第四話(完結)
晴れた日のうららかな気候の中、一台の馬車がのんびりと街道を進んでいた。
外から中が見えないように、後部は丈夫な白い布が壁のように張られている。動力源となる馬は二匹。どうやら商人の物らしい。その証拠に商業組合傘下の証である金属板が、馬車の正面右手側に吊るされていた。余り大きくない、小型の馬車だ。
馬の手綱を引く御者は眠そうな目をしている。事故を起こさないか心配な所だが、その目も背の高い一本松が見えた所で静かに開いていった。御者は馬車の後部へと声を掛ける。
「おーい、嬢ちゃん。そろそろ町につくぞ」
「はーい」
本来商品しか入っていない筈の馬車後部から聞こえてきたのは、まだ年若い少女の声。ルーチェの声だ。ルーチェは後部から御者の肩口に顔を出した。
「そろそろって、どれ位?」
「あー、少し急げば半刻もかからねえんじゃねぇか? 急がねぇけどな!」
「だったら、現在のペースで『あと少し』って所で教えてよ……」
「ははは、悪ぃ悪ぃ。まあ、それでも1時間はかかんないだろ。4~50分ってとこか」
「それだと『そろそろ』っていう表現は間違ってくるんじゃない?」
御者の快活な笑い声が響く。ルーシェはうんざりした表情を浮かべた。
「嬢ちゃんも、細かいこと気にすんなって。それに後どん位で着くか知ってた方が、やっぱり便利だろ」
「んー、まあ、それもそうね」
応えたルーチェの声には、どうにも納得しきれていない物が滲んだが、それでも楽しそうな御者の顔を見ると不満は湧かない。ルーチェは彼の肩を軽く叩くと再び馬車の後部に頭を引っ込めた。
ルーチェは馬車の中で一人、多くの商品に囲まれながら座り込む。そしてふと自身の皮袋を取り出した。
「……ちょっと、無謀だったかなぁ」
ルーチェの村を夜盗が襲ったあの日から、一月程が経っていた。
あの日、ルーチェが「暴走」を引き起こした事により、夜盗はその構成員の大部分とリーダーを失った。その為に彼らの略奪は最小限の被害に抑えられ、拘束された村人や金品は多数放置されたのだった。お陰で村は何とか「村」としての様相を保つ事ができ、後日訪れた国の役人との話し合いでも存続が決定された。
とはいえ、死亡したり連れ去られたりで村人の残りは半数になり、放火された家も多くボロボロな状況。結局ルーチェの家も燃やされていて、ど田舎の村の廃屋となった宿屋は資産価値を殆ど失っていた。それ故に、思う所あって旅立ちを決めたルーチェが家を売却しようとしても、その売却代は30万Gほどにしかならなかった。村人達からの恩情を含めた支援込み、での金額だ。
まあその後も色々とあった訳だが……。
ルーチェは着実に軽くなってきた皮袋の重みに、重い溜め息を吐く。今その中には、錬金術師組合が作り商業組合が認めた大陸共通貨幣「G」が何枚か入っている。
硬貨としては大きめな1万G合金硬貨が20枚、5千G合金硬貨は一枚。あと小銭が幾らかといった所か。全部合わせると21万Gはあるだろう。
目的の場所には次の町で少し休憩しても、後一日程でたどり着く筈だ。路銀としては十分に足りる。だが、そのルーチェは観光目的でそこに赴く訳ではない。たどり着いた後、少なくてもかなりの期間、ルーチェはその都市に留まる予定なのだ。そう考えるとルーチェの全財産は、些か心細く感じる。
「装備だって整えないといけないし、食事代だって高いっていうし、不安だなぁ」
はぁ、と再び溜め息を吐く。そこに御者から声が掛けられた。
「不安だったら止めちまったらどうだい」
「……え?」
御者は手綱を引いている。彼は後部を振り返らず、前を見ながらそう言っていた。
「嬢ちゃんにも理由があるんだろうがね、やっぱり俺はあんまり賛成できないよ。年頃の娘があんな所を目指すなんて」
「あんな所って」
ルーチェは苦笑した。この御者だってその場所を目指している筈なのだ。
しかしそんなルーチェの姿勢を正すかのように、御者の声には真剣味が含まれていた。
「嬢ちゃんの目指す場所、『魔界都市パンデモニウム』。名前の通り地下に広大な魔界を持つ、特殊な都市さ。治安だってよくないし、再び『混沌の日』が起きた時は最戦線になる。……なのにどうして、好き好んでそんな所に向かおうっていうんだい。嬢ちゃんは貴族でもないんだろう?」
