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失われた断片 ― 風の環 ―  作者: 半々月光
ビグトラス島編
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第50話 ― 崩れた山道――雷嶽の歩み

>避難民と隊員たちが集まり、崩れた山道をどう越えるかを話し合う場面です。


不安や苛立ちの声が交錯しながらも、

少しずつ「どう進むか」を模索する空気へと変わっていきます。


それぞれの種族が力を合わせ、険しい岩壁へ挑もうとする姿を描きました



時間:3670シヴン年 12月25日 AM 05:37

場所:ビゴトラス島・避難所山道北側岩壁付近


出発の準備が整い始める頃、エドリックは避難民と防衛隊員たちを、崩れた山壁の手前へ集めた。


 人族、魚族、樹族、琉火族、鳥族。


 泥に汚れた外套を抱きしめる者、負傷した家族を支える者、濡れた翼を畳んだまま身を震わせる者たちが、互いに身を寄せ合うようにして立っている。


 その前に立ったエドリックは、短杖を地面へ軽く突き、全体を見渡した。


 「これから進む道について説明する」


 ざわめきが、少しだけ静まった。


 サラとミコノパンは隊列の左右に立ち、カルヴァンは術士たちと共に後方で負傷者の様子を見ている。星織・雨は子供たちのそばにしゃがみ込み、不安そうに服の裾を握る小さな手へ、そっと自分の手を重ねていた。


 エドリックは一度だけ息を整え、崩れた山壁の向こうを指した。


 「先ほど、数名でこの先の経路を確認した。本来なら、このまま正面の山道を抜けて避難所へ向かう予定だった。だが、異獣との戦闘と豪雨の影響で、前方の道は大きく崩れている」


 避難民の間に、小さなどよめきが走った。


 「完全に通れないわけではない。だが、あの道を大人数で進めば、途中で足場が落ちる危険が高い。負傷者や子供を連れて通るには、あまりに不安定だ」


 魚族の女が、抱えていた子供を強く引き寄せた。樹族の老人は黙ったまま杖を握り直し、琉火族の男は奥歯を噛むようにして崩れた道を睨む。


 エドリックは続けた。


 「そのため、俺たちはこの山壁を迂回して越える。北側に、まだ使える細い登り道がある。ただし、傾斜はきつい。足場も悪い。濡れた岩場を攀じるように進む箇所もある」


 その言葉に、鳥族の一人が羽を広げかけた。


 「待てよ。そんな道を、子供や怪我人に登らせるのか?」


 別の鳥族も声を上げる。


 「飛べる者は先に飛んだほうがいいんじゃないのか。この人数で岩場を進めば、余計に時間がかかる」


 すると、人族の男も不安げに声を漏らした。


 「でも、分かれて進んだら……また異獣が出た時はどうするんだ」


 「こんな崖道、魚族の足では不利だ」


 「樹族の年寄りもいる。全員が登れるとは限らないぞ」


 声は一つでは済まなかった。


 疲労と恐怖を押し込めていた避難民たちの中で、張り詰めていたものが少しずつ揺れ始める。


 鳥族の若者が濡れた翼を震わせ、苛立ったように言った。


 「上から見れば、もっと安全な道が分かるかもしれない。俺たちだけでも偵察に――」


 「駄目だ」


 エドリックの声が、短くそれを止めた。


 強くはなかった。だが、その一言で周囲のざわめきが一瞬だけ止まる。


 エドリックは鳥族の若者を責めるでもなく、ただまっすぐに見た。


 「今の上空は安定していない。雨のあとで風脈が乱れている。飛べる者でも、負傷者を抱えて低空を飛べば、崖に叩きつけられる危険がある」


 鳥族の若者は言い返そうとして、濡れた自分の翼を見た。


 羽先には泥と血がついていた。完全には動かせていない。


 エドリックはさらに全体へ向けて言った。


 「分かれて進めば、速い者は助かるかもしれない。だが、遅い者は取り残される。ここにいる全員を生かして避難所まで連れていくなら、今は一つの隊として進むしかない」


 その言葉に、ミコノパンが一歩前へ出た。


 胸元には、マンダコの剣があった。


 「雷嶽小隊が前に出る。足場の確認と、崩れそうな場所の支えはこっちでやる。鳥族は上に飛ぶんじゃなくて、低い位置で列の乱れを見て。落ちかけた人がいたら、すぐ知らせて」


