第76話――古の禁忌――繋がりを喰らうもの
>第76話ですーー!
本来なら、
週末のおもてなしは第74話と第75話までの予定でしたが……
第75話を整理し直しているうちに、
どうしてもここまで続けた方がいい気がしてしまいましたw
(笑
ということで、
まさかの3話目でありマウスーー!
今回は、
ナイトヴァル・崩壊施設で続く
「古の禁忌」との戦い、その続きです
少しずつ見え始めた異質な力が、
今度はどこへ向かっていくのか
そして、
イランたちは何を頼りに、
自分たちを繋ぎ止めるのか
第76話
「古の禁忌――繋がりを喰らうもの」
よろしくお願いしますーー!
◖⚆ᴥ⚆◗
時刻:3670シヴン年12月25日 AM 11:30
場所:ナイトヴァル・崩壊施設中枢区画
次の瞬間ーー
マフェートトの指先が、空中をゆっくりとなぞった。
たったそれだけだった。
攻撃の気配もない。
殺意もない。
術式の起動音すらない。
けれど、俺たちが今まで歩いてきた足跡が、一斉に見えなくなった。
「……っ!」
身体が、前へ進んだはずの感覚を失う。
踏み込んだ記憶はある。
だが、踏み込んだ痕だけが認識できない。
その瞬間、膝から力が抜けた。
「イラン!」
ミドの義肢が伸び、俺の腕を掴む。
そのおかげで倒れずに済んだ。
だが、ミド自身の身体も大きく傾く。
「くそっ……!」
「踏ん張った痕まで持っていかれたのかよ!」
キリム教授が短く叫ぶ。
「全員、足元を意識しろ!」
「自分が立っている位置を見失うな!」
教授は片手を掲げた。
土色の術式環が展開し、床から石柱が幾本もせり上がる。
「視線を裂け目に合わせるな!」
「胸の空洞も直視するな!」
「輪郭ではなく、周囲の乱れを見る!」
石柱がマフェートトの周囲を囲む。
閉じ込めるためではない。
俺たちの視線を遮るための壁だった。
灰白い薄膜の身体が、石柱の隙間でゆっくりと揺れる。
その指先が、再び空をなぞった。
一本の石柱が、音もなく白く抜け落ちる。
崩れたのではない。
砕けたのでもない。
そこに立っていたという痕だけが覆われる。
石柱はそこにあるはずなのに、まるで最初から存在しなかったかのように認識できなくなっていた。
「防壁の成立痕を覆ったか……!」
キリム教授の声が低くなる。
「厄介どころではないな」
その直後ーー
マフェートトの背後に漂う六本の帯が、ゆっくりと広がった。
床も壁も通路も関係なく、半透明の帯が中枢区画へ流れていく。
その一本が、崩れた通路の壁へ触れた。
壁に刻まれていた古い術式文字が、一つ、また一つと意味を失っていく。
文字は残っている。
だが、読めない。
読めるはずなのに、そこに何が書かれていたのか誰にも分からなくなっていく。
キリム教授が息を呑んだ。
「まずい……」
「施設そのものの痕跡まで、覆い始めている」
ルキは目を閉じたまま、石床へ両手を添えた。
白青い根が大きく震える。
「イラン……!」
「奥から、もっと来る……!」
灰霧の向こう。
崩壊施設のさらに深い場所で、黒い霧がゆっくりと立ち上がっていく。
マフェートトの胸の空洞が、再び脈を打った。
俺は風環を握り締める。
このままでは、この場所で起きたことそのものが別の痕に覆われていく。
六角切面箱の奥で、サフィールの残した光がかすかに揺れた。
その時ーー
マフェートトの三本の指が、空中でゆっくりと動いた。
まるで何かを確かめるように。
その指先が、俺のいる方向へ向く。
「イラン!」
ルキの叫びが響く。
俺が顔を上げた、その瞬間ーー
黒い痕跡の帯が、俺の足元から胸元へ音もなく巻き上がった。
痛みはなかった。
熱もない。
冷たさもない。
ただ、自分がそこに立っているという感覚だけが、薄い紙のように剥がれていく。
「イラン!」
ルキの声が聞こえた。
聞こえたはずだった。
けれど、その名前が自分を指しているのか、一瞬だけ分からなくなる。
(イラン……?)
