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失われた断片 ― 風の環 ―  作者: 半々月光
ビグトラス島編
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第51話 ― 風穴の唸り――崩れ道を越えて

避難民と隊員たちが岩壁沿いの細道を進む場面、


不安定な足場と風穴の唸りが隊列を揺さぶり、緊張が高まる中で、


それぞれが支え合いながら前へ進もうとする姿を描きました。


その前はいったい何をまっている......

時間:3670シヴン年 12月25日 AM 06:55

場所:ビゴトラス島・避難所山道北側岩壁



隊列は、岩壁沿いの細道をゆっくりと進んでいた。


 前方ではヴァリクが足場を確かめ、カフロイェーが左側面で避難民の歩みに合わせている。谷側から吹き上がる風はまだ湿っていて、雨の残り香と泥の匂いを運んでいた。


 エドリックは列の中央から全体を見渡しながら、少し前を歩くミコノパンの背中を見ていた。


 彼女はマンダコの剣を腰に帯びていた。


 まだ慣れない重さなのか、歩くたびにほんのわずか、手が柄の位置を確かめるように動く。


 エドリックはしばらく黙っていた。


 今は聞くべき時ではない。


 それは分かっている。


 けれど、状況を知らないまま進むには、失われたものが大きすぎた。


 「……ミコノパン」


 低く呼ぶと、彼女は歩みを止めずに少しだけ顔を向けた。


 「何?」


 エドリックは一度、前方の隊列を確認した。避難民たちはまだ動いている。大きな乱れはない。


 それを確かめてから、彼は言葉を選ぶように口を開いた。


 「今、これを聞くのが適切ではないことは分かっている」


 ミコノパンの肩が、わずかに強張った。


 エドリックはそれを見て、すぐに続けた。


 「答えたくなければ、今は答えなくていい。ただ、俺はもう少し状況を把握しておきたい」


 ミコノパンは何も言わなかった。


 エドリックは声を落とす。


 「お前たちは、どうしてここまで来た。マンダコは……なぜ、ああなった」


 その名が出た瞬間、ミコノパンの足が一瞬だけ止まりかけた。


 けれど、すぐにまた歩き出す。


 彼女の手が、腰の剣の柄に触れた。強く握るのではなく、そこにあることを確かめるように。


 「……そうね」


 ミコノパンは前を向いたまま、小さく息を吐いた。


 「本当なら、今すぐ話せるようなことじゃないと思う」


 声は静かだった。


 だが、震えてはいなかった。


 「でも、あなたが状況を知らないまま指揮を続けるのも危ない。……それくらいは、私にも分かる」


 エドリックは黙って彼女の横顔を見た。


 ミコノパンは少しだけ視線を落とし、泥に濡れた山道を見つめる。


 「私たちは、最初からここにいたわけじゃない。別の避難経路を押さえるために動いていたの」


 風が岩壁を撫で、濡れた葉を揺らした。


 ミコノパンは、ゆっくりと言葉を継いだ。


 「マンダコは、崩れた道の向こうにまだ取り残されている避難民がいるかもしれないって言った。だから、雷嶽小隊を二つに分けたの」


 エドリックの目がわずかに細くなる。


 「二つに?」


 「ええ。マンダコが、まだ状況が崩れきる前に判断したの。ジニアに数人を連れて、応援要請へ向かわせた。負傷者を守る人手も必要だったから、全員で動くわけにはいかなかったの。残った私たちは、こっちの山道を確認しながら、避難民を拾って戻る予定だった」