 サラも続いた。


 「魚族の方は、滑りやすい場所では中央に入ってください。樹族の方は歩幅を合わせます。琉火族の方は、体力のある方から外側の支えに回ってほしいです」


 少しずつ、ざわめきの質が変わっていく。


 不満は消えない。不安も消えない。


 けれど、ただ恐れて立ち尽くすための声ではなく、どう進むかを探すための声へと変わり始めていた。


 エドリックは最後に、もう一度だけ全員を見渡した。


 「いいか。急ぐ。だが、走らない。押さない。列を崩さない。前の者だけを見るな。隣の者を見ろ。遅れた者がいれば声を上げろ」


 泥と血の匂いを含んだ風が、山壁の上から吹き下ろした。


 その先には、崩れた道ではなく、さらに険しい岩の登り道が待っている。


 エドリックは杖を握り直し、静かに告げた。


 「出発する。全員で越えるぞ」



 「雷嶽小隊、聞こえたわね」


 ミコノパンの声が、泥濘の上に短く響いた。


 まだ涙の跡は残っていた。けれど、その声にはもう副隊長としての芯が戻っていた。


 「ヴァリク、あなたは前へ。足場の確認と、危ない岩場の目印をつけて。カフロイェーは左側面、もう一人は右側面。避難民の列が崩れたら、すぐ支えて」


 「了解!」


 ヴァリクは短く返事をし、背中の戦斧を握り直した。



 そのすぐ後ろで、小柄な少女が慌てて背筋を伸ばした。


 淡い茶色の髪を短く結び、まだ新しい防衛服の袖を少し余らせている。年は若く、顔つきにもどこか幼さが残っていたが、瞳だけは必死に前を見ようとしていた。


 腰には小ぶりな雷土術式槌を提げている。片側は平たい鎚頭、もう片側は岩場に引っかけるための鉤状になっており、

柄には雷と土、二つの符紋がまだ新しく刻まれていた。


防衛服の袖口から伸びる細い導気線が、その柄の符紋へ淡く繋がっている。


 雷嶽小隊に入ったばかりの新入り、カフロイェーだった。



 「は、はい! 左側面ですね!」


 「カフロイェー、声がでかいーー」


 ヴァリクが振り返って小さく言う。


 「だって、ヴァリク先輩が前に出るなら、私もちゃんとしないと……!」


 「俺にくっついてくるなよ。今日は遊びじゃねえんだから」


 「くっついてません。隊列として近いだけです」


 「それをくっついてるって言うんだよ」


 近くにいた隊員が、疲れた顔のまま小さく息を漏らした。


 そのやり取りに、避難民の何人かがかすかに顔を上げた。


 ほんの少しだけ、張り詰めた空気が緩む。


 ヴァリクはそのまま前へ出ようとして、ふと足を止めた。


 視線の先には、子供たちのそばに立つ星織・雨がいた。彼女は小さな子の手を取り、不安げに震える肩へそっと声をかけている。


 泥と雨に濡れた戦場の中で、その姿だけがどこか静かな光のように見えた。


 ヴァリクは一瞬だけ見つめ、それから慌てたように視線を逸らす。


 「……あの子も、無理しすぎんなよ」


 小さく呟いたその声に、カフロイェーがすぐ反応した。


 「え?」


 「なんでもねえよ!」


 「今、誰かのこと見てました?」


 「見てねえ!」


 「見てましたよね?」


 「前見ろって言ってんだろ!」


 ヴァリクは耳のあたりを赤くしながら、ぬかるみを蹴って前方へ駆け出した。


 カフロイェーは一瞬だけ星織・雨のほうを見て、それから少しむっとしたように頬を膨らませる。


 「……先輩、あとで聞きますからね」


 そう小さく呟いて、彼女も左側面へ走っていった。


 ミコノパンはその背中を見送り、ほんの一瞬だけ息を吐いた。


 そして、胸元に抱えたマンダコの剣へ指を添える。


 「……行くわよ。マンダコ」


 誰に聞かせるでもない声だった。



 だが、その名を口にした瞬間、雷嶽小隊の残った隊員たちは静かに背筋を伸ばした。


 誰かが号令をかけたわけではない。


 それでも、マンダコの名は、彼らにとってまだ隊列を正すための声だった。