(それは……誰だ)
胸の奥が、すうっと冷えていく。
風環を握っていた指先から力が抜けた。
青白い風が乱れる。
足元へ広げていた流れが途切れ、床に残していた痕が黒い帯に覆われていく。
「まずい!」
「イランの痕が持っていかれる!」
ルキの白青い根が、慌てて俺の足元へ伸びた。
だが触れた瞬間、根の先端が大きくぶれる。
「っ……!」
「掴めない……!」
「イランの痕が、どこにあるのか分からない!」
ミドが義肢を踏み込む。
「ふざけんな!」
義肢の腕から鋼線が射出され、俺の腰側をかすめて背後の石柱へ突き刺さる。
続けて、もう一本。
今度は俺の足元へ。
鋼線が俺の周囲を囲むように走り、即席の固定線を作った。
「動くな!」
「俺が目印を打つ!」
ミドの声が響く。
けれど、その声さえ遠い。
誰かが叫んでいる。
誰かが俺を繋ぎ止めようとしている。
それは分かる。
でも、なぜ自分が繋ぎ止められなければならないのか、その理由だけが白く霞んでいく。
ヘペニーさんが雷杖を掲げた。
「だったら、こっちも刻むわ!」
雷杖の先端が、俺の足元へ向けられる。
バチッ!
青白い雷光が床を走り、俺の周囲へ円を描いた。
その円の中に、いくつもの短い雷紋が刻まれていく。
「イランはここにいる!」
「今、私たちの目の前にいる!」
「その痕を、消させない!」
雷紋が強く光る。
一瞬だけ、胸の奥に熱が戻った。
(俺は……)
(ここに……)
そう思った瞬間ーー
マフェートトの胸の空洞が、ゆっくりと脈を打った。
黒い帯が雷紋へ触れる。
文字は消えない。
光も残っている。
だが、その雷紋が何を刻んでいたのか、意味だけがぼやけ始めた。
「っ……!」
「刻んだ意味まで覆ってくる……!」
ヘペニーさんが歯を食いしばる。
キリム教授の声が飛んだ。
「名を呼び続けろ!」
「記憶ではない!」
「関係の痕を繋げ!」
「彼が何者かではなく、我々とどう繋がっているかを刻め!」
その言葉に、ミドが目を見開いた。
「関係の痕……!」
義肢が唸る。
ミドは鋼線をさらに射出し、俺の足元と自分の義肢を繋いだ。
「おい、イラン!」
「俺はミドだ!」
「お前と一緒にここまで来た!」
「勝手に消えんな!」
鋼線が震える。
その震えが、足元から俺へ伝わった。
遠い。
けれど、確かに何かが触れた。
ルキも両手を床へ押し当てる。
白青い根が、黒い帯の下を必死に探る。
「イラン!」
「私はルキ!」
「あなたに助けられて、あなたと一緒に来た!」
「だから、まだここにいて!」
声が震えている。
泣きそうな声だった。
その声を聞いた瞬間、胸の奥で何かが小さく痛んだ。
(ルキ……)
名前だけが、かすかに浮かぶ。
でも、顔が思い出せない。
声は分かる。
温度も分かる。
なのに、その輪郭だけが白く抜け落ちている。
キリム教授が石床へ手をかざした。
土色の術式環が、俺の周囲に重なっていく。
「イラン」
教授の声は低く、揺るがなかった。
「君は、パミラ避難区からここまで来た」
「サフィールの声を聞き、風を継ぎ、ここで我々を繋ぎ止めている」
「君の痕は、まだ失われていない」
言葉が、一つずつ胸へ落ちてくる。
サフィール。
風。
六角切面箱。
その言葉だけが、黒い帯の中でかすかに青白く光った。
俺は震える手を胸元へ伸ばす。
指先が、六角切面箱に触れた。
その瞬間ーー
箱の奥で眠っていた青白い光が、弱く、けれど確かに脈を打った。
ドクンーー
心臓の鼓動と重なる。
風神様の声は聞こえない。
目覚めたわけでもない。
けれど、あの時残された風だけが、俺の奥でまだ消えずに残っていた。
(……そうだ)
(俺は、風神様に守られた)
(でも、守られただけじゃない)
黒い帯が、胸元の六角切面箱へ絡みつこうとする。
その瞬間ーー
箱の奥から青白い風がにじみ出た。
風は強くない。
細く、頼りなく、今にも途切れそうだった。
それでも黒い帯へ触れた瞬間、覆い被さっていた痕だけが薄皮のように剥がれていく。
「……見えた!」
ルキが叫ぶ。
「イランの痕、まだある!」
「胸元から、風で繋がってる!」
ヘペニーさんが雷杖を握り直した。
「なら、そこを支える!」
雷光が再び走る。
ミドの鋼線が張り直される。
