第76話 父と子
長く続いた曇りは完全に晴れ、暖かな日差しが降り注ぐ午後のイクアシス。町に住む人々はいつも通りの生活をおくりつつも皆なんとなく気分が明るくなるのを感じていた。
「……」
「……」
そんな中数少ない例外が、他でもない領主の館の一室で無言で向き合うこの2人だった。
どちらも金髪だが一方は壮年で、もう一方はまだ若い青年である。ただし青年の方は体中に包帯を巻き付け見るからに痛々しそうだった。
この2人がこうしてこの部屋で向かい合ったのはほんの数日前のことだというのに、今はそれも懐かしく感じる。
長い時間沈黙を守り続けていた両者だったが、それは唐突に破られた。傷だらけの青年、アルバートが目の前の父親に向かって口を開いたのだ。
「依頼は、達成しました」
「……」
ロナルテッドは硬い表情のまま何も言わない。
「契約に従い、私がエイデン家の騎士剣を手違いで持ち出してしまったことについてはこれでお許しいただきます」
「……」
アルバートはあえて他人行儀な態度で話していた。
目の前にいる人物がこの領地を治めるエイデン男爵であるのに対して、自分は一介の冒険者に過ぎないのだ。数日前とは違い冷静さを保っているアルバートはその点を強く意識していた。
ついでにさりげなく手違いと付け加えることで窃盗ではなかったと主張するのも忘れない。
「違約金として先払いした魔石については迷惑料として受け取っていただいて構いません」
「……」
魔石はアルバートが騎士だった頃の給金をつぎ込んで溜めていたものである。娯楽に興味のなかった彼は得た金のほとんどを自身の戦力強化に費やしていたのだ。
手持ちの魔石がゼロになるのは痛いが、それでも後腐れなく別れられるのならそれでいいと彼は考えていた。なにより出奔したことで迷惑をかけたのは紛れもない事実なのだ。
いまだに口を開こうとしないロナルテッドを見て、アルバートはもう父が自分に言うことはないと判断した。
「問題がないようでしたら、私はこれでお暇させてーー」
「待て」
そう言って腰を浮かせかけたタイミングで、ロナルテッドがついに口を開いた。
何を言われるのかと警戒を強め父の言葉を待つ。
「お前は、もう帰ってくる気はないのか?」
「私はーー」
「今のお前なら私が手出しせずとも騎士隊長の座にも至れるだろう。その栄光を、手放すというのか?」
重ねて問うロナルテッドは、領主や依頼主としてではなくただ一人の父親として話していた。
そのことに気づいたアルバートもここは自分の言葉で伝えるべきだと思い、改まった口調を肉親に対するものに変えた。そして、一言一言はっきりと告げる。
「はい。俺はこれからただのアルバートとして生きていきます。こんな俺を助けてくれた仲間を支えたいんです」
今の彼があるのは、紛れもなくあの3人のおかげだった。カナリアとルーは貴族の厄介ごとに巻き込まれても決して自分を見捨てることはなかったし、一度は姿をくらませたイオも入念な準備を経て助けに来てくれた。
この3人には返しきれない恩ができたが、今はその重ささえも心地よかった。
アルバートの覚悟を感じ取ったのだろう、ロナルテッドはそれ以上引き留めることをしなかった。
「……そうか。ところでその大事なお仲間はどこかね?」
前回とは違ってロナルテッドを訪ねたのはアルバート1人だった。特に指定もしなかったので、リーダーが代表してきたと言われればその通りなのだろうが。
純粋に疑問に思っての問いだったのだが、対するアルバートは笑いをかみ殺すようにして答えた。
「ああ、皆はですねーー」
♢ ♢ ♢
「……なぜついて来る?」
同時刻、町を散策していたイオはふと背後を振り返って尋ねた。
彼のすぐ後ろを離れないように歩くのはカナリアとルーの2人だった。
「監視よ、監視。イオがどっかに逃げないように」
