第53話 ― 風穴の出口――倒れた求援者
>今回は、
地下導風路の最上層へたどり着いた一行が、
風穴の出口で思わぬ遭遇をする場面です。
狭い穴を抜けた先に広がる強風と霧、
そして聞こえてくる金属音と怒号ーー
閉ざされた空間から一気に緊迫した外へ出る、その空気の変化を楽しんでもらえたら嬉しいですw
仲間を探す旅路の中で、また新たな「誰かの危機」と向き合う瞬間が描かれます
時刻:3670シヴン年12月25日 AM 04:28
場所:ビゴトラス島・地下導風路上層 風穴出口付近
時刻:3670シヴン年12月25日 AM 04:28
場所:ビゴトラス島・地下導風路上層 風穴出口付近
風はまだ止まらなかった。
細穴の奥から吹き込む風圧に、ハロは岩肌へ身体を押しつけながら、胸元のジパを庇って進んだ。
ジパの晶羽は、狭い穴の中で小さく震えている。
その小さな頭が、ふとハロを見上げた。
「……やっぱり、誰かいるんだな」
ハロは息を詰めながら呟いた。
タレンも同じ方向を見上げる。
赤い瞳に、風穴の奥から漏れる青白い光が映っていた。
「警戒しながら進むぞ」
その声は短かった。
だが、迷いはなかった。
「ああ」
ハロはうなずき、痛む指に力を込めた。
その時、上方の岩肌が細かく震えた。
ぱらぱらと乾いた音を立てて、天井から塵と砂粒が落ちてくる。
「っ……!」
ハロは反射的に顔を背け、目を固く閉じた。
落ちてきた塵が頬と髪をかすめ、肩口に細かく積もる。胸元のジパを庇うように腕を寄せると、ジパは小さく身を縮め、晶羽の光を一瞬だけ強く震わせた。
ハロは数秒だけ息を止め、ゆっくりと片目を開く。
上方の青白い光は、まだ消えていなかった。
むしろ先ほどよりも強く、狭い岩穴の奥を照らしている。
ハロは喉の奥で息を整え、痛む指にもう一度力を込めた。
「……行くぞ、ジパ」
ジパは小さく鳴いた。
「ルル……イール……」
その声は、怯えではなく、確かに彼を上へ導いていた。
タレンが先に身体を押し上げ、上方の岩縁へ手をかけた。
狭い穴の先は、低い洞窟のようになっているらしい。風がそこから吹き込み、時折、細かな砂と霧を一緒に吐き出していた。
「手を伸ばせ」
タレンの声が上から落ちてくる。
ハロは片腕でジパを抱え直し、もう片方の手を伸ばした。
タレンの大きな手が、彼の手首を掴む。
次の瞬間、強い力で引き上げられた。
「っ……!」
肩の傷が痛み、思わず息が詰まる。
だが、ハロはジパだけは離さなかった。
身体が岩縁を越え、低い洞窟の床へ転がるように上がった。
そこは、風穴の出口に近い場所だった。
天井は低く、岩肌は白く削れている。壁には風が長い年月をかけて磨いたような筋が何本も走っていた。奥の裂け目からは、青白い光と冷たい風が漏れている。
そして、その向こうから――
金属が砕けるような音がした。
「……戦闘音だ」
ハロはすぐに身体を起こした。
ジパが胸元で鋭く鳴く。
「ルル――イ!」
タレンは炎棒を手に取り、低く構えた。
後ろからヤガガ、マイノノ、スワワも順に這い上がってくる。
「何だよ、今度は何が出るんだ」
スワワが息を切らしながらぼやいた。
マイノノはすでに前方を見ていた。
「声がする。人の声だ」
その言葉が終わるより早く、洞窟の奥で怒号が響いた。
「下がるな!ここを抜かれたら終わりだ!」
ハロの目が鋭くなった。
「防衛隊員か?」
彼は雷槍を握り直し、風穴出口へ向かって駆け出した。
低い洞窟の先は、外側の岩棚へ続いていた。
雨はほとんど届かない。だが、風は強く、霧が横に流れている。岩棚の端には崩れた石が積もり、その向こうには暗い谷が口を開けていた。
そして、その岩棚の中央で、数人の防衛隊員が異獣に囲まれていた。
先頭に立っている男の肩口は裂け、腕から血が流れている。片膝をつきながらも、短剣を握りしめ、倒れた仲間の前に身体を張っていた。
ジニアだった。
「くそ……まだ来るのかよ……!」
彼の前には、灰黒い小型異獣が四匹。
さらに岩の裂け目の奥から、細長い影が二つ這い出してくる。
ジニアの背後では、同行していた隊員の一人が負傷者を庇い、もう一人は壁に背を預けて荒い息を吐いていた。
求援に向かったはずの一団は、すでに限界に近かった。
「ジニア!」
ハロが叫ぶ。
ジニアは一瞬だけ顔を上げた。
「……ハロ!?」
驚きがその目に浮かぶ。