前を向く御者の表情は見えない。この世界には貴族がいて、その権力と引き換えに『強くなる義務』を負う。だがあの事件で、結局クレアは死んでしまった。そしてルーチェは平民だ。一番大切な物を失ってしまった以上、本当は「強くなる理由」すら存在しない。
だけどルーチェはその背中を想像しながら後部から答えた。
「強くなりたいから」
「ん?」
「強くなりたいから、私はあの都市を目指しているの。私は貴族じゃない。だから彼らのように『強くなる義務』はない。だけどね、おじさん。義務なんかしょってなくても、私は『強くなりたい』とは思うの。こんな世界だもの、強くなかったら失ってしまう物は、沢山あるじゃない。私はもう何も無くしたくないの。弱い自分なんてまっぴらごめんなのよ」
「……そうかい」
ルーチェは素直な思いを告げた。御者はその思いを聞いて、ゆっくりと目を閉じた。
ルーチェのそれは、あの日から散々悩んで、ようやく出した答えだ。あの日の傷跡はルーチェの心にしっかり残っている。母の死に様は今でも鮮明な記憶で、あの日の出来事は悪夢として何度も再生される。
死にたいと思った。でもそれはしてはいけないと思った。もし自分がそれをしてしまったら、ルーチェは都合のいい時だけ信じている「天国」という場所で、クレアに再会した時に顔向けできなくなってしまう。
だからルーチェは強さを求める。クレアに愛された自分は、理想の自分でいたいから。堂々とした態度で再会したいから。
――馬車はゆっくりと進んでいく。
休憩する予定の町について、ルーチェたちは一泊した。そして翌日の朝になるとすぐに出発する。
昨日とは違い馬車の速度はそれなりの物だった。ルーチェと御者は、お互いの顔を見ないまま会話をする。
「おじさん、このペースだとどれくらいで着くの?」
「あー、途中で馬を休ませることを考えても、昼過ぎには着くんじゃねぇか?」
「そっか、分かった」
「おう、それまで休んでおきな。嬢ちゃんは暗くなるまでに、良い宿見つけなきゃならんのだからな」
「……はーい」
手綱を引く必要のある御者と違って、ルーチェはただ休んでいれば目的地につく。ルーチェは御者の言葉に優しさを感じていた。
昨日までの予定では夕方に着く予定だった。それが早まったのは、御者がルーチェの都合を考慮してくれたからだ。例えそれがルーチェの話に何らかの同情を持ったからであっても、この御者が善人であるという事実は覆らないだろう。
その優しさに甘えて、頻繁に行っている魔術訓練も止めてルーチェは瞼を閉じた。馬車の振動は最初こそ辛かったが、ルーチェの足元には厚い毛布が引かれている事あり、今はただ睡魔を呼び寄せる要素にしかならない。
うとうとと意識がかすみ、心地よい夢の世界に入っていく。若干寝不足な事もあり、悪夢も見ずにルーチェの意識が落ちる。
そんなルーチェに御者の焦ったような怒鳴り声がかけられた。
「くそっ! 嬢ちゃん起きろっ、一大事だ!!!」
ぴょんと、飛び上がるように覚醒したルーチェは、布を開いて後部から御者の肩口に顔を出す。
「どうしたの!?」
「盗賊だ! 速度を上げて振り切る、嬢ちゃんは歯を食い縛って振動に耐えててくれ!」
「……盗賊、か」
ルーチェは呟く。真剣な表情で前を見据える御者。その視線の先には、馬に乗った盗賊団がこちらに向かう姿が見えた。
数はおおよそ10。中でも先頭の馬には飾り布が付けられていて、一際目立つようになっていた。詳しい装備までは確認できないが、軽装のように見えるし大した武器はないだろう。気をつけるべきは弓矢位か。そんな事を考えていると、先頭の盗賊が太い縄を持っているのが見えて、ルーチェは「ああ」と呟いた。走る馬車を襲う方法は簡単だ、わざわざ弓で馬や御者を射なくても、太目のロープでも馬か車輪に絡ませればいいのだ。
現在の馬車の速度だと、あと一分もかからず奴らにぶつかるだろう。
冷静に戦況を確認したルーチェは、前を見据えながら自然な声音で御者に声をかけた。
「大丈夫だよ、おじさん」
「はぁ!? お前何を言って」
「あれ位なら、私一人でも何とかなるから」
