろす。
自身が操る「守護の炎獅子」の影から放った死角からの一撃だったはずだが、この青と白の虎は体格に似合わぬ俊敏な動作でそれを躱して見せた。
(ちぃっ!)
苛立ちを込めた舌打ちは心の中だけにとどめた。
代わりにすぐさま炎獅子を追撃に向かわせる。火の粉をまき散らしながら獅子はヘルフレアタイガー変異種と変わらぬ俊敏さでその首を獲りに行った。
その攻撃は体毛の削られた猛虎の首に赤い火傷の痕を残しただけで致命傷に至らせることはできない。
両者の距離が離れたことで戦いは仕切り直しとなる。
(はぁっ……! 思ったよりもキツい。いくら攻撃しても消耗を感じられない!)
余裕があるならその理不尽さを声に出して叫びたいほどだった。
ルーとカナリアによって初めにそれなりのダメージを与えられたはずのヘルフレアタイガー変異種だが、いくら攻撃を加えてもその動きが鈍ることはまったくない。
強いということは分かっていたものの、やはり本気になったAランク相当の魔物はそう簡単にアルバートの手に負える存在ではなかったのだ。
むしろ粘るアルバートに怒りを募らせてますます力を増しているようにも感じられる。
一方でアルバートも全くの無傷ではなかった。
大きな怪我は避けているものの、細かい傷や火傷は数えだすと切りがない。
この火のフィールドの中で彼が戦えているのは、ひとえに火属性の適性者として熱さに慣れているからに他ならないのだ。今も汗が顔中を流れて体を冷やそうとすると同時に、体内の水分がどんどんと減っている。
カナリアは均衡を保っているなどと評していたが、実際のところは圧倒的に劣勢なのだ。
(……行け)
睨みあいの中、動き出したのはアルバートの方だった。
心の中で獅子に命じると、自身はヘルフレアタイガー変異種を挟み込むように逆側へ走り出した。
数の有利はアルバートが勝る強みの一つである。それを生かさない手はない。
2方向から同時に攻撃を仕掛けられ、ヘルフレアタイガー変異種のとった行動は--
(ッ、こっちか!)
より倒しやすいと判断したのだろう。後ろに迫る獅子は無視して完全にアルバートのみを迎撃する態勢に入っていた。
いざ真正面から向き合ってみると自分がいかにちっぽけな存在かを思い知らされる。大きく開いた口はそのままアルバートの頭をのみ込もうとしているようだった。
湧き上がる恐怖を押し込め、アルバートは気合を込めて剣を一閃した。
「ッ!? まずっ」
しかしそれはまたもやヘルフレアタイガー変異種に何の痛痒ももたらさなかった。
むしろ爪で受け止められたことによって最大級の危機が迫る。
「くっ、そ!」
慌てて退散するももう遅い。その爪は高温な青色の炎を発する危険極まりない武器なのだ。
その身を切り裂き、焼き焦がそうと放たれた一振りが屈んだアルバートの頭上を通り過ぎて当たらずに済んだのは奇跡に等しい。しかし炎までを防ぎきることは不可能だった。
「あ゛あっ、熱っ! くらえ!」
文字通り身を焦がす痛みにのたうち回りながらも戦いを放棄するようなことはありえない。
己が身を削って作り出した好機を逃すまいと、「守護の炎獅子」を後ろから組み付かせた。
「Gruaa!」
「大人しく、しろ!」
アルバートは地面を這いつくばったまま獅子のコントロールに全力を注ぐ。
危険な近接戦を仕掛けたのはこの状態に持って行きたかったからだ。動き回られては有効な攻撃を当てることができないため、どうしてもその動きを止めたかった。
今二体の四足動物はもつれあってアルバートと同じように地面を転がっているが、それは決してじゃれ合っているというものではない。
獅子は虎の首に噛みつき、まるで命を燃やすかのように一層激しく燃え盛っている。
いかに火に強いヘルフレアタイガー変異種であっても、傷口を炙られるのは痛いらしい。獅子を引き剥がそうと地面に体をこすりつけ続けていた。
ましてやアルバートのことなど考えている余裕はない。
(あと一撃。それで俺の勝ちだ)
なんとか気を持ち直して立ち上がったアルバートは、手に持った剣に違和感を感じて顔をしかめた。
見てみると刃の部分が欠けて全体的に大きく歪んでいる。高温を浴びせられながら強い力を受けたのだからそれも仕方のないことだろう。
だがそれでも問題はない。目に深く突き刺すくらい、この剣でも十分に役割を果たすことができる。
そう考え、いまだ暴れ回るヘルフレアタイガー変異種の下へと重い足を動かして向かった。
「Gruu……Gruaaaa!」
「なっ!?」
しかしそこに辿り着く前にこの大きな虎は猛々しく吠えると、すでに休みなく放出されている爪の炎をさらに大きくした。
赤色の炎が青色の炎に飲み込まれる。当然アルバートもこれ以上近づくことはできなくなった。
そして問題はそれだけではない。
(「守護の炎獅子」が……のみ込まれていく……!?)
