最終話 平安京(エルサレム)
光仁天皇が即位したと言っても、御年61歳、悪い表現だがいつ死んでもおかしくない。
だが光仁天皇には新笠との間に33歳になる山部王がいる。
後事を託すのに十分な人物だ。
山部王の母、新笠は山部皇子と呼ばれた幼少のころより、母の主筋である秦氏の数千年に渡る放浪の歴史を語り聞かせた。
そして、秦一族の最終目的、エデンの園「エル・シャローム」に安住することを叶えてやりたいと思った。
エル・シャロームとはヘブライ語で「エル」は「都または京」、「シャローム」は「平安」を意味する。
つまりエル・シャロームとは「平安京」を意味するものだ。
このエル・シャローム、日本人に発音させると「エルサレム」になる。
光仁天皇は、高齢であるにもかかわらず11年間も在位した。
皇太子、山部王に譲位したのは、崩御する前年、既に72歳になっていた。
新たに即位した山部王改め桓武天皇も既に44歳になっている。
桓武天皇は、幼少の頃より祖母の関係で土師氏や秦氏と親せきのように付き合っていた。
それゆえ、かなり薄い血であっても、自分はレビ一族であるとの認識を持っていた。
母や秦氏から聞いた話で、レビ一族は、千5百年前(紀元前8世紀)アッシリアという国から追われ安住の地を求めて、この日本までやってきた。
その道は険しく過酷だったと聞いた。
ほぼ、日本に定住したレビ族の代表、秦一族の願いは、秦一族のエルサレム(平安京)を建設することだと、熱く語っていた。
皇太子になった山部王(桓武天皇)は、仏教勢力が、朝廷をも脅かし始めた平城京に、大いなる危機感を感じていた。
それゆえ秦氏の願いが気になった。
そんなおり、秦河勝の末裔が現れ、
「山部王様、立太子おめでとうございます。山部王が皇太子になられてこれほど嬉しいことはございません。ですが、ここ(平城京)は危のうございます。仏教僧がはばをきかし、何よりも天武天皇からつながる皇族が転覆を狙っています。これはご提案ですが、都を遷都しては如何でしょう。我々の住む、太秦を中心にした山城国は、我々が丹精込めて整備いたしました。山部王様がお望みなら、我々秦一族の土地を、山部王様へ寄贈致します。もちろん平城京を超える都も作ります」
山部王は、数か月悩みぬいた。
秦一族の狙いは分かっていた。
悲願であるエルサレムの建設をしたいのだろう。
されど、秦一族がその後、天皇家にとって代わるのではないかと心配になった。
そこで、秦氏を良く知っている母の高野新笠に相談した。
「皇子、何も心配はいりませんよ。秦一族の祖先レビ一族がイスラエルを追われたとき『安住先の統治者をけっして滅ぼしてはいけない。陰で支えよ』という掟を決めました。この掟を守ってなかったら、数百年前に、この国は秦一族が支配していることでしょう。そのことをよくお考えなさい」
翌日、山部王は山城への遷都を決め、秘密裏に準備を進めよと秦氏に伝えた。
秦一族は大いに喜んだ。山城国は元々「四神相応」の土地だった。
正確に言うならば秦一族がそのように整備した。
四神相応とは、東に「青龍」、南に「朱雀」、西に「白虎」、そして北に「玄武」に囲まれた地形は強固で安定するとの古からの言い伝えだ。
青龍は川を意味し「鴨川」があり、朱雀は池で「巨椋池」を掘った。
白虎は街道で「山陽道と山陰道」を作った。
玄武は少し低いが「船岡山」がある。
仏教勢力から逃れ、新たな天皇家の出発にこれほどふさわしい場所はない。
秦一族は、4百年前(4世紀)に全国に散ったレビ一族を招集した。
やがて、桓武天皇が即位するころには、4千人のレビ族が集結していた。
そして、桓武天皇が即位して12年(西暦794年)、12里(5キロ)四方の都が、完成した。
桓武天皇をはじめとして、藤原氏などの貴族、土師氏そして秦氏など船岡山に登り、眼下に広がる都を見つめた。桓武天皇は、
「皆の者、この眼下に光り輝く都を見よ。この都は千年続く平安の都ぞ。朕はこの都を『平安京』と名付ける。そしてこの都を作った秦一族よ、お前たちの千5百年の悲願である『エルサレム』の完成だ」
数百人にのぼる秦一族は、南から照らされる日の光を浴びながら、思い切り泣いた。