御者は妙な物でも見るような目つきでルーチェを見た。ルーチェはその表情に少し笑うと、御者の肩に捕まりながらその後ろに立ち、意識を集中させた。
自身の霊体、アストラルボディにある心臓部「コア」を認識し、そこから「混沌」と呼ばれる、エネルギーと可能性の渦巻く異界に続く扉「ゲート」を開く。そこにパスと呼ばれる手法で精神接続を果たし、魔力を自身へと導く。
供給された魔力はそのままパスを通じて世界を構成する精霊に接続され、ルーチェに彼らと同調し支配する事を可能とさせる。
ルーチェの髪が、ふわりと揺れる。周囲で陽炎が現れ、温度が一気に上昇した。春の陽気から夏の陽気へと、その変わりようは通常ではありえない物だ。御者は首を曲げて、自身の肩に手を置くルーチェに言葉を投げた。
「嬢ちゃん、――魔術師だったのか」
「うん、そうだよ」
ルーチェの右手が御者の肩から外れ、前方の盗賊団へと向けられる。御者には急に高まった周囲の温度が、その動きと共に全て消えうせたように感じた。
間違いだった。それは全てルーチェの右掌、そこに収束されたのだ。
ルーチェの掌の先には彼女の頭部程の大きさの火球が、うねりを挙げていた。その輝きを赤と白の間で変える火球には、どうやら回転が加わっているらしい。
「――りゃぁっ!」
気合の声と共に、ルーチェの掌から火球が放たれた。それは見事先頭を走る盗賊の馬にぶつかり。
爆ぜた。
馬は爆散し、乗っていた盗賊は飛んだ。というか彼(?)を構成する大部分も消し飛んで、その残骸は当然のように後続の盗賊団に飛散し、彼らを一瞬にして大混乱に陥れた。
「って、ちょっと待てぇぇぇっ!!!」
御者は叫んだ。手綱を全力で操り進路を更に変更し曲がるように馬車を進める。盗賊団との激突まであと50メートルを切った距離で大混乱が起きて、その距離がぐんぐん縮まったらどうなるか。
要するに、ぶつかる。大激突。ゲームオーバーだ。これでは何の意味もない。
後ろでルーチェも引きつった笑みを浮かべていた。その表情は予想外だったことを物語っている。要するに対処法も考えていないということだ。それはつまり、自分の命を守れるのは自分だけということか。御者は吼えた。本人はそのつもりだが、実際は泣き声に近かったりした。
妙な展開で命の危機を乗り切った御者は、この時二度と己の馬車にルーチェを乗せない事を決めた。
ぎりぎりの所で二人と一頭の命は守られたのだった。
「えーと、色々とごめんなさい。それと、ありがとう」
「……いーってことよ。嬢ちゃんも頑張りな。『色々』と気をつけてな」
二人は都市を覆う、巨大な城壁の門前で別れの挨拶を済ませていた。御者は明らかにその顔に疲れを滲ませている。
色々あったが予想通り、お昼を過ぎた辺りで馬車は遂にその目的地にたどり着いたのだ。魔界都市パンデモニウム。その場所へ。だからここでお別れだった。巨大な城壁には巨大な五つの門があるが、馬車に商品を乗せた御者と一般人のルーチェでは、入国に掛かる時間も違う。
そもそもルーチェは人のよさそうなこの御者に無理を言って、碌に事情も話さずここまで連れて来てもらったのだ。これ以上の迷惑はかけられなかった。
ルーチェは僅かな寂しさを滲ませた声で言った。
「うん、ありがとう。おじさんも頑張ってね」
「おう。っていい加減、その『おじさん』呼ばわりはいい加減止めてくんねぇか? 俺まだ28才なんだけどよ」
「……え、でも28って、私と二倍は歳が違うんだけど」
「……ちっ、なら名前で呼べや」
ふて腐れた表情で御者が呟いた。その表情がおかしくて、ルーチェは微笑んで頭を下げた。
「――ありがとう、ティガーさん」
「おうよ」
照れたようにティガーが答える。その顔がとても名残惜しかったから、手を振るとルーチェはもう、振り向かずに一般用の受け付けへと向かった。
待ち時間を含め二時間程経って、ルーチェは受付の若者から入国許可証を得た。カード状のそれと幾つかのパンフレットを受け取ると、ルーチェは前へと足を進める。
ヨーロッパ風の、でもどこか雑多で近代的な町並み。そこはもう魔界都市パンデモニウム。様々な人間が人種を問わず集る場所だ。金の為、名誉の為、強くなる為、その理由は千差万別だろう。
ルーチェもここで生きていく。心に自分の理由を秘めて。
――完――