だが、返事をする余裕はなかった。
異獣の一匹がジニアの横腹へ飛びかかった。
ハロは地面を蹴った。
「伏せろ!」
雷槍の穂先が雨霧を裂く。
青白い雷光が一閃し、飛びかかった異獣の胴を横から弾き飛ばした。
獣は岩壁へ叩きつけられ、黒い煙を上げて転がる。
その直後、タレンが前へ出た。
洞窟の低い天井から外へ抜けた瞬間、その巨躯は岩棚の上で一気に存在感を増した。
赤い熔紋が胸と腕で脈打ち、炎棒の先端に熔光が集まる。
「退け」
低い声が落ちた。
その一言だけで、異獣たちの動きが鈍る。
タレンは炎棒を横に振るった。
赤紅の熱波が岩棚を薙ぎ、正面の二匹をまとめて押し返す。異獣の外殻が焦げ、湿った風の中に白い蒸気が立ち昇った。
「ヤガガ、左。マイノノ、負傷者を下げろ。スワワ、右を潰せ」
「了解」
ヤガガは短く応じ、細い熔符槍を構えた。
槍の先端から赤い符紋が伸び、左側の岩陰へ逃げようとした異獣を正確に貫く。
マイノノは無言で負傷者のもとへ滑り込み、肩を貸して岩壁側へ移動させた。
スワワは重い熔晶槌を肩に担ぎ、舌打ちしながら前へ出る。
「狭い穴を登った後にこれかよ!」
そう言いながらも、振り下ろした一撃は重かった。
熔晶槌が地面を叩き、赤い衝撃が岩棚を走る。足を取られた異獣が跳ね上がったところへ、ハロの雷槍が突き込まれた。
「はあっ!」
雷光が爆ぜる。
残った異獣が悲鳴を上げ、霧の中へ弾き飛ばされた。
だが、最後の一匹が死角からジニアへ迫る。
ジニアは気づいていた。
しかし、身体が動かなかった。
「っ……!」
その瞬間、ジパがハロの胸元から飛び出すように身を乗り出した。
晶羽が鋭く光る。
「ルル――!」
ハロはその声に反応し、振り向きざまに雷槍を投げるように突き出した。
穂先から放たれた雷弧が、異獣の爪を弾いた。
タレンの炎棒が続けて振り下ろされる。
赤い熔光が異獣を飲み込み、黒い残骸だけが岩棚に転がった。
戦闘は、そこで途切れた。
風穴の唸りだけが残った。
ジニアは短剣を握ったまま、しばらく動かなかった。
やがて、限界が来たように膝から崩れ落ちる。
「ジニア!」
ハロが駆け寄る。
ジニアは肩で息をしながら、苦笑した。
「……助かった。まさか、こんな所で会うとはな」
「喋るな。傷が開く」
ハロはジパを抱え直しながら、ジニアの肩口を見た。
防衛服は裂け、血が泥と混じっている。深い傷ではあるが、すぐに命を落とすほどではない。
だが、消耗が激しい。
ヤガガが近づき、傷口を確認した。
「止血を先にする。動かすな」
ジニアは抵抗しなかった。
というより、抵抗する力が残っていなかった。
ハロたちは岩棚の奥、風の当たりにくい低い洞窟へ移動した。
そこは完全に安全ではない。
だが、外よりはましだった。
岩壁が風を遮り、天井も低い。奥には乾いた石床がわずかにあり、負傷者を座らせることができた。
マイノノが見張りに立ち、スワワが入口付近で槌を構えた。
タレンは洞窟の中央に立ち、炎棒の光を弱く保って周囲を照らしている。
ジニアは壁にもたれたまま、荒い呼吸を少しずつ整えていた。
額には血と泥が混じり、肩口の防衛服は裂けている。それでも意識ははっきりしていた。
彼はハロの顔を見て、かすれた声で問いかけた。
「……ハロ、だったな。お前、どうしてガサン隊長と一緒じゃない」
ハロは一瞬だけ答えに詰まった。
ジパを抱く腕に、少しだけ力が入る。
「俺には、別の任務がある」
ジニアの目がわずかに細くなる。
「別の任務?」
ハロはうなずいた。
「ガサン隊長に頼まれた。はぐれた少年を探している」
ジパの晶羽が、胸元で淡く瞬いた。
ハロはその光を見下ろし、低く続ける。
「イランという少年だ」
その名を口にした瞬間、ハロの声は少しだけ重くなった。
「隊長のためでもある。けど、それだけじゃない」
ジニアは黙って続きを待った。
ハロはジパの背をそっと撫でる。
「俺にとっても、必ず守らなきゃいけない相手なんだ」
低い洞窟の中に、風の音がかすかに流れた。
ジニアはしばらくハロを見つめ、それから小さく息を吐いた。
「……そうか。なら、簡単に死ぬなよ」
ハロは短く笑った。
そのやり取りを、タレンは少し離れた場所から黙って見ていた。
やがて、ジニアの処置が一段落した頃。
ハロはジパを膝の上に下ろし、懐から小さな木製の盾を取り出した。