 「つまり、ジニアは――」


 エドリックがそう言いかけた、その時だった。


 彼の表情が、突然変わった。


 言葉を飲み込むより早く、視線が上へ跳ねる。


 耳に届いたのは、風の音ではなかった。


 山の内側から、何かが裂けるような低い唸りだった。


 「カルヴァン!」


 エドリックの声が、鋭く飛ぶ。


 「防壁を張れ!」


 その瞬間、カルヴァンも顔色を変えた。


 「全員、谷側から離れろ!」


 叫びと同時に、彼の杖先から水気を帯びた術式の光が広がる。


 だが、風のほうがわずかに早かった。


 岩壁の上方、黒く割れた裂け目の奥から、突然、圧縮されたような強風が噴き出した。


 それは普通の突風ではなかった。


 島の内側に眠る風穴が、異変によって無理やり口を開いたような、荒く、歪んだ風だった。


 「きゃあっ!」


 避難民の列が、一気に揺れた。


 谷側を歩いていた人族の男が足を滑らせ、抱えていた荷物が宙へ持ち上がる。魚族の子供を支えていた女が膝をつき、濡れた岩肌に手を伸ばした。


 「いやだ、落ちる……!」


 人族の子供が泣き出した。


 母親の服を両手で掴み、泥だらけの靴を震わせている。母親は自分も顔色を失っていたが、それでも必死にその小さな背を抱き寄せた。


 「大丈夫。手を離さないで。絶対に離さないで」


 そのすぐ近くで、魚族の少年が濡れた岩に足を取られた。


 「うわっ!」


 鰭膜のある足が泥を滑り、身体が谷側へ傾く。


 星織・雨が咄嗟に手を伸ばし、その腕を掴んだ。


 「こっちへ!」


 少年は息を呑み、泣きそうな顔でうなずく。


 「海なら……こんなの、平気なのに……」


 小さく漏れた声に、星織・雨は一瞬だけ胸を痛めた。


 ここは海ではない。


 濡れているのに、水の中よりずっと危ない山道だった。


 鳥族の若者が反射的に翼を広げる。


 だが、濡れた羽は風を受け止めきれなかった。逆に身体ごと煽られ、足が地面から離れかける。


 「飛ぶな!」


 エドリックが叫んだ。


 「今飛べば持っていかれる!」


 谷側では、鳥族の幼い子が翼を半ば広げて震えていた。


 「飛んだほうが早いよ……飛べるのに……」


 そばにいた鳥族の若者が、その翼をそっと押さえる。


 「今は駄目だ。空が味方じゃない」


 「でも、地面はもっと怖い」


 「分かる。俺も怖い」


 若者はそう言って、子供の前にしゃがんだ。


 「だから今日は、飛ばずに歩く。俺たちが歩けるって、風に見せてやるんだ」


 鳥族の子供は泣きながら、濡れた翼を畳んだ。


 その声と同時に、ヴァリクが前方から駆け戻った。


 「掴まれ!」


 彼は戦斧を濡れた岩へ叩き込み、その柄を支点にして、吹き飛ばされかけた鳥族の腕を掴んだ。


 鳥族の若者は歯を食いしばり、片手でヴァリクの腕にしがみつく。


 「くっ……!」


 「だから言っただろ、飛ぶなって!」


 ヴァリクの靴底が泥を削る。


 それでも彼は戦斧を軸に踏みとどまった。


 そのすぐ下で、カフロイェーが顔を青くしながらも雷土術式槌を抜く。


 「雷土固定――っ!」


 小ぶりな槌が泥と岩の境目へ打ち込まれた。


 柄に刻まれた雷と土の符紋が淡く光り、防衛服の袖口から伸びる導気線が一瞬だけ明滅する。足元の緩んだ土がぎゅっと締まり、崩れかけていた岩の段差に細い光の筋が走った。


 「こっち、踏めます! でも長くは持ちません!」


 カフロイェーの声が震える。


 そのすぐ横で、人族の老人が足を滑らせた。


 「っ……!」


 杖が泥に沈み、身体が後ろへ倒れかける。


 サラが駆け寄るより早く、カフロイェーがもう一度、雷土術式槌を地面へ打ち込んだ。


