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失われた断片 ― 風の環 ―  作者: 半々月光
ビグトラス島編

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第67話――環風風穴――あと半時間

>いつも『失われた断片 ― 風の環 ―』を読んでくださり、本当にありがとうございます!


第67話では、学院へ続く山道を進む六人の束の間の時間が描かれます。


穏やかな空気の中で少しずつ積み重なっていく変化を、


ぜひ最後まで見届けていただけたら嬉しいです。


(人´∀`)。゜+

時刻:3670シヴン年12月25日 AM 08:35

場所:ビグトラス島・学院へ続く山道


 旧風鈴通りを離れてしばらく。


 六人は灰霧の流れる山道を、足を止めることなく進み続けていた。


 雨脚は先ほどよりも弱まり、冷たい霧雨が静かに岩肌を濡らしている。


 左右には切り立った岩壁が続き、ところどころ風に削られた岩棚から細い水が滴り落ちていた。


 石畳はいつしか途切れ、足元は雨に濡れた山道へ変わっている。


 踏み固められた土はところどころぬかるみ、緩やかだった坂も少しずつ傾斜を増し始めていた。


 エフィチは一歩踏み出すたび、大きな体を支えるように重心を落とす。


 背負った防壁用の装具も、平地よりわずかに重く感じていた。


 その様子に気づいたリクトが、小走りで隣へ並ぶ。


「少し持つか?」


 エフィチは首を横に振った。


「……いや、大丈夫だ。」


「そう言うと思った。」


 リクトは苦笑すると、防壁装具の後ろへそっと手を添える。


「じゃあ、この坂だけ。」


「少し押す。」


 エフィチは一瞬だけリクトを見た。


 やがて小さく頷く。


「……助かる。」


 二人が並んで坂道を登る姿を見ながら、前を歩いていたバライトが静かに前方を指さした。


「あの先が環風風穴だ。」


 自然と全員の視線が前へ向く。


「学院の訓練でも、よく使われる風道なんだ。」


「ここを抜ければ、学院の裏手まであと半時間くらい。」


 リクトは小さく息を吐いた。


「半時間か……。」


「ようやく学院が見えてきた気がするな。」


 バライトは穏やかに笑う。


「風球競技の練習が終わると、俺とリプレイトもよくこの風道を通って帰った。」


「遠回りするより早かったから。」


 リプレイトは隣を歩いたまま、小さく肩をすくめた。


「近道なのは間違ってない。」


「ただ、毎回一番乱流が強い時間を選ぶんだけどな。」


 バライトは少しだけ笑う。


「その方が練習になっただろ。」


 リプレイトはため息交じりに笑った。


「付き合う方は毎回そうは思わなかった。」


 ジャスがそのやり取りを見て、小さく口元を緩める。


「そういえば。」


「一つ聞いてもいいか。」


 バライトが頷いた。


「何だ?」


 ジャスは少し照れくさそうに頭をかく。


「風球競技。」


「どうして毎回、あの乱流で一位だったんだ。」


 バライトは前方の環風風穴へ目を向けたまま、小さく笑う。


「……乱流は。」


「勝とうとすると、負ける。」


 ジャスが首を傾げた。


「どういう意味だ?」


 リプレイトが苦笑する。


「また、その話か。」


 バライトは困ったように笑った。


「本当のことだから。」


 リプレイトは肩をすくめる。


「競技が終わるたびに毎回聞かされた。」


「でも結局、一位になるから反論できない。」


 バライトは静かに続ける。


「風を押さえようとするな。」


「流れを見ろ。」


「乗れる場所は、ちゃんとある。」


 ジャスはその言葉を噛みしめるように前を見た。


 少し間を置いてから、照れ笑いを浮かべる。


「実はさ。」


「次こそはイランに勝ちたいんだ。」


「だから学院へ戻ったら、その走り方を教えてくれ。」


 一瞬だけ静けさが流れる。


 次の瞬間、リクトが思わず吹き出した。


「やっぱり、そういうことだったんですね。」


「さっきから妙に真剣に聞いてると思いました。」


