第52話 ― 人魚の噴水――隠された風路
>今回は、人魚の噴水の地下に隠された導風路を進む一行の場面です。
狭い細穴を登りながら、風の唸りや揺らぐ光に不穏さが増していき、
それでも互いに声を掛け合いながら前へ進む姿を描いています。
閉ざされた空間の緊張感と、上へ向かう意志の強さを感じてもらえたら嬉しいですw
時刻:3670シヴン年12月25日 AM 03:25
場所:ビゴトラス島・人魚の噴水地下 隠された導風路
細穴の内側は、想像していた以上に狭かった。
ハロは片腕でジパを胸に抱き、もう片方の手で岩肌の出っ張りを掴みながら、ゆっくりと身体を押し上げていた。
足元は濡れている。
だが、さっきの水溜まりの周囲ほどではない。岩の表面には細かな砂が張りつき、指をかけられる割れ目もいくつかあった。
それでも、少しでも力の入れ方を間違えれば、下まで滑り落ちそうだった。
「ジパ、苦しくないか?」
胸元に声をかけると、ジパは小さく身じろぎした。
「ルル……」
晶羽は狭い空間で大きく広げられず、背にぴたりと畳まれている。それでも羽の隙間から淡い青光が漏れ、ハロの手元と足場をかすかに照らしていた。
「よし……そのまま頼む」
ハロは息を整え、さらに上へ手を伸ばした。
先頭ではタレンが無言で岩壁を登っている。
巨体には明らかに狭すぎる穴だった。肩が何度も岩に擦れ、耐熱の導風衣が鈍い音を立てる。それでも彼は一度も文句を言わず、炎棒を背に固定したまま、片手で岩を掴み、もう片手で上の崩れやすい石を押さえていた。
「タレン殿、大丈夫か?」
ハロが下から声をかける。
タレンは振り返らずに答えた。
「問題ない」
少し間を置き、低く続ける。
「ただし、俺が落ちれば全員巻き込む。距離を取れ」
「それを問題ないって言うのか……?」
ハロは思わず呟いた。
後ろからスワワの声がした。
「ボスが落ちたら、俺たち全員まとめて平らになるな」
「余計なことを言うな」
タレンの声が低く落ちる。
スワワはすぐに口を噤んだ。
そのさらに後ろで、マイノノが壁に手を当てながら静かに言った。
「岩は見た目ほど脆くない。水に削られてはいるが、芯は残っている」
ヤガガも細い指で壁面の線をなぞっていた。
「自然の穴ではないな。途中までは後から削られている。おそらく、緊急用の通気路か、点検用の副路だ」
「点検用にしては狭すぎるだろ」
スワワがぼやく。
ヤガガは淡々と返した。
「琉火族の体格を基準に作られたものではない」
「それは見れば分かる!」
スワワの声が細穴の中で反響した。
その瞬間、上方から小さな砂粒がぱらぱらと落ちてきた。
タレンが即座に低く言う。
「声を落とせ」
細穴の中が一瞬で静まり返る。
ハロも反射的にジパを抱え込んだ。
ジパの晶羽が、ほんのわずかに震えた。
「……何か来るのか?」
ハロは声を潜める。
ジパは上を見つめたまま、小さく鳴いた。
「ル……イ……」
それは怯えではなかった。
けれど、急かすような響きでもない。
何かを聞き取っているようだった。
タレンが上方へ耳を向ける。
「風だ」
マイノノも目を細めた。
「さっきより流れが強い。上で空間が開いている」
ヤガガは壁面の古い刻紋を見つめたまま言った。
「この穴は、上層の風道に繋がっている可能性が高い。だが、流れが安定していない」
「つまり?」
ハロが問い返す。
ヤガガは短く答えた。
「突風が来れば、落ちる」
スワワが小さく息を吐いた。
「やっぱり水のほうがマシだったかもしれないな」
その直後、ジパが胸元で低く唸った。
「ルル……」
スワワは慌てて手を上げる。
「冗談だ。水には入らない。噛むなよ」
ハロはこんな状況にもかかわらず、ほんの少しだけ口元を緩めた。
だが、すぐに表情を引き締める。
「ジパ、イランはこの上なんだな?」
ジパは返事のように、晶羽を一度だけ淡く光らせた。
ハロの胸の奥が締めつけられる。
「分かった。なら、行く」
彼は岩肌を掴み直し、足をかける場所を探した。
肩の傷が痛む。
指先にも力が入りにくくなっている。
それでも止まれなかった。
長い戦いで積み重なった疲労が、身体の奥にまで沈み込んでいる。
腕も、足も、呼吸さえも重い。
それでもハロは、まるで命そのものを少しずつ削りながら進むように、岩肌へ指を食い込ませた。
上へ、
上へ。
何度も身体を押し上げ、
だが、出口はまだ見えなかった。
終わりも、光も、まだ遠い。
