第72話 猛虎討伐① 対面
明くる日の朝。
カナリアが言った通り雨は見事にあがっていた。まだ雲は残っているもののその隙間からは陽光が差し込んできている。
まだ雨があがり切ってからそれほど時間はたっていないのだろう。足元に生える雑草も地面もしっかりと水気を吸っており、歩くたびにまるで湿地帯のようにじゅくりと水が染み出るような音を鳴らすのだった。
アルバートたちは前日のような会話さえ一切なくその中を歩いて行く。
高原の麓とは言ってもその範囲は広大だ。人の足で目的のものを見つけようと思っても優に一日以上はかかるだろう。
しかし3人は運よく--あるいは運悪く--早々にヘルフレアタイガー変異種がいたという痕跡を見つけることができた。
「これって……」
「間違いなく、ヘルフレアタイガー変異種のものだろうね」
彼らが囲むそこには不自然な焦げ跡が残っていた。
不自然というのも、それが二列になって一定の間隔ごとに延々と続いているのだ。それはまさに魔物が残した足跡だった。
歩くたびに地面に焼き後を残すような魔物など、知る限りこの状況では一体しかいない。
「行こう」
緊張を押し込めるようなアルバートの言葉で彼らは足跡に沿って歩き出す。
ヘルフレアタイガー変異種といっても常に爪を発熱させているわけではないのだろう。足跡である焦げ跡は時に途切れていることもあった。
それでも人の胴ほどの大きさの足跡を残すような魔物だ。その痕跡は辺りを注意深く見渡せばいくらでも見つけることができた。
こうまで自分がいた場所をはっきりと残せるのは、ヘルフレアタイガーという魔物自体が食物連鎖において上位に位置するからだろう。
弱い魔物と違って、彼らは身を隠さねばならないような状況に陥ることがほとんどないのだ。
「……魔物が一体も出ないわね」
重い空気に耐えかねたのか、いつものようにカナリアが言葉を発したが、その声はいつ現れるとも知れない脅威に少し震えていた。
そしてそれにアルバートが答えるのもいつも通りなのだが、彼も緊張しているのか声が硬かった。
「もう縄張りに入っているのかもしれない。2人とも、気を抜かないように」
「う、うん」
「……はい」
それきりで会話は途切れてしまった。
さしものアルバートもこの状況で会話に応じるような余裕はないようだ。
このときアルバートの脳裏に浮かんだのは、クイーンホーネットの討伐だ。騎士時代にBランクの魔物と戦う機会が多かった彼でも、あの時ほど縄張りという名の敵地に攻め込むことが難しいと感じたことはなかった。
そこに踏み込んだ時点でその人間は明確な敵対者なのだ。どこから攻撃が飛んでくるか分からないし、気性の荒いものならば地の果てまで追いかけてくるだろう。
かつての経験から全方位に気を配るアルバートだったが、結論から言えばそれは徒労だった。
「ッ!!」
遥か視界の向こう、一段高い岩場に鎮座する存在を見て皆思わず息をのむ。
「あ、あれが……」
「ヘルフレアタイガー変異種ってわけね……!」
怯えを滲ませるルーの呟きと、自分を鼓舞するようなカナリアの言葉。
アルバートは何も言わずに今ゆっくりと腰をあげた大柄な魔物をきつく睨んでいた。
(俺たち如き、脅威に感じないってことか……!?)