 ヴァリクは戦斧の柄を握り直し、濡れた前髪を乱暴に払った。


 「……行きましょう、副隊長」


 いつもの軽さは、ほんの少しだけ抑えられていた。


 そのすぐ後ろで、カフロイェーも慌てて姿勢を正す。まだ新しい防衛服の袖を少し余らせたまま、腰の雷土術式槌に手を添え、必死に前を向いていた。


 「わ、私も行けます!」


 「転ぶなよ」


 ヴァリクが短く言う。


 「転びません!」


 「声がでかい」


 「すみません!」


 また大きな声で返してしまい、カフロイェーは一瞬だけ口を押さえた。


 そのやり取りに、近くの避難民がほんの少しだけ息を漏らす。


 笑いと呼べるほどのものではなかった。けれど、凍りついた空気をほんのわずかに動かすには十分だった。


 ミコノパンは振り返らず、前方の崩れた山壁を見据えた。


 「ヴァリク、先行して足場を見て。無理に進まなくていい。危ない場所はすぐ知らせなさい」


 「了解」


 「カフロイェーは左側面。避難民が足を滑らせたら、槌で足場を固めて。ひとりで支えようとしないこと。必ず声を出して」


 「はい!」


 「もう一人は右側面。前衛だけで進まない。列の乱れを見ながら動いて」


 雷嶽小隊の隊員たちは短く応じ、それぞれの位置へ散っていく。


 ミコノパンは最後に、胸元の剣へ一度だけ視線を落とした。


 「……隊長みたいには、まだできない」


 小さく漏れた声は、雨上がりの風にすぐ消えそうだった。


 けれど彼女は顔を上げる。


 「でも、止まらない」


 その横へ、エドリックが静かに歩み寄った。


 「それでいい。今は、止まらないことが一番大事だ」


 ミコノパンは短くうなずいた。


 エドリックは全体へ向き直り、短杖を掲げる。


 「隊列を組め。前衛、進路確認。中央、負傷者と子供を守れ。後衛、防壁を維持しながら移動する」


 ざわめいていた避難民たちが、少しずつ動き始めた。


 濡れた翼を畳む鳥族。子供を抱き直す魚族。杖を握り直す樹族。肩を貸し合う人族。周囲を警戒しながら外側へ回る琉火族。


 誰も、不安が消えたわけではなかった。


 それでも、立ち止まったままではいられない。


 崩れた道の向こう、さらに険しい山壁の上へ。


 合同隊は、ゆっくりと動き出した。



 先頭に出たヴァリクが、ぬかるんだ斜面へ片足をかける。戦斧の柄で足元を叩き、泥の下に隠れた岩の硬さを確かめながら、慎重に進路を探っていった。


 「ここ、踏むな。下が浮いてる」


 短くそう言って、ヴァリクは崩れかけた土の縁に戦斧の先を立てた。


 すぐ後ろの隊員が避難民へ合図を送り、列はわずかに左へ寄る。


 正面の山道は、もはや道と呼べる形を失っていた。雨水に削られた斜面は大きく抉れ、ところどころ岩盤ごと崩れ落ちている。濁った水が細い筋となって流れ、泥と砕けた石を押し流しながら、下の谷へ消えていった。


 その先には、本来通るはずだった道の残骸が見えていた。


 割れた標識。倒れた防護柵。半分だけ宙に浮いた石段。


 避難民の中から、息を呑む声がいくつも漏れた。


 「……あそこを進んでいたら、落ちていたな」


 琉火族の男が低く呟く。


 エドリックは答えなかった。ただ列の中央から全体を見渡し、前後の間隔を確認していた。


 「詰めすぎるな。前の者が足を滑らせた時、巻き込まれる」


 その声に、隊列が少しずつ間を取り直す。


 北寄りの岩壁沿いに入ると、道はさらに狭くなった。


 片側は濡れた岩壁。もう片側は、崩れた斜面の向こうに暗い谷が口を開けている。足元には木の根が複雑に張り出し、雨で磨かれた石が靴底を拒むように滑った。


 魚族の避難民たちは、水に濡れた岩場には慣れているはずだった。だが、ここは海辺でも川辺でもない。泥と砕石の混じった山道は足場の感触が違い、子供を抱いた者ほど歩みが遅くなる。


