第94話 古事記、日本書紀の編纂
吉野から飛鳥へ戻った大海人皇子は40代、天武天皇として即位した。
天武天皇は、天皇中心の中央集権体制をさらに推し進めた。
さらに天武天皇は後の世に伝えられる素晴らしい史書を書かせた。
それは「古事記」と「日本書紀」である。
古事記は日本国内に向けて物語風に書かれ、日本書紀は記録風に漢文で書かれた。
唐を意識してのことである。
古事記の編纂にあたっては、記憶力が並外れている稗田阿礼の語りを基に太安万侶が、筆記するやり方を取った。
稗田阿礼は徐福が連れてきた5百人の童の末裔である。
したがってレビ族に伝わる言い伝えなど、神話の部分にかなり織り込まれている。
日本創世の仕方などそっくりである。
またこの記載において、天武天皇の出生が書き換えられた。
天武天皇は天智天皇の弟で舒明天皇と皇極皇后の間に生まれた第二子であるとした。
正に自分は直系であると訴えたいのであろう。
蘇我氏の記述もとんでもなく書き換えられた。
蘇我氏の目的は、ネストリウス派キリスト教を神道から置き換えることであるが、そのキリスト教の片鱗を全て消し去り、仏教に置き換えた。
さらにそうとう蘇我氏が憎かったとみえて、馬子、蝦夷、入鹿の親子3代の名前を変えた。
変えたというよりこの名前に置き換えた。
この3代の名前を並べ替えると「蝦夷の子は、馬に鹿が入る」、つまり「蝦夷の子は馬鹿である」の意味になってしまう。
こんな名前はありえない。
そもそも「蝦夷」とは、当時ヤマト朝廷に従わぬ北の蛮族を指している。
仮にも朝廷の重鎮にこんな名前を付けるはずがない。
国家の記録というのは、その時の勝者の記録である。
勝者の都合で書き換えられるのは、どこの世界でも同じだ。