ツンとした声で答えたのはカナリア。だが答えが得られたからと言って納得するかと言われればそれは別問題だ。
「……別に、逃げるつもりはない」
「それでも念のためよ」
以前イオは一方的にパーティーを抜けて姿をくらませた前科があるだけに疑念を持たれるのも仕方のないことなのだろう。
「イオ君、悪いとは思うけど今は諦めて」
ましてやルーにまでもこう言われてしまっては無理に振り払うこともできない。
イオはこの日何度目かになるため息を吐くのだった。
♢ ♢ ♢
「なるほど……あの者が」
「はい、身を挺して助けに来てくれました」
場所は戻って再び領主の館の一室。先ほどまでとは違ってアルバートとロナルテッドの間に張り詰めていた空気は幾分和らいでいた。
「父上、イオは確かにパーティーを抜けています。まさか約束を反故にされるおつもりはありませんよね?」
「今更そんなことをする意味はない」
「それならいいのですが……」
アルバートが心配しているのは無属性を嫌う父親が腹いせにイオの属性を公開するのでは、というものである。もしそのつもりであるなら最悪武力に訴えてでも止めさせるつもりだったのだが、そうはならなかったことに彼も胸をなでおろす。
とはいえ一応は長年連れ立った親子である。まさか約束を破るようなことはしないだろうとアルバートはほぼ確信していた。
「揃いも揃って愚か者の集まりだな。お前の仲間というのは」
「まあ……普通ではないのでしょうね」
そこはアルバートも否定しない。貴族を敵に回してAランク級の魔物に立ち向かうなど、たとえ冒険者でなくてもできることではないのだ。
そしてそれは自身にも当てはまる。いくら強さに自身があっても今回彼が下した決断はまさしく愚か者のそれだろう。
「まったくだ。ましてや、力のない無属性がなぜそこまでするのか理解しかねるな」
「父上は……」
「む?」
「……父上は、なぜそこまで無属性を嫌うのですか?」
嫌味というには悪意のこもりすぎたロナルテッドの言葉に、アルバートは悲痛な面持ちで問いかけた。
「別に珍しいことではなかろう。魔法の使えない者を劣った存在、人でない存在と認識する風潮はどこにでもある」
「あなたは本当にそう思っているのですか? 無属性が、イオが我々とは違った存在だと本気で思っているのですか!?」
身を乗り出して問い詰めるアルバートを、ロナルテッドは感情の籠らない瞳で見つめ返していた。
たしかに無属性をもつ人間は他の属性持ちに大きく劣るだろう。仮にイオと全力で戦ったとして、アルバートはイオを全く寄せ付けずに完封する自信があった。
だが人によって実力差があるのは当然のことであるし、無属性であってもAランクパーティー「雷光の槍」のグロックのように高みに昇っている者もいる。
そしてイオでさえも足りない実力を知識や毒で補い強くあろうとしているのだ。理屈は理解できてもアルバートはそんな人間を見下すような風潮に全く共感することができなかった。
やがて息子の怒りの眼差しを受けて、ロナルテッドはゆっくりと口を開いた。
「……本気で、思っているはずがないだろう。馬鹿馬鹿しい」
「ッ! あなたは……!」
「だがな、長年常識として身に付いていたことをそう簡単に変えることはできぬのだ」
ふざけた答えに危うく手が出かけたアルバートだったが、重ねるように続く言葉に何とか踏みとどまった。ロナルテッドはそのことを気にせず表情を消して語り始めた。
「祖先が貴族となりこの領地を受領したのはもう随分と昔のことだ。当時、エイデン家には皇帝陛下から仰せつかった使命があった」
「……それは?」
「お前も行ってきただろう。あの高原地域の開発だ。おかしいとは思わないかね?」
何が、と問う間もなく彼は答えを述べた。
「強力な魔物の巣窟であるあの地と、このイクアシスは人の足で2日という短い距離にある。通常なら、そんな危険な場所と領地の要となる町は離れて然るべきだ」