かの魔物は自分の縄張りに侵入した存在に気づきながらもここまで動くことはなかった。
小さな侵入者が途中で逃げ帰ることなく、勇気を震わせ王者たる自分の膝下までやってくるのを見下ろしていたのだ。
仮に逃げ出していても問題はない。その時はすぐさま後を追い、自分の愚かしさを死をもって教えてやるだけのこと。
ならば王たる虎に睨まれつつも退くことをしない3人の人間には何をもって報いるのか。
その勇猛を称賛し直々に仕合うのか、それとも蛮勇を嘲笑い嬲り殺すのか。
どちらも変わらない。
白の体毛をした大柄な虎はアルバートたちに向かって勢いよく跳び出した。
♢ ♢ ♢
「来るぞ!」
ヘルフレアタイガー変異種が跳び出してくる直前、アルバートはすでに若干気圧され気味の2人に向かって叫んだ。
この緑と茶色の環境の中で、自身の身を隠すつもりもない真っ白の体。背にある縞模様は通常赤色なのだが、それが青色なのはこの魔物が変異種たる所以か。
とにかくこの強敵相手に一瞬の遅延は命に直接関わるのだ。
「作戦通りに! ルー!」
「は、はい! 『水壁』!」
滅多に聞かないアルバートの怒鳴り声がルーの意識を戦闘に切り替えさせた。
湿気の多さも助けとなっているのか、いつもより厚く高い水の壁が突進してくるヘルフレアタイガー変異種を阻む。
ここまでならいつもと同じだ。Dランクのグレイウルフさえ受け止めきれなかったルーの魔法では、Aランク相当のこの魔物を止めるなど万に一つもありえない。
ヘルフレアタイガー変異種もこの程度は歯牙にもかけないと、勢いをなくすことなく突っ込んでくる。
しかし、成長した彼女がこれで終わるはずがない。
「今!」
「『水噴射』!」
タイミングを計っていたアルバートの声を受けてルーが魔法を切り替えた。
そびえ立っていた水の壁の中央から突然勢いよく水が噴射し始めたのだ。
これはヘルフレアタイガー変異種も予想していなかったようで、勢いよく迫りくる水流へと向かって頭から突っ込んだ。
来るのが分かっているのと分かっていないのとでは大きく異なる。顔から思い切り水を受けたヘルフレアタイガー変異種は思わず目をつむり顔を背けてしまった。
この魔法には体に穴をあけるような貫通力もなければ、物理的な威力もほとんどない。
人くらいなら押し倒すこともできるかもしれないが、体の重い相手となると不快に思わせるのがせいぜいだ。
「カナリア!」
「ええ、『暴風刃』!」
しかし使い方を工夫すれば今のように大技につなげることもできる。
岩の鱗さえ削り取るカナリアの最大の魔法は、Aランク相当の魔物にも通用した。
「Garrrr……!」
体が大きいため全身を包み込むまではいかないが、風の刃が舞う竜巻はヘルフレアタイガー変異種の顔から前足までをすっぽりと覆いつくした。
透明だった渦が徐々に血の赤に染まっていくのは、この魔法が確実にその体を切り裂いている証拠だ。苦しそうに、されど怒りを込めた唸り声が風の舞う音の合間に聞こえる。
次の瞬間--
「Gaaarrrrrrn!!」
心臓を鷲掴みにするような低く大きな叫び声が鳴り響き、ヘルフレアタイガー変異種の体が真っ青に燃え上がった。
それと同時に急激に温められた空気が膨張し、熱風となって周囲に広がった。当然カナリアの「暴風刃」も解除される。
煩わしい水と風の乱舞から解放されて再び全身を露わにした王者の容貌は、これ以上ないほど哀れなものだった。
被った水は熱で蒸発しているものの、体の前半分は体毛がごっそりと切り取られて細かい傷がびっしりと刻まれていた。
あの「暴風刃」の中にあってこれだけの傷で済んでいるのはさすがとしか言いようがないが、後ろ半分が無傷なこともあって一層不格好さが際立っている。
そんなヘルフレアタイガー変異種は怒りをその身に体現したかのように爪から青い炎を発していた。
前日の雨などなかったかのように水分は蒸発し、地面を踏む4本の足を起点にどんどんと炎が燃え広がっていく。しかも草木が燃えていくだけにとどまらず、土が真っ赤に赤熱しているのだ。
(なるほど……青い炎だから変異種か。この炎、温度がかなり高いように見える)
しかしそんな中にあってもアルバートは冷静だった。
絶体絶命とは言わずとも脅威を前に冷静さを保てているのは、「冷血の騎士」時代に培った経験があるからだ。もしくは、どんな時でも冷静だったイオを見てきたからかもしれない。