「う、うるさい。」


 ジャスは少しだけ耳を赤くしながら顔を逸らす。


「悪いか。」


「勝ちたいって思うくらい。」


 その空気が少しだけ和らいだ、その時だった。


 リプレイトが前を向いたまま、小さく呟く。


「……でも。」


「そんな日が、本当にまた来るのかな。」


 誰もすぐには言葉を返せなかった。


 霧雨だけが静かに岩肌を濡らし、


 風が細く山道を吹き抜けていく。


 学院へ戻る日。


 また風球競技で競い合う日。


 その当たり前だった未来は、今はまだ灰霧の向こう側にあった。


 バライトはそんな空気を感じ取るように、小さく笑う。


「来るよ。」


「だから今、みんなで学院へ向かってる。」


 そう言ってジャスへ視線を向ける。


「それに。」


「イランに勝ちたいなら、最後までちゃんと教えないと困るからね。」


 ジャスは照れくさそうに笑った。


「約束だからな。」


 止まりかけていた空気は、もう一度だけ静かに動き始めた。



 環風風穴へ続く山道は、岩壁に沿うように緩やかな上り坂が続いていた。


 灰霧は薄く流れている。


 だが、岩陰や崖の割れ目には、まだ黒い影が残っていた。


 カサッ――


 乾いた爪が岩肌を掠める音とともに、一頭の小型異獣が飛び出す。


「来る!」


 ジャスが素早く一歩踏み込み、胸元の徽環へ能脈を巡らせた。


 身体は反射的に、防御術式の流れを組み始める。


 能脈を全身へ巡らせ、再び徽環へ戻し、循環させながら術式を維持する。


 三年間、学院で身体へ叩き込まれてきた、防御術式の基本だった。


「ジャス。」


 バライトの落ち着いた声が飛ぶ。


「その流れじゃ、防御術式になる。」


 ジャスの指先が止まる。


 リプレイトが静かに続けた。


「防御術式も攻撃術式も、能脈の起点は同じだ。」


「違うのは最後だけ。」


「防御術式は、能脈を徽環へ戻し続け、循環させながら術式を維持する。」


「攻撃術式は戻さない。」


「徽環で収束させた能脈を、そのまま術式の出口へ導いて放つ。」


 ジャスの脳裏に、学院での術式講義が蘇る。


 教授は導石板へ刻まれた能脈図を静かになぞりながら語っていた。


『攻撃術式は封じられている。』


『だから術式そのものを反復することはできない。』


『だが、能脈だけは身体へ刻み込め。』


『術式が違っても、能脈の理は変わらない。』


『最後に能脈の出口を切り替えられる者だけが、攻守を自在に扱える。』


 学生たちに許されていたのは、導石板に刻まれた能脈図を学び、教授の術式運行から理を理解することだけだった。


 異獣はもう目前まで迫っている。


 ジャスは短く息を吸う。


 胸元へ集めた能脈を、いつものように循環へ戻しかけ――止めた。


 流れは切らない。


 最後の出口だけを切り替える。


 徽環で収束した能脈が掌へ集まり、熱を帯び始める。


 さらにその熱へ、土属性の能脈が静かに重なった。


 火と土。


 二つの属性が初めて一つの流れとして噛み合う。


 ジャス自身も、その感覚が何なのかまだ分からない。


「……これで、合ってるのか。」


「いや……考えてる暇はない。」


「まずは、やってみろ!」


 自分へ言い聞かせるように掌を突き出した。


  赤褐色の術式光が迸り、火と土が混じり合った奔流が、小型異獣を吹き飛ばした。


 岩壁へ叩きつけられた異獣はなお立ち上がろうとする。


「まだだ!」


 エフィチが踏み込み、防御術式で展開した光壁をそのまま盾のように押し込んだ。


 体勢を崩した異獣の足元へ、バライトの無属性術式が静かに走る。


「固定。」


 透明な光が岩肌を這い、異獣の動きを一瞬だけ止めた。


「右へ流れる。」


 リプレイトが短く告げる。


 補正術式によって僅かに体勢を崩されたその瞬間――


 ジャスがもう一度踏み込む。


 まだぎこちない術式だった。


 それでも先ほどより迷いはない。


 火と土の能脈が再び掌へ集まり、小型異獣を貫いた。


 黒い身体は大きく跳ね、そのまま動かなくなった。