 鈍い音と共に、老人の足元に淡い符紋の光が走る。


 滑っていた泥が一瞬だけ締まり、老人の踵が踏みとどまった。


 「すまない、嬢ちゃん……」


 「いえ! でも、次は私が言う場所を踏んでください!」


 「ほう。若いのに頼もしいなーー」


 「た、頼もしいですか!?」


 カフロイェーの声が裏返る。


 前方からヴァリクが振り返った。


 「褒められて浮かれるな! 足場見ろ!」


 「はい、先輩!」


 その返事はまた大きすぎた。


 だが、その声に、近くで泣いていた人族の子供が少しだけ顔を上げた。


 ほんの一瞬。


 恐怖ばかりだった隊列の中に、まだ誰かの声が届く余地が生まれた。


 ミコノパンは即座に振り向いた。


 「左側面、避難民を岩壁側へ寄せて! ヴァリク、鳥族を下ろしたら前に戻らないで、そのまま支えに回って!」


 「了解!」


 「カフロイェー、一人で止めようとしない!」


 「はいっ!」


 カフロイェーは返事をしながら、もう一度槌を打ち込んだ。


 その瞬間、二度目の風が上から落ちてきた。


 今度は横ではない。


 山壁の裂け目から噴き出した風が、岩肌を伝って斜め下へ流れ、隊列の中央を削るように吹き抜けた。


 「伏せて!」


 星織・雨が叫び、小さな子供を抱き寄せる。


 子供たちは身を縮め、魚族の母親が覆いかぶさるようにして守った。


 少し後ろでは、樹族の老人が震える膝で踏ん張っていた。節の浮いた手で杖を握り、隣にいた若い樹族の肩を押す。


 「先に行け。わしは遅い」


 「何言ってるんだ、じいさん。置いていけるわけないだろ」


 「根は、若い枝を支えるものだ」


 「今は枝が根を支える番だ」


 若い樹族はそう言って、老人の腕を自分の肩へ回した。


 老人は少しだけ目を細めたが、反論はしなかった。


 さらに前方で、琉火族の少女が唇を噛みしめていた。皮膚の下で淡い火光が揺れ、不安に反応するように細く明滅している。


 「熱い……でも、寒い……」


 隣の琉火族の男が、片手を彼女の背に添えた。


 「火を暴れさせるな。息を合わせろ」


 「でも、風が……怖い」


 「怖くてもいい。火は怖さを消すものじゃない。怖くても、立つためにある」


 その言葉に、少女は涙をこらえながら小さくうなずいた。


 サラは負傷者の列へ飛び込み、倒れかけた担架の端を押さえる。


 「岩壁側へ! 手を離さないでください!」


 担架の上の重傷者が苦しげに呻く。支えていた防衛隊員の足が滑り、担架が谷側へ傾きかけた。


 「カルヴァン!」


 エドリックが叫ぶ。


 「分かってる!」


 カルヴァンは杖を両手で握り、地面へ突き立てた。


 水気を帯びた術式光が、谷側へ弧を描くように広がる。半透明の水膜が防壁となって立ち上がり、吹き飛ばされた外套や木片、砕けた石が次々とその表面に叩きつけられた。


 ばしゃり、と重い水音が響く。


 だが、防壁は完全ではなかった。


 風の圧が強すぎる。


 水膜の表面が波打ち、内側へ押し込まれる。


 「長くは無理だぞ!」


 カルヴァンが歯を食いしばる。


 「この風、ただの谷風じゃない!」


 エドリックは上方を睨んだ。


 黒い裂け目の奥で、風が渦を巻いている。


 そこにあるのは、小さな風穴だった。


 ビゴトラス島には、大小無数の風穴がある。


 普段なら、それらは島の呼吸口だった。環風の流れを整え、霧を逃がし、山腹を通る気流を穏やかに巡らせるためのもの。


 だが、いまは違う。


 異変の後、風穴は呼吸ではなく、傷口のように開いていた。


 そこから噴き出す風は、環風の巡りから外れ、歪み、膨れ上がり、まるで島そのものが苦しんでいるかのように暴れている。


 「……風穴が暴れてる」


