第81話――戻る者たち――灰霧の旧道
>第81話ですーー!
今回は、
第79話から続く
タレンたちの帰還側へ戻ります
崩れた岩壁を降りきるまで、
あと少し
けれど、
強くなる雨と灰霧の中では、
その「あと少し」が
簡単には縮まってくれません
傷を抱えたジニア
固定を守るヤガガ
下から支えるスワワ
そして、
全体を見ながら進むタレン
それぞれが違う場所を見ながらも、
目指している先だけは同じです
そして今回、
ようやく辿り着いた旧道には、
彼らより先に
そこを通った者たちの痕跡が残されています
それが何を意味するのかーー
第81話
「戻る者たち――灰霧の旧道」
帰ろうとする者たちの先を、
今回も見届けてもらえたら嬉しいですーー!
(。•̀ᴗ-)✧
時刻:3670シヴン年12月25日 AM 07:43
場所:ビグトラス島・地下導風路外縁・旧避難連絡路
灰霧の中から、まだ小型異獣の爪音が聞こえていた。
濡れた岩壁を削るような音が、上からも横からも響いてくる。
タレンは救助索を片手で押さえたまま炎棒を振り抜いた。
赤い火筋が灰霧を裂き、岩壁を這い上がってきた一体を下方へ叩き落とす。
「止まるな」
「下へ降りきれ」
ヤガガは固定杭を押さえながら、もう片方の手で炎棒を構えていた。
灰霧の中から飛び出した影が、救助索へ牙を立てようとする。
その顎を、ヤガガの炎棒が横から打ち抜いた。
小型異獣は甲高い声を上げ、そのまま岩肌を転がるように落ちていく。
「数が減らない」
「灰霧の奥から回り込んでいる」
「相手にするな」
タレンは短く返した。
「落とせ」
「道を開ければいい」
下方の狭い足場では、スワワがジニアの身体を支えていた。
燈火爪の琥珀色の火が濡れた岩へ薄く吸いつき、二人の足元を辛うじて固定している。
ジニアは膝をつきかけながらも、右手には双短剣の片方を握ったままだった。
もう一振りは、まだ腰の鞘に残されている。
肩口の包帯には、新しい赤が滲んでいた。
「ジニア、動けるか」
スワワが声を潜めて問う。
「動ける」
「まだ、止まれない」
ジニアは荒い息のまま答えた。
その瞳は、下方の旧道だけを見ている。
灰霧の向こうに、細く残った道の輪郭が見えた。
あそこまで降りれば、先へ進める。
先へ進めば、マンダコたちの防衛線へ戻れる。
その思いだけが、今の彼女の身体を支えていた。
だが、岩壁はまだ終わらない。
その時ーー
空の奥で、低い音が鳴った。
雨脚が急に強まる。
細かった雨は一瞬で大粒に変わり、岩壁を叩きつけるように降り始めた。
濡れた風石の表面を、水が幾筋も流れ落ちていく。
燈火爪の琥珀色の火が、何度も大きく揺らいだ。
「まずいっす!」
スワワが下方から叫ぶ。
「岩が滑る!」
「火も安定しねぇ!」
ヤガガが固定杭を押さえながら歯を食いしばった。
「固定が浅い」
「岩の中まで割れている」
風石の足場は途中で何度も欠け、残された固定環も錆びついている。
雨水が流れ込むたび、嫌な音を立てて軋んだ。
ジニアは立ち上がろうとする。
スワワが慌てて身体を支えた。
「待てって!」
「足場、ほとんどないっすよ」
「飛べば届く」
ジニアは短く言った。
すぐに、タレンの声が上から鋭く落ちる。
「跳ぶな」
ジニアの動きが止まった。
「その肩で受け身を取れば、次は動けなくなる」
「でも……!」
「命令だ」
タレンは救助索を握り直した。
「最後まで索を使え」
「急ぐために、ここで潰れるな」
ジニアは唇を噛んだ。
悔しさで、目元がわずかに歪む。
それでも、右手の短剣を胸元へ引き寄せた。