青色の炎が大きくなるにつれてアルバートの魔法が崩れていっているのだ。
魔力で象られた魔法生物とはいっても魔法であることに違いはない。
それ以上の魔力で押し潰されてしまっては崩壊も時間の問題だ。
そう、魔力。魔物にも魔力を持つものは存在する。
そうでなければ爪から炎を発するなどあり得ないし、魔物からとれる魔石を魔法や魔道具の材料に使うことなどできない。
(負ける、ものか……!)
魔法を消されぬようアルバートも魔力を注いで抵抗すると赤色の炎が息を吹き返した。
辺りを問答無用で燃やし尽くすほどの激しい魔力の応酬。この勝負を制した方が生き残るだろうということは考えずとも理解できた。
赤色の炎の獅子にとっての勝利条件は消される前に相手を殺す。
青色の炎の虎にとっての勝利条件は殺される前に魔力で相手を押し潰す。
単純明快な力勝負だ。
「う、あぁぁああ……!」
「Grraaaaaaa!」
両者とも一歩も譲らない。
一方がもう一方をのみ込むと、のみ込まれた方は腹を裂いたかのように復活してまた相手に食らいつく。それが何度も何度も繰り返された。
永遠に続くとも思われたせめぎ合いは、しかしそう長い時を経ずに終わりを告げる。
力尽きたかのように一方の炎が小さく揺らめくと、そのまま萎むようにその大きさを小さな火種にまで変えていったのだ。
勝利を確信したもう一方は喜々として、もはや命の灯火となった相手に食らいつき最後のとどめを刺したのだった。
「はぁ、はぁ……」
荒く息をつくアルバート。彼の目の前には真っ黒な焼け跡が広々と広がっていた。
その中心には横たわる巨大な虎が一体。真っ白だった毛皮は見る影もなく真っ黒に焼け焦げていた。
ここまでして焦げる程度で終わっているのはやはりもともと耐火性に優れていたのだろう。
もちろん疲労困憊のアルバートにはそんなことを考える余裕は一切ない。ただ倒れ伏す敵を見据えるだけだった。
あれほど激しい戦いが繰り広げられていたのが嘘だったかのように静寂が広がる中、静止した世界に動きが見えた。
「ダメ、か……」
そう弱々しく呟く彼の目の前で、死んだかのごとく沈黙していたヘルフレアタイガー変異種が起き上がったのだ。
異なる色を持つ炎の食い合いを制したのは、青色の炎を纏う虎の方だった。
アルバートが作り出した「守護の炎獅子」は跡形もなく消え去っている。
立ち上がった勝者は怒りに目を燃やしながらゆったりとした動作でアルバートの方へと向かってきていた。
さすがのAランク級の魔物であってもあの激しい戦いは消耗を余儀なくされたらしい。黒くすすけた体を見てもダメージの大きさは見てとれる。
しかしそれだけだ。アルバートが切り札と多くの魔力を失ったのに比べて、ヘルフレアタイガー変異種はまだ動いてアルバートを殺す余裕すらある。
どちらが勝者かなど火を見るよりも明らかだ。
何とか足を動かそうと踏ん張る後ろから魔法が放たれている。
風の矢と水の矢はそれぞれカナリアとルーのものだろう。しかし飛距離重視のそれらでは威力が足りず、この魔物はただ邪魔そうにしているだけだ。
(万事休す、か)
頭ではそう考えながらもアルバートは剣を手放さない。
せめて後ろの2人が逃げる時間を作るくらいには戦って見せるつもりだった。
(頼むから素直に逃げてくれよ)
仲間が関わると頑固な2人に対して苦笑気味に念じる。
ピンチに陥ったら逃げるよう約束させているのだが、それをどこまで守ってくれるかだけが不安だった。
「Gruu……!」
「俺は、まだやれる!」
目の前までやって来たヘルフレアタイガー変異種に向けてそう宣言し、曲がった剣を正眼に構える。
この剣を目に突き刺せば勝ちなのは変わらないのだ。確率は低いと知ってもアルバートは諦めるつもりはない。
睨みあう両者。最後の戦いが切って落とされようとした、その時--
「っ、え?」
神聖な戦いに水を差すかのように、両者の間にナイフが突き刺さった。
飛んできたのはアルバートの後ろ側から。警戒しながら肩越しに振り返ったアルバートはさらに驚愕に目を見開くことになる。
「イ、イオ……?」
なぜここにいる。その疑問を兼ねた呼びかけは、しかし返されることはなかった。
少し汗ばんでいるイオはあらぬ方向、ヘルフレアタイガー変異種の後ろ側に向かって呼びかけたのだった。
「そこにいる奴ら。いるのは分かっている。出て来い!」
突然の出来事にヘルフレアタイガー変異種さえ動きを止めていた。
何を言っているのかとさらに疑問を感じるアルバートだったが、イオの呼びかけに答える声があったことにさらに驚くこととなる。
「へぇ、気づいてたんだ」
ぎりぎり焼けていない茂みの中から現れたのは、ローブを着た2人の男。
討伐は、新たな局面を迎える。
やばい……アルバートがめっちゃ主人公してる……
イオの見せ場もあるのでお許しください。