 サラはすぐに中央へ入った。


 「魚族の方はこちらへ。足元を見るより、前の人の腰の高さに視線を置いてください。揺れに引っ張られにくくなります」


 彼女の声は落ち着いていた。


 星織・雨もそのそばで、小さな魚族の子供の手を握っていた。子供は青白い顔で崖のほうを見ないようにしている。


 「大丈夫です。ゆっくりでいいですから」


 星織・雨がそう言うと、子供は小さくうなずいた。


 その少し前では、樹族の老人が杖を岩に突きながら進んでいた。足取りは遅い。けれど根を張るように一歩ずつ踏みしめるその動きは、不思議なほど安定していた。


 ただ、後ろから来る人族の若い母親が足を滑らせた瞬間、列が小さく乱れた。


 「止まらないで! でも押さないでください!」


 サラがすぐに声を上げる。


 カフロイェーが左側面から駆け寄った。


 「ここ、固めます!」


 腰の雷土術式槌を抜き、彼女は濡れた岩の横へ片膝をつく。小ぶりな鎚頭が泥に触れた瞬間、柄に刻まれた雷と土の符紋が淡く光った。


 「雷土固定――っ!」


 小さく叫びながら、彼女は鎚を打ち込む。


 鈍い音が岩肌に響き、泥の下で緩んでいた土が一瞬だけ締まった。崩れかけていた足場に細い光の筋が走り、踏み抜きそうになっていた場所がわずかに固まる。


 母親は防衛隊員に支えられながら体勢を戻した。


 「ありがとう……」


 「い、いえ!」


 カフロイェーは慌てて立ち上がろうとして、自分の靴が泥にはまっていることに気づいた。


 「……あっ」


 前方からヴァリクが振り返る。


 「自分がはまってどうすんだ!」


 「わ、わざとです! 足場の確認です!」


 「嘘つけ!」


 ヴァリクは呆れたように言いながらも、すぐに戻って彼女の腕を引いた。


 カフロイェーは泥から足を抜き、顔を赤くしたまま小さく頭を下げる。


 「ありがとうございます、先輩……」


 「礼はいい。次は鎚を打つ前に、自分の足場見ろ」


 「はい!」


 その声がまた少し大きく響き、近くの鳥族の若者が小さく笑った。


 緊張は消えない。


 だが、完全に凍りついていた列に、ほんの少しだけ人の気配が戻っていた。


 ミコノパンはその様子を横目で見ながら、先頭の状況へ意識を戻した。


 前方の岩壁は、さらに急になっている。


 そこから先は、道というより、崩れ残った岩の段差を拾いながら登るしかなかった。雨水が流れた跡が黒く筋になり、ところどころに異獣の爪痕らしき深い裂け目が残っている。


 「ヴァリク、上の段差は?」


 「人ひとりずつなら行けます。ただ、荷を持ったままだときついです」


 「分かった」


 ミコノパンは短くうなずき、隊列へ振り返った。


 「ここから一人ずつ上がる。荷物は防衛隊が先に受け取るわ。子供と重傷者を優先して」


 エドリックもすぐに続けた。


 「焦るな。登る者、支える者、受け取る者を分ける。声を切らすな」


 その指示で、合同隊はさらに細く形を変えた。


 前衛が岩の上に立ち、下から上がる者の腕を掴む。中央ではサラと星織・雨が子供たちを落ち着かせ、後方ではカルヴァンたち術士が薄い防壁を張りながら、谷側から吹き上がる乱れた風を受け流していた。


 鳥族たちは飛ばなかった。


 代わりに翼を半ば広げ、転びかけた者の背を支え、荷物の揺れを抑えていた。濡れた羽は重そうだったが、それでも彼らは空ではなく地面の上で、列を守るために動いていた。


 琉火族の者たちは外側に回り、冷えきった避難民の手を温めながら、岩場の陰を警戒している。


 人族の若者たちは荷を運び、樹族の老人たちは歩幅の遅い者に合わせて、杖で滑りやすい場所を示していた。


 種族も、力も、歩幅も違う。


 それでも今だけは、同じ細い山道の上で、同じ方向へ進んでいた。


 エドリックはその列を見ながら、静かに息を吐いた。


 崩れた山壁の上には、まだ薄い灰色の霧が残っている。


 雨は止んだ。


 だが、風はまだ落ち着いていなかった。


>ここまで読んでくださりありがとうございます。


第50話では、崩れた山道を前にした合同隊の動きと、仲間同士のやり取りを通して「止まらず進む」ことの大切さを描きました。


緊張の中にも、ほんの少し笑いや人の気配が戻る場面を入れることで、


読者の皆さんにも息をつける瞬間を感じてもらえたら嬉しいですよ~


(^∇^)ノ♪


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