「……開発のためには、近い方が都合がよかったということですか」
「そうだ。……その反面、厄介な魔物が降りて来ればそのままこの町の脅威となるのだがな」
その例の1つが今回のヘルフレアタイガー変異種だろう。例外的にアルバートを嵌める策に組み込まれたものの、エイデン家には冒険者の助けを待つまでもなく私兵を用いた討伐計画が練られていた。
人の足で2日の距離ならヘルフレアタイガー変異種の足では1日未満だろう。この町の立地上、常に魔物に対して備え続けなければならないのだ。
「武功をあげて貴族となったエイデン家に求められていたのは高原地域の魔物の駆逐。そのためか代々我が家は強者を好む傾向にあった。……ここまで言えば分かるだろう」
「……初めから戦力にならないと分かり切っている無属性はエイデン家の求める人材ではない、と?」
「ああ。私や先代、先々代の領主だけでなく、多くの領民もまたその思想を受け継いでいる」
そこまで話したロナルテッドはそこで自嘲するように力なく笑った。
「とはいえ、開発が手についていないのは知っての通りだがな。中央貴族が何も言わないのをいいことに、あそこは長年放置されたままだ。残ったのが弱き者を虐げる風習だけとなると些か以上に情けなく思える」
「そこまで……そこまで分かっているのなら、その悪しき風習を改めるべきでしょう」
「お前がそう思えるのは、幼少期を王都で過ごしてきたからなのだろうな……。心配せずとも女神教が果たしてくれよう。「嘆きの魔女」を討伐したとなれば、その教えに耳を貸す者もより増えるだろうからな。時にアルバートよ」
いまだ納得の表情を見せていないアルバートに、ロナルテッドが再び1人の貴族の顔となって切り出した。
「聞いたところによると、人魔と遭遇したそうだな?」
「ええ。……と言っても私は詳しく見たわけではありませんが。正体を看破したのはイオです」
実際のところ、アルバートは戦闘が終わってイオに言われるまでローブを着た謎の2人組が人魔であるなど想像もしていなかった。
たしかにトーマの実力は自分と同等以上だと感じてはいたが、なまじ自分に実力があるためにその異常性を深く理解していなかったのだ。トーマに組み付いて言葉を交わしたのもイオなので、アルバートは人魔と遭遇したと言われてもそれほど詳しい情報を持っていなかったりする。
「どちらでもよい。だが人魔を見ただけでなくその戦い様を間近で見た生き証人は貴重だ」
「しかし、俺がアビタシオンにいた頃はそれなりに目撃情報があるように聞き及んでいましたが……」
記憶に残るのはイオがリュビオスと遭遇する直前の出来事。
当時はまだ人魔という呼称は使われておらず未知の魔物と呼ばれていた。人気のないところで旅人を襲い荷を盗むと言った盗賊紛いの行いは、市井に広まらずとも冒険者ギルドで通告が出される程度には警戒されていたのだ。
あれから短くない時が経った今、「雷光の槍」のヴァナヘルトたちを始めとする高ランク冒険者が対策に当たっていればそれなりに情報は得られているのではないかと勘ぐったアルバートだったが、それは直後に否定された。
「これはお前の知り得ることではないが、人魔の活動はそれほど派手ではない。これまで人魔のものと思われていた盗賊行為は18件。そのうちの7件は本物の盗賊やならず者によるものであることが判明している」
「最高でも11件ですか……。歴史に名を刻む魔女の手先にしては、小規模でやることが地味ですね」
「ああ。しかもここ数カ月は完全に鳴りを潜めている。正直奴らが何を企んでいるのか、考えあぐねているのが現状なのだ」
このことにアルバートは少なからず驚いていた。あれほど大々的に「勇者」だ「魔女」だなどと言っておきながら、その実スケールはかなり小さいと感じられたからだ。