「……分かった」
次の瞬間ーー
灰霧の奥から、小さな影が跳ねた。
一体。
二体。
三体。
濡れた岩壁の裂け目から、小型異獣が次々と飛び出してくる。
灰色の膜を震わせ、鉤爪を岩肌へ突き立て、雨の中を這うように迫ってきた。
「また来た!」
スワワが炎棒を抜く。
「数が増えてるっす!」
「降りることを止めるな」
タレンが言った。
「叩き落とせ」
「下へ進め」
雨はさらに強くなる。
濡れた髪が視界へ張りつき、灰霧と雨幕が距離感を狂わせていく。
ジニアは吊られたまま、首を振るようにして前髪を横へ払った。
右手には短剣。
左手は岩壁から離せない。
滲む視界の先で、灰霧が大きく揺れる。
「また来る……!」
ジニアが叫んだ直後、小型異獣が二体、灰霧を裂いて岩壁から飛び出した。
濡れた鉤爪が、救助索へ向かって伸びる。
「索を狙うな!」
タレンは炎棒を振り抜いた。
赤い火筋が雨幕を裂き、飛びかかってきた一体の顎を下から打ち上げる。
小型異獣は岩壁へ叩きつけられた。
だが、そのすぐ横の裂け目から、さらに別の影が這い出してくる。
「数が多い!」
ヤガガは固定杭を押さえたまま、炎棒を短く振り下ろした。
救助索へ噛みつこうとした異獣の前脚が弾かれ、その身体が大きく傾く。
「固定を抜かせるな」
「ここが外れたら全員落ちる」
タレンの声が雨音を裂いた。
「分かっている!」
ヤガガは歯を食いしばり、もう一度術式具を岩壁へ叩き込む。
符文が雨に滲みながらも、かろうじて岩肌へ沈み込んだ。
下方では、スワワが燈火爪で岩壁へ張りつきながら、片手の炎棒を必死に振るっていた。
琥珀色の火は雨に揺れ、消えかけるたびに再び爪先へ戻る。
「くそっ、雨が強すぎるっす!」
その一瞬を狙うように、小型異獣が横から飛びかかった。
「スワワ!」
ジニアの声に、スワワは反射的に身を捻る。
炎棒では間に合わない。
彼は燈火爪の足甲を岩壁へ叩きつけ、そのまま琥珀色の火をまとった爪先で異獣の腹を蹴り上げた。
「こっち来んなっての!」
小型異獣は甲高く鳴き、雨と灰霧の底へ落ちていく。
だが、落ちた影の代わりに、また別の影が灰霧から跳ね上がった。
岩壁の裂け目。
崩れた固定環の裏。
折れた導風管の影。
どこからでも、小型異獣は湧き出してくる。
ジニアは荒い息を吐いた。
雨で視界が滲む。
灰霧で距離が狂う。
肩の傷は熱を持ち、救助索が身体を揺らすたび、痛みが胸まで響いた。
それでも、彼女は右手の短剣を構える。
一体が正面から迫った。
ジニアは濡れた前髪の隙間から、その動きだけを見た。
牙。
爪。
そして、救助索。
狙いはそこだ。
「させない……!」
短剣が雨を切る。
刃先を走った火雷が赤と青白い光を散らし、わずかに内へ反った鉤刃が異獣の牙を横へ弾いた。
救助索から狙いが逸れる。
だが、その反動でジニアの身体も大きく揺れた。
「ジニア、動きすぎるな!」
タレンの声が落ちる。
「分かってる!」
「でも、何もしなければ切られる!」
タレンは答えなかった。
灰霧の揺れを見極め、次の瞬間、岩壁を蹴って半歩だけ身体をずらす。
上から滑り落ちるように迫ってきた異獣を、炎棒の腹で横から叩き落とした。
赤い残光が、灰霧の中へ斜めに沈んでいく。
「下げろ」
「戦いながら降りる」
「止まれば囲まれる」
ヤガガが上方の固定杭を一つ外し、残った固定点へ救助索の荷重を移す。
スワワは下からジニアの腰帯を支えた。
ジニアは短剣を胸元へ引き寄せ、歯を食いしばりながら一段下へ足を伸ばす。
雨はさらに強くなる。
岩肌を流れる水が、細い滝のように彼らの手足を打った。