 一瞬だけ静寂が訪れる。


 リプレイトは小さく頷いた。


「その感覚だ。」


「一度繋がれば、次はもっと早い。」


 そして、そのままエフィチとプリヴィを見る。


「二人も試してみろ。」


 突然名前を呼ばれ、エフィチは少し目を丸くした。


「……俺もか。」


 胸元の徽環へ視線を落とし、小さく息を吐く。


 一方、プリヴィは慌てたように眼鏡を押し上げる。


「わ、私は……。」


「結界探査と補助しか使えません。」


「攻撃術式なんて……。」


 リプレイトは思わず笑った。


「誰も派手な術式を出せって言ってるわけじゃない。」


「探査範囲を広げる。」


「結界をもっと遠くまで読む。」


「それだって、お前だけの攻撃になる。」


 プリヴィはきょとんと目を瞬かせる。


「……攻撃?」


「敵を倒すことだけが攻撃じゃない。」


「仲間が先に動ける情報を作る。」


「それも立派な一手だ。」


 プリヴィは胸元の徽環へそっと手を添え、小さく頷いた。


「……はい。」


 それからも山道では、岩陰や崖の裂け目から零星の小型異獣が姿を現した。


 数は多くない。


 だが、その度に六人は足を止め、互いに声を掛け合いながら新しい術式を確かめていく。


 最初は戸惑っていた能脈の切り替えも、少しずつ身体が覚え始めていた。


 その返事を聞いたリクトが、ふっと笑う。


「よし。」


「これで俺たち全員、攻撃術式一年生だな。」


 ジャスが思わず吹き出す。


「お前、そういう言い方するな。」


「だって本当だろ?」


「今まで能脈の理屈だけ散々叩き込まれてさ。」


「いざ解禁されたら、全員『初めまして』なんだから。」


 エフィチも苦笑する。


「……それは否定できない。」


 バライトも静かに笑った。


「焦らなくていい。」


「術式は、使うたびに身体が覚えていく。」


 リプレイトも頷く。


「能脈は急ぐほど乱れる。」


「まずは、自分の流れを信じろ。」


 笑い声が、小さく洞穴へ響いた。


 先ほどまで張り詰めていた空気は、ほんの少しだけ柔らいでいる。


 そんな空気のまま、一行は環風風穴の奥へ歩みを進めた。


 岩肌は次第に内側へ湾曲し、道はそのまま環風風穴の内部へ続いていく。


 再び、小さな笑い声が広がった。


 その声は、風穴の奥へ吸い込まれるように消えていく。


 誰も気づかなかった。


 その瞬間から。


 風の流れが、ほんのわずかに変わっていたことを。


 先頭を歩いていたバライトの足が、不意に止まる。


 笑みが静かに消えた。


「……待て。」


 その一言だけで、全員の足が止まった。


 リプレイトがすぐ隣へ並ぶ。


「どうした。」


 バライトは答えない。


 差し込む光の帯を見つめたまま、ゆっくり首を振る。


「違う……。」


 ジャスが眉をひそめる。


「何がだ。」


 バライトは岩壁へ視線を走らせた。


「環風気流が……。」


「切れてる。」


 風穴を吹き抜けていた風が、


 不意に止んだ。


 誰も、その意味を理解できなかった。


 次の瞬間――


 キィィィィン――


 リクトの右耳に下がる銀色の魔導飾りが、突然激しく震え始める。


「なっ――」


 リクトが反射的に耳を押さえた。


 今まで聞いたことのない、不快な高音。


 まるで誰かが無理やり囮音を引き裂いているようだった。


「リクト!」


 ジャスが振り向く。


 次の瞬間――


「――ああああああああっ!!」


 その悲鳴だけが、


 風穴の奥へ長く残った。


 六人の時間も、


 その瞬間、悲鳴とともに止まった。


>第67話を最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!


仲間たちの何気ない会話や、新たな一歩が描かれた一話となりました。


皆さんは今回のお話をどう感じましたか?


よければ感想や考察なども、ぜひ聞かせてくださいね!


(๑˙❥˙๑)

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