キリム教授の土術式が、俺の足元を支える。
三つの痕が、胸元の青白い風へ繋がっていく。
俺は大きく息を吸った。
空気が肺に入る。
自分が呼吸している。
自分が立っている。
自分が、ここにいる。
(俺は……)
黒い帯の奥で、無数の顔がこちらを覗き込んでいた。
どれも、俺の知らない誰かが残した痕跡だった。
誰かが生き、歩き、そして失った道。
その全部が、俺の上へ重なろうとしている。
(違う)
(これは俺の痕じゃない)
俺は風環を握り直した。
指先に力が戻る。
青白い風が、足元から再び流れ出す。
今度は外へではない。
自分の内側へ。
胸元から腕へ。
指先へ。
足元へ。
自分の輪郭を、風でなぞる。
俺の手。
俺の足。
俺の呼吸。
俺の名前。
黒い帯が震えた。
マフェートトの裂け目の奥で、無数の顔が一斉に歪む。
声はない。
だが、確かに拒絶している。
「イラン!」
ルキの声が届く。
今度は、はっきりと分かった。
その名前は、俺を呼んでいる。
「……俺は」
喉が震える。
黒い帯が、まだ胸元に絡みついている。
けれど、もう完全には覆えない。
「俺は、ここにいる……!」
青白い風が、一気に胸元から広がった。
黒い帯が剥がれる。
足元へ落ちる前に風に流され、灰のように薄れていく。
俺は膝をつきながらも、風環を手放さなかった。
ルキが駆け寄ろうとする。
「イラン!」
「来るな!」
俺は咄嗟に叫んだ。
まだ終わっていない。
マフェートトは、こちらを見ていた。
いやーー
俺だけを見ていた。
顔のない裂け目の奥で、無数の瞳が次々と開いていく。
黒い帯を剥がされたことで、狙いが定まったのだと分かった。
キリム教授が低く言う。
「イラン」
「あれは今、君の痕跡を完全に捉えた」
「完全に……?」
「そうだ」
教授は術式環を構え直す。
「先ほどまでは、周囲へ広がる痕跡の一つとして君を覆っていた」
「だが今、君を個別の対象として定めた」
ヘペニーさんが息を呑む。
「つまり……」
「狙われるってこと?」
教授は短く頷いた。
「恐らくな」
マフェートトの胸の空洞が、ゆっくりと回転を速める。
その奥で絡み合う痕跡が、一本ずつほどけていく。
そして、そのすべてが俺へ向かって伸び始めた。
ルキの声が震える。
「イラン……」
俺は立ち上がった。
膝はまだ震えている。
胸の奥も痛い。
けれど、風は戻っていた。
六角切面箱の奥で、サフィールの残した光が小さく脈を打っている。
「大丈夫」
そう言いながら、自分でも分かっていた。
大丈夫ではない。
けれど、ここで引けば今度こそ全員の痕が覆われる。
俺は風環を構えた。
マフェートトの細長い三本指が、再び空中をなぞる。
その動きに合わせて、無数の痕跡が一斉に俺へ流れ込んできた。
俺は目を閉じた。
見ない。
見るな。
あの言葉を胸の奥で繰り返す。
そして、風だけを感じる。
黒い痕が近づく。
重なろうとする。
俺を、俺ではない何かで覆おうとする。
その瞬間ーー
俺は細く息を吐いた。
「……剥がす」
青白い風が、静かに逆巻いた。
俺は迫ってくる無数の痕跡の境目へ、青白い風を滑り込ませた。
絡まった糸の間へ針を通すように、黒い覆いの下にある流れだけを探る。
(違う)
(これは俺じゃない)
風が触れた場所から、黒い痕が薄く浮き上がっていく。
「……すごい」
ルキが目を閉じたまま息を呑む。
「黒い痕だけが、浮き上がってる……!」
キリム教授がすぐに声を上げた。
「今だ!」
「浮いた痕を固定しろ!」
「任せて!」
ヘペニーさんの雷光が走り、浮き上がった痕の端を撃ち抜く。
続けてミドの金属杭が隙間へ打ち込まれ、キリム教授の土色の術式がその根元を固定した。
黒い帯の流れが、わずかに歪む。
俺はその隙を逃さず、さらに風を奥へ滑らせた。
するとーー
黒い覆いの下から、別の痕跡が浮かび上がった。
古い剣筋。
焼け焦げた術式。
倒れた誰かの手形。
壁に刻まれていたはずの文字。
どれも今この場所で生まれたものではない。
遥か昔からそこにあった痕跡が、何重もの覆いの下へ押し込められていた。
(これは……)
(今ここで奪った痕だけじゃない)
胸の奥が冷える。
(ずっと昔から、喰い続けてきた痕跡……?)
