第99話 奈良の大仏
そして事件は起こった。
藤原4兄弟の三男、宇合の長男、藤原広嗣は大宰府に飛ばされた。
納得いかない広嗣は反乱を起こしたのだ。
朝廷は大混乱になったが、何とか制圧した。
だが、問題は聖武天皇である。
この騒ぎに嫌気がさして、平城京を飛び出し、5年の長きに渡り、曾祖父、天武天皇が壬申の乱のとき進軍したルートを行幸したのである。
その結果、訳が分からないことを言い出した。
巨大な「盧舎那仏」を作ると言い出したのだ。
しかも銅像で…… 疫病や藤原広嗣の乱などの騒乱を鎮めるために大仏を作ると言うのだ。
橘諸兄以下重臣たちは仰天した。
そもそもそんな大仏を作る技術が日本にあるのか?
唐の大仏は崖に彫られた石仏である。
出来るとすれば世界初となる。
ところが、あるのだ「出雲衆」の銅の精錬技術である。
約千年前(紀元前3世紀)、徐福が出雲に渡来した。
そのときたくさんの技術者を連れてきた。
その中に鉄の刀や農具を作る技術者がいて、出雲の民が初めて精錬の技術に触れたのだ。
ニギハヤヒへ国譲りの後、戦もないことから鉄の武器より、銅の神具を作り始めた「銅鐸」である。
銅鐸は鐘である。
鐘は薄ければ薄いほど音色がいい。
彼らの作り出した銅鐸の薄さは何と7厘(2ミリ)である。
この薄さは、2千数百年後の未来においても1分(3ミリ)が限界である。
その技術をもって大仏を作ったのだ。
7年かけて作り上げた大仏は、高さ50尺(15メートル)の金色に輝く立派なものだ。
さらに、その大仏を収める館、東大寺も巨大だ。
その高さ28間(50メートル)である。
作ったのはもちろん、秦氏と土師氏だ。
完成した大仏の開眼供養に聖武天皇も出席したが、天皇ではなかった。
天皇は娘の孝謙に譲ったのだ。
大仏を建てて、日本国内は平穏になったかに見えたが、別な弊害が出てきた。
それは、仏教僧の台頭だった。
厩戸皇子(聖徳太子)が仏教を保護してから、歴代の天皇は神道と同じように、仏教を保護した。
ことに聖武天皇は大仏を作ったばかりでなく、日本全国に国分寺を建設した。
力をつけた仏教僧の中から道鏡が現れた。
道鏡は孝謙天皇に近づき、信頼を得ると称徳と改めた孝謙天皇に次期天皇を願い出たのである。
天武系の親族がいない称徳天皇は、真剣に考えた。
この話を聞きつけ、万世一系の天皇家の最大の危機であると思ったのは、ただ一人残った天智系の皇族、光仁である。
光仁は妻の高野新笠に相談し、高野新笠は母の土師真妹に相談した。
土師? そうなのだ、土師真妹は土師氏だったのだ。
土師真妹は秦氏に相談し、秦氏はある策略をたてた。
それは秦氏の氏神を祀る、宇佐八幡宮からご神託を出すことだ。
宇佐八幡宮はご祭神が応神天皇であることから、天皇家は、そのご神託を無碍にはできまいと踏んだ。
ご神託とは、
「天の日継は必ずミカドの氏を継がしめむ。無道の人(道鏡)は宜しく早く掃い除くべし」
このご神託を秦氏と懇意の和気清麻呂に託し、称徳天皇に伝えた。
称徳天皇はうなだれながら聞き入り、荒れ狂う道鏡を説得した。称徳天皇は翌年崩御し、49代光仁天皇が、即位した。