(ルーも、カナリアも自分の役目を果たしてくれた。ここからは、俺の仕事だ)
2人が魔法を放っている間、アルバートはただそれを見ていただけではない。
ヘルフレアタイガー変異種に手傷を負わせた全力の魔法は、アルバートが次の一手を打つ時間稼ぎにもなっていた。
「勝負だ。『守護の炎獅子』」
瞬間、アルバートの左手に持たれた魔石が眩い光を放ち魔法を形成する。
現れた赤く燃ゆる獅子は、一直線に青い炎を纏う白虎へと跳び出した。
「Gau…!」
初撃は敢無く躱される。ヘルフレアタイガー変異種が大きく横に跳んだことによって、また移動地点に火が燃え移り始めた。
しかし躱しはしたものの、その意識は突然現れた自分と同じぐらいの大きさの炎の獅子に強く向けられる。
アルバートが魔石を消費して使役できる最大級の魔法生物は3種類。その中でもこの「守護の炎獅子」は単体戦力が最も高いものだった。
全身を赤い炎で形作るこの獅子にとって、爪による斬撃も炎熱による攻撃もほとんど意味をなさない。
だがそれは相手も同じこと。自分で炎を操作するヘルフレアタイガー変異種にとって熱や炎がどれほどの脅威になるだろうか。
まず間違いなく体表への攻撃はあまり意味をなさないとアルバートも見切りをつけていた。
さらにこの魔法は強力なだけに魔力の消費も莫大だ。戦いが長引けばアルバートの負けはほぼ確定してしまう。
(短期決戦だ。怪我した部分を狙い続ける)
幸いなことにカナリアの攻撃はヘルフレアタイガー変異種にかなりの切り傷を負わせていた。
そこに組み付いて中から炙ればいくらタフでも死ぬだろう。そう予測を立てたアルバートは、自身も剣を抜き走り出した。
同時に獅子も動き出す。
2方から向かって来る敵を脅威と認めたのか、ヘルフレアタイガー変異種は爪に青い炎を灯したままそれを迎え撃つ。
自身に傷を負わせた憎き2人の少女が、いつの間にか姿を消していることに気づくこともなく。
赤と青。2つの炎がぶつかり合った。
♢ ♢ ♢
「あれは……」
「うわ……燃えてんじゃん」
アルバートとヘルフレアタイガー変異種の戦いは遠くからでもその激しさを確認することができた。
どちらも炎を操っているのだ。比較的延焼を避けるようにしているアルバートと違って、ヘルフレアタイガー変異種はそのような配慮を知らないため余計に被害が広がっていた。
深くフードを被った大小2人の男の見据える先にあるは、赤く燃え上がる木々と天に昇る黒い煙。
そこで何が起きているのかまでは分からないのだが、背の高い方は面倒ごとの予感を匂わせるこの惨状に辟易としていた。
「ねぇ、あそこ行ってみようよ」
しかし彼の願いは叶わず、小柄な方がこんな提案をしてくる。
「いや、あのなぁ。危ないに決まってるだろう?」
「いいんだよ、危なくて。僕の目的はそういったところにあるんだから」
「でもな……」
「あーあ、残念だなぁ。せっかくの”儀式”なのにトーマおじさんが厳しいや」
「うぐ……分かったよ」
「よし! ありがとう、トーマおじさん」
避けたいと思うトーマという男性と、行きたいと思う少年。軍配は少年の方に上がったようで、火事の起きている方向に向かうことが決定した。
しかしトーマはただでは転ばない性分なのか、少年に念を押すように告げる。
「いいか、ウィスプ。危ないと思ったらすぐに逃げるからな」
「えー」
「えー、じゃない。まったく、こんなところまで来たのもお前の我儘なんだからな」
「はいはい、分かってるって」
「まったく……」
トーマの忠言はこのウィスプと呼ばれる少年にはあまり通じていないようだった。
言うなれば子供特有の反抗期。おじさんと呼ぶほどの親しい相手に一々指図を受けるのは我慢がならないのだろう。
「人がいればどうする」
「うーん、殺す?」
「非力なお前にできるもんならやってみろ」
「そこらへんはほら、トーマおじさんが頑張るとか」
「俺は絶対に人殺しとかしないからな。まったく……誰がお前にそんなこと教えたんだ」
親しいといってもその意見には大きな食い違いがあるようだ。
面倒ごとと争い事を嫌うトーマと、人を恨んで積極的に害そうとするウィスプ。
先ほどはウィスプの意見を尊重したが、このことだけは譲らないとトーマは強く誓うのだった。




