第95話 天武天皇崩御後の内紛
天武天皇は、即位後13年(西暦686年)で崩御してしまう。
通常なら皇太子の草壁皇子が即位するのが順当であるが大津皇子の謀反の疑いで、一時棚上げになってしまった。
大津皇子は、ウノノサララの姉「オオタノヒメミコ」の息子である。
本来なら大津皇子が皇太子になってもおかしくないが、オオタノヒメミコは大津皇子が4歳のとき亡くなってしまった。
母を亡くした大津皇子はウノノサララからは冷遇された。
そんな大津皇子が天武天皇崩御後、川島皇子から謀反の疑いがあると密告されたことによって、自害に追い込まれた。
もうひとり気になる皇子がいた高市皇子である。
高市皇子の母は地方の豪族の娘なので、天皇家の直系ではないから、皇太子になる序列は後になる。
しかし、壬申の乱のとき18歳だった高市皇子は、幼かった他の皇子と違ってめざましい活躍をした。
それゆえ天武天皇はことさら高市皇子を可愛がった。
朝廷内にも次期天皇にとおす声も少なからずあった。
そのことも草壁皇子の天皇擁立を躊躇させる原因だった。
そんな声をかき消すように高市皇子は「私は臣に徹する」と公言して天皇即位を否定した。
この高市皇子は、天智天皇の娘「ミナベノヒメミコ」を妻にすることによって、天皇家の直系となる、長屋王が産まれたのだ。
そんなこんなで天皇空位のまま3年が過ぎたころ、突然の病で草壁皇子が亡くなってしまった。
悲しみにくれるウノノサララだが、ひとつだけ希望があった。
それは草壁皇子にひとりの男の子がいたからだ。
軽皇子である。
だが、軽皇子はまだ6歳、とても即位できる年齢ではない。
そこでウノノサララは、軽皇子が元服するまでのつなぎとして自身が、天皇として即位することに決めた。
41代、持統天皇の誕生である。
持統天皇は軽皇子が元服するまでの7年間在位した。
そして、軽皇子14歳のみぎり持統天皇は譲位した。
42代、文武天皇の誕生である。