燈火爪の火が揺れる。
救助索が軋む。
炎棒の火筋が、何度も雨幕を裂いた。
小型異獣はなおも灰霧から飛び出し、彼らの周囲を削るように襲いかかる。
それでも、誰も止まらない。
タレンは上を見て。
ヤガガは固定点を見て。
スワワは下の足場を見て。
ジニアは、前へ伸びる旧道だけを見ていた。
視線は違っていた。
けれど、向かう先だけは同じだった。
「次で最後だ!」
ヤガガが叫ぶ。
「この固定が切れたら、もう上では支えられん!」
タレンは頷き、炎棒で迫る一体を叩き落とした。
「スワワ」
「下で受けろ」
「了解っす!」
スワワは燈火爪を岩壁へ食い込ませ、両足で狭い岩棚を踏み固めた。
「ジニア!」
「こっちへ!」
「あと少しっす!」
ジニアは息を殺し、最後の一段へ足を伸ばす。
その瞬間ーー
横の裂け目から一体が飛び出した。
狙いは、胸下を支える救助索。
「右だ!」
タレンの声が飛ぶ。
ジニアは反射的に短剣を振った。
火雷をまとった刃が牙を弾く。
同時に、スワワの炎棒が下から打ち上がり、小型異獣の胴を捉えた。
異獣は岩壁へ叩きつけられ、そのまま雨と灰霧の中へ消えていく。
ジニアの身体が、ようやく下方の旧道へ届いた。
スワワが彼女の腰帯を掴む。
「捕まえた!」
ジニアの足が、旧道の泥へ沈んだ。
力の抜けた膝が崩れかける。
彼女は咄嗟に右手を伸ばし、短剣の先端にある小さな鉤刃を、露出した風石の裂け目へ引っ掛けた。
刃が岩へ噛み、身体が止まる。
「……着いた」
かすれた声だった。
上では、ヤガガが最後の固定を外している。
タレンは降り続けながら、炎棒で小型異獣を打ち払った。
雨に濡れた火筋が、灰霧の中で赤く滲む。
ヤガガが先に旧道へ降りる。
続いてタレンが救助索を回収しながら、最後に地面へ足をつけた。
全員が降りきった、その直後ーー
上方の岩壁で、何かが大きく崩れる音がした。
先ほどまで彼らが使っていた足場が大雨に削られ、岩塊となって灰霧の中へ落ちていく。
スワワはそれを見上げ、乾いた笑いを漏らした。
「……戻り道、なくなったっすね」
ヤガガが睨む。
「前だけ見ろ」
「はい」
ジニアは風石の裂け目から短剣の鉤刃を外し、肩を押さえながら旧道の先へ目を向けた。
そこは、かつて避難所山道前へ繋がっていたはずの連絡路だった。
だが今は、泥と灰霧に沈み、風石の道標はほとんど折れている。
壁には爪痕。
地面には、何かを引きずった跡。
そして、その間を縫うように大勢の足跡が残されていた。
ジニアが息を呑む。
「避難民の足跡だ」
小さな足跡。
深く沈んだ大人の足跡。
荷を引きずった跡。
誰かを支えながら進んだような、二人分の乱れた踏み跡。
それらは途切れることなく、旧道の奥へ続いている。
「動いている……」
ジニアの声に、わずかな光が戻った。
「避難民は、ここを通っている」
「なら、ミコノパンたちも……」
その先を、彼女は言い切らなかった。
言葉にした瞬間、胸の奥に押し込めていたものまで崩れそうだった。
ヤガガは泥の中へ片膝をつき、指先で足跡の縁をなぞった。
そして、低く呟く。
「血も混じっている」
ジニアの表情が固まった。
スワワも口を閉じる。
泥に混じった赤は雨に薄められながらも、まだ完全には消えていなかった。
タレンは周囲を見渡す。
足跡は一方向へ続いている。
だが、整ってはいない。
誰かが急いで導いた跡。
途中で何度も隊列が乱れ、それでも無理に立て直しながら前へ進んだ跡だった。
ジニアはその先へ歩き出そうとする。
だが、ふと足を止めた。