それは、戦場で使うにはあまりにも小さかった。
丸みを帯びた古い木片を削って作られたもので、表面には薄い傷がいくつも走っている。縁の一部には小さな裂け目があり、何度も手入れされた痕が残っていた。
けれど、粗末なものではなかった。
中央には細い線で簡単な守護紋が刻まれ、裏側には柔らかな紐が通されている。誰かを守るために、拙くも丁寧に作られたものだと分かる形だった。
ハロはその小盾を、ジパの首元にそっと掛けた。
ジパは少しくすぐったそうに首を縮めたが、嫌がることはなかった。小盾は白い毛並みの上に落ち着き、晶羽の淡い青光を受けて、古い木目を静かに浮かび上がらせた。
タレンはその様子を黙って見ていた。
やがて、低い声で言う。
「その晶羽獣と、その小盾……お前にとって、よほど大事なものらしいな」
ハロの手が、ほんの少しだけ止まった。
彼はすぐには答えなかった。
小盾の紐がきつすぎないか確かめ、ジパの毛並みを軽く整える。それから、視線を落としたまま、かすかに息を吐いた。
「……ああ」
短い返事だった。
だが、その声には、戦闘中の怒気とも焦りとも違う、静かな痛みが滲んでいた。
「これは……一人の人が残していったものだ」
タレンは何も言わず、続きを待った。
ハロは小盾に指先で触れる。
「俺が、昔その人のために作った。小さすぎて、本当の盾にはならない。出来もよくない。今見ると、傷だらけで、ひびも入ってる」
彼は少しだけ笑おうとした。
けれど、その笑みは途中で崩れた。
「でも、その人は……ずっと持っていてくれた」
ジパが小さく鳴いた。
「ルル……」
ハロはその声に目を細め、ジパの頭を撫でる。
「会いたいんだ」
言葉は、思っていたよりも簡単にこぼれた。
「会って、言いたいことがある。謝りたいこともある。礼も言いたい。なのに……もう、会えない」
低い洞窟に、風の音だけが残った。
タレンは視線を逸らさなかった。
ハロは小盾を見つめたまま、さらに小さく呟く。
「だから、せめて守る。彼女が大事にしていたものを。彼女が守ろうとしたものを」
ジパの晶羽が、淡く震えた。
ハロはその光を見つめ、声を低くした。
「ジパも、イランも……今度こそ、俺が守る」
タレンはしばらく沈黙していた。
やがて、炎棒を握る手をわずかに下ろし、静かに言った。
「失った者の名を背負う者は、強くなる」
ハロは顔を上げる。
タレンの赤い瞳は、暗い岩穴の中でも揺らがなかった。
「だが、強くあろうとして潰れる者もいる」
その言葉に、ハロは何も返せなかった。
タレンは続ける。
「守ると言ったなら、生きて守れ。死んで誓いを飾るな」
低く、重い声だった。
ハロは小さく息を呑み、それからゆっくりとうなずいた。
「……分かった」
ジパが小盾を揺らしながら、一歩だけハロに近づいた。
ハロはその小さな体を抱き上げる。
古い木製の小盾が、彼の胸元でかすかに鳴った。
それは頼りない音だった。
けれどハロには、誰かの声の残響のように聞こえた。
その時、壁にもたれていたジニアが、ぽつりと声を漏らした。
「……マンダコ隊長たちは」
ハロの手が止まる。
ジニアは顔を上げ、かすれた声で続けた。
「ミコノパン副隊長たちは……無事なのか」
ハロは答えられなかった。
知らない。
まだ、何も知らない。
ジニアはその沈黙だけで、何かを察しかけたように目を伏せた。
だが、すぐに首を振る。
「……いや。今はいい」
彼は痛む肩を押さえながら、息を整える。
「俺は求援に出た。なら、まだ戻らなきゃならない」
「そっちこそ。求援に出て、ここで倒れてたら洒落にならないだろ」
ジニアは痛みに顔をしかめながらも、わずかに口元を動かした。
「言うようになったな」
ハロは小さく含み笑いを浮かべ、ジニアを見た。
タレンもまた、静かに視線を向ける。
風穴の奥で、低い唸りが再び響いた。
この先に、まだ道がある。
そしてその先で、誰かがまだ戦っているかもしれなかった。
>ここまで読んでくださりありがとうございます。
第53話では、風穴の出口での遭遇と、そこで交わされる言葉を通して、
ハロの「守りたいもの」がより深く描かれる回になりましたーー
閉鎖空間の緊張、外の風の荒れ、そして再会と決意ーー
物語はさらに大きな流れへ向かって動き始めていますよ!
次回も、ぜひ楽しみにしていてくださいねーー
(^∇^)ノ♪




