第97話 平城京遷都
さて、やっとの思いで即位した文武天皇であるが即位後10年経たずして崩御してしまう。
嘆き悲しんだのは母の元明と妻の宮子である。
宮子は藤原不比等の娘である。
この宮子と文武天皇との間にひとりの皇子がいた首皇子である。
通常なら皇太子の首皇子が即位すればよいのだが、首皇子はまだ6歳、また元服までのつなぎとして祖母の元明が即位した。
元明天皇が即位して3年が過ぎたころ、大規模な遷都が行われた。
奈良の平城京である。
平城京は、東西南北10里(4キロ)四方の巨大な宮殿である。
それまでの飛鳥宮の百閒(180メートル)四方と比べてけた違いに大きい。
北の端、東西の中央に天皇が政務を行う内裏を配置し、内裏から見て東側を左京、西側を右京として、貴族たちが移り住んだ。
この巨大な建造物を作ったのは誰あろう秦氏である。
そして基礎を担当したのが土師氏である。
土師氏とは弓月から渡来した弓月君一行と同じときにやってきたレビ族であり、秦氏とは親戚筋にあたる。
いわば秦一族なのだ。
土師氏は名前のとおり土を思い通りに操れる、魔術師のような存在である。
灌漑設備、古墳の造営、埴輪の製作等々、土に関するスペシャリスト集団なのだ。
建物の建築は秦氏である。
秦氏が渡来した3百年前(4世紀)の日本の家屋は、竪穴式と呼ばれ、直径が5間(9メートル)の大きな穴を掘り、斜めに柱を建て、つるで周りを縛り、茅で屋根をふけば完成する、単純なものだった。
秦氏の建築方法はまったく違う。
土師氏が整地し、さらに均一に切り出した石を置き、そこに秦氏が土台を置き、柱を建て、梁をくぎで打ちつけ、瓦で屋根をふく、今までとまったく違う製法で建物を建てたのだ。
ことに厩戸皇子(聖徳太子)に頼まれた法隆寺は、ギリシアのパルテノン神殿に使われた中央が膨らんだ石の柱「エンタシス」の構造を木で再現し、とんでもない強度をほこった。
法隆寺は、その後千数百年間、風雨に耐え、世界最古の木造建築になっていく。
寺院、神社、宮殿、そして都。
この時代すべての巨大建造物に秦氏、そして土師氏がからみ、やがてこの日本において秦一族は必要不可欠な一族になっていく。
そして、この秦一族は秦河勝の遺言に近い言葉「けっして政治を取り仕切ろうと思うな」を守り抜き、ひたすら陰で日本を支え続けた。