崩れた岩壁の影に、雷土の符文が刻まれていた。
薄く。
けれど、確かに。
雷嶽小隊の撤退標識。
「これ……」
ジニアは近づき、震える指先でその符文に触れた。
「ミコノパンの符文だ」
声が震える。
「間違いない」
「あいつは、ここを通った」
符文は途中で歪んでいた。
最後の一画だけが深く抉れ、刻んだ者の手がそこで一瞬だけ乱れたように見える。
それでも、符文は前を指していた。
後ろではない。
前へ。
避難民を連れて、山道の奥へ。
「生きてる……」
ジニアは、自分に言い聞かせるように呟いた。
「ミコノパンは、生きて動いたんだ」
タレンはその符文を見つめた。
何も言わない。
希望を否定するつもりはなかった。
だが、その符文に残された乱れを見れば、そこに平穏な撤退などなかったことは分かる。
ヤガガも同じものを見ていた。
彼は術式具を握り直し、短く言った。
「進むしかない」
スワワはいつものような軽口を言いかけ、途中でやめた。
代わりに炎棒を握り直す。
「……行きましょう」
ジニアは小さく頷いた。
肩の痛みは強くなっている。
足元もふらつく。
だが、符文は前を示している。
マンダコたちのいた場所も、ミコノパンが進んだ道も、この先にある。
「この道を抜ければ、防衛線へ戻れる」
ジニアは顔を上げた。
「まだ、追いつけるかもしれない」
タレンはその横顔を見た。
そして、静かに視線を旧道の奥へ向ける。
雨の匂いが流れてきた。
その中に、鉄のような血の匂いが混じっている。
ジニアも、おそらく気づいている。
だが、気づかないふりをしていた。
気づいてしまえば、足が止まる。
そう分かっているから。
タレンは何も言わなかった。
ただ、炎棒を握る手に力を込める。
「急ぐぞ」
低い声が、灰霧の旧道に落ちた。
ジニアは右手の短剣を鞘へ戻し、痛む肩を押さえながら歩き出す。
ヤガガが後方を守り、スワワが横で彼女の足取りを支えた。
旧道の奥から吹いてくる風は、あまりにも冷たかった。
その先で何が待っているのか。
まだ、誰も知らない。
ただ一つだけ、確かなことがあった。
彼らはもう、引き返せない。
>第81話を最後まで読んでいただき、
ありがとうございますーー!
今回は、
第79話から続いていた岩壁の下降を、
ようやく最後まで描くことができました
雨が強くなり、
足場も崩れ、
異獣まで次々と現れる中で、
タレンたちは誰か一人の力だけではなく、
固定する者
下で受ける者
敵を落とす者
進む場所を見る者
それぞれが役割を繋ぎながら、
旧道まで辿り着きます
そして今回、
自分が特に残したかったのは、
その先にあった「足跡」と「符文」です
本人たちはそこにいない
けれど、
小さな足跡や、
誰かを支えながら歩いた跡、
そして前を示す撤退標識が残っている
それだけで、
ジニアにとっては
まだ進むための理由になります
「生きている」と確認できたわけではない
それでも、
少なくともここまで動いていた
その僅かな痕跡へ希望を繋ぐような場面にしました
ただ……
雨に薄められた血の跡や、
乱れた符文まで残っているので、
どう考えても平和な撤退ではありまセンーーw
(笑
ジニア自身も、
たぶん分かっています
それでも今は、
気付かないふりをしてでも
前へ進むしかない
戻るための道は見つかった
けれど、
同時にもう引き返せない場所まで来てしまった
そんなところで、
第81話は終わります
果たして、
この旧道の先で何を見ることになるのかーー
もう少しだけ、
彼らの帰還を追ってくださいね
(´꒳`)ノ゛