たしかに史実通り存在するだけで魔物の活動を活性化させるのなら放っておくわけにはいかず、またこれから何かしでかす可能性も踏まえると妥当な対応ともいえるのだが、それでもなんとなくしっくりと来るものがなかった。
「……人魔については分かりました。それで、それが俺たちにどう関係するのですか?」
「皇都ディアハイデに行ってもらう」
「! 皇都……! 何のために……」
皇都ディアハイデ。言わずと知れたセントレスタ皇国の中心地である。
アルバートにとっては10年弱の間騎士になるべく、そして騎士として研鑽を積んだ第2の故郷ともいえる地であった。
「無論、人魔の情報を直接伝えてもらうためだが……他にも頼みたいことがあってな」
「……これは?」
ロナルテッドが懐から取り出してアルバートの目の前に置いたのは、封をされた2通の手紙だった。
首を傾げる彼にロナルテッドは淡々と告げる。
「1つは単なる紹介状だ。そしてこちらは皇都冒険者ギルドのギルドマスター、ドロシア・ユティシーノ殿に渡してもらいたい」
「ドロシア殿というと、あの!?」
「あの、がどれを指すかは知らんがギルドマスターで、聖属性も付け加えると1人しかおるまい」
対象となる人物を頭に浮かべアルバートは絶句した。
この世に数えるほどしか存在しない聖属性の適性者。その中でも「老いの抑制」という異端の魔法を使うドロシアのことは彼もよく耳にしていた。
まさかこの父は、と疑いの視線を向けようとしたところでそれを制するように憮然とした声が放たれる。
「言っておくが若さを求めてのことではないぞ」
「……まあ、いいでしょう。ちなみに拒否権は?」
「ない。皇都に行くことは領主である私と冒険者ギルドの双方からの要求だ」
「……分かりました。特に危険があるわけでもありませんし引き受けましょう」
必要以上に文句を垂れることもなくアルバートは引き下がることにした。
これがAランクの魔物を討伐しろというものであれば反抗もしただろうが、やることはと言えば単にお使いのようなものだ。また彼にも愛国心はあるし、情報を伝えることが国を守るのにつながると言われれば否やはない。
再び両者の間に降りる沈黙。だが今度のそれは両者の間にこれ以上言うことはないということを示していた。
「……行くのか」
ぽつり、と父親の顔で目の前の息子に問うロナルテッド。
「はい……。あの、父上」
「その呼び名を許すのは今が最後だ。これ以降エイデンを名乗ることは許さん」
「……はい」
答える声は力ない。
未練だらけで出奔した過去とは違う。今度こそ、すべての縁を断ち切り冒険者としてアルバートは再出発するのだ。その決意は、とうの昔にできている。
「あの、これまで……」
「これは返しておくぞ。私には無用だ」
「え……」
そう言ってロナルテッドが渡したのは袋に入った魔石だった。アルバートが違約金として先払いしていたものが、渡したときと同じようにそっくりそのまま帰ってきたのだ。
呆然として何も言えずにいる息子に向かって事務的に、されど確かな感情を込めて父は口を開く。
「金に困れば私兵として雇ってやらんこともない。だが簡単には死ぬなよ」
「父上……これまで、これまで育てていただいて本当に……」
アルバートの頬を涙が伝う。最近、滅法涙もろくなってしまった彼は、しかし頭を深く下げてしっかりと言葉を紡ぐのだった。
「本当に、ありがとうございました!」
それは巣立ち。親によって均された道を逸れ、自分の手で先を切り開き自分の足で歩くことを決めた1人の少年の旅立ちである。
自分は親にとって都合のよい道具なのではと思う日もあった。しかし今確かに親の愛というものを感じられた彼に、未練も不安も一切ない。
一度も振り返ることなくアルバートは領主の館を背に歩み出すだった。