それでも、止まるわけにはいかなかった。
細穴は少しずつ傾斜を増し、身体を押し上げるたびに、背中と膝が岩に擦れた。ジパを庇うために片腕が使えず、ハロの動きはどうしても遅くなる。
タレンが上から手を伸ばした。
「掴め」
「大丈夫だ。自分で――」
「掴め」
短い声だった。
逆らう余地はなかった。
ハロは息を詰め、タレンの手を掴んだ。
次の瞬間、強い力で一段上へ引き上げられる。
「っ……助かった」
「礼は後でいい。ジパを落とすな」
「落とすわけないだろ」
ハロは胸元を押さえるようにして、ジパを抱え直した。
ジパは小さく鼻を鳴らし、ハロの衣に顔を埋める。
「……悪い。少し揺れたな」
「ルル……」
その鳴き声は、どこか許しているようにも聞こえた。
後方ではマイノノがスワワの腕を押し上げていた。
「足をそこに置くな。崩れる」
「どこならいいんだよ」
「右。いや、もう少し上」
「見えないって!」
ヤガガが下から静かに言う。
「騒ぐな。声で砂が落ちる」
「俺だけ怒られてないか?」
「実際、騒いでいるのはお前だ」
スワワは黙った。
細穴の中に、再び風の音だけが残る。
やがて、前方から薄い光が差し込んだ。
雨の光ではない。
青白く、揺らぎを帯びた光だった。
ハロは顔を上げる。
「出口か?」
タレンは先に進み、上方の隙間を覗き込んだ。
「まだ出口ではない。だが、空間がある」
その声と同時に、ジパの晶羽が強く明滅した。
「ルル――イ!」
ハロの心臓が跳ねる。
「近いのか?」
ジパは答える代わりに、胸元から身を乗り出そうとした。
「待て、落ちる!」
ハロは慌てて抱き留める。
だが、ジパの視線は上方の青白い光に釘づけになっていた。
ヤガガが下から声を上げる。
「その光、気をつけろ。自然光ではない」
「術式か?」
ハロが問う。
「あるいは、風脈の漏出だ」
マイノノが低く続ける。
「風が乱れている。上に何かある」
タレンは一度だけうなずき、炎棒を手元へ引き寄せた。
「全員、ここからはさらに慎重に進む」
スワワが息を吐く。
「慎重に進んでも、これ以上狭くなったら俺は挟まるぞ」
タレンは振り向かずに言った。
「挟まったら置いていく」
「ボス、それ本気で言ってる?」
「半分だ」
「半分は本気なのかよ……」
ハロは小さく息を吐いた。
だが、その軽いやり取りが、張り詰めた胸をわずかにほぐした。
次の瞬間だった。
上方の空間から、低い唸りが落ちてきた。
風ではない。
風が、何かにぶつかり、歪み、押し返される音だった。
ジパの晶羽が一気に逆立つ。
「ルルッ!」
ハロは即座に身を伏せた。
「来る!」
タレンが叫ぶ。
「岩に張りつけ!」
細穴の奥から、強い風圧が叩きつけるように流れ込んだ。
ハロの身体が後ろへ引かれかける。
彼は岩の割れ目に指を食い込ませ、もう片方の腕でジパを抱え込んだ。
「くっ……!」
後ろでスワワが低く呻く。
「おい、これ、上に出る前から歓迎が荒すぎるだろ!」
「喋るな、息を持っていかれる!」
マイノノの声が飛ぶ。
ヤガガは壁面に刻まれた古い紋様へ手を当てた。
「風道が暴走している……いや、外側から叩かれている?」
「外側?」
ハロは風圧に耐えながら、必死に顔を上げる。
上方の青白い光が揺れていた。
その向こうから、誰かの声のようなものが、かすかに混じった気がした。
悲鳴か。
号令か。
あるいは、風穴そのものの唸りか。
ジパが突然、強く鳴いた。
「ルル――イール!」
その声は、今までよりもはっきりと、上を指していた。
ハロの瞳が鋭くなる。
「……上に、誰かいる」
タレンも同じ方向を見上げた。
赤い瞳に、青白い光が映る。
「進むぞ」
その声は短かった。
だが、迷いはなかった。
ハロはうなずき、痛む指に力を込めた。
「ああ。ジパが示している。なら、この上だ」
風はまだ止まらない。
だが、その先に何かがある。
イランの痕跡か。
それとも、別の何か......
ハロにはまだ分からなかった。
ただ、ジパの光だけは、迷わず上を指し続けていた。
>ここまで読んでくださりありがとうございます。
第52話では、地下の導風路という閉鎖的な空間での緊張と、
仲間同士の支え合いを中心に描きました。
風穴の唸りが何を示しているのか、
そしてジパが指し示す「上」に何が待っているのかーー
物語は少しずつ核心へ近づいていきます。
次回も、ぜひ楽しみにしていてくださいねーー
(^∇^)ノ♪