風が触れた瞬間、その中の一つが小さく震えた。
もう名前も分からない誰かの足跡。
それでも確かに、そこを歩いたという痕だけは残っている。
「消えてない……」
ルキが小さく頷く。
「うん」
「奥に残ってる」
「でも、上から押し潰されてる……」
キリム教授の目が細くなる。
「なるほど……」
「今まで奴が喰らってきた痕跡まで、残っているのか」
「幾重にも覆われ、世界から読めなくなったまま……」
俺は黙ったまま、風を引き戻した。
今は古い痕跡を戻している余裕はない。
俺たち自身が、この場所で覆われないようにするだけで精一杯だった。
その時ーー
マフェートトの胸の空洞が、ゆっくりと開いた。
渦を巻いていた痕跡が、内側から外へ溢れ出す。
「来る!」
ルキが叫んだ。
次の瞬間ーー
俺たちの周囲へ、灰白い痕跡が雪のように降り始めた。
黒ではない。
白でもない。
何かが終わった後に残る、薄い灰のような痕。
触れた場所から、雷紋も鋼線も土術式も、その意味が少しずつ鈍っていく。
「まずい!」
「範囲ごと覆ってきた!」
ヘペニーさんが雷杖を振る。
雷光が灰白い痕を弾くが、散った先からまた別の痕が降り積もっていく。
ミドの義肢も、一拍遅れて動いた。
「くそっ……!」
「身体との繋がりまで鈍ってやがる!」
キリム教授が両手を広げる。
土色の術式環が円を描き、石床が低く隆起した。
「全員、こちらへ!」
ばらばらだった足場が、一つの大きな術式基盤として繋がっていく。
「個々の痕ではなく、一つの場として固定する」
教授の額へ汗が滲む。
「だが、長くは持たない」
灰白い痕跡が、土台の上へ降り積もる。
土台そのものは消えない。
それでも、何を支えるために存在しているのか、その意味だけが少しずつ曖昧になっていく。
(広すぎる)
(これじゃ、一つずつ剥がしても追いつかない)
胸元の六角切面箱が、小さく震えた。
サフィールの光は弱い。
けれど、完全には消えていない。
(風神様……)
(借ります)
俺は風環を胸の前へ引き寄せ、青白い風を土台全体へ薄く広げた。
水面へ広がる波紋のように、降り積もる灰白い痕の下へ滑り込ませていく。
「イラン、無理するな!」
ミドの声が飛ぶ。
「無理しないと、全部覆われる!」
俺は息を吐いた。
肺が焼けるように痛む。
それでも風を乱さず、灰白い痕を一枚ずつ土台から浮かせていく。
浮いた痕をヘペニーさんの雷が弾き、歪んだ箇所をミドの鋼線が支える。
キリム教授が崩れかけた足場を固定し、ルキがその下に残る元の痕を探り続けた。
「右上!」
「灰の層が厚い!」
「了解!」
雷光が走る。
「土台の根元にも来てる!」
ミドの鋼線が唸る。
「イラン、そこは触るな!」
「元の痕まで巻き込む!」
教授の声に合わせ、俺は風の流れを変えた。
少しずつーー
ほんの少しずつ。
俺たちは灰白い覆いに追いつき始めていた。
だがーー
胸の奥に、嫌な感覚が走る。
マフェートトは動いていない。
攻め込んでいるように見えるのに、どこか違う。
まるで俺たちが何を守り、誰が誰を支え、どこを繋ぎ直すのかを見ているようだった。
「教授……」
俺は息を切らしながら声を絞り出す。
「こいつ、俺たちの繋がりを見てます」
キリム教授の表情が固まった。
「……まずいな」
「何がまずいの?」
ヘペニーさんが雷杖を構え直す。
「我々が協力するほど、奴はその繋がりの痕を読んでいる」
教授はマフェートトから視線を逸らさない。
「次に狙われるのは、個人ではない」
その言葉が終わる前だった。
マフェートトの三本指が、空中でゆっくりと交差した。
一本は俺へ。
一本はルキへ。
一本はキリム教授へ。
その瞬間ーー
風。
白青い根。
土色の術式。
三つを結んでいた流れが、一斉に白く霞んだ。
「……っ!」
ルキが膝をつく。
俺の風も大きく乱れ、キリム教授の土台が低く軋んだ。
俺たちは互いを見ている。
声も聞こえる。