 ミコノパンが低く呟いた。


 腰のマンダコの剣へ手をかける。


 「この道が崩れたのは、雨と異獣だけじゃないわね」


 エドリックも短くうなずいた。


 「風脈が乱れている。上から来るぞ」


 その言葉が終わるより早く、風穴の奥が再び唸った。


 今度は、岩壁の細かな砂が先に浮いた。


 小石が震え、濡れた根が裂け、崩れかけていた山肌から乾いた音が走る。


 サラが叫んだ。


 「崩れます!」


 次の瞬間、上方の岩が割れた。


 大きな岩塊ではない。


 だが、拳ほどの石がいくつも雨のように落ちてくる。


 「防衛隊、頭を守れ!」


 エドリックの指示に、外側の隊員たちが一斉に避難民の前へ出る。


 琉火族の男が腕を掲げ、淡い火光の膜で小石を受け止めた。樹族の老人が杖を地面へ突き、足元から伸びた細い根が子供たちの周りに低い囲いを作る。


 魚族の女は濡れた布を広げ、近くの子供を抱き寄せた。


 鳥族の若者は今度こそ飛ばず、翼を盾のように半ば広げて、背後の避難民を守った。


 種族ごとの力が、ばらばらに、けれど同じ方向へ働いた。


 エドリックはそれを見て、短く息を吸う。


 「全員、止まるな! この場所で固まれば、次の風でまとめて落ちる!」


 彼は杖を掲げ、前方の岩段を指した。


 「前へ押し上げろ! 狭所を抜けるまで隊列を切るな!」


 ミコノパンがすぐに続く。


 「雷嶽小隊、道を作る!」


 ヴァリクが鳥族の若者を岩壁側へ押し戻し、戦斧を引き抜いた。


 「カフロイェー、足場!」


 「はい!」


 カフロイェーは泥だらけの膝で踏ん張り、雷土術式槌を前方の岩段へ打ち込む。


 鈍い音と共に、ぐらついていた段差が一瞬だけ締まった。


 「今です!」


 その声に合わせて、サラが子供たちを押し出す。


 星織・雨も魚族の子供の手を引き、震える足を前へ進ませた。


 「大丈夫。ここを越えれば、少し広い場所に出ます」


 自分に言い聞かせるような声だった。


 けれど、その言葉に子供は小さくうなずいた。


 エドリックは最後尾に近い位置から、崩れかけた岩壁と防壁の揺れを見比べた。


 風穴はまだ唸っている。


 次が来る。


 それまでに、隊列を押し出さなければならない。


 「カルヴァン、あと少し持たせろ!」


 「簡単に言うな!」


 カルヴァンは叫び返しながらも、防壁をさらに谷側へ押し広げた。


 水膜が風に削られ、端から霧のように砕けていく。


 その霧の向こうで、風穴の奥が青白く明滅した。


 エドリックの目が細くなる。


 ただの風ではない。


 風の奥に、何か別の力が混じっている。


 その違和感を口にする余裕はなかった。


 今は、進むしかない。


 「急げ!」


 エドリックの声が、崩れた山道に響いた。


 「全員、生きてここを越えるぞ!」


ここまで読んでくださりありがとうございます~


第51話では、崩れた山道を越える過程で、


「恐怖の中でも支え合う」ことをテーマにしました


風穴の唸りや崩れかけた足場の描写を通して、仲間同士の声や動きが少しずつ、


空気を変えていく様子を描いています。


緊張の中にも、人の気配や支え合う力を感じてもらえたら嬉しいです


(^^)ノ

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― 新着の感想 ―
どうもVIKASHです。 最新話まで読ませていただきました。 文章能力も高く、設定に忠実で、設定に奥行きがある。 ストーリーの完成度も非常に高いと思いました。 ただ、何点か気になったのですが、「!」…
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