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第98話 長屋王の呪い

平城京遷都から5年が過ぎたころ(西暦715年)、(おびと)皇子(のおうじ)は15歳の元服を迎えた。

これを機に首皇子に譲位しようと考えた元明天皇だが、首皇子が猛反対したため、仕方なく文武(もんむ)天皇の姉、元正(げんしょう)を即位させたが、元明(げんめい)天皇は太上(だじょう)天皇として実権を握った。

さらに5年が過ぎたころ(西暦720年)、右大臣にまでのぼりつめた藤原(ふじわら)不比(のふひ)()が、亡くなった。

後任は誰が考えても不比等の4人の息子の誰かということになろうが、何と高市(たかいち)皇子(おうじ)の息子、長屋(ながや)(おう)が、次期右大臣に選出されたのである。

これが、後々争いの火種になっていくのである。

翌年、元明太上天皇は病の床についた。

そして、後事を託すため右大臣の長屋王と参議、北家(ほっけ)藤原房前(ふじわらふささき)を呼んだ。

そこで房前を内大臣に昇格させたのである。

これは不可解なことである。

なぜ惣領の大納言、南家(なんけ)藤原(ふじわら)武智(のむち)麻呂(まろ)ではなく次男の房前なのか? これは元明太上天皇の思惑が働いている。

藤原不比等亡き後、藤原4兄弟は朝廷の中で強大な力を持ち始めている。

このままいけば天皇家すら危ない。

そこで4兄弟の仲間割れを目論んだのである。

だが、房前は賢かった。

すぐさま兄の武智麻呂邸へ行き、すべてを話した。

武智麻呂は、宇合(うまかい)麻呂(まろ)を呼び、元明太上天皇の思惑を推察した。

そこで武智麻呂は、

「これは元明太上天皇が我々の仲違いを狙っているのだろうが、そうはさせない。『(じん)(さだめ)』に房前も加わる。これを逆手にとって、宇合と麻呂も陣定に加えよう」

元明太上天皇の仲違い作戦は見事に失敗したが宇合と麻呂は陣定には参加できなかった。

さらに3年が過ぎ(西暦724年)、首皇子が24歳になり、ようやく45代、(しょう)()天皇として即位した。

聖武天皇は、即位する8年前に藤原不比等の娘、(こう)明子(みょうし)と結婚し2年後、娘の(こう)(けん)が産まれた。

しかし、皇子はなかなか生まれなかった。

それが、即位して3年目にようやく待望の皇子、(もとい)(おう)が産まれたが、喜んだのもつかの間基王は1年経たずして、この世を去った。

嘆き悲しむ聖武天皇に追い打ちをかけるように武智麻呂と房前はとんでもないことを言い出した。

光明子を皇后にしろというのだ。

狙いは次期天皇だ。

このまま聖武天皇に皇子が産まれなければ、次期天皇は長屋王に移ってしまう。

何としてでも女性天皇になる権利のある皇后の位を手に入れなければと思った訳だ。

当然、長屋王は猛反対したが、藤原4兄弟が画策して聖武天皇に、

「基王は、長屋王に呪い殺されたのです」

と密告したのだった。

怒り狂った聖武天皇は、藤原4兄弟に真偽を確かめるよう命じた。

もちろん、藤原4兄弟はまともなせん議などするはずもなく、長屋王邸を囲み、長屋王を自害に追い込んだのだ。

反対勢力がいなくなった藤原4兄弟は、光明子を「光明皇后」に据え、9人しかいない陣定に宇合と麻呂を加えた。

順風満帆の藤原氏だが8年後(西暦737年)4人の兄弟は、みな天然痘で死んでしまった。

藤原氏にとって、壬申(じんしん)の乱に次ぐ最大の危機である。

朝廷の反藤原氏の筆頭、左大臣、橘諸兄(たちばなのもろえ)は「長屋王の祟りだ」と吹聴し、遣唐使帰りの玄昉(げんぼう)吉備真備(きびのまきび)を補佐として、藤原つぶしに乗り出した。

それから間もなくして、藤原4兄弟の子息はことごとく左遷された。


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