そこにいることも分かる。
なのに、どう繋がっていたのかだけが白く抜け落ちていく。
(ルキは……)
(俺と何を……)
胸が強く痛んだ。
違う。
忘れるな。
彼女はここまで一緒に来た。
目を閉じたまま、ずっと俺たちの痕を追っている。
「ルキ!」
俺は叫んだ。
「俺の声だけ追え!」
ルキが顔を上げる。
「イラン……?」
「そうだ!」
「お前は俺の隣で、ずっと痕を追ってる!」
白青い根が、小さく震えた。
「私……」
「イランの隣で……」
数秒ーー
消えかけていた根の光が戻る。
「痕を……追ってる……!」
ルキは歯を食いしばり、もう一度石床へ両手を押し当てた。
「見つけた!」
「繋がりの上に、灰が重なってる!」
「場所は分かる!」
「でも、剥がすのはイランじゃないと無理!」
俺は頷き、二人の間へ細い風を通した。
見えない繋がりへ覆い被さっていた灰白い痕だけを、薄く剥がしていく。
胸の奥が軽くなる。
ルキの呼吸も戻った。
キリム教授が低く呟く。
「関係の痕そのものも、剥がせるか……」
だが、安心する暇はなかった。
マフェートトの胸の空洞が、さらに深く開いた。
その奥からーー
音がした。
紙を擦るような。
石を削るような。
古い文字が、勝手に書き換わっていくような音。
キリム教授の顔色が変わる。
「全員、耳を塞げ!」
その叫びと同時に、胸の空洞から無数の細い線が空中へ広がった。
文字のように揺れながら、すぐに形を失っていく。
読めない。
けれど、視界へ入った瞬間、頭の奥が白く霞んだ。
「見るな!」
俺は叫び、風を一気に広げた。
青白い風が薄い幕となって俺たちの前へ立ち上がり、迫る線を意味の形になる前に吹き散らしていく。
それでも、すべては防げない。
一筋の線が、風の隙間を抜けた。
その瞬間ーー
頭の中で、何かが音もなく裏返る。
(……何を)
(俺は今、何を守って……)
意識が白く霞む。
「イラン!」
ルキの声が風の向こうから響いた。
「私、ここにいる!」
「俺もいるぞ!」
ミドの声が重なる。
そして最後に、キリム教授の低い声が届いた。
「イラン」
「君が繋いだ痕は、まだここに残っている」
その言葉が、白く霞んだ意識の中へ一本の線を通した。
俺は歯を食いしばる。
(そうだ)
(俺は一人じゃない)
(みんなと、ここにいる)
青白い風が、再び強く脈打った。
薄れかけていた風の幕が、もう一度立ち上がる。
けれど、マフェートトは止まらない。
胸の空洞の奥で、さらに無数の痕跡がほどけ始めていた。
まるで今まで喰らってきたものすべてを、この場所へ解き放とうとしているかのように。
キリム教授が息を呑む。
「これは……」
「まずいぞ」
俺は風環を握り締めた。
「今度は何ですか……?」
教授は答えるまで、ほんの一瞬だけ間を置いた。
「奴は、この中枢区画そのものの痕跡を使う気だ」
その言葉と同時にーー
崩壊施設の壁が、低く震え始めた。
>第76話を最後まで読んでいただき、
ありがとうございますーー!
今回は、
第75話で見え始めた「痕跡」というものを、
もう少し深いところまで描いてみました
誰かが歩いた跡
そこに立っていた痕
使われた術式
残された文字
そういう目に見えるものだけではなく、
誰かと一緒に歩いたこと
助けたこと
助けられたこと
名前を呼んだこと
そして、
「この人と自分は確かに繋がっている」
そんな関係そのものにも、
一つの痕が残っているのかもしれません
今回のイランたちは、
一人だけで自分を守ったわけではなく、
互いの存在を確かめながら、
何度も繋ぎ直していきました
書いていて、
この敵……
やっぱりかなり面倒ですw
(笑
しかも、
どうやらまだ終わる気はないようで……
最後には、
中枢区画そのものまで動き始めました
第75話を整理した結果、
第76話まで放送することになった理由も、
これで少し分かってもらえた気がしマウスーー!
♪ \(^ω^\ )




